2019年1月31日木曜日

2019.01.14 モーツァルト後期弦楽四重奏曲ツィクルス 2/2

豊洲シビックセンター ホール

● クラシック音楽を生で聴くという場合,どうしてもオーケストラが多くなる。視覚的にも華があるし,掴みどころがたくさんあるから,どうにかこうにか感想らしきものを持つことができるからだ。
 指揮者がどうの,ヴァイオリンがどうの,曲の作り方がどうのこうのと,まぁまぁ,素人なりの感想を持つことができる。

● しかし,オーケストラを聴いているだけでいいのか。独奏曲や室内楽曲も聴かなきゃダメじゃん,とか思うことは思っているのだ。
 ただし,こうした編成の小さい曲というのは,聴く側も試されるところがあって,なかなかに敷居が高い。遊べないというか,管弦楽曲を聴いているときよりももっと集中を要求されるというか。

● とりわけ,弦楽四重奏曲だ。ベートーヴェンだって,交響曲はもういいから,16ある弦楽四重奏曲を聴いてみるべきではないか。ぼくでもCDは用意してある(名盤趣味はないので,世に出ているCDならどれでもいいと思っている)。聴こうと思えばいつでも聴ける。
 っていうか,何度かは聴いてもいる。のだけれども,交響曲を聴く回数に比べたら,圧倒的に少ない。

● かくてはならじというわけで,その世界に踏み込めるようになるきっかけは逃さないようにしたい。CDがきっかけになることはあまりないと思うので,生で聴ける機会をできるだけ捉えていくようにしたい。
 地方にいるとなかなかその機会がない。というのは,ためにする言い訳であって,じつはそうでもない。けっこうあるのだ。が,スルーしてしまうのだ。なぜなら敷居が高いから・・・・・・という循環だ。
 その循環から抜けださないといけないわけなんだが。

● で,今日はたまたまこの演奏会を見つけたので,やってきたわけだ。モーツァルトの弦楽四重奏曲のうち,ハイドン・セットと呼ばれる6曲(第14番~19番)を続けて演奏する。
 ところで,この演奏会の主催者は誰なのか,プログラムにも詳しい紹介はない(なくてもいいのだが)。ネットをググってみると,「異素材コラボレーション(室内楽)」という名称の任意団体があって,「アマチュアでの室内楽,特に「弦楽四重奏曲」の向上,普及を目指しているプロジェクトです。コンサートごとに「テーマの作曲家」を決め,その作曲家の作品を3~6曲マラソン形式&対バン形式で,年に数回,不定期に開催しています」とあった。「異素材コラボレーション(室内楽)」というのは,そのプロジェクトを指す名称なのかもしれない。

● 今回も,一人で来ている男性の高年者が増えたなという印象を持った。自分もその一人であるゆえに,これはけっこうなことだとまずは思うんだけども,彼らの中には,演奏が始まるやいなや寝る体勢に入る者がいる。
 さすがに,何しに来たんだ,おまえ,と言いたくなる。何しにって,寝に来たんだよ,というのは,回答として成立する。が,だったら前に行くな,後ろの方が寝やすいだろ,と言いたいやね。

● 中学生だった頃,音楽の授業でレコード鑑賞になると決まって寝るやつがいた。当時,わが家にはステレオもレコードプレーヤーもなかったから,機械を見る楽しみもあって,ぼくは寝ないで過ごしていたんだけど,寝るやつの気持ちは理解できた。
 しかし,だ。さすがにこの年齢になれば,中学生の延長ではすまないぞ。しかも,学校の授業はこちらの都合や体調にお構いなく,向こうからドカドカとやってくるものだが,コンサートはそうじゃない。こちらから出かけていくのだ。

● と言ったうえでの話になるんだけども,弦楽四重奏曲は入眠剤として大変優れた効果を持つものだ。そこがつまり,“聴く側も試される”というところで,ここで神経が静かに興奮するかどうかなんだよね。
 では,そういうおまえはどうだったのだ? 3時間半の演奏になった。この間ずっと聴く態勢を持続することは,ぼくにはできなかった。しょうがないと思う。

● 全6曲のうち,4番目に登場したユニットが,最も印象に残った。男性の1st.Vnがほど良く引っぱっていた感じ。グイグイではなくて。
 総体としてバランスが良いと感じた。あんまりバランスが良すぎると,伸びしろがないという印象にもなるんだけど。

● 次は2月にハイドンを取りあげるらしい。耳に覚えのある人は出かけるとよいと思う。
 ただし,その日は同じ会場の大ホールで「第九」が演奏される。初心者(?)は「第九」に行っちゃうよね。ぼくも行くとすれば,たぶんそっちだ。

2019年1月15日火曜日

2019.01.13 港北区民交響楽団 第63回定期演奏会

横浜みなとみらいホール 大ホール

● この楽団の演奏を聴くのは,今回が初めて。開演は14時。入場無料。
 ただし,演奏会のチラシ(コピーでも可。スマホにダウンロードしたものでもよい)を見せることが条件とある。何故あってと思わぬでもない。
 ぼくはスマホにチラシ画像をダウンロードしておいたが,会場でチラシを配っていた。それをもらって受付で見せた。

● 曲目は次のとおり。指揮は冨平恭平さん。
 シューベルト 「ロザムンデ」序曲
 ブルックナー 交響曲第7番 ホ長調(ハース版)

● ブルックナーの「版」問題については,ぼくはもう追うのを諦めている。曲によっては原典版が複数あったりするのじゃないか。
 そんなこと(自作の書き直し)をしなければ,ブルックナーはもっと多くの交響曲を作曲できていたのではないかという意見がある。そうなのだろうと思う。そうなっていれば,今のぼくらが享受できる楽曲がもっと増えていたことになる。
 が,そういうことを言いだしてしまうと,バッハやシューベルトが作った曲の中に,失われてしまったものがどれほどあるかを嘆く方が先ではないかってことになる。

● 登場した楽員を見ての第一印象は,平均年齢が高いということ。年齢のバラツキが大きいと言った方がいいのか。
 仕事をしながら,あるいは家庭を持ちながら,楽器も続けて,年に1回か2回,ステージに立って交響曲や協奏曲を演奏して,聴衆に披露する。ということを,しかし,50歳になっても60歳になっても続ける人はそんなに多くはないようだ。
 この楽団にはその多くはない人たちがけっこうな数,いる。続けやすい雰囲気があるんだろうか。

● で,その演奏を聴きながら思った。音を奏でるのが好きな人たちがこんなにいるのかということ。何か奇妙な感慨のようなものが湧いてきた。
 首都圏に限った話ではあるのだけれど,いくつあるのか数える気にもならないほどに多くのアマチュアオーケストラが存在する。それほどに音を奏でるのが好きな人たちが多いのだという,奇妙な感慨。
 そのおかげで,生の演奏に接することができるのだ。それが原点だった。その演奏に対して偉そうに何かを語るのは,ぼくの役柄ではなかった。

● 有料にすると客足が落ちると考えているのだろうか。1,000円とか1,500円とか取ってもいいような気がしたが。手間が増えるほどの見返りはないんだろうか。
 オケ専のような告知サイトを見て,入場無料となっていると,技術はイマイチなのかと勘ぐってしまう向きもあると思うのだが。

● でね,第3楽章におけるティンパニは特に見応えがあったぞ。場所的に目立つのでね。思いっきり演技(?)のしがいがある位置だよなぁ。
 だったら,はじけないとウソだ。見せつけないとね。

● ブルックナーの演奏前に冨平さんの解説があった。嫌われる作曲家のアンケートを採ると,トップに君臨するのがブルックナーで,なぜ嫌われるのかといえば,理由は3つあるという話。
 第1に長い。第2に目立つメロディーがない。第3に物語性がない。第3に関しては,ブルックナーが亡くなったときに本は1冊もなかったらしく,曲に物語を与えることなどハナから考えていなかったというのだが,このエピソードは本当なんだろうか。

● 一方で,ブルックナー・フリークもいる。非常に数は少ないだろうけれども,ベートーヴェンが嫌いだという人もいるだろう(モーツァルトが嫌いな人は,たぶん,いないだろうけど)。
 長いからイヤだといっても,マーラーはOKな人もいるはずだ。なかなかに厄介だ。ロマン派以降の作曲家はとかく好き嫌いが大きくなる。
 おまえはどうなのだと言われると,嫌いな作曲家はいないというのが答え。モーツァルトとベートーヴェンとブラームスがいれば他はいなくてもいいかな,と思うことは時々あるけど。

2019.01.05 JR東日本交響楽団 第27回定期演奏会

すみだトリフォニーホール 大ホール

● 今年の聴き初めはこの楽団の定期演奏会になった。2011年以来,3回目の拝聴になる。
 今日は東京のロイヤルパークホテルに泊まる。ので,ならば東京でやっている演奏会はないかと“オケ専”の“演奏会カレンダー”を確認したところ,これを発見したというわけだった。
 錦糸町からなら地下鉄1本でホテルに入れるから好都合だ。という,不純な動機で出かけたもの。ぶっちゃけ,偶然というか。

● 開演は13時30分開演。入場無料。
 ただし,整理券が必要だとある。当日,残席があれば12時から会場で配布するとあった。ので,12時前に開場着。無事,整理券をゲット。
 それをするなら有料のチケット制にしてしまえばいいのにとも思うんだけど,そのあたりはいろんな事情があるに違いない。運営側が最善解を求めて試行錯誤しているのだろう。

● 曲目は次のとおり。指揮は小泉智彦さん。
 ムソルグスキー 交響詩「禿山の一夜」
 ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調
 ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 ニ短調
 呆れるほどの超ヘビー級。あまり無理するなと言いたくなった。

● それにこうも思う。まだ松の内が明けていないのに,コンサートをやるというのは,正月をつぶすということでもあるだろう。そこまでせんでも,という。
 実際のところは,松の内などという概念(?)はとっくに過去のものになっているだろうし,正月は休むものというのもどこの国の話だとなっている。コンビニのすべてとスーパーのほとんどは,元日だって休まないのだから。
 それより何より,JRは凡盆も正月も無関係な事業体だ。というより,この時期はかき入れ時だ。 
 だから,「そこまでせんでも」というのは,かなり時代がかった感想なのではある。

● 大晦日に「ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会2018」を聴いていて,さすがにその印象がまだ冷めやらない。
 比較するものではないし,比較してはいけないものだ,ということはわかっている。わかっているんだけれども,脳が勝手に対比する作業を始めてしまう。

● 逆に,ショスタコーヴィチは比較対象がないので没入することができた。
 何が言いたいのかというと,前に聴いた演奏会は速やかに忘れるべし。

● 場内はほぼ満席に近い状態。休憩時間に他のお客さんの話を聞いていたら,今日はここの他には葛飾でチャイコフスキーの演奏会があるだけらしかった。
 本当にその2つだけなのかどうかは知らないけれども,クラシック音楽なら何でもいいから聴きたいというお客さんがドッと集まった,ということはあるのかもしれない。

● で,客席を見ていて,最近感じることがある。こういうのって若よりも老が多いのは人口構成と身辺状況の然らしめるところだとしても,老の中の男女比に変化が見られる。つまり,男性が増えてきたような気がする。
 ひとりで来ている爺さんが多くなった。ぼくもその中のひとりなのだけども,その理由を測りかねている。

● コンサートにしろ観劇にしろ,外に出るのはもっぱら女性だと決めつけていたんだけどねぇ。男性も外に出るようになってきたんだろうかねぇ。
 オーケストラの演奏は,その契機として恰好なのだろうか。座っていればいいんだから。音が勝手に客席に飛びこんでくるんだから。文化・教養なるものに触れているという満足感もそこそこ与えてくれるだろう。

● しかも,日本はアマチュアオーケストラが多いから,無料か安い料金で生演奏を聴くことができる。
 そして,ここが大事なところだけれども,安かろう悪かろうというのは数からいえば少ない。多くは聴くに値する演奏を提供している。