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2019年11月26日火曜日

2019.11.24 東京大学第70回駒場祭-東京大学フォイヤーヴェルク管弦楽団・東京大学フィロムジカ交響楽団

東京大学駒場Ⅰキャンパス900番教室(講堂)

● 渋谷から京王井の頭線で駒場東大前駅。駒場祭にやってきましたよ。
 じつは昨日も来る予定でいたのだけれども,昨日は宇都宮線で踏切事故があって,電車が止まってしまったのだ。
 ここまでの集客力を誇る大学祭は他にないでしょうね。東大ブランド,大したもんです。コンテンツも圧巻の充実ぶりなんでしょうけどね。

● 京王井の頭線も駒場祭開催中の3日間は乗車率が跳ねあがるのではないか。渋谷から乗った電車は田舎者には激しく混雑しているという状態で,その混雑を演出していた乗客の8割は駒場東大前で降りたような気がする。
 付近の住民にとっては,ひょっとすると迷惑な行事であるかもしれない。普段は静かな住宅街の道路がヨソ者で溢れてしまうのだ。

● 早く着きすぎた。ので,構内を歩いてみた。本郷もそうだけれど,ここも付近住民の恰好の散歩コースになっているのではないか。
 その昔,徳川将軍が鷹狩りをして遊んでいたのが,このあたりらしいね(鷹狩りは遊びではなく,統治上の重要な意味があったらしいのだが)。そう思って,ここに建物のひとつもなかった時代の景観を想像してみる。

● 東京大学の冠を付けている楽団は,東大純正の東京大学音楽部管弦楽団のほか,東京大学フォイヤーヴェルク管弦楽団,東京大学フィロムジカ交響楽団,東京大学フィルハーモニー管弦楽団のインカレ団体がある。さらに東京大学歌劇団があり,吹奏楽団が2つある。
 そのいずれも,演奏水準は相当なもの。もしくは,かなりなもの。

● さすがにラ・フォル・ジュルネに比するわけにはいかないと思うけど,これらの演奏をまとめて聴くことができる。駒場祭の凄いところはここにある。一般大学でここまでのメニューを提出できるところは,他にないだろう。
 ので,過去3回,この駒場祭にお邪魔している。2010年,2012年,2014年の3回だ。

● が,駒場祭に限らず,大学祭というのは,学生の学生による学生のための祭典,であるに違いない。
 その祭典にぼくのような年寄りがフラフラとやってきたのでは,景観を壊してしまうだけだろう。そういうことをするのは,主催者である学生さんのためにも避けるべきではないか。

● かく申すぼくにも学生であった4年間がある。ついこの間のことのような気がする。彼らも瞬きを2,3回する間に歳を取ってしまうのだ。過ぎてみればわかる。人はみな浦島太郎なのだ。
 であればこそ,その短すぎる若い時代にいる学生さんの空間に汚点を付けるようなことをしてはいけない。
 と思って,自重していたのだけれどもね。今回はその禁を破ってしまった。その理由はこの後すぐに申しあげる。
 同時に,今度こそ,これを最後にしようと思う。次はない。

● まずは,フォイヤーヴェルク管弦楽団(11:10-12:00)。メンデルスゾーンのホ短調協奏曲で,ソリストが奥村愛さん。
 行くでしょ,これ。禁を破った理由もじつはこれ。

● 特徴は指揮者がいなかったこと。実際のところ,このレベルになっていれば,指揮者なしでも交響曲の演奏くらいは難なくやってのけると思う。ヘボな指揮者ならかえっていない方がいいかもしれない。
 が,協奏曲はどうなのだろう。っていうか,これは奥村さんの弾きぶりってことになるんだろうか。

● 奥村さんの長いトークがあった。このオケとの付き合いはだいぶ長いらしい。黙って弾いているだけなら,観客(男性に限る)が勝手に誤解してくれる容姿の持ち主なのだが,喋ると地金が見える。
 その地金もまた演奏家はそうだよなと思わせるもの。演奏家として社会に伍していける人は,例外なく陽性な人のはずだと思っている。彼女もまたその例にもれない。
 必死に喰らいついて来てくれたとオケを讃えていたけれども,聴いてる分には,余裕こいて応接していたようにも見えた。そのあたりが芸ということか。つまり,必死を必死に見せないというね。

● 思いだした。900番教室は教室なのだった。大学祭の賑わいが聞こえてくるし,響きはないに等しいのだった。直接音の世界。
 そっか。これももう駒場祭はいいかなぁと思った理由のひとつだったかもしれない。

● さて,このあと,フィロムジカ,東大オケと続くんだけど,何か気がすんでしまったよ。どうしよっかな,帰るか。
 で,帰りそうになったんだけどね。せっかく来たのにそれでは少しもったいない。いったん駒場キャンパスを出て,付近を散歩して時間を過ごし,フィロムジカ(13:50-15:00)の演奏会に臨んだ。

● 曲ごとにメンバーの相当数が入れ替わる。最も印象に残ったのはチャイコフスキー「ロメオとジュリエット」。この曲が好きだからってのもある。チャイコフスキーの全てが詰まっている。
 メインの「幻想交響曲」は,全楽章聴きたかったら定演においで,ってことね。これも熱演だった。

● つまり,この楽団の演奏はプレ定演とも呼べるもの。フォイヤーや東大オケは定演とは接点のない独立した(?)演奏会になっているが,フィロムジカや歌劇団は定演に照準を定めていて,駒場演奏会はその一里塚のような位置づけ。
 いい悪いの問題ではない。楽団によって違うという,それだけのことね。

● 結局,東大オケ(東京大学音楽部管弦楽団)の演奏は聴かずに帰途についた。それじゃ何のために来たんだよって,われながら思わないでもないんですよね。
 駒場演奏会の最大の華は,何だかんだいって東大オケにあるんですよね。1,2年生のみで演奏する。その1,2年生の巧さに驚ける快感。
 それを聴かないことにした理由は2つ。ひとつは,貪欲さが摩耗してきてること。何でもかんでも歳のせいにはしたくないけれども,意欲の経年劣化はあるかもしれない。

● もうひとつは,東大オケの人気の高さ。フィロムジカの演奏が終わって,外に出たら,もう長蛇の列ができていた。次の東大オケの演奏を聴こうとする人たちの列がね。
 その最後尾についたところで立ち見確実という感じでね。もういっか,と思ったわけなんでした。

● もっとも,入替制ではないのかもしれない。次も聴きたい人は,そのまま座ったまま待っていてもいいのかも。それだとプログラムを受け取れなくなるはずなんだけどね。
 フィロムジカが終わって席を立つ人のところにやってきて,自分の荷物を置いて席取りをする人が1人のみならずいた。それはルール違反ではないのかもしれない。
 が,この場でのルール違反ではないとしても,そんな下卑たことはやりたくない。それは悪魔に魂を売るのと同じ。っていうか,悪魔だってそんな下品な魂は要らないだろう。

2012年11月26日月曜日

2012.11.25 東京大学第63回駒場祭-東京大学フィロムジカ交響楽団・東京大学吹奏楽部・東京大学音楽部管弦楽団


東京大学駒場Ⅰキャンパス900番教室(講堂)

● 2年前は東大の五月祭と駒場祭,芸大の藝祭と3つの大学祭に出かけていった。タダで高水準の演奏をたくさん聴ける。こんなお得なことはないっていうケチ根性からだ。
 藝祭にしても東大のふたつの大学祭にしても,プチ「ラ・フォル・ジュルネ」じゃないかと思うほどに舞いあがったものだけれども,やはり場違いなところに来ているという感が強かった。藝祭と駒場祭ではそのことを痛感した。
 学生のお祭りなんですよね。若い世代だけで盛りあがりたいわけだよね。当の学生たちに訊けば,いやそんなことはないですよ,どなたでも来ていただければありがたいですよ,と答えるに違いない。だけれども,場の空気というのは自ずと現れるもので,その空気を乱しては申しわけない。
 ということで,昨年は行かなかった。っていうか,ずっと行かないつもりでいた。

● のだが,今年は駒場祭の最終日にだけ,お邪魔させてもらうことにした。ケチ根性が勝った結果だ。
 それとね,若い学生たちの演奏には,他にはない清々しさっていうか,もっと伸びる芽が見えるっていうか,いわく言いがたい魅力がありますよね。自分が年をとったからいっそうそう思うのかもしれないんだけど。

● 駒場祭の企画の多彩さは目が眩むほどだけれども,ぼくは他のことには興味がない。東大にいくつかある学生オケの演奏を聴きたい。それだけだ。
 ちなみに,東大じゃなくてもいいんじゃないか,複数の学生オケがある大学は東大以外にもあるだろう,と言われるかもしれないんですけどね。なぜ東大か。その理由はひじょうに明解。ホームページなんですよ。
 栃木から行くんでね,事前に予定を立てておきたいわけです,大雑把にでもね。駒場祭のホームページは企画内容とかタイムテーブルをしっかりと出してくれるし,タイミングが早め早めで,その予定を立てやすいんですよ。他大学はこのあたりがわりと不充分なんだなぁ。

● 11:15からフィロムジカ交響楽団(実際には11:30の開演となった)。「今年フィロムジカに入団した初心者の多くがこの曲で初舞台を踏みます」とのこと。駒場祭の性格からして,それはそういうものなのだろうな,と。
 曲目は次の3曲。与えられる時間に限りがあるから,通常のコンサートよりも短めのラインナップになっている。
 グラズノフ 祝典序曲
 チャイコフスキー 幻想序曲「ロミオとジュリエット」
 チャイコフスキー 交響曲第5番(ただし,3楽章と4楽章のみ)

● なるほど幼顔の学生たちだった。けれど演奏も幼いかというと,そんなことはない。
 今年の秋はチャイコフスキーの5番を聴く機会が多い。もちろん,何度聴いてもOKだ。今日,この場所でしか聴けないものだから。それぞれの演奏が一期一会だから。
 14日に聴いたキエフ交響楽団の演奏をどうしても思いだしてしまう。あのとき,キエフ交響楽団の「ロミオとジュリエット」をぼくは凡庸だと感じた。が,盛りあげ方は巧い,と。
 だが,違った。楽譜どおりに弾いただけだったのだ。今回のフィロムジカの演奏も同じだったから,たぶんそうなのだろう。こんな初歩的な勘違いをわざわざ書くのもどうかと思うんだけど,ぼくの耳はどうもいけない。

● この楽団は東大以外の学生も参加しているけれど,多くは東大生。最近になってやっと東大コンプレックスというものから解き放たれたというか,どうでもいいじゃんと思えるようになった。
 ただ,素晴らしい勉強頭のほかに,演奏のたしなみまで持っているってのは,羨ましい。自分との落差を感じてしまう。時代の違いってのもあるんだろうけどね。

● 会場である900番教室は2階席もあって,2階席の背後にはパイプオルガンも設置されている。音楽の演奏も考えて作られていると思われるんだけど,さすがに普通のホールと比べてしまえば見劣りがする。っていうか,比べてはいけないものだね。外の「祭」のざわめきも聞こえてくるし。
 が,その分,全体が小さいから,ステージとの距離は近くなる。音響などはさほど気にならない。そもそも大学祭での演奏会だって承知して聴いてるわけだから。

● 次は13:30から吹奏楽部の演奏。この吹奏楽部は多くが東大以外の学生。そのほとんどは女子。ざっくりいうと,非東大の大勢の女子と東大の少数の男子で構成されている。
 何が言いたいのかっていえば,東大男子が羨ましいぞ,と。

● 2年前の五月祭でも聴いたんだけど,巧いのかそうじゃないのかよくわからなかった(つまり,巧いとは思わなかったってことになりますか)。
 が,3曲目の「ジェラード・コン・カフェ」(真島俊夫作曲)を聴くに及んで,認識を新たにした。巧いです。すみませんでした。今まで気づかなくて。
 4曲目の「ヒロイック・サガ」(ジェイガー作曲)でさらにその感を深くした。聴いてよかったと思った。

● 最後は15時から音楽部管弦楽団。こちらも「毎年1,2年生を中心に結成された駒場オーケストラで駒場祭に臨みます。今年はドイツ系作曲家の以下3曲を演奏します。若さあふれるオーケストラの響きをお楽しみください!」とある。うん,まさにそのために来ているわけでね。
 こちらは次の3曲。
 ウェーバー 歌劇「オベロン」序曲
 ニコライ 歌劇「ウィンザーと陽気な女房たち」序曲
 ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」

● たまげましたよ。1,2年生が演奏しても,ここまで完成度が高いってのは何事であるか。入部してくるのはその時点でかなりの腕の持ち主たちなのだろうと思うほかはない。ま,それをいうなら先のフィロムジカも同じだけれど。
 現実に目の前で演奏しているのを聴いているわけだから,それを認めるしかないんだけども,いや,それにしてもね。
 小器用というのでは全然ない。地力がある。本格的に巧い。こなすべきものはこなしている。では,大量に練習しているのかといえば,そうでもないような気がする。そのへんの凄さを感じるというか。

● ステージに段差がないので,1階席に座ると管の奏者は見えない。っていうか,手前のヴァイオリン奏者しか見えないんだけど,ヴァイオリンに関していうと男子がずっと多くて(ただし,コンサートマスターは女子),男っぽい感じの楽団だった。
 その男っぽい楽団が表現は女性的というか,繊細というか,艶っぽいというか,光沢があるというか。変な言い方で申しわけないんだけれども,細い指で背中をなぞられるような感じでゾクッとしたぞ。

● 今回は模擬店を出している学生たちにも声をかけてみた。もちろん,普通に対応してくれる。たいてい混んでいるから,話しこむってところまではいかないけれど,普通に素直ないい子たちだよね。当然っちゃ当然な感想だけど。
 こちらから「若い世代だけで盛りあがりたいわけだよね」と壁を作ってしまってはいけなかったなと反省しました。
 演奏もそうだけれども,結局のところ,若い学生たちにエネルギーを分けてもらったってことになるんですかね。

2010年11月30日火曜日

2010.11.21 東京大学第61回駒場祭-東京大学フィロムジカ交響楽団・東京大学歌劇団・東京大学フォイヤーベルク管弦楽団


東京大学駒場Ⅰキャンパス900番教室(講堂)

● 今年は5月に東大五月祭,9月に芸大の藝祭に出かけているが,11月は東大駒場祭がある。21日から3日間の日程。また東大にいくつかある学生オーケストラの演奏をまとめて聴けるとあって,出かけてみた。

● 駒場東大前駅は相当な混みようで,駅員が整理にあたっていた。帰りの切符は今のうちに買っておけとアナウンスもしていた。駒場祭のおかげで京王電鉄の売上が増えるが,駅員の仕事も増える。
 五月祭のときは街の雑踏がそのまま本郷キャンパスに移動したといった趣だった。ホームレスまで歩いていた。ぼくがひとりでウロウロしててもまったく違和感を感じなかった。駒場祭もしかりなんだけど,来場者もきもち若い人が多いようだった。
 若い学生たちにとっては,ぼくのような年配者は眼中にないようだった。これはよくわかる。中年や初老の男女もけっこう多いので,目立つってことはないんだけども,主催者にとってはぼくは場違いなところに迷いこんだオヤジに違いない。

● さて,お目当てのコンサート。まずは13:35から東京大学フィロムジカ交響楽団。会場入口の前に長い行列ができた。後ろに並んだご婦人二人組の話だと,昨年はこんなに並ばなかったよね,すぐに入口から入れたわよね,ってことらしい。何か理由があるのかなと思ったのだが,入ってみれば問題なく席を見つけることができた。
 ぼくの前にいたのは50歳前後の女性。ちゃんと顔を作ってよそ行きの格好でしかもひとり。さすがにこれは珍しい。でも,こういう女性がいることがなぜか嬉しい。

● 場所は900番教室。駒場で一番の大教室なのだろう。五月祭は安田講堂だった。安田講堂は講堂だけれど,こちらは大きいとはいえ教室である。黒板もある。客席も椅子のみならず机が付いている。長机ですね。端に座られると,中の席が死んでしまう。ひとりで来ている人は中に座るようにするのがマナーでしょうね。
 ともあれ,会場が教室ゆえ,どうしてもステージに学芸会的雰囲気が漂ってしまうのは仕方がない。もちろん,オーケストラが演奏するにはだいぶ狭い。窮屈そうだ。

● 曲目は次の3つ。
 ムソルグスキー 交響詩「はげ山の一夜」
 スメタナ 連作交響詩「わが祖国」より「ブラニーク」
 ラフマニノフ 交響曲第2番より第1楽章のみ
 12月に定期演奏会があるので,この駒場祭はそのリハーサル的な位置づけになる。演奏時間は約1時間。通常のコンサートの半分ほどだ。
 演奏のレベルは確かだと思う。演奏はしっかりしている。安心して聴いていることができる。

● 彼らを羨ましいと思う。同時に,自分を卑下したくなる。彼らを見ていると,生き方に一本筋が通っていると思えるんですね。凜という言葉を思いだす。顔をあげて生活している感じ。また,彼らにはその資格があるなぁ,と。翻って自分は・・・・・・と思うわけですね。
 今さら卑下なんかしたって手遅れなんだけどね。

● 次は東京大学歌劇団。14:40から1時間の演奏。オッフェンバックの「天国と地獄」から抜粋しての演奏だった。
 自前で合唱団,管弦楽団,舞台スタッフを揃えているという。団員は東大生に限らず,他大学や社会人にも門戸を開いている。
 歌い手はまだ歌う体になっていない感じ。痩せすぎでしょと思うのが多かった。痩せているのがダメというのでもないのだが,まず体を作らなきゃねという感じ。声量も足りない。10月にコンセールマロニエのファイナル(声楽部門)を聴いたばかりなので,それと比較してしまうんだけどね。
 ただし,音楽大学でもない普通の大学の学生たちが手作りで作っている舞台だからね,非常に健闘していると言っていいと思う。っていうか,こんなことができるのは東大くらいだよねぇ。おまえら,頭がいいだけじゃ足りないのかよ,って文句を言いたくなるような感じだなぁ。

● 正直,歌劇団の演奏を聴くのは予定していなかったんだけど,今日の収穫の第一はこれでした。合唱の部分はさすがに迫力があった。来月26日に相模原市民会館で本公演を行う。
 管弦楽団がスメタナの「モルダウ」の演奏を付加したのだが,こちらはこれだけ聴くとやや不満が残る。でも,これも不満を言ってはいけない気がする。大学生がここまでやれればね。彼らの若さは自ずと表現されるわけで,その若さってやっぱりいいものですよ。

● 900番教室の脇でビールとフランクフルトを売っている模擬店があったので,ぼくも買った。少しはお金を落とさないとなと思って。でも,やっぱりね,売り手の学生があんまり嬉しそうじゃないんだよねぇ。おまえに売るために置いてるんじゃないぞっていう感じなんだなぁ。ぼくのようなオヤジは歓迎されざるお客なのだなと思った。いてはいけない場所にいるのかなぁと思ってしまった。
 ま,僻みすぎですよね。もっと軽く行きたいものですな。しかし,課題ができた。学生たちに邪険にされないオヤジを目指すこと。
 缶ビールはサントリーのプレミアムモルツだった。これが3百円だった。

● 次は東京大学フォイヤーベルク管弦楽団。五月祭と同じでオーケストラ演奏はせずに,小規模なアンサンブルを4つほど演奏した。五月祭のときは,1,2年生主体だったが,今回は上級生が登場した。
 モーツァルト ディヴェルティメント 変ロ長調
 ガブリエリ 「6曲のカンツォーナ集」より第1番「スピリタータ」
 ダンツィ 木管五重奏曲
 グリーグ 組曲「ホルベアの時代から」

● いずれも達者な演奏で高いハードルを軽々と越えているという印象。しかも,格好いい。男性奏者も女性奏者も。姿勢も動作も伝わってくるオーラも。充分な練習に裏打ちされた自信でしょうね。それが聴く側にもわかるんですね。
 自信に満ちた態度,いいものだ。奏者の自信に説得されたいっていうM願望?が聴衆にはあるのだと思う。逆に説得してくれないのに自信だけはあると見えるのは許せないわけだが。
 どうだ,何か不満があるか,おまえらにこの演奏がわかるかっていう,潔さも伝わってきて(これはぼくの独りよがりかもしれないのだが),それも逆に心地よかった。
 限りなくプロに近いセミプロだと思った。配られたアンケート用紙にも最大級の賛辞を呈しておいた。

2010年5月31日月曜日

2010.05.30 東京大学第83回五月祭-東京大学フィロムジカ交響楽団・東京大学フォイヤーベルク管弦楽団・東京大学音楽部管弦楽団・東京大学吹奏楽部


東京大学本郷キャンパス 安田講堂

● 5月は29~30日の2日間,東大本郷キャンパスで「五月祭」が行われる。東大にいくつもある管弦楽団や歌劇団がそれぞれ演奏会を実施する。2日間とも出かけてみたいと思っている。
 昨年11月の「駒場祭」はヨメの入院騒ぎなどがあって,とても東京に行くなんて許されなかったけど,今度は行くぞ,と。

● 東大音楽部管弦楽団の演奏を1月に聴いているのだが,これはわざわざ聴きに行く価値のあるものだった。それをもう一度聴けるのだと思うと,ちょっと気持ちが浮きたつ。
 日本でもラ・フォル・ジュルネ的なものが根づいたかのようだけれども,「駒場祭」や「五月祭」はミニ・ジュルネといってもいいんじゃなかろうか。管弦楽から室内弦楽,ピアノやホルンの演奏まで,さまざまなアンサンブルがある。ぼくは管弦楽を中心に聴きたいと思っているけれど,聴きたいものが何であれ,リクエストに応じてくれる品揃え。

● 今の時点(5月11日)で各企画の内容と日程が固まっているようで,サイトで検索できるようになっている。このスピードもたいしたもので,たぶん東大ならではの段取りの良さだと思う。これだけ大規模な催事をこうまで手際よくまとめていく実行委員会の学生たちはたいしたものだ。ノウハウのストックが膨大にあるのだろうけどね。
 ちなみに,他の大学ではギリギリまで載らない。あるいは当日になっても載っていないってこともあるからね。

● 結局,29日は出かけられなかった。休日出勤したので。ま,休日に出勤してもさほど能率は上がらないってのは,これまでの経験から鉄壁の法則だと思っているんだけれども,どこかに甘さがあるんでしょうね。休日にやればいいやっていう。

● 30日には行ってきました。50歳を過ぎた男がひとりで行くとかなり目立つかと多少の不安があった。杞憂だった。上野公園の雑踏がそのまま東大構内に平行移動したような様相を呈していた。
 まず,来場者の数が半端じゃない。相当な人口密度でまっすぐには歩けない。

● 来場者の様相も上野公園にあるものはすべて揃っている。まず目立つのは女子高校生のグループ。東大を目指したいと思っているわけではなさげ。

● それらの人たちが構内のそちこちで写真を撮りあっている。東大は一大観光名所なのだ。
 若い男女のカップルもいるし,小さい子供を連れた親子連れもいる。熟年の夫婦も多い。東大生の父兄なのかもしれないし,OB・OGなのかもしれない。そのどちらでもないのかもしれない。数人で連れ立っている中学生や小学生も。
 ぼくのような単独行動者も年齢を問わずに存在する。ホームレスとおぼしき人までいる。

● また,これらの雑多な来場者の要求に応えられるだけの種々雑多なアトラクションを東大(学生)側が用意していることにも驚いた。ぼくは上野駅から歩いて裏口から入学したので,受け取ることはなかったのだけど,この大学祭のプログラムはかなりの厚さの冊子になっている。

● 外に出ている模擬店は東大だからといって変わったところはない。着ぐるみやメイドカフェのコスチュームを着た女子学生が呼びこみをしていたり,男子学生が大声を出していたり。若者が思い思いにエネルギーを発散している。
 けれども,路地を避けて建物に入ると,そこでは模擬裁判とか学術講演会とか公開実験とか,東大ならではの催しが(たぶん,ひっそりと)行われている。

● ぼくは管弦楽を聴きに来た。まっすぐ安田講堂に向かった。ちょっとドキドキしましたね。中に入るときに。安田講堂は東大の象徴で,劣等生だったぼくには永遠の憧れってところがあったから。
 その安田講堂の赤絨毯を踏んで2階席へ。何か,自動的に2階に導かれたような感じなのだが,もちろん1階席にもお客さんが座っている。

● 正午過ぎから東京大学フィロムジカ交響楽団の演奏会。20分ほど前に着席した。団員がステージで最後の練習をしていた。公開練習になってましたね。めったに見られない光景なので,ありがたく拝見させていただいた。
 演しものはロッシーニの「セビリアの理髪師」序曲,シューベルト「未完成」とシベリウス「交響曲第2番」をそれぞれ抜粋で。時間枠が1時間なので,抜粋なのは仕方がない。6月20日に定期演奏会があるので,今回はそのための模擬演奏会でもある。
 指揮者は小笠原吉秀氏。プログラムによれば国立音大から日大芸術の院に進んで指揮を勉強したとある。

● さて,その演奏である。東大では音楽部管弦楽団とフォイヤーベルク管弦楽団の2つがすごいと聞いていた。が,このフィロムジカ交響楽団も相当なものだ。凛とした演奏を堪能した。東大が中心だけれども,他大学の学生も含めて,現在150名の団員を抱えているらしい。レベルの高い学生が集まっている東京ならではの集合体だろう。

● 次は東京大学フォイヤーベルク管弦楽団。この楽団も東大の名を冠してはいるけれども,他大学の学生も加わっている。その数は決して少なくない。今年は楽団代表からして東大生ではない。
 開始予定が30分遅れて2時ちょうどに始まった。演奏時間は45分。こちらはあまり気合いが入っていない様子。ほかの楽団も出るからウチもお付き合いしておくかっていうところか。普段着でステージに登場した。
 演しものはモーツァルト「交響曲29番」の第1楽章,シュトラウスの「13楽器のためのセレナード 変ホ長調」,ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調」の第2楽章と第3楽章。こちらも6月27日に定期演奏会を予定しており,ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲はそちらの演しものにもなっている。

● 「交響曲29番」はモーツァルトが18歳のときに,「13楽器のためのセレナード」はシュトラウスが17歳のときに作曲した。この世界には早熟の天才が雲霞のごとく存在しますね。天才が最も見えやすい世界なのではあるまいか。
 指揮者はなし。「13楽器のためのセレナード」は室内管楽だから指揮者なしでいいし,「ヴァイオリン協奏曲」もソリストが指揮者を兼ねればいい。でも,交響曲まで指揮者なしで演奏できるんですな。
 ソリストは前田尚德氏。東大を1年で中退し,桐朋に転じた人。東大をパッと捨てられるところが格好いい。

● フォイヤーベルクについては,今年度からぼくは賛助会員になっている。年会費6千円を納めた。それで2回の定期演奏会の指定席チケットと録音CD,会報が送られてくる。6千円では申し訳ないようなサービスが受けられるわけだが,要はこの楽団に対して勝手に思いをこめているってことですね。
 それで,今回も期待とともに開演を待ったのだが,上記のような次第で,ちょっと期待をはずされたかなという印象。とはいえ,素敵に上手いのは確かなこと。

● ところで,安田講堂の前に野外ステージが設えられていた。フィロムジカの演奏が終わった後,その野外ステージの回りが騒々しい。何事かと思って出てみれば,ステージ上に矢沢永吉がいるではないか。
 来場者は大喜び。ぼくも自分のラッキーを喜んだ。テレビでしか見たことのないロックシンガーのライブに立ち会えるとは。
 翌日の新聞が報道していたのだが,それによれば,サプライズ出演だったようで,プログラムには掲載されていなかった(掲載してたらパニックが起きそうだ)。

● 隅っこから遠巻きに見たにとどまるけれど,60歳を過ぎても矢沢にはとんでもないオーラがあった。圧倒的な声量と声域。今まで,アイドル歌手のコンサートで熱狂しているファンが映しだされると,何だこいつらと小馬鹿にしていたけれども,同じ状況に置かれればぼくも同じ反応をするのだな,と。
 早々に彼は帰っていった。時間にすれば30分もあったかどうか。新聞によると彼は4曲歌ったようだ。ぼくが聴いたのは3曲。充分に満足させる何かを矢沢は確かに持っていた。
 それにしたって,東大価格ってのがあるのかもしれないけれど,東大側は相当なお金を支払っているのだろうし,大学祭に矢沢を呼べる大学って,そんなにないよねぇ。

● さて,次は東京大学音楽部管弦楽団。
 1月に定期演奏会に行った。彼らの実力はわかっている。お客さんも同じと見えて,先の2つに比べて客の入りが違う。安田講堂の座席がほぼ埋まった感じ。
 先の2つは空席がまとまって存在したんだけれど,今度はそれがなかった。集客力はこの楽団が随一。
 この楽団は東大純正で,そのせいか気合いの入り方も随一で,高い水準の演奏を楽しむことができた。

● 曲目はバーンスタイン「キャンディード序曲」,ベートーヴェンの第7番第1楽章,チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」から抜粋,運動会メドレーと題して「地獄のオルフェ」「クシコス・ポスト」「ウィリアムテル」の「スイス軍の行進」,マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲」,ディズニーメドレー。
 運動会メドレーが圧巻の演奏。聞き慣れている曲も,きちんとした演奏で聴くと,こういう曲だったのかと蒙が啓かれる思いがする。ディズニーメドレーも同じだ。聴くに堪える曲だったってことがわかる。

● 指揮者はこの楽団の副指揮者の田代俊文氏。学生オケなのに名誉指揮者と終身正指揮者とふたりの副指揮者がいる。トレーナーも錚々たるメンバーで,これって東大っていうネームバリューだけでできることじゃない。実力が伴ってこそ,叶えられる。
 背筋が伸びたファーストヴァイオリンの女子奏者の佇まいも印象に残っている。背中しか見えなかったんだけど,ゆるみのないその姿勢に,こういうふうに人生を生きていればなぁと五十翁は嘆息まじりに思うのだった。

● 最後は東京大学吹奏楽部。プログラムに掲載されていた部員名簿によると,少数の東大男子と多数の他大学女子で構成されている(ごく少数だけれども,他大学男子と東大女子も存在する)。
 管弦楽と吹奏楽の違いは,弦楽器があるかどうかにとどまらず,文化の違いもあるようだ。軍隊調というか体育会系気質というか,動きがキビキビしている。吹奏楽を聴くのは今回が2度目で,前回聴いたのが自衛隊音楽隊だったから,それに引き寄せて見てしまっているのかもしれないけれど。
 また,吹奏楽がよく取りあげる曲目もあるんですね。管弦楽用の音楽を吹奏楽用に編集しなおしてっていうのではなくて,初めから吹奏楽を想定して書かれた楽曲があって,そういうものが演奏される機会が多いようだ。ま,そんなことも知らなかったってわけで。

● 電車賃をかけて行く価値はあったと思う。矢沢永吉のサプライズがなくても。満足して帰途についた。目下のところは仕事には憂いはない。家庭には大きな問題を抱えているけれども,これとて考え方次第だ。満ち足りた思いで不忍池のほとりを歩き,上野駅に向かった。