2014年8月31日日曜日

2014.08.30 合奏団ZERO第13回定期演奏会

杉並公会堂 大ホール

● 日本は音楽大国である。というときに,例証としてよく用いられるモノサシが3つある。
 ひとつは,日本では4世帯に1世帯がピアノを持っていること。こんな国は日本以外に世界のどこにも存在しない。

● ただね,使われることはまずない。家具のひとつだ。ひと昔かふた昔前の,応接間(この言葉,もう死語ですよね)に置かれた百科事典と同じ。
 けれども,使わないながら,オブジェとしてピアノを選ぶ心性には少々興味を引かれる。

● 2番目は年末の第九。この時期に日本国内で演奏される第九は数知れず。そのほとんどが満席になるほどお客さんが入る。
 したがって,日本人の第九消費量は膨大なものになる。日本人の胃袋はどうなっているのか,そんなに強靱なのか,という話になる。

● けれども,それ以上に驚くのが3番目だ。つまり,アマチュア・オーケストラの数の多さと,活動の活発さ。
 市民オケ,学生オケ,企業オケ。全部でいくつあるのか。正確に数えた人はいないだろう。“Freude”に載っているのがすべてではない(栃木県でいえば,峰ヶ丘フィルと那須室内合奏団が載っていない。中高校のオーケストラ部とジュニアオケも)。
 2,000ではきかないだろう。3,000はあるかもしれない。それらのアマオケが年に1回か2回,演奏会を開催する。となると,1年間に開催される演奏会は5,000といったところか。とんでもない数になる。
 数だけではない。マーラーやブルックナーをやってのけるところもあるんだから。

● その演奏会の大半は,土日か祝日に集中する。それらを容れられるだけのホールが存在するわけだし,それを聴きに出かける人たちもいるわけだ。
 これをもって,音楽大国といわずして何というか。

● それらあまたあるアマチュア・オーケストラの腕前はピンキリだ。ひと言でアマチュアといっても,プロ並みといってもいい奏者を集めている楽団もあるだろうし,自分たちの楽しみのためにやっているところもある(それで全然OKだと思うが)。
 で,そのアマチュア・オーケストラの上位に列する楽団の演奏を聴くと,プロオケはなくたっていいんじゃないのと思うこともあってね。だって,これで充分だと思うもんね。これ以上の演奏は,自分にとっては馬の耳に念仏だってね。
 実際は,プロにもいてもらわなくては困るんだけど,理屈をこねてプロオケ不要論をでっちあげようと思えばできなくもないな。

● 合奏団ZEROの演奏を聴きながら,以上のようなことをつらつら思った。
 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入した。指揮は松岡究さん。

● ブラームスの「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調」。ソリストは米沢美佳さん(ヴァイオリン)とクライフ・カナリウス氏(チェロ)。ベルリン・コーミッシェ・オーパー管弦楽団のコンサートマスターとソロ首席奏者であり,妻と夫の関係でもある。
 管弦楽団もきちんと応接していて,メリハリもあればきめも細かい演奏。危なげがないんですよね。安心して身を任せることができる。もう,どうにでもして,っていう感じ。

● ブルックナーの4番。ブルックナーを取りあげるのは初めてらしい。合奏団と名乗っているのに,管のレベルも素晴らしい。
 気がついたら終わっていた。ひじょうに短く感じた。

● まぁ,どうでもいいっちゃどうでもいいことなんだけど。
 スタッフがP席にもお客さんを案内した。とにかく空きがないんだから。
 ところが,P席で大股開いて居眠りを決めてる人がいてね。けっこう,気が散るね,これ。正面に見えるんだから。当然,指揮者にも見えるだろう。
 P席は客を選ぶかもしれないと思った。

2014年8月28日木曜日

2014.08.23 アンサンブル・メゾン第33回演奏会

横浜みなとみらいホール 小ホール

● アンサンブル・メゾンの名前の由来について,次のように解説されている。
 メンバーの多くが青春の日々を送った京都に因んで,湯川秀樹博士の中間子(meson)から名づけたものである。
 京都の大学出身者が多いということでしょうか。

● 開演は午後7時。チケットは1,500円。当日券を購入。指揮は田崎瑞博さん。曲目は次のとおり。
 C.P.E.バッハ シンフォニア ニ長調
 プロコフィエフ シンフォニエッタ イ長調
 ベートーヴェン 交響曲第7番 イ長調

● この日はすでにジャパン フレンドシップ フィルハーモニックの演奏会で大きな交響曲を2つ聴いている。それから約3時間が経過しているとはいえ,まだ頭の芯がジィィンとほてっている感じがする。
 それで,また交響曲を3つ聴くのか。といって,聴いてくれと頼まれたわけではない。勝手に来たのだ。
 何はともあれ,リセット。脳内の“Ctrl+Alt+Delete”キーを連打しなくては。

● C.P.E.バッハは大バッハの次男。プログラムノートの曲目解説によれば,「バロック音楽を極めた父からのバトンを,古典派のハイドンやモーツァルトへつないだ点で,重要な地位を占めています」とのことだけれども,つなぎ役だけにとどまらず,彼自身の立ち位置が現在まで残っているようだ。
 チェンバロが重要な役どころを果たす。そのチェンバロは渡辺玲子さんが担当。

● プロコフィエフのこの曲は,彼が彼が二十歳になる前の作品。今に残る作曲家って例外なく天才。全体としては軽快な印象。
 C.P.E.バッハの曲もこの曲もとにかく初めて聴く曲だ。そうか,プロコフィエフは若いときからこういう曲を書いていたのか,という印象にとどまる。「ピーターと狼」や第7番に無理なくつながるように思えた。

● ベートーヴェンの7番。だいぶ演奏時間の長いベト7だった。テンポがゆっくりだったわけではない。リピートの指示に律儀にしたがったのだろうか。それがいいかどうか。ぼくはやや冗長な感じを受けた。
 印象に残ったのはオーボエの1番。軽々とやっているようでもあり,歯を食いしばって食らいついているようでもあり。たぶん後者だと思うんだけど,この曲ではフルートと並んで重要なパート。重責を果たしましたよね。

● この楽団の設立は1987年。だいぶ古い(といっていいと思う)。長く続いているのはそれだけでたいしたものだと思う。
 団員の年齢の幅もけっこう大きい。数えきれないほどある社会人のアマチュア・オーケストラの中で,年齢がばらけているところはじつはそんなにない(というのがぼくの印象なんですけど)。
 年配者は若い人を歓迎するかもしれないけれど,若い人が年配者と一緒にやるのをウェルカムと思うのはちょっと想像しづらくてね。年配者にウンザリさせられるのは,職場だけでたくさんだもん。
 ところが,これだけの年齢幅があって長く続いているのは,何かここだけの理由があるんですかねぇ。

● 楽団のサイトには「ともすれば,思い上がったアマチュアイズムの危険をはらむ我々だが」という一文がある。これはね,思いあがっているくらいでちょうどいいんじゃないかとも思う。思いあがりがまったくなくて,ステージに立てるものなのか。いいんじゃないの,思いあがったって。
 そういう意味でこの一文を書いているわけではないと思うんですけどね。

2014年8月26日火曜日

2014.08.23 ジャパン フレンドシップ フィルハーモニック 音樂會

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● べつに恥ずかしいとは思ってないんだけど,ぼくが使えるお金はそんなにない。したがって,お金は最大限効率よく使いたい。というと,何やらマトモに聞こえるかもしれないけど,要はケチケチしなきゃなってことなんですよ。
 東京や首都圏に聴きに行くのも,“青春18きっぷ”が使える時期が中心。もちろん,新幹線なんか使わない(使えない)。
 プロのオーケストラを聴くことがないわけではないけれども,向こうから栃木にやってきてくれたときに限られる。

● というわけなので,ぼくの情報源は“アマチュアオーケストラのサイトFreude”が主なものだ。あとは,コンサートのときに配られたチラシは一応,見ておくようにしている。ただ,何事にも限度はあって,あんまり多いと見ないで捨てることになる。
 ジャパンフレンドシップフィルハーモニックの今回の演奏会はFreudeには載ってない。何かの折にチラシをもらっていた。

● ショスタコーヴィチの5番をやるのか,たぶん聴きに行くことになりそうだな,と思って,実際にそうなった。“青春18きっぷ”が使える時期だしね。
 開演は午後2時。座席はSとAの2種。当日券を買った。いわゆるいい席は残っていなくて,ぼくは3階の右翼席。A席で1,500円。指揮は高橋敦さん。曲目は次のとおり。
 チャイコフスキー 交響曲第5番
 ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
 伊福部 昭 SF交響ファンタジー第1番

● この順番で演奏。チャイコフスキーの5番を聴き終えたところで,相当キテますよね,普通。え,このあとまた交響曲かよ。
 演奏する方だってそうだろう。このあとショスタコ弾くのかよっ,てなものだろう。

● それを知ってて出かけているわけなんだけど,けっこう厳しかった。大晦日の“ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会”を3年連続で聴きに行っているんだけど,それより今日の方がきつかった。
 原因は,聴く側(つまり,ぼく)の体調だとか寝不足だとかもあると思うんだけど,第一にはショスタコーヴィチだからですよね。
 ショスタコーヴィチって,総じて,どの曲でも聴くのが辛いんですよ。彼の壮絶な人生を一応(知識として)知っちゃってるからですかねぇ。その壮絶さは,権力中枢がそれと認める実力者であるがゆえのこと。退くことは最初から許されない。カミソリのうえを歩かされているようなものだ。

● 曲の難解さもあるかも。どういう曲が難解なのか。それじたい,ぼくにはよくわからない問題。難解な曲ってどんな曲なんでしょ。ジョン・ケージ「4分33秒」は難解か。
 考えだすと自縄自縛に陥りそうだ。難解っていうのは,曲自体にあるのではなく,曲とそれが聴かれる時代,曲と聴き手との関係性に立ち現れるもののように思う。難解という実態が屹立して存在するのではない。そういうことにしておきたい。
 ひじょうに幼稚ながら,ぼくの場合は,聴いている最中に脳内イメージがどう触発されるかを基準にしている。単純にハッキリと像を結ぶのが難解じゃない曲で,像を結びづらいのが難解な曲。幼稚でしょ。

● で,この5番は難解だと思う。“像を結びづらい”からではなく,逆にどんな像でも結べそうだからだ。どうにでも受け取れる。
 たいていの曲はそうなんですよね。ベートーヴェンの5番だって,“苦悩を通して歓喜に至る”ではない受け取り方をしようと思えば,できなくはない。ただ,それにはそれ相当の細工を自分の気持ちに施す必要がある。
 ショスタコーヴィチのこの曲は,その必要がいささかもない。それでいて,どんな像でも成立しそうだ。

● 重量級が2つ続いたあとに,伊福部昭さんの「SF交響ファンタジー第1番」。この曲を軽いと言っていいかどうかは意見が分かれるところかもしれないけれど,エンタテインメント性が強いことは間違いない。
 メインディッシュが2つ続いたあとに,デザートとはいかないまでも,ちょっと別腹に入れてよという感じ? 正直,ホッとした。

● ミューザのシンフォニーホールをほぼ満席にするアマチュア・オーケストラ。固定ファンがけっこうな数,いるのだろうね。
 力のあるオーケストラであることが,その理由の第一。指揮者の高橋さんのキャラクターも固定ファンの獲得に力があるように思われた。

2014年8月19日火曜日

2014.08.17 ユニコーン・シンフォニー・オーケストラ第5回定期演奏会

第一生命ホール

● 御徒町から地下鉄大江戸線に乗った。大江戸線に乗るのは2回目。ヨメがもんじゃを食べたいと言いだして,月島に行ったことがあった。だいぶ前だ。それ以来だ。
 入口はJR御徒町駅のすぐそばにあるのに,そこからが長い。地下鉄はそういうところが多いけど。地上の道路より涼しいのは助かるんだけどさ。
 勝どき駅で降りる。もっと賢い行き方があるのかもしれないけれども,田舎者は最もわかりやすいルートを選んでおいた方が安心だ。

● 晴海トリトンスクエア,はぁぁとため息しかでない。「オフィスビルを中核とした複合商業施設ならびに住居群」らしいんだけど,ぼく,こういうところでは働きたくないかも。住むのもダメだ。
 東京で働くって,でも,そういうことなんだよな。たいしたものだな,東京人。

● ともあれ。初めて聴くユニコーン・シンフォニー・オーケストラ。「慶應義塾中等部の卒業生有志が集まって2010年に結成したオーケストラ」とのこと。
 指揮者は藤岡幸夫さん。関西フィルの首席指揮者を務める人だけれども,彼も慶應義塾中等部の卒業生であるらしい。

● 開演は午後1時半。チケットは1,000円。曲目は次のとおり(演奏順)。
 ブラームス 交響曲第3番 ヘ長調
 吉松隆 鳥は静かに
 ラヴェル 「ダフニスとクロエ」第2組曲

● 「幅広い年代で構成されています」とあったけれども,上が高いのではなく下が低いのだと思う。平均年齢はだいぶ若いのではないか。
 演奏は緻密で堅牢な印象。ここにもまた,ハイレベルなアマチュアオーケストラがありましたよ,と。ほとんどの人は大学まで慶応に進むんだろうから,音大出はいたとしてもごく限られた数のはず。それでもここまでやっちゃいますよ,と。
 藤岡さんの指導をしょっちゅう受けているわけではないんだろうけど,けっこう厳しく鍛えられているっぽい。

● ブラームスは演奏会の定番だけれども,その中で3番は比較的,演奏される機会が少ないように思う。「鳥は静かに」はCDを含めても初めてだし,「ダフニスとクロエ」もしかり。
 「ダフニスとクロエ」は事前に原作のストーリーを知っている方がいいのだろう。しかし,知らないからダメというものでもない。ぼくは,プログラムノートの曲目解説を読まないままに聴いて,事後に解説を読んだ。

● 「同窓会活動として演奏会を開催して」いるそうだから,お客さんの多くは慶應の学生,生徒,卒業生なのだろうな。客席全体がハイソな感じでしたね。どこぞのホテルで開かれているレセプションに紛れこんだような。きちんと恰好を作ってきている人が多かった。
 休憩時間に客席を眺める楽しみがあった。ぼくとは何かが違う感じ。紛れこんではいけないのかも。
 とはいえ,本気でそう思っているわけではないのでね。これほどの演奏を聴かせてもらえるのならば,次回もまたお邪魔しようかなと思っている。

2014年8月18日月曜日

2014.08.16 レイディエート・フィルハーモニック・オーケストラ第21回定期演奏会

大田区民ホールアプリコ 大ホール

● 立川から南武線で川崎へ。京浜東北線に乗り換えて,蒲田で下車。せっかく東京に出てきたんだからというわけで,久しぶりのダブルヘッダー。
 これをやると,印象が散ってしまう。あんまりいいことじゃないと思うんだけど,印象なんてものは時間がたてばどうせ散る。

● 南武線はギャンブルラインでもあるようで,沿線には競馬・競輪・競艇の施設がたくさんある。競輪だと思うのであるけれど,予想紙に真剣に赤ペンを入れている中年の男性がいた。
 ぼくの見るところ,こういうものに入れ込む資格のある男性はさほどにいないように思われる。だいたいは,波打ち際でチャプついている手合いだろうから,家族に害を及ぼすこともない。
 が,中には深みにはまった人もいるはずだ。こうなると,失うものが大きくなりすぎて,人生とギャンブルを引き換えることになるかもしれない。
 中には,そうしてもなお,人生再建をやりとげる人がいる。資格のある男だ。
 ぼくは単純に臆病者だから,そういうものには近づかないことにしている。自分に博才がないこともよくわかっている。わざわざネギを背負ったカモになることもあるまい。面白味のない男である。

● 蒲田駅構内の“おむすび権米衛”でおにぎりを3個買って,腹ごしらえ。ここのおにぎりを3個も喰うということは,一合は軽く超える米を喰ったことになる。
 喰いすぎだ。わかっているんだけど,“権米衛”のおにぎりはじつに旨いから困る。

● 開演は午後7時。チケットは1,000円。当然にして,当日券を購入。
 指揮は小倉啓介さん。曲目は次のとおり。
 フンパーディンク ヘンゼルとグレーテル序曲
 ブラームス ハイドンの主題による変奏曲
 ドヴォルザーク 交響曲第8番 ト長調

● レイディエートは「バレエ音楽の演奏を専門とするオーケストラ」で,演奏会でもずっとバレエ音楽を手がけてきているようだ。「今回は趣向を変えたプログラムに取り組みます」とのことなんだけど,次回はハチャトゥリアン「ガイーヌ」の予定。
 じつは前から名前だけは知っていた。バレエ音楽をもっぱら手がけていることも。ただ,バレエ音楽って音楽だけ聴いてもあまり面白くないっていうか。そんなふうに思っちゃってて。逆に,ストラヴィンスキーの「春の祭典」なんかになると,これにどんなバレエを振り付けるんだよとか思っちゃって。

● ドヴォルザークの8番を久しく聴いていない。CDではちょこちょこ聴いているんだけど,生では。で,聴けるんだったら聴いておこうかというくらいの感じで行ってみたんですけど。
 驚かされた。かなり練られている。音大卒もけっこうな数,いるんでしょうね。

● 3楽章のスイーティーな舞曲。スラブ乙女が友だちと楽しそうに語らっていたり,小走りに走り寄ってきたり,洗濯してたり,乙女どうしが手をつないで歩いていたりっていうシーンが,ぼくの脳内に浮かんでは消えていった。男が勝手に作った乙女のイメージではあるんだけどね。
 4楽章冒頭のファンファーレも決まっていた。着地もまた。

● つまるところ,今まで見過ごしていたことをちょっと悔やみたくなった。ただね,悔やもうと悔やむまいと,べらぼうな数のオーケストラがあるんだからね,東京には。
 ひととおり全部聴いたうえで,どれとどれとどれを選ぶなんてことはできる相談じゃないわけでね。それこそ,ギャンブルチックに決めて行くしかないということもあってさ。こういうケースが出るのも致し方がないな。

2014.08.16 水星交響楽団創立30周年記念特別演奏会

たましんRISURUホール 大ホール

● “フロイデ”を見ていたら,この夏にマーラー9番を演奏するところがある。その名を水星交響楽団という。「一橋大学管弦楽団の出身者を中心に結成されたアマチュア・オーケストラ」であるらしい。
 そうそうは聴けないからね。で,行ってみようかと思って,前から手帳に書いておいた。

● なんだけど,「入場無料ですが,整理券が必要ですので,当団ホームページより整理券の引き換え申し込みをお願いします」とあるのに気づいたのは演奏会の前日のことだった。当然,すでに締切りは過ぎている。
 当日券がないっていうのは,有料無料を問わず,あまり体験したことはないけれど,まったくないわけではない。大丈夫だろうかと思って,過去の演奏会について記されているブログのいくつかを読むと,かなり人気のアマオケらしい。いよいよ心配になった。

● が,予定どおりに出かけてみた。だいぶ早めに着くようにしましたよ。結果,案ずるより産むが易し。めでたくチケットを受け取ることができた。
 じつは,今朝出かけるときは,かなりの雨だった。途中でやんだんだけど,このときはむしろ雨を歓迎する気分でしたね。これで客足が鈍るぞ,と。

● 開演は午後1時半。曲目は次の2つ。指揮は齊藤栄一さん。
 伊福部昭 オーケストラとマリンバのための「ラウダ・コンチェルタータ」
 マーラー 交響曲第9番 ニ長調

● まずは「ラウダ・コンチェルタータ」。最初の弦の一閃で,恐れいりましたという気持ちになった。こりゃすごいわ,期待できるぞ,と。
 ただし,演奏する方はすごくても,聴く方がさほどでもない。伊福部昭って名前はもちろん知っている。といっても,ヴァイオリンと作曲を独学で勉強したこと,ゴジラをはじめ映画音楽を作っていることくらいだ。たしか,今井正監督の「真昼の暗黒」も伊福部さんが音楽を担当していたと思う。

● マリンバ独奏は山本勲さん。この楽団の団員でもある。左右2本ずつ,あわせて4本のマレットが上下左右に忙しく行き交う。
 日本の祭り囃子を思わせるところもあり,否応なしにこちらの気持ちを揺さぶる。いくら日本から超然としていたいと思う人でも,あのリズムには体のどこかが反応してしまうものだろう。

● これだけの演奏をするアマオケが東京にはほかにもあるんでしょうね。そのいくつかはすでに知っているけれども,この層の厚さっていうのは,さすがに東京だな。お江戸でござる。

● マーラーの9番。直近では今年の3月にユーゲント・フィルハーモニカーの演奏で聴いている。ぼくに関していうと,CDで聴いてもダメ。ぜんぜん入っていけない。
 生演奏なら入っていけるのかよ。CDよりは。という程度なので,アレコレ言う資格はない。
 演奏は収束もピタッと決まって,百パーセント小姑になりきるのでもない限り,まず文句のつけようがないものだった。

● この演奏会のプログラムノートも力のこもったもので,その曲目紹介によれば,この曲は「最後に残された僅かな時間に行った最もつきつめた思索と,誰よりも愛した現世への切々たる未練の念の吐露」だというのだけれど。
 「3歳の子どもですら,この曲が持つ深く激しい精神性を感じ取った」エピソードも紹介されている。とすると,ぼくの感性は3歳の子どもにも劣るかもしれない。

● そうなんだろうか。そういう理解でいいのか。
 茫漠としたイメージがある。だだっ広い原っぱのような。ひょっとすると,マーラーは世界そのものを音符にしたかったのかもしれないという気もするんだけど,まさかな。聴きながら,マーラーはこの9番で何がしたかったのかと考えることがあった。
 ただ,この曲を死で要約しちゃうと,それはちょっとと思う。この曲に死の匂いはさほどないように思うんだよなぁ。相当以上に鈍いからか。
 演奏する側にとってだけでなく,聴く側にとっても難解極まる曲であることは確かで,そこにまた不思議な魅力もある。もう一度聴きたくなる。

● ところで。会場のたましんRISURUホールは立川にある。立川といえば,ぼくにとってはゲッツ板谷『ワルボロ』の舞台になった街。
 会場に向かう途中,錦町と住居表示されている電柱があった。コーチャンたちの錦会はこのあたりを根城にしていたのかと思いながら,通り過ぎた。
 今の立川はあの頃の立川とは違うでしょ。『ワルボロ』臭を嗅ぎとることは難しい。チェーンのファストフード店が蝟集している。質屋が残っているようだ。狭い路地を行くと,常連さんだけで成りたっていると思える飲み屋がある。現在のリアルな立川は,つまり普通の街だ。あの街は『ワルボロ』の中にだけある。

2014年8月11日月曜日

2014.08.10 鹿沼市立東中学校オーケストラ部第15回定期演奏会

鹿沼市民文化センター 大ホール

● 昨年に続いて拝聴させていただくことにした。昨年は驚きの連続だった。驚きでもあったし,発見でもあった。中学生がここまでやれるのかっていう。
 が,今回はそうではない。昨年の驚きは今年の驚きにはならない。すでに知ってしまったわけだから。たいていのことは想定の範囲内になってしまう。
 そこがなぁ。毎回,同じことに驚けたらいいのになぁ。

● ぼくにも中学生だった時期が,当然だけど,あった。部活の経験も多少ながらある。そのわずかな経験から思うに,部風の伝承というのは,順繰りではないような気がしている。3年生の薫陶は,2年生ではなく,1年生に受け継がれる。
 1コ上はけっこう話しづらいものだが,2コ離れているとスムーズに話ができる。1コ上とは反目しがちだ。ぼくはそうだった。可愛いのも1コ下より2コ下の後輩たちだったような。
 だから何なんだっていわれると,べつに何でもないんだけど。

● ところで。この日は台風11号が西日本を縦断。ちょうど鹿沼駅に着いた頃に,雨足が強烈になった。傘をさしても5メートルも歩けば,びしょぬれになりそうだ。
 どうしようか。タクシーで向かおうか。それとも,引き返そうか。
 第一,この天気で催行するのかよ。ネットで確認した。のだが,中止とか延期とかっていうのは出ていない。ボーッと空を見ながら思案投首。

● そのうち,雨が弱くなった。よし今のうちに行ってやれ。スマホでベートーヴェンの「第九」を鳴らして,イヤホンで聴きながら歩きだした。
 あとで知ったのだが,このときたぶん竜巻が発生したのだろう,鹿沼市内でも人家の屋根が持っていかれるという被害が発生していた。

● JR駅から鹿沼市民文化センターまではいつだって歩いて往復している。坂を下り,黒川を渡って市街に入り,今度はけやき坂をのぼっていく。約30分。
 これほど変化のある散歩コースってちょっとないかもしれないと思うほど。

● ともあれ。着いてみれば,予定通りの催行。そりゃそうだ。開演は午後2時。入場無料。
 ただ,そうはいっても天気は客足に影響する。前回に比べると,会場はだいぶ空いていた。
 開演前にプログラムをザッと読む。3年連続で文部科学大臣奨励賞を受賞したことや,部員が80名もいることを知った。公立の中学校で80名の部員を擁しているってのはただ事じゃないように思える。この大本を支えているのは何なんだ。

● まずは金管アンサンブル。宇宙戦艦ヤマト,笑点のテーマ,ドラえもんメドレー,ルパン三世のテーマと続いて,最後はラングフォード「ロンドンの小景」から第5楽章と第6楽章。
 ぼくはオーケストラをメインに聴いているので,金管もオーケストラにおける金管のイメージが強い。自分が主役になることはなく,もっぱら裏にまわって強弱をつけたりメリハリをつけたりという役回りに従事してるっていうイメージ。
 金管に限らず管楽器は,吹奏楽の方がやってて面白いんじゃないかと思う。

● であればこそ,こうしたアンサンブルでは期するところがあるものなんでしょうね。ホルン,トランペット,トロンボーン,チューバとある中で,どれが主でどれが従ということはない。どの楽器が転けても全体が転ける。
 そこを敢えていうと,トランペットのクリアな斬りこみが必須だと思っている。トランペットがクリアじゃなかったら,全体が切れない刀になる。
 で,そのトランペットをはじめ,すべての楽器が役割を果たして,特に最後の「ロンドンの小景」は,これがアンサンブルだっていう見本のようなもの。お互いの音も充分に聴きあっていた。たぶん,彼らが一番演奏したかったのもこの曲なのだろう。

● 次は木管アンサンブル。まず,モーツァルト「木管五重奏曲 ハ短調」の第1楽章。ゆらゆらとモーツァルトが立ちあがってくる。たしかに今,モーツァルトを聴いているっていう,ね。
 低音で合いの手をいれるファゴットが印象に残った。

● メンバーが交替して,次の4曲を演奏。
 ミューラー 木管五重奏曲 ハ短調(抜粋)
 久石 譲 海の見える街 君をのせて
 ヘンデル 水上の音楽(抜粋)
 最後の「水上の音楽」が特に記憶に残っている。とろけるような,と形容しておきたい。ゾクゾクした。セクシーさを感じた。
 捌きが巧い。楽器の捌き。特にフルート。

● 弦楽合奏。ヴィヴァルディの「四季」から「夏」の第3楽章。各パートの精鋭を揃えたんだろうか。最低限の人数に抑えての小合奏。完成度が恐ろしく高い。さらに良くするために,どこをどう直せばいいのか。ぼくにはわからなかった。
 人数が増えて,チャイコフスキー「弦楽セレナーデ」第4楽章。この学校の弦の水準の高さは,昨年聴いてよくわかったつもり。つもりなんだけれども,これだけの人数でここまで音が揃っているとは,やはり驚くしかない。
 音が揃っているから濁らない。濁らないから聴きあきない。ずっと聴いていたいと思わせる。

● 休憩のあと,オーケストラ演奏。
 チャイコフスキー 組曲「眠れる森の美女」よりワルツ
 ワーグナー 歌劇「ローエングリン」より第3幕への前奏曲
 ヨハン・シュトラウス 喜歌劇「こうもり」序曲
 ストラヴィンスキー 組曲「火の鳥」より「カスチェイ王の踊り」「終曲」
 チャイコフスキー 幻想序曲「ロミオとジュリエット」

● これだけ曲調が違うものを演奏しわけて,しかもそれぞれの世界がバーッとステージに立ちあがってくる。楽譜を機械的に音に翻訳してるんじゃなくて,解釈してるんでしょうね。楽譜を読み込んでいる(という気がした)。
 おっかなびっくり音を出していないのがいい。正面から斬りこんでいく。それができるのは,それぞれ,腕に覚えがあるからなんだろう。
 早い話が,並みじゃない。指揮者である顧問の先生の功績はもちろんあるのだと思うんだけどね。

● どの曲もCDでも生でも聴いている。でも,これほどストレートに届いてくる「ロミオとジュリエット」を聴いたことがあったかどうか。
 出だしの,これから起こる悲劇を予告するかのような,クラリネットとファゴットによる暗鬱な調べ。そこからスッとステージに引きこまれた。
 中学生が演奏しているとわかって聴いているから,そうなるのかもしれない。これが大人がやっていたら,まったく同じ演奏であったとしても,聴いているこちら側が同じ印象を持つかどうかはわからない。そこは踏まえておいた方がいいぞと,自分に言い聞かせながら聴いていた。

● 客席に届くもの。それを決めるのは技術じゃない。いや,そういうと演奏者に失礼だ。技術は充分に持ち合わせていると思えたから。しかし,何なんだろ。技術だけではない。
 その「だけではない」部分を解明できるといいんだけど,どうもぼくには手に余る作業のようだ。

● 願わくば,メンデルスゾーンの3番でもドヴォルザークの8番でも,もちろんベートーヴェンでもブラームスでもチャイコフスキーでもいいんだけど,ひとつの交響曲を1楽章から4楽章まで通して聴かせてもらいたいと思った。
 技術的には充分可能だろう。心配なのはスタミナだけか。でも,おそらく,この生徒たちならやってのけるだろう。やってのけたうえで,魅せてくれるだろう。

2014.08.09 アウローラ管弦楽団 合唱交響曲「鐘」演奏会

横浜みなとみらいホール 大ホール

● “青春18きっぷ”で横浜へ。横浜っていうか桜木町。宇都宮から湘南新宿ラインに乗れば乗り換えなしで横浜に着く。のだけれども,今回は赤羽で京浜東北線に乗り換えるつもりだった。なぜというに,横浜駅はあまりにも人が多いから。そこで乗り換えるのは田舎者には難儀というか億劫だからね。
 ところが,赤羽で降りることができなかった。これまたなぜというに,居眠りをむさぼっていたからだ。
 ところが,この日はスムーズに根岸線のホームに移ることができた。時間帯によっては,こういうこともあるのか。

● 自分を顧みて思うことがある。生活万般にわたってクオリティを追求する精神がない。そこが自分のいいところでもあり,どうしようもないところでもある。
 書くものはもらいもののボールペンで充分。着るものはユニクロでよし。腹がへれば吉野家の牛丼か立喰いそばでいい。機能を満たしていればいい。腹がふくれればいい。
 というわけなので,桜木町駅の改札を出てすぐのところにある立喰いそば屋で天ぷらそばを喰った。370円。これが昼食。

● その立喰いそば屋,川村屋っていうんですけど。味はね,ま,普通でしたよ。ぼくには充分ですけどね。
 中で働いているのが高齢の女性の方々ばかり。皆さん,明るくて元気がいいんですよ。そういう人ばかりが集まったのか,そうさせる空気があるのか。
 これ,たいしたものだと思いましたよ。こういう職場環境を提供できてるってのがね。指揮者はたぶん男性だと思うんですけどね。相当な人徳者に違いない。

● で,会場に向かった。これから音楽を聴くわけだけど,およそそういう恰好はしていない。下は半ズボン。素足にサンダル。上がTシャツではなく,ポロシャツを着ていたのがせめて。襟が付いてるから。
 申しわけないとは思うんだけど,それじゃそれなりの恰好で行けるかっていうと,この暑さの中でそんな恰好しなけりゃならないんだとしたら,コンサートに行くのをやめるわっていうのが正直なところでね。

● 隠すべきところが隠れていればいいじゃねーかよ,とまで極端に考えているわけではないけれども,要するにクオリティを追求する精神がない。っていうか,楽な方がいい。
 ともあれ。当日券を購入。1,000円。そんなやつにもイヤな顔ひとつせずに,売ってくれた。ちょっと申しわけなさが頭をよぎった。
 
● アウローラ管弦楽団の演奏を聴くのは,これが3回目。ロシア音楽をもっぱら手がけている楽団だってことは知っている。
 今回はラフマニノフの合唱交響曲「鐘」を持ってきた。指揮者は高橋勇太さん。開演は午後1時半。
 
● まずは,プロコフィエフの交響曲第7番「青春」。CDは持っている。小澤征爾さんのやつ。が,聴いたことはなかったと思う。もちろん,ライヴで聴くのも初めて。
 なので,こういう曲だったんですか,という冴えない感想になった。プログラムノートによれば,“ラジオの児童番組向けに作った放送音楽”ということ。

● ところで,このプログラムノートのコラムは勉強になる。社会主義ソ連におけるショスタコーヴィチとプロコフィエフの比較論。
 おそらく,すでに多くの人が指摘してきたことで,ここにオリジナルはないと思うんだけど,簡潔に自分の言葉で語っているところに,好感が持てる(って,偉そうに書いてしまった)。

● さて,ラフマニノフの「鐘」。こちらはCDすら持っていない。
 プログラムには歌詞の邦訳が掲載されている。「人の一生を四季になぞらえた4つの楽章」に仕立てているわけだ。
 ハープはもちろん,ピアノ,チェレスタ,オルガンまで加わる大編隊のオーケストラに合唱団とテノール,ソプラノ,バリトンの独唱。全部入りだ。

● ソプラノが菅又美玲さん,テノールが辻端幹彦さん,バリトンが菅井寛太さん。
 最重要の合唱団はこのために集められたプロジェクトチーム。女声に対して男声がだいぶ少なかったけれども,こういうのって数じゃないから。一騎当千の強者ならば,全然オッケーだと思った。

● この曲想を表現するのにここまでの装備が必要だったのかどうか。わからない。この時代(1913年の発表)は,こうした大編隊を志向する空気があったんですかねぇ。
 CDは持ってないけど,YouTubeにいくつかあがっている。せっかく生で聴く機会を与えてもらったのだから,それで終わりしないで,まずは,ネットで聴きなおすことを試みてみたい。

● みなとみらい。バブルがはじけて以降,ひょっとしたらゴーストタウンになるのではないかと思っていた。が,人がたくさん出ていて活気があった。さすが横浜ということですか。観光地でもあるようだ。
 が,一見,活気があっても,ショッピングモールに店を出して高級品を商っているところはけっこう厳しいのかも。客単価は下がっているのではないかとも思えた。流行っているのは安いところ・・・・・・。
 でもないのか。景気もだいぶ持ち直しているんだし。

2014年8月4日月曜日

2014.08.03 クラシカルバレエアカデミーS.O.U 2014バレエコンサート

栃木県総合文化センター メインホール

● このバレエ学校の発表会は2年に一度。前回はバレエというものをあまり(あるいは,ほとんど)知らない状態で観させてもらうことになった。知らないというのは悪いことじゃない。驚けることがたくさんある。
 それからいくつかのアマチュア公演を観てきた。にもかかわらず,バレエについては依然として無知なままだと思うんだけど,狎れてしまった部分はあるかもね。

● もうひとつ,いくつか観てきてわかったのは,このバレエ学校の質量の充実度は相当なものだということ。観ておかないと損だという下世話な計算も働いて,またお邪魔することにした。
 開演は午後3時半。三度の休憩を含めて4時間の公演。入場無料。プログラムは別売で500円。

● バレエ学校の発表会っていうのは,生徒たちにとっては練習の集大成なんだろうけど,学校側にとって生徒はお客さんでもあるわけで,お金の出し手である父兄に,いうなら教育サービスの成果を公表するという意味合いもあるのだろう。
 そういうところに,父兄でも関係者でもないぼくのような者が紛れこむっていうのは,いうならタダ乗りライダーだな。父兄の皆さんのご負担によって,ちゃっかりとタダで良きものを観させてもらうわけだから。
 そういう意味での心苦しさって,多少ある。だから,とにかく大人しくしていないと。決まりを守って。

● この種の催し,バレエとかミュージカルとか,にオッサンが一人で入場することには気後れを感じることもあったんだけど,それもすっかり消えた。好きなものは好きで何が悪い,といった構えもない。どう思われようとべつにいっか,みたいな。

● 4部構成。第1部の華が「Love is Dance」であったのは,たぶん観客が一致して認めるところだと思う。プログラムの「ごあいさつ」によると,踊り手は高校生であるらしい。高校生だけではないと思うんだけど,メインは高校生なんでしょう。
 けれども,ステージに立って踊っている彼女たちは高校生には見えない。もっと上に見える。メイクや衣装や照明のせいもあるんだろうけど,ステージに立ってる人って大きくみえるんだよね。
 振付は篠原聖一さん。

● 表現力や演技力の前に,どうしたって運動能力が必要なんだなぁと思いましたよ。普通の意味での運動神経,あるいはリズム感。ぼくは小さい頃から運動がまったくダメだったから,この方面には抜きがたいコンプレックスを持っちゃってるんだけど,それゆえに,素直に感心できるってことはあるかもね。
 あのくらいだったら,オレも練習すればできるようになるかも,とは間違っても思わないから。単純にすごいものだなと思える。
 自分でもできるかもしれないと思うものを観たって仕方がないでしょ。自分には絶対に無理だというものだから,観る価値があるんで。

● 第2部ではくるみ割り人形も面白かったし,“パ・ド・トロワ”や“グラン・パ・ド・ドゥ”もあって高度な技も見れたんだけど,やっぱり第一は「ハイドンシンフォニー」になりますかねぇ。
 こちらは中学生らしいんだけど,とても中学生とは思えない。安定した大人に見えた。淑女の芽を内包しているっていうか。バレエの型を身につけるとそうなるんですかね。動きだけで淑女を表現できる。
 実際に話してみれば,そこはそれ,おきゃんな小娘たちに違いないんだけど,ステージに立つと“小”が消えるんだよねぇ。

● この場合の淑女っていうのは,もちろんリアルな淑女ではなく,おとぎ話(王子さまとお姫さまの世界)に登場するような200%の淑女のことですね。男性が女性に対してこうあってもらいたいという(ひょっとすると,女性もそうありたいと考える)女性の理想型。
 理想型なんだから,リアルであるはずがない。つくりものの世界だ。だから,バレエでしか表現できないもの。いや,バレエ以外にもあるのかもしれないけれども,バレエが舞台芸術の極地のひとつであることは,いくらなんでも少しはわかりかけている(と思いたい)。

● 第3部は「コッペリア」の第3幕から。軽さを表現すること。それができればだいたいOK? そんなことをちょっと思った。
 第4部は「ラ・バヤデール」の“幻影の場”。最初の場面がやはり印象的。コール・ドのダンサーの登場場面。正確に距離を刻むのと,動きを合わせるのと。どうしてそんなことができるんだよと思ったんですけど,あれって基本中の基本なの? 動きは静かなんだけど,運動量すごくない?

● 3部でも4部でも個人技の見せ場が何度もあって,その都度,客席から拍手が起こる。お客さんは正直であって,拍手の大きさは演技のすごさにほぼ比例する。
 でも,まぁ,ぼく的にはコール・ドに惹かれてしまう。たぶん,ぼくだけじゃないんだと思うんだけど。これって,日本的というか東アジア的な好みなんですかね。欧米人は個人技の方に目が行くんだろうか。

● ともあれ。こうして4時間。外は猛暑だったんだけども,涼やかさを満喫した。もちろん,ホールはエアコンが効いてるわけだけど,見た目の涼やかさも。やってる方は汗だくだろうけど。
 でも,バレエって汗をかくのはあまりよろしくないんでしょうね。水分摂取のコントロールなんかも必要になるんですかね。
 フィナーレの最後。彼女たちのはじけぶりも圧巻だった。素の中学生や高校生に戻ったようなね。でも,そこにも演出が入っていたのかと思うほど。

2014年8月3日日曜日

2014.08.02 アマデウス・ノネット第5回演奏会

JTアートホール アフィニス

● 上野から銀座線で虎ノ門へ。虎ノ門で降りるなんて少なくともこの30年間はなかった。まず縁のないエリアだ。
 官庁街がすぐ近く。あとは銀行。それでも,ありがたいことに吉野家がある。ネギ玉丼を食しましたよ。宇都宮と同じ400円。
 地代や家賃はぜんぜん違うだろうに,元は取れるのかとか,余計なことを考えたくなりますな。中国からの留学生のアルバイトでまかなっているようだった。

● ところでアマデウス・ノネット。“フロイデ”には「東京アマデウス管弦楽団メンバーによる九重奏他の演奏会です。普段あまり耳にする機会がない九重奏を,素敵な響きのJTアートホール アフィニスにてお楽しみ下さい」とあった。
 東京アマデウス管弦楽団の演奏は昨年の3月に聴いて,度肝を抜かれた。そのメンバーの九重奏ならば,わざわざ東京まで行っても行った甲斐は必ずあるだろう。
 開演は午後2時。チケットは1,000円。

● 曲目は次のとおり。
 オンスロウ 九重奏曲 イ短調
 シュペルガー 独奏コントラバスとフルート・ヴィオラ・チェロのための四重奏曲 ニ長調
 ラハナー 九重奏曲 ヘ長調

● 言うも愚かながら,いずれも初めて目にする作曲家だ。それぞれ,CDは出ているようだけれども,ぼくは持っていない。
 「あまり耳にする機会がない」どころか,ひょっとしたら一期一会になるかもしれない。

● 笑っちゃうしかないほど上手だってのはわかるんですよ。でも,そこから先がね。こちらが音楽に分け入っていけない。
 こうしたあまり知られていない曲を聴かせると,聴衆の鑑賞レベルがわかりますなぁ。ぼくには難解に過ぎたというのが正直なところ。

● シュペルガーの曲で一番美味しいところを持って行くのは,コントラバスではなくてフルート。音色的に目立つし,いろんなことする(させられる)し。どんな演奏にするかの主導権を握っているのはフルートなんじゃないかと思った。
 そのフルートがお見事。おそれいりましたという感じ。
 
● CDを手当してまでこれらの曲を聴くことがあるか。ないと思う。耳にする機会がないのについては,ないなりの理由があるんだなと思った。
 こちらの感度の悪さを棚にあげたうえでの妄言かと思うんだけど。

● 小さなお子さんが何人か,親に連れられて来てたんですけど。演奏が始まると静かに聴いていた。たいそう感心した。っていうか,驚いた。
 大人の世界に紛れこんで,彼らなりにほどよい緊張感のなかで過ごしてたんだろうなぁ。 

● 終演後,外に出るとミンミンゼミの鳴き声が聞こえてきた。セミ,いるんだねぇ。樹木が多いもんな,東京って。公園の面積はどうなのか知らないけれども,緑の総計は相当なものになるだろう。
 帰りは新橋まで歩いた。この暑いなかをスポーツ自転車をこぐ人がけっこういる。パワフルだな。栃木でも増えているけどね。

● で,新橋まで来れば,ついでに銀座を見てみようかと思うわけで,ふらふらと歩きましたよ。新橋と銀座って道路一本隔てるだけなのに,雰囲気がガラっと変わる。その不思議感は,田舎者には慣れることがない。
 本を1冊買って,帰ってきた。