東京藝術大学 奏楽堂
● 今年も藝祭にお邪魔することに。La Folle Journée藝大版。5日から7日の3日間,大小種々様々なコンサートが開催されますよ,と。
タイムテーブルはサイトに掲載されるから,それを見てスケジュールを決めることになる。できれば3日間とも日参したいところだけれども,諸般の事情で6日のみ。
● 整理券問題がある。事前に整理券をゲットしておかないと入場できない。会場の広さと聴きたい人の数が見合わない。数を制限しないとしょうがない。
その整理券配布時間も考慮して,次のようなスケジュールを作ってみた。
9:45~10:45 声楽科1年生による合唱:モーツァルト「戴冠ミサ」(整理券配布時間なし)
16:05~16:55 愛の歌-ブラームスのひととき:「ハイドンの主題による変奏曲」「愛の歌」(整理券配布時間15:00)
17:30~18:35 夏だ!藝祭だ!カルミナだ!:オルフ「カルミナ・ブラーナ」(整理券配布時間12:00)
● で,9時半に到着。最初の合唱の会場に行ったところが,すでに満席になってしまっていた。入場できず。残念だけれども仕方がない。仕方がないけれども,次の整理券が配布される12時までやることがない。
いや,美術学部の展示もあるわけで,やることがないってのはあり得ないのだ,普通は。加えて,このエリアには国立や都立の美術館・博物館が集積している。特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」なるものも開催中だ。
ところが,ぼくはそっち方面にはとんと興味がない。宝の山を目の前にしているのに,戸を叩かない愚か者とはぼくのことだ。
● 藝大の近くの上島珈琲店でモーニングセット。オープンテラスの席が空いていたので,そこで。普段はないシチュエーションで大いに満足しましたよ。620円の出費でこうした時間を買えるんだから,安いものだ。
藝祭に向かう人たちや楽器を抱えた学生さんが通っていく。生ビールを商う学生の呼び声が聞こえてくる。朝から生ビール,いかがですかぁ。これで車が通らなければ最高なんだが。
パリのモンマルトルにいるかのよう・・・・・・なわけはない。ここは歴然と日本で,空間のすみずみに日本があふれている。が,しばらく身を置いておきたいと思って,そのようにした。
● 上島珈琲店に入るところで,若い女の子に藝大の音楽学部はどちらでしょうか,と訊かれた。じじむさいオッサンに訊かれたんじゃ,馬鹿野郎,自分で調べろ,と言っちゃうところなんだけど,ここは懇切に対応いたしましたよ。
といって,この先50メートルほどですよ,ですんじゃうわけだけど。
● ま,その他いろいろと暇をつぶして,11時半を過ぎたところで,再び藝大に。12時前に「カルミナ・ブラーナ」の整理券をゲットした。
これ,いいのか。融通をきかせるとか,臨機応変に対応するとかっていうのとはちょっと違うと思うんだけどな。
12時まで待たせるわけにはいかない事情(たとえば,人が滞留しちゃって,耐えがたいほどの構内渋滞が発生してしまうとか)があるのか。ないんだったら,キッチリ12時から配布を始めた方がいいように思う。こういうものは杓子定規な運用が吉。
いや,そうでもないのか。早く来た人からサッサと渡してあげた方がいいか。さんざん待たせてから売り切れですよと告げるのは,心苦しいし,不親切ってことになるかなぁ。ちょっと悩むな。
● さて,このあとはまたやることがない。暑い。アメ横でビールでも飲むか。で,アメ横に行ったらば。営業中のモツ焼き屋や焼き鳥屋は満席だった。昼から飲んでるやつがこんなにいるのか。
ま,ぼくもその一人なんですけどね。中華料理屋で餃子を肴に生ビールを飲んだ。旨くないわけがないやね。
このあとも必死こいて暇をつぶして,15時前に整理券の列に並びに行った。ら。すでに配布終了。ふぅぅむ。
● となると,17時半までさらにやることがない。事ここに至っては,ぼくとしても万策尽きた感じ。万策尽きたとなれば致し方がない。東京国立博物館に向かった。
故宮博物院展ではなく,通常展の方のチケットを買った。ひょっとすると1回か2回は来ているのかもしれない。そうだとしても完璧に忘れているから,新鮮な気分で見ていける。
● まず,仏像。日本史の教科書に載ってるものの実物ですよね。飛鳥時代や奈良時代に作られたものが,一部といえども,今も残っている。奇跡だな。平安や鎌倉のものは,精緻にリアル。リアルっていうのも変な言い方だけど,1本の木からこういうものを掘りだすって,今,できる人はいるんだろうか。
ぼくらの先人の中にはすごい人がいたんだなぁ。日本人であることの誇りを刺激する効果がありますよね。
● 土器や陶器,密教仏具,仏教美術,刀剣などなど,2時間程度では一部しか見られない。かといって,では1日かけて全部見るかっていうと,それも辛い。
なぜって,30分も見てると激しく疲れるから。何日間か日参するしかないでしょうね。これ,捉まる人は捉まると思うんで,実際にそうしている人がけっこうな数いるんだろうな。
行ってみるもんですね。そう思いましたよ。
● さてさて。やっと17時になった。開場時間だ。奏楽堂に向かった。
演奏するのは“F年有志オーケストラ”。F年とは,普通の大学で4年生といっているものに相当するらしい。
F年の学生だけでは駒が足りないと思うんで,実際には院生や下の学年の学生も参加していたはずだ。でもねぇ,こういうのを学園祭でやっちゃうってのがねぇ。
● ここまでの合唱陣(特に男声)を整えることができるのがすごい。藝大しかできないってことではないのかもしれないけれども,しかしやっぱりすごいな。
気が満ちているという印象ですね。端正でもある。おざなりは彼らの敵。彼らの辞書にそういう言葉はないのだろう。
● 朝の9時半に着いて,この時刻までひたすら暇つぶし。なんだけど,待った甲斐がありましたねぇ。これほどの「カルミナ・ブラーナ」を生で聴ける機会は,たぶん,この先ないと思うもん。
昨年はシュニトケ「オラトリオ長崎」。強烈だった。今回も印象をひと言でいえば,強烈ということ。
この1時間で今日は良い日となった。しかもかなり良い日となった。
● あ,それともうひとつ。往きの宇都宮線の車中で,可愛らしい女の子を見かけた。4歳くらい。父親と二人。父親の耳元に口を寄せて何か囁いている。その様はまさに天使。
父親にとっては特にそうだろうな。今,一生分の親孝行をしてもらっている。あと10年もすれば,娘から嫌悪される運命だもんな。父と娘の束の間の蜜月。
ぼく,娘はいないんだけど,正直,いなくてよかったなぁと思うんですよ。いろんな意味でね。
約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2014年9月8日月曜日
2013年9月8日日曜日
2013.09.07 藝祭2013-A.Schnittke Memorial Orchestra
東京藝術大学 奏楽堂
● 3年ぶりに藝祭に行ってみた。今年は6日から8日までの3日間。できれば3日間とも日参したいわけだけども,ま,そうもいかない。
で,とりあえず,なか日にお邪魔することに。
● 演しものについては,ホームページに掲載されているので,それを眺めながら決めて行く。15:40からの山田流箏曲自主演奏会と,17:15からのA.Schnittke Memorial Orchestraを聴くことにした。
3年前と違っていたのは,ほとんどの演奏会が事前に整理券を取らないと入場できないシステムになっていること。
● 整理券の配布時刻はどちらも正午からだったので,まずA.Schnittke Memorial Orchestraの整理券をゲット。次に,山田流箏曲の方に行ったんだけど,すでに配布終了になっていた。うぅーん,人気があるな,山田流。
高水準の邦楽演奏をタダでたっぷり楽しめるのが,ほかにはない藝祭の魅力(のひとつ)でしょ。好きな人にとってはたまらないはずだ。
● 順序を逆にすれば,あるいは両方ゲットできたかもしれない。
ともあれ,時間がポッカリ空いてしまった。午後5時までどうしようか。って,こういうときに二の矢を用意しておくのが紳士のたしなみというものだ。
渋谷に転戦?して,D@E管弦楽団の演奏会を聴いた。大いに満足して,上野に舞い戻った(おかげで山手線を一周することができた)。
● 大学祭の類っていうのは,学生たちが模擬店を開いて,声をからして客の呼び込みをして,若いエネルギーを発散(浪費)するためのものだろ,と思っているわけですよ。キャンパスを一時的に遊園地にして一般開放するのが大学祭,っていうね。
もちろん,たとえば法学部の学生だったら模擬裁判をやったりとか講演会を開催するとか,真面目っぽいものも昔からあるにはあったと思うんだけど,だいたいはそんなもんでしょうなぁ。
● ところが,藝祭はそういうのもあるんだけど,大方は研究発表的な感じ。日頃の成果をギュッと圧縮してお見せしますよ,というもの。音楽と美術なんだから,それがやりやすいっていうか,そうしてもお客を呼べるっていうところもあるんでしょうかね。お客さんが藝祭に期待しているのも,まさか模擬店じゃないだろうし。
で,A.Schnittke Memorial Orchestra。仰天してしまった。大学祭でこんなコンサートをやってのけるとは。
● 仕掛人は,大学院生の飯野和英さん。このイベントを構想することは難しくないかもしれない。凡人には思いつかないことだとしても。
しかし,これをリアルな形に仕上げるのは,いかな芸大という恵まれた環境に置かれていても,相当に難しかったんじゃないのかと思う。
いや,意外にそうでもないのか。あ,それ面白そうだね,やろうやろう,ってな具合に人が集まっちゃったりするのかねぇ(昔のドラマにはよく登場したシーンだね)。
● シュニトケの「ハイドン風モーツァルト」と「オラトリオ長崎」を演奏。
「ハイドン風モーツァルト」はCDで聴いても仕方がない。ま,仕方がなくはないんだろうけど,半ば劇のようなものだもんね,観てなんぼだなぁ。
というようなことも,実際に観たから気づくわけでね。CDに付いている解説書の文章を読んだところで,このイメージを頭の中に再現するのは無理だ。できる人もいるのかもしれないけど。
● ヴァイオリンのソリストがふたり。二瓶真悠さんと長尾春花さん。飯野さんの表現を借りれば,芸大のツートップ。このふたりが前面で押したり引いたりの掛けあいを続ける。
ステージが暗転して,奏者たちがうなだれて演奏しながら袖に消えていく。指揮者もまた奏者のひとりなんですね,この曲においては。
● しかし,圧巻は「オラトリオ長崎」。
飯野さんの解説によれば,この曲はシュニトケのモスクワ音楽院の卒業作品。世界初演が2006年。日本初演は2008年(読響)。
約100人のオーケストラ。ピアノもオルガンも加わる。合唱団は約80人。ソリスト(メゾソプラノ)は秋本悠希さん。これだけのものを自前で用意できるところが,まずすごい。
● ひょっとすると,メッセージ性がここまで露骨なのを忌避する人もいるかもしれない。反論しようのない正論を大げさに表現しているだけじゃないか,っていうような。
けれども,飯野さんがおっしゃるように「耳に残りやす」いし,何よりこれだけの大編隊が産みだす迫力は有無を言わせない。
● 読響の後,この曲が演奏されたことがあるのかどうか知らない。今回が日本で2回目の演奏だったかもしれない。これから先も,そうそう演奏されることがあるとも思えない。これだけの装備が必要なんだしね。
稀少価値のある機会に立ち会えたのだと思っている。世界初演がCDになっているから,ともかく聴くことはできるんだけども,芸大クォリティーのライヴを味わえたのは,じつにどうもお得感が強い。下世話な言い方で申しわけないけれど。
● 3年ぶりに藝祭に行ってみた。今年は6日から8日までの3日間。できれば3日間とも日参したいわけだけども,ま,そうもいかない。
で,とりあえず,なか日にお邪魔することに。
● 演しものについては,ホームページに掲載されているので,それを眺めながら決めて行く。15:40からの山田流箏曲自主演奏会と,17:15からのA.Schnittke Memorial Orchestraを聴くことにした。
3年前と違っていたのは,ほとんどの演奏会が事前に整理券を取らないと入場できないシステムになっていること。
● 整理券の配布時刻はどちらも正午からだったので,まずA.Schnittke Memorial Orchestraの整理券をゲット。次に,山田流箏曲の方に行ったんだけど,すでに配布終了になっていた。うぅーん,人気があるな,山田流。
高水準の邦楽演奏をタダでたっぷり楽しめるのが,ほかにはない藝祭の魅力(のひとつ)でしょ。好きな人にとってはたまらないはずだ。
● 順序を逆にすれば,あるいは両方ゲットできたかもしれない。
ともあれ,時間がポッカリ空いてしまった。午後5時までどうしようか。って,こういうときに二の矢を用意しておくのが紳士のたしなみというものだ。
渋谷に転戦?して,D@E管弦楽団の演奏会を聴いた。大いに満足して,上野に舞い戻った(おかげで山手線を一周することができた)。
● 大学祭の類っていうのは,学生たちが模擬店を開いて,声をからして客の呼び込みをして,若いエネルギーを発散(浪費)するためのものだろ,と思っているわけですよ。キャンパスを一時的に遊園地にして一般開放するのが大学祭,っていうね。
もちろん,たとえば法学部の学生だったら模擬裁判をやったりとか講演会を開催するとか,真面目っぽいものも昔からあるにはあったと思うんだけど,だいたいはそんなもんでしょうなぁ。
● ところが,藝祭はそういうのもあるんだけど,大方は研究発表的な感じ。日頃の成果をギュッと圧縮してお見せしますよ,というもの。音楽と美術なんだから,それがやりやすいっていうか,そうしてもお客を呼べるっていうところもあるんでしょうかね。お客さんが藝祭に期待しているのも,まさか模擬店じゃないだろうし。
で,A.Schnittke Memorial Orchestra。仰天してしまった。大学祭でこんなコンサートをやってのけるとは。
● 仕掛人は,大学院生の飯野和英さん。このイベントを構想することは難しくないかもしれない。凡人には思いつかないことだとしても。
しかし,これをリアルな形に仕上げるのは,いかな芸大という恵まれた環境に置かれていても,相当に難しかったんじゃないのかと思う。
いや,意外にそうでもないのか。あ,それ面白そうだね,やろうやろう,ってな具合に人が集まっちゃったりするのかねぇ(昔のドラマにはよく登場したシーンだね)。
● シュニトケの「ハイドン風モーツァルト」と「オラトリオ長崎」を演奏。
「ハイドン風モーツァルト」はCDで聴いても仕方がない。ま,仕方がなくはないんだろうけど,半ば劇のようなものだもんね,観てなんぼだなぁ。
というようなことも,実際に観たから気づくわけでね。CDに付いている解説書の文章を読んだところで,このイメージを頭の中に再現するのは無理だ。できる人もいるのかもしれないけど。
● ヴァイオリンのソリストがふたり。二瓶真悠さんと長尾春花さん。飯野さんの表現を借りれば,芸大のツートップ。このふたりが前面で押したり引いたりの掛けあいを続ける。
ステージが暗転して,奏者たちがうなだれて演奏しながら袖に消えていく。指揮者もまた奏者のひとりなんですね,この曲においては。
● しかし,圧巻は「オラトリオ長崎」。
飯野さんの解説によれば,この曲はシュニトケのモスクワ音楽院の卒業作品。世界初演が2006年。日本初演は2008年(読響)。
約100人のオーケストラ。ピアノもオルガンも加わる。合唱団は約80人。ソリスト(メゾソプラノ)は秋本悠希さん。これだけのものを自前で用意できるところが,まずすごい。
● ひょっとすると,メッセージ性がここまで露骨なのを忌避する人もいるかもしれない。反論しようのない正論を大げさに表現しているだけじゃないか,っていうような。
けれども,飯野さんがおっしゃるように「耳に残りやす」いし,何よりこれだけの大編隊が産みだす迫力は有無を言わせない。
● 読響の後,この曲が演奏されたことがあるのかどうか知らない。今回が日本で2回目の演奏だったかもしれない。これから先も,そうそう演奏されることがあるとも思えない。これだけの装備が必要なんだしね。
稀少価値のある機会に立ち会えたのだと思っている。世界初演がCDになっているから,ともかく聴くことはできるんだけども,芸大クォリティーのライヴを味わえたのは,じつにどうもお得感が強い。下世話な言い方で申しわけないけれど。
2010年9月30日木曜日
2010.09.04 藝祭2010:東京芸術大学
● 4日も同じ電車に乗って上野に向かった。この日は10時から始動。
まずは生田会(生田流箏曲)の演奏(6ホール)。前日の奏楽堂の大演奏会に比べると小規模の演奏だった。学年ごとにひとつずつ演奏した。1年生は「飛鳥の夢」(宮城道雄),2年生は「五段帖」(光崎検校),3年生は「春の詩集」(牧野由多加),4年生は「松竹梅」(三ツ橋勾当)。
全部で約70分の演奏だった。
● 法学部や経済学部,医学部,工学部など普通の学部の学生は,大学受験までは普通の勉強しかしていない。専門の勉強は入学後にゼロから始める。
しかし,彼ら芸大生は,普通の勉強のほかに,入学後に学ぶはずの器楽や声楽や舞踊についても,相当以上の研鑽を積んでいる。そうじゃないと合格できない。ということは,普通の勉強以外のことをやった分だけ,充実した少年・少女時代を過ごせたってことになるだろうか。
実際には,高校時代は野球ばかりしていたっていう法学部生もいるだろし,将棋三昧に明け暮れたっていう医学部生もいるだろうから,ひとり芸大生だけが普通+αの暮らしをしてきたってことではないけれど,大雑把にいえば入学するまでの暮らしぶりのユニークさでは,芸大生が他大学の学生に優っているだろう。
● ぼくのような普通だけでアップアップしていた者からすると,彼らの来し方が羨ましくもあり,妬ましくもある。また,一芸を選んだ彼らの潔さが眩しくもある。
● さて,次は奏楽堂で演奏される「フィガロの結婚」を見る予定にしていた。3年生によるオペラ公演とプログラムには書かれている。が,入場することができなかった。10時から整理券を配っていて,それがないと入場できないということだった。しかも,整理券は予定枚数の配布を終了している,と。
であれば,それもプログラムに載せておいて欲しいぞ。何度も来ている人にとっては常識なのかもしれないが,今年初めて来たという人(ぼくのこと)には寝耳に水になってしまう(ただし,こちらが見落としていただけかもしれない)。
3日間で最も楽しみにしていたのがこれだったので,残念感も大きい。気持ちを立て直すのにちょっと時間がかかってしまった。
● しかし,「ラ・フォル・ジュルネ」芸大版である。代替はある。6ホールに戻って,三味線音楽自主演奏会を聴くことにした。そのあとは,日本舞踊の自主公演。
集団舞踊というか,大勢が一緒にひとつの踊りを踊るのだろうと予想していたのだが,実際の演目は長唄に合わせる踊りだったり,清元や常磐津だったりした。踊りながら演じる,演じながら踊るという類のもの。
演目名を挙げておこう。「舌出三番叟」「落人」「粟餅」「鞍馬獅子」「寿万歳」の5本。バックの唄や三味線,囃子はテープのこともあれば,本物が付くこともある。
● 最初の「舌出三番叟」が終わったあと,ぼくの後ろにいた親子(母親と息子)が巧いねぇ,さすがだねぇと感想をもらした。そうか,これは巧いのか,とぼくは思った。
お客さんもクラシック音楽のコンサートホールに足を運ぶ人たちとは違う。何というのか,こういうものを好む人たちの顔ってあるでしょ。お客の中には興業主もいるのではないかと思われた。ひょっとしたら学生たちの親かもしれない。
この2日間で邦楽のシャワーをたっぷり浴びた。自分を揺さぶれたとは思わないし,自分の中の何かが変わったとはさらに思わないが,なにがしかの満足感が残ったのも事実だ。
● 15時まで邦楽シャワーを浴びて,30分後に「トロンボーン科夏の祭典」というのを聴いた。要は,トロンボーンのアンサンブル。トロンボーンのみで演奏会(1時間弱)を構成できるのも芸大ならではだと思う。
プログラムに奏者の出身地まで載っている。北海道,京都,宮城,秋田,福岡,千葉なぞ全国に散っているが,大半は地方出身者で東京者は少ない(というか,いない)。東京には日本の1割の人間が住んでいるんだから,ひとりやふたりは混じっていてもいいんじゃないかと思うけど,パワーは地方から生まれるってか。
● 最後は17時からのオルガンコンサート(奏楽堂)。2時間半にわたって,パイプオルガンの音色を聴いた。もちろん,初めて聴く音色だ。
音じたいが宗教音楽的。神とつながるための音,神を呼ぶための音って感じ。とんでもなく響くから,楽曲の違いを音が吸収してしまうところがある。何を聴いても同じに聞こえる。演奏の巧拙も感知しにくい。
何より,ちょっとの量でお腹が一杯になってしまう。2時間半も聴くのは,途中に休憩があったとしても,けっこう忍耐を要する。9本の演奏のうち,ひとつはサクソフォンと,ひとつは管弦楽との共演になったが,オルガン以外の音が入るとホッとした。
管弦楽がバックに入ったのは,エルガーの「威風堂々 第1番」。わずか数分の演奏のためにオーケストラを用意できるのも芸大だからこそだろうねぇ。指揮者は学部5年生の女子学生。院ではなく学部5年というのがいいね。
● こうして2日目も充実のうちに終わった。東京との接点がひとつ増えた気がする。上野といえばアメ横だったけれど(子どもが小さかったときには動物園も),これからは芸術の街としての上野ともお付き合いができるかもしれない。
しかし。栃木の自宅を7時に出て,夜の10時半に帰宅するのを2日続けると,けっこう疲れる。
● 藝祭は明日(5日)にも開催され,プログラム的には3日目の5日が最も充実しているっていうか,楽しみにしてもいた。ただし,芸大の方針として日曜と祝日には奏楽堂の使用は認めないらしい。5日は奏楽堂を使えないので,混みあうだろうなと予想できる。3日も4日も,各ホールとも満員御礼で立見客が出ていたからね。あんまり混みあうのもなぁと思ってしまった。
3日連続で自分の楽しみのためだけに東京に出るのも,ヨメに対して憚るところがあった。ぼくが半日でもいれば一緒に買物にも行けるはずだ。
つまるところ,3日目は上野行きをやめた。5日の午前中はヨメの買物につきあって過ごした。
まずは生田会(生田流箏曲)の演奏(6ホール)。前日の奏楽堂の大演奏会に比べると小規模の演奏だった。学年ごとにひとつずつ演奏した。1年生は「飛鳥の夢」(宮城道雄),2年生は「五段帖」(光崎検校),3年生は「春の詩集」(牧野由多加),4年生は「松竹梅」(三ツ橋勾当)。
全部で約70分の演奏だった。
● 法学部や経済学部,医学部,工学部など普通の学部の学生は,大学受験までは普通の勉強しかしていない。専門の勉強は入学後にゼロから始める。
しかし,彼ら芸大生は,普通の勉強のほかに,入学後に学ぶはずの器楽や声楽や舞踊についても,相当以上の研鑽を積んでいる。そうじゃないと合格できない。ということは,普通の勉強以外のことをやった分だけ,充実した少年・少女時代を過ごせたってことになるだろうか。
実際には,高校時代は野球ばかりしていたっていう法学部生もいるだろし,将棋三昧に明け暮れたっていう医学部生もいるだろうから,ひとり芸大生だけが普通+αの暮らしをしてきたってことではないけれど,大雑把にいえば入学するまでの暮らしぶりのユニークさでは,芸大生が他大学の学生に優っているだろう。
● ぼくのような普通だけでアップアップしていた者からすると,彼らの来し方が羨ましくもあり,妬ましくもある。また,一芸を選んだ彼らの潔さが眩しくもある。
● さて,次は奏楽堂で演奏される「フィガロの結婚」を見る予定にしていた。3年生によるオペラ公演とプログラムには書かれている。が,入場することができなかった。10時から整理券を配っていて,それがないと入場できないということだった。しかも,整理券は予定枚数の配布を終了している,と。
であれば,それもプログラムに載せておいて欲しいぞ。何度も来ている人にとっては常識なのかもしれないが,今年初めて来たという人(ぼくのこと)には寝耳に水になってしまう(ただし,こちらが見落としていただけかもしれない)。
3日間で最も楽しみにしていたのがこれだったので,残念感も大きい。気持ちを立て直すのにちょっと時間がかかってしまった。
● しかし,「ラ・フォル・ジュルネ」芸大版である。代替はある。6ホールに戻って,三味線音楽自主演奏会を聴くことにした。そのあとは,日本舞踊の自主公演。
集団舞踊というか,大勢が一緒にひとつの踊りを踊るのだろうと予想していたのだが,実際の演目は長唄に合わせる踊りだったり,清元や常磐津だったりした。踊りながら演じる,演じながら踊るという類のもの。
演目名を挙げておこう。「舌出三番叟」「落人」「粟餅」「鞍馬獅子」「寿万歳」の5本。バックの唄や三味線,囃子はテープのこともあれば,本物が付くこともある。
● 最初の「舌出三番叟」が終わったあと,ぼくの後ろにいた親子(母親と息子)が巧いねぇ,さすがだねぇと感想をもらした。そうか,これは巧いのか,とぼくは思った。
お客さんもクラシック音楽のコンサートホールに足を運ぶ人たちとは違う。何というのか,こういうものを好む人たちの顔ってあるでしょ。お客の中には興業主もいるのではないかと思われた。ひょっとしたら学生たちの親かもしれない。
この2日間で邦楽のシャワーをたっぷり浴びた。自分を揺さぶれたとは思わないし,自分の中の何かが変わったとはさらに思わないが,なにがしかの満足感が残ったのも事実だ。
● 15時まで邦楽シャワーを浴びて,30分後に「トロンボーン科夏の祭典」というのを聴いた。要は,トロンボーンのアンサンブル。トロンボーンのみで演奏会(1時間弱)を構成できるのも芸大ならではだと思う。
プログラムに奏者の出身地まで載っている。北海道,京都,宮城,秋田,福岡,千葉なぞ全国に散っているが,大半は地方出身者で東京者は少ない(というか,いない)。東京には日本の1割の人間が住んでいるんだから,ひとりやふたりは混じっていてもいいんじゃないかと思うけど,パワーは地方から生まれるってか。
● 最後は17時からのオルガンコンサート(奏楽堂)。2時間半にわたって,パイプオルガンの音色を聴いた。もちろん,初めて聴く音色だ。
音じたいが宗教音楽的。神とつながるための音,神を呼ぶための音って感じ。とんでもなく響くから,楽曲の違いを音が吸収してしまうところがある。何を聴いても同じに聞こえる。演奏の巧拙も感知しにくい。
何より,ちょっとの量でお腹が一杯になってしまう。2時間半も聴くのは,途中に休憩があったとしても,けっこう忍耐を要する。9本の演奏のうち,ひとつはサクソフォンと,ひとつは管弦楽との共演になったが,オルガン以外の音が入るとホッとした。
管弦楽がバックに入ったのは,エルガーの「威風堂々 第1番」。わずか数分の演奏のためにオーケストラを用意できるのも芸大だからこそだろうねぇ。指揮者は学部5年生の女子学生。院ではなく学部5年というのがいいね。
● こうして2日目も充実のうちに終わった。東京との接点がひとつ増えた気がする。上野といえばアメ横だったけれど(子どもが小さかったときには動物園も),これからは芸術の街としての上野ともお付き合いができるかもしれない。
しかし。栃木の自宅を7時に出て,夜の10時半に帰宅するのを2日続けると,けっこう疲れる。
● 藝祭は明日(5日)にも開催され,プログラム的には3日目の5日が最も充実しているっていうか,楽しみにしてもいた。ただし,芸大の方針として日曜と祝日には奏楽堂の使用は認めないらしい。5日は奏楽堂を使えないので,混みあうだろうなと予想できる。3日も4日も,各ホールとも満員御礼で立見客が出ていたからね。あんまり混みあうのもなぁと思ってしまった。
3日連続で自分の楽しみのためだけに東京に出るのも,ヨメに対して憚るところがあった。ぼくが半日でもいれば一緒に買物にも行けるはずだ。
つまるところ,3日目は上野行きをやめた。5日の午前中はヨメの買物につきあって過ごした。
2010.09.03 藝祭2010:東京芸術大学
● 芸大の学園祭,藝祭に行ってきました。9月3日(金)から3日間の日程で開催。去年も行くつもりでいたんだけど,前日になっても公式ホームページに開催内容が表示されなくて,それだけが理由ではなかったのだけれど,結局,行きそびれてしまった。
今年は,かなり前からホームページに日程が公開されたので,自分なりにこれを聴こうと予定を立てることができた。これ,大事なことだね。予定を立てるところから,ぼくの中でお祭りは始まっているのだから。
会場は奏楽堂のほか,3つのホールが使用された。同時に複数の催事(演奏)が開催されるので,すべてを聴くことはできない。それゆえ,事前に内容を想像しながら,これを聴いて,次はこれと,スケジュールを考えることになる。これも楽しいわけだ。
● この時期,「青春18きっぷ」が使える。これがありがたい。2,300円で上野まで往復できるんだからねぇ。普通に切符を買うとほぼ倍になる。新幹線で往復すると4倍になる。学生にとっては,夏休みを返上して準備にあたることになるわけで,少しく気の毒ではあるけれど。
上野駅公園口を出て少し歩くと,さっそく藝祭と出会った。学生たちが作りあげた様々な意匠の御輿が上野の商店街を練り歩くのだ(彼らは「渡御」と呼んでいる)。女性の裸体あり,深海魚あり,孔雀あり,それあり,これあり。男女学生が担いでいるが,けっこうな重量があるようだ。
それらを見送ってから,いよいよ大学の構内に入った。
● 道路を挟んで,音楽学部と美術学部のキャンパスがある。音楽学部のキャンパスについていえば,建物と通路しかない。樹木は多いのだけど,通路以外の空き地がない。
東大は部外者に開放されていて,誰でも中を散歩できたけども,芸大はそれを許していないようだ。許されたところで,歩きたくなるような構内ではない。すぐそばに上野公園があるわけだから,わざわざ芸大の構内を歩くこともない。ちょっと以上に手狭な印象だ。
● 東大の五月祭は多くの来場者でごった返していた。ホームレスまで歩いていて,それに何の違和感もなかった。が,藝祭はそうではない。何も用事はないけれど来てみたっていう人は少ないようだ。ぼくもそうだが,芸大ならではの演奏や作品を鑑賞するために来ている人が多いのだろう。
芸大生だからといって,一見して変わった学生が多いわけじゃない。見た目はごく普通の学生たちだ。その学生たちが若さを発散させて躍動している。模擬店に張りついている学生は,声をからして呼びこみをしているし,来場者に何か訊かれると,じつに丁寧に説明している。
● 5百円で藝祭のパンフレットを買った。公式ホームページをそのまま印刷したようなものだ。ホームページをチェックして予定を立てているので,ないと困るものでもないのだが,ここはカンパするつもりで購入した。
● 奏楽堂。正面にパイプオルガンを設置したコンサートホール。これだけのホールはそんなにあるものじゃない。さすがは芸大。しかし,芸大にはこれくらいのホールはあって欲しいとも思う。
GEIDAI祝祭管弦楽団なるにわか作りのオーケストラがチャイコフスキーを演奏してくれた。歌劇「エフゲニー・オネーギン」のポロネーズと交響曲第5番。
芸大の2年生か3年生だろうか。指揮者ももちろん学生(男子)で,演奏終了後にメンバーを観客に紹介するそぶりが初々しくてよかった。あどけなさを残していた。
演奏はさすが芸大というところか。突出して巧いのかどうかぼくにはわからないけれど,安心して演奏に身を任せることができた。
問題は客席だ。「芸大ならではの演奏や作品を鑑賞するために来ている人が多いのだ」としても,そこはお祭りの席だし,タダで入れる席だ。演奏の最中に入ってくるやつ,出ていくやつ。フラッシュをたいて写真を撮るやつ。学生の親や親類や友人も多いのだろう。
通常のコンサートと比べてはいけないのだが,ホールはとても立派だし,演奏も充分な水準に達しているのに,客席がそれに見合っていないのは残念だ。しかぁし,大学祭なんだからこれはこういうものなのでしょう。
● 東大生のオーケストラも充分に上手だ。東大オケのメンバーは授業は二の次三の次で,一番長い時間をオケの部室や練習場で過ごしているに違いない。しかし,そうであっても,彼らにとっては音楽は余技にすぎないはずだ。卒業すれば,官僚になったり,銀行員になったり,医者になったり,エンジニアになったり,設計技師になったりして,それぞれの仕事について収入を得て,生活していく。
しかし,芸大生は音楽を本業にしている学生たちだ。彼らにとって,卒業後のことは考えたくない問題かもしれない。とにかく今に賭けている。自分の手技を恃んでいる。そこまで思い詰めてもいないだろうけれど,退路を断っているという潔さがある。
● 1時間でこの演奏は終わり,次はクラリネットアンサンブルを聴きに行った。会場は「2ホール」。学生の練習場なのだろう。クラリネット科の学生が学年ごとに演奏し(芸大では1年,2年とは言わないで,C年,D年という言葉を使う。AではなくCから始める。その由来は何なのだろう),最後に全員が勢揃いしての演奏になる。
テーマは「小動物の謝肉祭」。1年生はネズミを取りあげたらしい。ディズニーメドレーである。2年生以降も動物に因む演奏を披露した。
最後の全体演奏はさすがに圧巻だった。クラリネットだけでこれほどの人数になるのは藝祭ならではだろう。約90分の演奏。
● 次は15時からなので,ここでしばらく時間が空いた。何か食べておこうと思う。当然,いくつもある模擬店で適当なのを食べればいいわけだ。が。ひとりでそれをすることができない性格だ。
考え過ぎちゃうんですね。学生にしてみればぼくのような年寄りより若い来場者を相手にしたいだろうとか,自分は場違いなところにいるとか,いろんなことをね。
で,あろうことか,上野駅の改札を通って,駅構内の蕎麦屋で冷たい蕎麦を食べて,再び,芸大に戻るという情けなさを発揮してしまった。こういうときは,わずかなお金であっても,芸大に落とすべきだよねぇ。
● 15時からは奏楽堂で「邦楽科大演奏会」。時間も2時間半に及んだ。ここでもプログラムは有償だった。5百円で購入。これもカンパのつもり。が,5百円程度じゃカンパにもならないかも。
まずは日本舞踊。演目は「とっぴんしゃん」。蔭囃子のついた本格的なものだ。続いて,尺八。演目は「竹彩々」。
演奏の巧拙などぼくにわかるはずもない。日本の楽器の音色が自分に染みこんでくれるかどうかを探るっていうか,こういうものに対して自分がどう反応するのか,それを確かめたいと思っていた。
邦楽はこれまで二度聴いた。一度は宇大音楽科教員による演奏会で。もうひとつは,今年の2月に総文センター主催の演奏会で。しかし,あれで邦楽に接した気になっていたのは間違いだったか。
藝祭のこの演奏会は圧巻というか,芸大でしか聴けないというか,とんでもなく贅沢かつ貴重なものを聴かせてもらっているというか,このためだけに藝祭に来る価値があると思った。
● 次は山田流箏曲「萩三番叟」。三味線に囃子が付く。総勢24名。さらに,生田流の箏曲「琉球民謡による組曲」。十七絃と尺八を併せて32名の演奏。
最後は長唄「俄獅子」。これも三味線と生の囃子が加わった。舞台転換のため休憩も何度かあったのだが,2時間半も本格的な邦楽のシャワーを浴びたのは初めてで,少し酔ってしまったかもしれなかった。
にしても,芸大は奥が深い。ここまでカバーしているのか。って,こんなことで驚いているぼくが世間知らずってことなんだろうけどね。
この子たち,何で邦楽に自分の身を投じたのかなぁ。幼い頃に邦楽に接して魅せられたのか。あるいは,親がそうした商売をしていて,他に選択肢が与えられなかったのか。
● 18時からは短い(30分)室内楽を聴いた(6ホール)。木管五重奏+ピアノ。2年生の小グループの演奏。顔のちっちゃい小生意気そうな感じの女の子がいて,なかなか良かった。
● 最後は「ミュージカル・エクスプレス」。同じ時間帯に「仮装的欧米管弦楽曲熱烈大演奏会」というのがあって,予定ではそちらを聴くつもりでいたんだけど,これがディズニーランドのビッグサンダーマウンテン並みの長い行列ができていて,すぐに諦めてしまった。「ミュージカル・エクスプレス」の方がまだ短い行列だったので,こちらに並んだ次第。
ミュージカルというのを初めて鑑賞する機会を得た。学生の手作りだし,メンバー全員に平等に出番を作るようになっている。そのためか,流れが悪い。言葉も荒削りだ。演技力もまだまだ。
けど,一生懸命さは伝わってくる。一緒に楽しむように努めるのが観客側のマナーだと思う。
● 19時半にこの日の予定は終了。芸大,すごいです。これが初日の率直な印象。
「ラ・フォル・ジュルネ」が日本でも開催されるようになっているけど,藝祭は規模は小さいながら,「ラ・フォル・ジュルネ」芸大版だ。いくつもあるコンサートの中から自分の好きなのを選んで,聴きに行けばいい。
しかも,どのコンサートも無料だ。「ラ・フォル・ジュルネ」はプロの演奏ではあるけれど,すべて有料になる。格安ではあっても,1日楽しめば万札が何枚か出ていくだろう。藝祭は,プロではないけれどその卵たちが演奏する。1日楽しんでもタダだ。これほど社会貢献度が高い大学祭はないんじゃなかろうか。
今年は,かなり前からホームページに日程が公開されたので,自分なりにこれを聴こうと予定を立てることができた。これ,大事なことだね。予定を立てるところから,ぼくの中でお祭りは始まっているのだから。
会場は奏楽堂のほか,3つのホールが使用された。同時に複数の催事(演奏)が開催されるので,すべてを聴くことはできない。それゆえ,事前に内容を想像しながら,これを聴いて,次はこれと,スケジュールを考えることになる。これも楽しいわけだ。
● この時期,「青春18きっぷ」が使える。これがありがたい。2,300円で上野まで往復できるんだからねぇ。普通に切符を買うとほぼ倍になる。新幹線で往復すると4倍になる。学生にとっては,夏休みを返上して準備にあたることになるわけで,少しく気の毒ではあるけれど。
上野駅公園口を出て少し歩くと,さっそく藝祭と出会った。学生たちが作りあげた様々な意匠の御輿が上野の商店街を練り歩くのだ(彼らは「渡御」と呼んでいる)。女性の裸体あり,深海魚あり,孔雀あり,それあり,これあり。男女学生が担いでいるが,けっこうな重量があるようだ。
それらを見送ってから,いよいよ大学の構内に入った。
● 道路を挟んで,音楽学部と美術学部のキャンパスがある。音楽学部のキャンパスについていえば,建物と通路しかない。樹木は多いのだけど,通路以外の空き地がない。
東大は部外者に開放されていて,誰でも中を散歩できたけども,芸大はそれを許していないようだ。許されたところで,歩きたくなるような構内ではない。すぐそばに上野公園があるわけだから,わざわざ芸大の構内を歩くこともない。ちょっと以上に手狭な印象だ。
● 東大の五月祭は多くの来場者でごった返していた。ホームレスまで歩いていて,それに何の違和感もなかった。が,藝祭はそうではない。何も用事はないけれど来てみたっていう人は少ないようだ。ぼくもそうだが,芸大ならではの演奏や作品を鑑賞するために来ている人が多いのだろう。
芸大生だからといって,一見して変わった学生が多いわけじゃない。見た目はごく普通の学生たちだ。その学生たちが若さを発散させて躍動している。模擬店に張りついている学生は,声をからして呼びこみをしているし,来場者に何か訊かれると,じつに丁寧に説明している。
● 5百円で藝祭のパンフレットを買った。公式ホームページをそのまま印刷したようなものだ。ホームページをチェックして予定を立てているので,ないと困るものでもないのだが,ここはカンパするつもりで購入した。
● 奏楽堂。正面にパイプオルガンを設置したコンサートホール。これだけのホールはそんなにあるものじゃない。さすがは芸大。しかし,芸大にはこれくらいのホールはあって欲しいとも思う。
GEIDAI祝祭管弦楽団なるにわか作りのオーケストラがチャイコフスキーを演奏してくれた。歌劇「エフゲニー・オネーギン」のポロネーズと交響曲第5番。
芸大の2年生か3年生だろうか。指揮者ももちろん学生(男子)で,演奏終了後にメンバーを観客に紹介するそぶりが初々しくてよかった。あどけなさを残していた。
演奏はさすが芸大というところか。突出して巧いのかどうかぼくにはわからないけれど,安心して演奏に身を任せることができた。
問題は客席だ。「芸大ならではの演奏や作品を鑑賞するために来ている人が多いのだ」としても,そこはお祭りの席だし,タダで入れる席だ。演奏の最中に入ってくるやつ,出ていくやつ。フラッシュをたいて写真を撮るやつ。学生の親や親類や友人も多いのだろう。
通常のコンサートと比べてはいけないのだが,ホールはとても立派だし,演奏も充分な水準に達しているのに,客席がそれに見合っていないのは残念だ。しかぁし,大学祭なんだからこれはこういうものなのでしょう。
● 東大生のオーケストラも充分に上手だ。東大オケのメンバーは授業は二の次三の次で,一番長い時間をオケの部室や練習場で過ごしているに違いない。しかし,そうであっても,彼らにとっては音楽は余技にすぎないはずだ。卒業すれば,官僚になったり,銀行員になったり,医者になったり,エンジニアになったり,設計技師になったりして,それぞれの仕事について収入を得て,生活していく。
しかし,芸大生は音楽を本業にしている学生たちだ。彼らにとって,卒業後のことは考えたくない問題かもしれない。とにかく今に賭けている。自分の手技を恃んでいる。そこまで思い詰めてもいないだろうけれど,退路を断っているという潔さがある。
● 1時間でこの演奏は終わり,次はクラリネットアンサンブルを聴きに行った。会場は「2ホール」。学生の練習場なのだろう。クラリネット科の学生が学年ごとに演奏し(芸大では1年,2年とは言わないで,C年,D年という言葉を使う。AではなくCから始める。その由来は何なのだろう),最後に全員が勢揃いしての演奏になる。
テーマは「小動物の謝肉祭」。1年生はネズミを取りあげたらしい。ディズニーメドレーである。2年生以降も動物に因む演奏を披露した。
最後の全体演奏はさすがに圧巻だった。クラリネットだけでこれほどの人数になるのは藝祭ならではだろう。約90分の演奏。
● 次は15時からなので,ここでしばらく時間が空いた。何か食べておこうと思う。当然,いくつもある模擬店で適当なのを食べればいいわけだ。が。ひとりでそれをすることができない性格だ。
考え過ぎちゃうんですね。学生にしてみればぼくのような年寄りより若い来場者を相手にしたいだろうとか,自分は場違いなところにいるとか,いろんなことをね。
で,あろうことか,上野駅の改札を通って,駅構内の蕎麦屋で冷たい蕎麦を食べて,再び,芸大に戻るという情けなさを発揮してしまった。こういうときは,わずかなお金であっても,芸大に落とすべきだよねぇ。
● 15時からは奏楽堂で「邦楽科大演奏会」。時間も2時間半に及んだ。ここでもプログラムは有償だった。5百円で購入。これもカンパのつもり。が,5百円程度じゃカンパにもならないかも。
まずは日本舞踊。演目は「とっぴんしゃん」。蔭囃子のついた本格的なものだ。続いて,尺八。演目は「竹彩々」。
演奏の巧拙などぼくにわかるはずもない。日本の楽器の音色が自分に染みこんでくれるかどうかを探るっていうか,こういうものに対して自分がどう反応するのか,それを確かめたいと思っていた。
邦楽はこれまで二度聴いた。一度は宇大音楽科教員による演奏会で。もうひとつは,今年の2月に総文センター主催の演奏会で。しかし,あれで邦楽に接した気になっていたのは間違いだったか。
藝祭のこの演奏会は圧巻というか,芸大でしか聴けないというか,とんでもなく贅沢かつ貴重なものを聴かせてもらっているというか,このためだけに藝祭に来る価値があると思った。
● 次は山田流箏曲「萩三番叟」。三味線に囃子が付く。総勢24名。さらに,生田流の箏曲「琉球民謡による組曲」。十七絃と尺八を併せて32名の演奏。
最後は長唄「俄獅子」。これも三味線と生の囃子が加わった。舞台転換のため休憩も何度かあったのだが,2時間半も本格的な邦楽のシャワーを浴びたのは初めてで,少し酔ってしまったかもしれなかった。
にしても,芸大は奥が深い。ここまでカバーしているのか。って,こんなことで驚いているぼくが世間知らずってことなんだろうけどね。
この子たち,何で邦楽に自分の身を投じたのかなぁ。幼い頃に邦楽に接して魅せられたのか。あるいは,親がそうした商売をしていて,他に選択肢が与えられなかったのか。
● 18時からは短い(30分)室内楽を聴いた(6ホール)。木管五重奏+ピアノ。2年生の小グループの演奏。顔のちっちゃい小生意気そうな感じの女の子がいて,なかなか良かった。
● 最後は「ミュージカル・エクスプレス」。同じ時間帯に「仮装的欧米管弦楽曲熱烈大演奏会」というのがあって,予定ではそちらを聴くつもりでいたんだけど,これがディズニーランドのビッグサンダーマウンテン並みの長い行列ができていて,すぐに諦めてしまった。「ミュージカル・エクスプレス」の方がまだ短い行列だったので,こちらに並んだ次第。
ミュージカルというのを初めて鑑賞する機会を得た。学生の手作りだし,メンバー全員に平等に出番を作るようになっている。そのためか,流れが悪い。言葉も荒削りだ。演技力もまだまだ。
けど,一生懸命さは伝わってくる。一緒に楽しむように努めるのが観客側のマナーだと思う。
● 19時半にこの日の予定は終了。芸大,すごいです。これが初日の率直な印象。
「ラ・フォル・ジュルネ」が日本でも開催されるようになっているけど,藝祭は規模は小さいながら,「ラ・フォル・ジュルネ」芸大版だ。いくつもあるコンサートの中から自分の好きなのを選んで,聴きに行けばいい。
しかも,どのコンサートも無料だ。「ラ・フォル・ジュルネ」はプロの演奏ではあるけれど,すべて有料になる。格安ではあっても,1日楽しめば万札が何枚か出ていくだろう。藝祭は,プロではないけれどその卵たちが演奏する。1日楽しんでもタダだ。これほど社会貢献度が高い大学祭はないんじゃなかろうか。
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