鹿沼市民文化センター 大ホール
● この催事を知ったのは9月16日の鹿沼フィルハーモニー管弦楽団の定演を聴きに行ったとき。「第九」の全楽章を演奏するらしい。ソプラノは鹿沼出身の大貫裕子さん。
入場無料だが整理券が必要。ということは,かなりの聴衆が集まるのだろう。鹿沼市民の鹿沼市民による鹿沼市民のための催事なのだろう。
となれば,部外者は遠慮しておくのが吉だろう。整理券を取るために鹿沼まで往復するのも億劫だ。
● と思って静観するつもりだったんだけど,惹かれるものがあった。惹かれるものがあるのであれば,そこに素直になった方がいいだろう。
というわけで,某日,整理券を取りに鹿沼に行ってきた。鹿沼市立図書館でもらってきましたよ。もちろん,1枚だけね。
● わざわざ取りに行かなくても,当日も整理券を配布しているのではないかとも思った。のだけど,これは事前に取っておいて正解だった。
当日,整理券を配布している様子はなかったし,会場はほぼ満席だった。空いている席もなくはなかったけれども,整理券は取ったものの都合で来れなくなった人がいるのだなと思う程度の空席しかなかった。
● 開演は午後1時半。内容は2部構成で,「第九」は第2部。大貫裕子さんのソプラノで「第九」を聴けますよ,と。しかも,無料でね。鹿沼市民でもないのに申しわけない。
聴衆のごく一部に,どうしようもないのがいた。が,部外者の自分がそれに対してどうこう言う筋合いはない。筋合いがないというか,その資格がない。そのまま受けとめておく。
● 管弦楽のメンバーの多くはジュニアオケの団員かと思われる。鹿沼西中と東中に管弦楽部があることの効用は絶大で,それなしにこの「第九」は成立しない。
加えて,高校生や中学生が「第九」を演奏することにも少し驚く。少ししか驚かないのは,ジュニアの定演でこれまで演奏してきた曲目を知っているからだ。マーラーやブルックナーをやってのけるのだから,「第九」をやっても不思議はない。
● 緊張感がピンと張りつめた見事な「第九」だった。中でも第2楽章の木管(特にフルート)の歯切れの良さと,緩徐楽章のヴィオラの艶っぽさ。
第4楽章の,あの有名な旋律をチェロ・コントラバス→ヴィオラ→ヴァイオリンと受け渡し,最後は管弦楽全体で歌いあげるところが,この曲の第一のハイライトかと思うんだけど,そこもスムーズ。
中小の事故はあった。が,それなしに「第九」を渡りきったアマチュアオーケストラの演奏をまだ聴いたことがない。仕方がない。いや,本当にこれは仕方がないのだと思う。
● 指揮者からすると,「第九」で最も表現に気を遣うのは緩徐楽章ではないかと思っている。ちょっと気を抜くと散らかりやすい。散漫になる。
木管が歌わなければ話にならないのだが,かといって響かせすぎは致命傷だ。どこまでの音量にとどめおくか。あまたの先例が録音されてはいるものの,現場では悩むことになるのではないか。
奏者も何度も「第九」を経験しているわけではない。初めての人もいるだろう。加減の仕方を経験的にわかっているわけではないだろう。
● つまり,ですね。ん???と思ったところもあって,それは緩徐楽章に集中していた。聞こえすぎもあったし,逆にちょっと萎縮しちゃったかなと思うところもあって。
“緩徐”の演奏はそもそもが難しいのだろうけど。ぼくには聞こえすぎでも,いやあれくらいがちょうどいいと思う人もいるだろうし。考えだすとキリがない。
● その指揮は益子和巳さん。東中オーケストラ部の顧問の先生。最も異論の出ない人選だと思うのだが,この人,教師としての仕事の他に,ジュニアオケの指導やこうした催事にもかりだされて,尋常ならざる活躍ぶり。
たぶん,大学で指揮法を習ったわけではないと思う。自己流で身につけたものだろう。暗譜で振っていた。ぼく一個は暗譜がいいとも思わないのだが,うぅん,尋常ならざる精進ぶりだな。おろらく,本人はそうは思っていないと思うんだが。
● ソリストと合唱団は第4楽章の前に登壇。最初からいるのが一番いい。のだが,それはなかなか。第3楽章の前に入るパターンが多いんだろうか。
第3楽章から第4楽章へは間をおかず,アタッカ気味に入ってもらうのが,自分としては好みだ。対照の妙というか,唐突な変化というか,何が起きたのだという驚きというか,そういうものを味わいたい。だから,第3楽章の前には登壇していてもらいたいのだけど。
● ともあれ,第4楽章。管弦楽の舞踊を経て,バリトンが一段落してから,ソリスト4人が立って,“さて,アテナイ人諸君,君たちが私の告発者たちによって・・・・・・”と語りかけるところ(→ 嘘)で,少し涙腺が緩む。
「第九」が日本において年末の風物詩になった由縁はぼくの知るところではないし,「第九」も数ある管弦楽曲のひとつに過ぎないと思おうとするんだけど,やはり「第九」は特別なのかもしれない。どんな由縁であるにせよ,毎年,年末になると日本のソチコチで演奏されるのは,「第九」だからこそ,か。
● ソリスト陣は大貫さんのほか,城守香(アルト),安藤純(テノール),坂寄和臣(バリトン)の4人。今回のこの催しは市制70周年記念という冠がつく。それゆえの豪華布陣だったかもしれない。
その豪華布陣で客席も盛りあがった。半日つぶして整理券を取りに行ってよかった。
約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2018年11月19日月曜日
2018年7月20日金曜日
2018.07.16 第4回オーケストラフェスティバル in 鹿沼
鹿沼市民文化センター 大ホール
● 3年前に続いて2回めの拝聴。開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。
● 登場する団体は,鹿沼市立西中学校管弦楽部,東中学校オーケストラ部,鹿沼高校音楽部管弦楽団,鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラ,鹿沼フィルハーモニー管弦楽団の5つ。それぞれが演奏したあとに,大編成の合同演奏がある。
鹿沼ジュニアフィルは,西中,東中,鹿沼高校のメンバーが主要な構成員だろうから,中学生,高校生の中には出ずっぱりに近い人がいるだろう。
● 鹿沼のような地方の小都市でこういう催しができるのは,西中と東中に管弦楽の部活があるからだ。どういうわけで,この両校に管弦楽部ができたのかは知らないけれど,できたことよりも,それが現在まで継続していることがすごい。
鹿沼にもともとそうした風土があったとは考えにくい。起爆剤になった人がいて,いくつかの偶然が重なって現在に至っているに違いないのだけれども,いったん軌道ができれば,諸々のストックが溜まっていく。おそらくそれは,鹿沼市の無形財産のひとつになっているのだろうと想像してみる(なかなかそういう綺麗事ではすまないのだろうけどね)。
● まずは西中学校管弦楽部。ヨハン・シュトラウスの喜歌劇「こうもり」序曲。
中学生をなめてはいけないということ。クラシック音楽を代表する楽曲をここまで形にできるのだ。楽器を始めて間もない生徒が多いと思えた。それでも,ここまではできるのだ。
これ以上はできないというラインははるか上にある。したがって,まだまだ上達できる。
東中の益子先生が指揮をしていたのだが,ひょっとして彼は西中に異動になったんだろうか。
● 鹿沼高校音楽部管弦楽団。「アルルの女」第2組曲から2曲。“ファランドール”は音が割れないだけでもたいしたものだと,ぼくなんぞは思ってしまう。ミスるまいと守りに入らず,向かっていってるのが素晴らしい。
実力は相当なもので,大人の演奏に近い。基本,オーケストラは大人が演奏するものだと思う。作曲家の意図を汲むとか,作曲された当時の時代背景を考えるとか,その他いわゆる解釈と呼ばれる細かい作業は,大人の領分に属するものかと思っている。
が,できあがる演奏は少年少女が大人を超えることがある。艶っぽさというのか色気というのか,ゾクッとするなまめかしさが載っていることがある。
● 東中学校オーケストラ部。ストラヴィンスキー「火の鳥」から“魔王カスチェイの凶悪な踊り”と“終局”。
東中は例年,「火の鳥」を取りあげている。中学生がストラヴィンスキーをやるというのもなかなかねぇ。とんでもない難物だと思うのだが。その難物をここまで仕上げてくるのには,いつもながら驚かされる。
● 鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラ。6月の定演で演奏したサン=サーンスの第3番の後半部を。
最初からやる場合と,こういうふうに途中から入る場合とでは,気持ちの持って行き方に違いがあるんだろうかね。案外,そうでもないものなんだろうか。
● 鹿沼フィルハーモニー管弦楽団。ブラームスの4番の第1楽章。
ブラームスの作品はどれもそうだと思うんだけど,密度がすごいというかねぇ。ギュッと中身が詰まっているというか。
第1楽章だけで4つの楽章分の質量がある。これを聴いただけでグッタリと疲れてしまった。
● 休憩後,合同演奏。ボロディン「ダッタン人の踊り」とチャイコフスキーの第5番第4楽章。
アンコールは「ラデツキー行進曲」。3年前も同じだった記憶があるのだが,違っているかもしれない。
● 昨年は8月に開催される,鹿沼高校,西中,東中の定期演奏会をすべて聴くことができた。が,今年はどうやら無理っぽい(聴けるといいのだが)。
ので,抜粋ながらまとめて聴ける今日の機会を逸したくなかったっていうかね。帰りは,鹿沼駅に着く前に夕立に遇ってしまって,あまりありがたくない体験をすることになったんだけど。
● 3年前に続いて2回めの拝聴。開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。
● 登場する団体は,鹿沼市立西中学校管弦楽部,東中学校オーケストラ部,鹿沼高校音楽部管弦楽団,鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラ,鹿沼フィルハーモニー管弦楽団の5つ。それぞれが演奏したあとに,大編成の合同演奏がある。
鹿沼ジュニアフィルは,西中,東中,鹿沼高校のメンバーが主要な構成員だろうから,中学生,高校生の中には出ずっぱりに近い人がいるだろう。
● 鹿沼のような地方の小都市でこういう催しができるのは,西中と東中に管弦楽の部活があるからだ。どういうわけで,この両校に管弦楽部ができたのかは知らないけれど,できたことよりも,それが現在まで継続していることがすごい。
鹿沼にもともとそうした風土があったとは考えにくい。起爆剤になった人がいて,いくつかの偶然が重なって現在に至っているに違いないのだけれども,いったん軌道ができれば,諸々のストックが溜まっていく。おそらくそれは,鹿沼市の無形財産のひとつになっているのだろうと想像してみる(なかなかそういう綺麗事ではすまないのだろうけどね)。
● まずは西中学校管弦楽部。ヨハン・シュトラウスの喜歌劇「こうもり」序曲。
中学生をなめてはいけないということ。クラシック音楽を代表する楽曲をここまで形にできるのだ。楽器を始めて間もない生徒が多いと思えた。それでも,ここまではできるのだ。
これ以上はできないというラインははるか上にある。したがって,まだまだ上達できる。
東中の益子先生が指揮をしていたのだが,ひょっとして彼は西中に異動になったんだろうか。
● 鹿沼高校音楽部管弦楽団。「アルルの女」第2組曲から2曲。“ファランドール”は音が割れないだけでもたいしたものだと,ぼくなんぞは思ってしまう。ミスるまいと守りに入らず,向かっていってるのが素晴らしい。
実力は相当なもので,大人の演奏に近い。基本,オーケストラは大人が演奏するものだと思う。作曲家の意図を汲むとか,作曲された当時の時代背景を考えるとか,その他いわゆる解釈と呼ばれる細かい作業は,大人の領分に属するものかと思っている。
が,できあがる演奏は少年少女が大人を超えることがある。艶っぽさというのか色気というのか,ゾクッとするなまめかしさが載っていることがある。
● 東中学校オーケストラ部。ストラヴィンスキー「火の鳥」から“魔王カスチェイの凶悪な踊り”と“終局”。
東中は例年,「火の鳥」を取りあげている。中学生がストラヴィンスキーをやるというのもなかなかねぇ。とんでもない難物だと思うのだが。その難物をここまで仕上げてくるのには,いつもながら驚かされる。
● 鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラ。6月の定演で演奏したサン=サーンスの第3番の後半部を。
最初からやる場合と,こういうふうに途中から入る場合とでは,気持ちの持って行き方に違いがあるんだろうかね。案外,そうでもないものなんだろうか。
● 鹿沼フィルハーモニー管弦楽団。ブラームスの4番の第1楽章。
ブラームスの作品はどれもそうだと思うんだけど,密度がすごいというかねぇ。ギュッと中身が詰まっているというか。
第1楽章だけで4つの楽章分の質量がある。これを聴いただけでグッタリと疲れてしまった。
● 休憩後,合同演奏。ボロディン「ダッタン人の踊り」とチャイコフスキーの第5番第4楽章。
アンコールは「ラデツキー行進曲」。3年前も同じだった記憶があるのだが,違っているかもしれない。
● 昨年は8月に開催される,鹿沼高校,西中,東中の定期演奏会をすべて聴くことができた。が,今年はどうやら無理っぽい(聴けるといいのだが)。
ので,抜粋ながらまとめて聴ける今日の機会を逸したくなかったっていうかね。帰りは,鹿沼駅に着く前に夕立に遇ってしまって,あまりありがたくない体験をすることになったんだけど。
2017年8月17日木曜日
2017.08.12 鹿沼市立東中学校オーケストラ部 第18回定期演奏会
鹿沼市民文化センター 大ホール
● 第14回,15回,17回と聴いている。今回は4回目になる。だから,レベルの高さはわかっている。全国でもトップ水準にあることも知っている。
知りたいのはその理由だ。
● 小学生のうちから楽器をやっている子を集めている,というわけではない。公立の中学校なんだから,そんなことはできるはずもない。その前に,楽器をやっている小学生がオーケストラが成立するほどに多くいるとは思えない。
才能のある子をスカウトしているというのも,同じ理由であり得ない。
● 才能や経験に差がないのだとすれば,考えられる理由は2つしかない。ひとつは教授法が優れていること。もうひとつは,練習の質と量が他校に勝っていること。
しかし,斬新な教授法が存在するとも思えない。泥臭いやり方以外のやり方は,たぶんない。
唯一,考えられるのは,顧問の先生の熱が高いという可能性だ。熱に生徒が吸い寄せられる,四の五の言わずに言われたとおりに練習する,そういう可能性。
それでも,理由としてはまったく足りない。つまり,わからない。
● 場の磁力のようなものがあるのかもしれない。長年の間に全国を狙える場ができていて,そこに集ったメンバーを底上げするといったような。
場の力は間違いなくある。まるで関係のない例になるけれども,栃木県内だと高級旅館,ホテルは那須にしかない。「山楽」しかり,「二期倶楽部」しかり(ちなみに,ぼくはどちらにも行ったことがないのだが)。
近くに御用邸を抱えるからだ。しかし,御用邸がなぜ那須のあの場所にできたのか。場の力だとしか言いようがない。
● 旅館にしてもホテルにしても,“高級”は単体では成立しない。贅を尽くした建物を作り,いい食材を仕入れ,腕利きの料理人を雇い,スタッフにも細かく研修をほどこす。
それだけでは,おそらく,“高級”はできない。そういうこととは別の何かが要る。その何かとは何か。場の力だと考えるよりほかにない。
● そうした場というのが,この中学校にもあるんだろうか。
地面の「場」なら,多少の災害や景観の変化があっても持続しそうだ。が,人を育てる「場」はそういうわけにはいかないだろう。少し油断すると,崩れ始める。脆いものだろう。
その場を持続的に「場」たらしめているものがあるはずだ。だから,場の力だと言っただけでは答えになっていない。
● さて。観念の遊戯は以上で終わり。
開演は午後2時。入場無料。プログラムは前半が,金管,木管,弦のアンサンブル。後半が全体(オーケストラ)の演奏。
● まず,金管。
管弦楽の場合,旋律を奏でるのはどうしたって弦になるわけで,金管はバックに控えて,盛りあげ役を担当するものというイメージがある。ベートーヴェンの5番では,トロンボーンなんか4楽章まで放っておかれるし。かといって,ラッパなしで管弦楽は成立しようもないんだけど。
もう少し,金管とはこういうものだっていうのを知りたいと思うことがある。ときどき,吹奏楽を聴きにいくのは,そんな理由もあるのかなと自分で思っている。
● 曲目は次のとおり。
宮川泰 宇宙戦艦ヤマト
ロジャーズ 私のお気に入り
福島弘和 てぃーちてぃーる
● 初めて聴いた「てぃーちてぃーる」が,やはり印象に残った。金管8重奏。「沖縄民謡をジャズ調にした楽曲」らしい。「てぃーち」はひとつという意味で,「てぃーる」は手提げのカゴやざるのこと。
が,あまりジャズっぽさは感じなかった。万華鏡を覗いているような,次々に景観が変わっていく様,表情の変化が印象的だ(それをジャズっぽさというのか)。
● 次が木管アンサンブル。曲目は次のとおり。
ダンツィ 木管五重奏曲より第1楽章
ヒンデミット 小室内楽曲より第4,5楽章
久石譲 となりのトトロ
● う~む,この演奏を中学生がやっているとは,どうにも信じがたい。信じがたいといったって,現に目の前で演じられているわけだから,こちらのモノサシを替えるしかないわけだが。
レガートという言葉を思いだす。なめらかに,という。そのレガートを実際の演奏に翻訳すればこうなる。
誰でも知っている(聴いたことのある)「となりのトトロ」のような曲で,それが如実にわかる。
● ただ,この曲に合わせて歌いだしちゃった男の子がいてね。しょうがない,これは屋内運動会でもある。
演奏する側とすれば,乗ってくれて逆に嬉しいかもしれないしね。
● 弦楽合奏。ヴィヴァルディの「四季」から「春」と「秋」のそれぞれ第1楽章。チャイコフスキー「弦楽セレナーデ」の第2,4楽章。
このレベルの高さは,中学生という枠を外しても,県内屈指といっていいだろう。
● 技術的な正確さに加えて,(使いたくない言葉だが)芸術性が乗っている。
芸術性というのは恣意的に使われるしかない言葉でしょ。あまり頭の良くない人が思考停止になったときに使う語彙だと心得ている。
だから,何とか別の言葉で言い換えてみたいんだけど,まず,楽譜を読み込んでいるように思われる。楽譜の細部を拾っているといいますか。
拾った結果を自分に引きつけている。あるいは,自分を通過させて濾過している。それを音に換えている。
● 以上を要するに,解釈がしっかりしている。解釈というのは,豊富な人生経験を積まないとできないものではないらしい。
人情の機微がわかり,男女の情愛も経験し,酸いも甘いもかみわけ,見るべきほどのものは見つ,というバックグラウンドは必ずしも必要ないようだ。中学生のこの演奏を聴いていると,そう思わざるを得ない。
多くの楽曲については,すでに解釈が確立していて,その確立されているものを再現すればいいということなのかもしれないけれど。
● 休憩をはさんで,後半はオーケストラ。
ワーグナー 楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」より第1幕への前奏曲
チャイコフスキー 組曲「眠れる森の美女」より「ワルツ」
ファリャ バレエ音楽「三角帽子」より「粉屋の踊り」「終幕の踊り」
ホルスト 組曲「惑星」より「木星」
● 第1音でワーグナーの世界を彷彿させる。あとは曲についていくだけ,って感じ。ぼく程度の聴き手がああだこうだと言う話ではない。
1stヴァイオリンはツートップ。最初にコンマスを務めた男子生徒のただ者ではない感が好ましい。熱でオケを引っぱる。
対して,後半にコンミスを務めた女子生徒は理で引っぱる。もちろん,以上は象徴的に言えばという話である。
● これ以上アレコレと申しあげるのは無礼であろうから,駄弁を弄するのは以上にとどめる。
これで6日の鹿沼高校,昨日の西中学校と続いた,“鹿沼3部作”のすべてを聴けたことになる。こんなことは数年に一度あるかないかだろう。
● 第14回,15回,17回と聴いている。今回は4回目になる。だから,レベルの高さはわかっている。全国でもトップ水準にあることも知っている。
知りたいのはその理由だ。
● 小学生のうちから楽器をやっている子を集めている,というわけではない。公立の中学校なんだから,そんなことはできるはずもない。その前に,楽器をやっている小学生がオーケストラが成立するほどに多くいるとは思えない。
才能のある子をスカウトしているというのも,同じ理由であり得ない。
● 才能や経験に差がないのだとすれば,考えられる理由は2つしかない。ひとつは教授法が優れていること。もうひとつは,練習の質と量が他校に勝っていること。
しかし,斬新な教授法が存在するとも思えない。泥臭いやり方以外のやり方は,たぶんない。
唯一,考えられるのは,顧問の先生の熱が高いという可能性だ。熱に生徒が吸い寄せられる,四の五の言わずに言われたとおりに練習する,そういう可能性。
それでも,理由としてはまったく足りない。つまり,わからない。
● 場の磁力のようなものがあるのかもしれない。長年の間に全国を狙える場ができていて,そこに集ったメンバーを底上げするといったような。
場の力は間違いなくある。まるで関係のない例になるけれども,栃木県内だと高級旅館,ホテルは那須にしかない。「山楽」しかり,「二期倶楽部」しかり(ちなみに,ぼくはどちらにも行ったことがないのだが)。
近くに御用邸を抱えるからだ。しかし,御用邸がなぜ那須のあの場所にできたのか。場の力だとしか言いようがない。
● 旅館にしてもホテルにしても,“高級”は単体では成立しない。贅を尽くした建物を作り,いい食材を仕入れ,腕利きの料理人を雇い,スタッフにも細かく研修をほどこす。
それだけでは,おそらく,“高級”はできない。そういうこととは別の何かが要る。その何かとは何か。場の力だと考えるよりほかにない。
● そうした場というのが,この中学校にもあるんだろうか。
地面の「場」なら,多少の災害や景観の変化があっても持続しそうだ。が,人を育てる「場」はそういうわけにはいかないだろう。少し油断すると,崩れ始める。脆いものだろう。
その場を持続的に「場」たらしめているものがあるはずだ。だから,場の力だと言っただけでは答えになっていない。
● さて。観念の遊戯は以上で終わり。
開演は午後2時。入場無料。プログラムは前半が,金管,木管,弦のアンサンブル。後半が全体(オーケストラ)の演奏。
● まず,金管。
管弦楽の場合,旋律を奏でるのはどうしたって弦になるわけで,金管はバックに控えて,盛りあげ役を担当するものというイメージがある。ベートーヴェンの5番では,トロンボーンなんか4楽章まで放っておかれるし。かといって,ラッパなしで管弦楽は成立しようもないんだけど。
もう少し,金管とはこういうものだっていうのを知りたいと思うことがある。ときどき,吹奏楽を聴きにいくのは,そんな理由もあるのかなと自分で思っている。
● 曲目は次のとおり。
宮川泰 宇宙戦艦ヤマト
ロジャーズ 私のお気に入り
福島弘和 てぃーちてぃーる
● 初めて聴いた「てぃーちてぃーる」が,やはり印象に残った。金管8重奏。「沖縄民謡をジャズ調にした楽曲」らしい。「てぃーち」はひとつという意味で,「てぃーる」は手提げのカゴやざるのこと。
が,あまりジャズっぽさは感じなかった。万華鏡を覗いているような,次々に景観が変わっていく様,表情の変化が印象的だ(それをジャズっぽさというのか)。
● 次が木管アンサンブル。曲目は次のとおり。
ダンツィ 木管五重奏曲より第1楽章
ヒンデミット 小室内楽曲より第4,5楽章
久石譲 となりのトトロ
● う~む,この演奏を中学生がやっているとは,どうにも信じがたい。信じがたいといったって,現に目の前で演じられているわけだから,こちらのモノサシを替えるしかないわけだが。
レガートという言葉を思いだす。なめらかに,という。そのレガートを実際の演奏に翻訳すればこうなる。
誰でも知っている(聴いたことのある)「となりのトトロ」のような曲で,それが如実にわかる。
● ただ,この曲に合わせて歌いだしちゃった男の子がいてね。しょうがない,これは屋内運動会でもある。
演奏する側とすれば,乗ってくれて逆に嬉しいかもしれないしね。
● 弦楽合奏。ヴィヴァルディの「四季」から「春」と「秋」のそれぞれ第1楽章。チャイコフスキー「弦楽セレナーデ」の第2,4楽章。
このレベルの高さは,中学生という枠を外しても,県内屈指といっていいだろう。
● 技術的な正確さに加えて,(使いたくない言葉だが)芸術性が乗っている。
芸術性というのは恣意的に使われるしかない言葉でしょ。あまり頭の良くない人が思考停止になったときに使う語彙だと心得ている。
だから,何とか別の言葉で言い換えてみたいんだけど,まず,楽譜を読み込んでいるように思われる。楽譜の細部を拾っているといいますか。
拾った結果を自分に引きつけている。あるいは,自分を通過させて濾過している。それを音に換えている。
● 以上を要するに,解釈がしっかりしている。解釈というのは,豊富な人生経験を積まないとできないものではないらしい。
人情の機微がわかり,男女の情愛も経験し,酸いも甘いもかみわけ,見るべきほどのものは見つ,というバックグラウンドは必ずしも必要ないようだ。中学生のこの演奏を聴いていると,そう思わざるを得ない。
多くの楽曲については,すでに解釈が確立していて,その確立されているものを再現すればいいということなのかもしれないけれど。
● 休憩をはさんで,後半はオーケストラ。
ワーグナー 楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」より第1幕への前奏曲
チャイコフスキー 組曲「眠れる森の美女」より「ワルツ」
ファリャ バレエ音楽「三角帽子」より「粉屋の踊り」「終幕の踊り」
ホルスト 組曲「惑星」より「木星」
● 第1音でワーグナーの世界を彷彿させる。あとは曲についていくだけ,って感じ。ぼく程度の聴き手がああだこうだと言う話ではない。
1stヴァイオリンはツートップ。最初にコンマスを務めた男子生徒のただ者ではない感が好ましい。熱でオケを引っぱる。
対して,後半にコンミスを務めた女子生徒は理で引っぱる。もちろん,以上は象徴的に言えばという話である。
● これ以上アレコレと申しあげるのは無礼であろうから,駄弁を弄するのは以上にとどめる。
これで6日の鹿沼高校,昨日の西中学校と続いた,“鹿沼3部作”のすべてを聴けたことになる。こんなことは数年に一度あるかないかだろう。
2016年8月13日土曜日
2016.08.12 鹿沼市立東中学校オーケストラ部第17回定期演奏会
鹿沼市民文化センター 大ホール
● 鹿沼東中の演奏会を初めて聴いたのは,3年前の第14回。あのときの清冽な驚きは,まだ記憶にとどまっている。
昨年の演奏会は平日開催だったこともあって,聴きに行くことができなかった。今回が3回目となる。
● で,今回も平日開催。平日開催で開演が午後5時というのは,聴く側としては,正直,きつい。
色々と難しい問題があるだろうことはわかる。中学生を遅くまで拘束することになる。保護者の要望もあるのかもしれない。先生方の労働時間のこともある。ひょっとすると,会場の都合もあったりするのかもしれない。
● とにかく,時間の都合をどうにかつけて,開演にギリギリ間に合った。プログラムは次のとおり。
金管アンサンブル
宮川泰 宇宙戦艦ヤマト
福島弘和 向日葵の咲く丘
ラングフォード 「ロンドンの小景」より第6楽章
木管アンサンブル
ヒンデミット 「小室内楽曲」より第5楽章
イベール 「3つの小品」より第1楽章
弦楽合奏
ヴィヴァルディ 「四季」より「春」第1楽章
チャイコフスキー 「弦楽セレナーデ」より第4楽章
オーケストラ
ワーグナー 歌劇「ローエングリン」より「第3幕への前奏曲」
R.シュトラウス ホルン協奏曲第1番より第1楽章
ホルスト 組曲「惑星」より「木星」
ファリャ バレエ音楽「三角帽子」より“3つの踊り”
● 過去の演奏会でも聴いたことのある曲がわりとある。これは仕方がないんでしょうね。
こういうシチュエーションに向いた代表的な曲というのがあるんでしょう。
● 後半のオーケストラの演奏はどれもすばらしかったけれども,ホルン協奏曲でソリストを務めた3年生の女子生徒はやはり大したものだったなぁ。
あの難しい楽器を中学生があそこまで自家薬籠中のものにできているっていうこと。
● 強弱のメリハリ,なめらかな音の連なり,ポンポンとスキップするように音を刻んでいく様。楽譜の指示するところに従って吹いているだけだといえば,それはそうなのだろうけど,従いたくてもなかなか従えないのが,むしろ普通のことだと思うのでね。
しまったというところもなくはなかったようだ。が,その原因も含めて,そこは本人が一番よくわかっているはずだ。いちいち指摘するには及ばない。
● 「木星」も説得力のある演奏になっていた。3年前もこの曲を演奏してて,やはり同じように感じたことを思いだした。
パートでいえば,ファゴットに注目。4人いて,全員が女子。姿が良くて,視線を惹きつけるものがあった。姿がいいのに演奏はダメということはないと,単純にぼくは思っている。当然,逆も真。
● 「三角帽子」も高水準の演奏になっていた。難易度の高い楽曲だと思う。それをここまで仕上げてくる実力には少々以上に恐れいる。
ホルン協奏曲でソリストを務めた女子生徒の短いソロがあって,ここでも魅せてくれた。
ホルンだけではない。トランペット,トロンボーンの金管陣,弦,木管,パーカッション,いずれもかなりの水準。
● 「三角帽子」はバレエ音楽だから,バレエのストーリーや場面があるわけだ。今回演奏した“3つの踊り”とは,近所の人たちの踊り,粉屋の踊り,粉ひき女の踊り。ぼくは不勉強で,“3つの踊り”がどういうシチュエーションで踊られるのものなのか知らない。
が,演奏している生徒たちは,そこをちゃんと踏まえたうえで,楽譜にそれぞれのイメージを付加して,演奏しているようにも思われた。
● プログラム冊子の部長あいさつによれば,「今年度は総勢70名と,例年に比べると少ない部員数です。そのほとんどが中学生になってから楽器を始めた初心者です」ということだ。
70名でも例年に比べれば少ないとなると,このオーケストラ部は東中学校で最も大所帯の部なのだろうし,東中学校を代表する部でもあるのだろう。
でもって,部員の大半が初心者。3年生でも楽器に触った期間は2年と少々ということか。それでこういう演奏ができるようになるのか。だとすれば,ぼくらは若さの前にひれ伏すしかないだろう。
● もうひとつ。男子部員がけっこういる。歌舞音曲は女のものという風潮は過去の遺物になったのか。まだ残っているのか。
だとしても,この中学校のオーケストラ部には男子がけっこうな数いる。女子の数分の1ではあるんだけれども,これだけいれば心強い。
ファーストヴァイオリンに,小柄な身体で大きく演奏する男子生徒がいて,数年後が楽しみだなと思った。
● 鹿沼東中の演奏会を初めて聴いたのは,3年前の第14回。あのときの清冽な驚きは,まだ記憶にとどまっている。
昨年の演奏会は平日開催だったこともあって,聴きに行くことができなかった。今回が3回目となる。
● で,今回も平日開催。平日開催で開演が午後5時というのは,聴く側としては,正直,きつい。
色々と難しい問題があるだろうことはわかる。中学生を遅くまで拘束することになる。保護者の要望もあるのかもしれない。先生方の労働時間のこともある。ひょっとすると,会場の都合もあったりするのかもしれない。
● とにかく,時間の都合をどうにかつけて,開演にギリギリ間に合った。プログラムは次のとおり。
金管アンサンブル
宮川泰 宇宙戦艦ヤマト
福島弘和 向日葵の咲く丘
ラングフォード 「ロンドンの小景」より第6楽章
木管アンサンブル
ヒンデミット 「小室内楽曲」より第5楽章
イベール 「3つの小品」より第1楽章
弦楽合奏
ヴィヴァルディ 「四季」より「春」第1楽章
チャイコフスキー 「弦楽セレナーデ」より第4楽章
オーケストラ
ワーグナー 歌劇「ローエングリン」より「第3幕への前奏曲」
R.シュトラウス ホルン協奏曲第1番より第1楽章
ホルスト 組曲「惑星」より「木星」
ファリャ バレエ音楽「三角帽子」より“3つの踊り”
● 過去の演奏会でも聴いたことのある曲がわりとある。これは仕方がないんでしょうね。
こういうシチュエーションに向いた代表的な曲というのがあるんでしょう。
● 後半のオーケストラの演奏はどれもすばらしかったけれども,ホルン協奏曲でソリストを務めた3年生の女子生徒はやはり大したものだったなぁ。
あの難しい楽器を中学生があそこまで自家薬籠中のものにできているっていうこと。
● 強弱のメリハリ,なめらかな音の連なり,ポンポンとスキップするように音を刻んでいく様。楽譜の指示するところに従って吹いているだけだといえば,それはそうなのだろうけど,従いたくてもなかなか従えないのが,むしろ普通のことだと思うのでね。
しまったというところもなくはなかったようだ。が,その原因も含めて,そこは本人が一番よくわかっているはずだ。いちいち指摘するには及ばない。
● 「木星」も説得力のある演奏になっていた。3年前もこの曲を演奏してて,やはり同じように感じたことを思いだした。
パートでいえば,ファゴットに注目。4人いて,全員が女子。姿が良くて,視線を惹きつけるものがあった。姿がいいのに演奏はダメということはないと,単純にぼくは思っている。当然,逆も真。
● 「三角帽子」も高水準の演奏になっていた。難易度の高い楽曲だと思う。それをここまで仕上げてくる実力には少々以上に恐れいる。
ホルン協奏曲でソリストを務めた女子生徒の短いソロがあって,ここでも魅せてくれた。
ホルンだけではない。トランペット,トロンボーンの金管陣,弦,木管,パーカッション,いずれもかなりの水準。
● 「三角帽子」はバレエ音楽だから,バレエのストーリーや場面があるわけだ。今回演奏した“3つの踊り”とは,近所の人たちの踊り,粉屋の踊り,粉ひき女の踊り。ぼくは不勉強で,“3つの踊り”がどういうシチュエーションで踊られるのものなのか知らない。
が,演奏している生徒たちは,そこをちゃんと踏まえたうえで,楽譜にそれぞれのイメージを付加して,演奏しているようにも思われた。
● プログラム冊子の部長あいさつによれば,「今年度は総勢70名と,例年に比べると少ない部員数です。そのほとんどが中学生になってから楽器を始めた初心者です」ということだ。
70名でも例年に比べれば少ないとなると,このオーケストラ部は東中学校で最も大所帯の部なのだろうし,東中学校を代表する部でもあるのだろう。
でもって,部員の大半が初心者。3年生でも楽器に触った期間は2年と少々ということか。それでこういう演奏ができるようになるのか。だとすれば,ぼくらは若さの前にひれ伏すしかないだろう。
● もうひとつ。男子部員がけっこういる。歌舞音曲は女のものという風潮は過去の遺物になったのか。まだ残っているのか。
だとしても,この中学校のオーケストラ部には男子がけっこうな数いる。女子の数分の1ではあるんだけれども,これだけいれば心強い。
ファーストヴァイオリンに,小柄な身体で大きく演奏する男子生徒がいて,数年後が楽しみだなと思った。
2015年7月22日水曜日
2015.07.20 オーケストラフェスティバル in 鹿沼
鹿沼市民文化センター 大ホール
● 鹿沼には中学校,高校に管弦楽部があり,ジュニアオケがあり,大人の鹿沼フィルがある。それらが一堂に会して一緒に演奏しましょう,という催し。
こういうことをやれるのは,宇都宮を除けば,栃木県では鹿沼だけだろう。
● というわけで,この日も暑かったけれども,出かけることにした。
鹿沼駅から会場まで,30分は歩くことになる。タクシーを使えるほど偉くないからね。
● 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。
宇都宮発13:02の日光線に乗って,会場に着いたのは開演10分前だった。
● まず,鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラ。グリーグ「ペールギュント組曲」から“朝”と“山の魔王の宮殿にて”。それと,シベリウスの2番の第4楽章。
指揮は益子和巳さん。東中学校の先生だ(と思う)。ジュニアオケの主力は東中学校なのかもしれない(そうではないのかもしれない)。
● 出だしのフルートに驚いた。驚いているうちにあっという間にシベリウスまで終了。
弦も安定している。もっとも舞台に近い列の,前から4番目に座っていた1stヴァイオリンの女子生徒の所作がきれいで,これも印象に残った。
もちろん,彼女のヴァイオリンが発する音を聞き分けることなどできるはずもないわけだけど。
● 次は鹿沼フィル。モーツァルトの「魔笛」序曲。ジュニアがこれだけの演奏をした後にやるのは,ちょっとやりづらくないかと心配をしたけれど,余計な心配だったようだ。
● 続いて,西中学校管弦楽部。先ほどのジュニアオケのメンバーが制服に着替えて登場した。
演奏したのは,ベートーヴェンの「エグモント序曲」。こういう曲を中学生がやるのかと思い,次にやれるんだなと思った。
● もちろん,いくつかの瑕疵は避けられないわけで,でもそうした瑕疵に接するとホッとするのは,どういうわけのものなのか。
この曲を中学生に完璧に演奏されたら,それこそこちらの中学生観が基礎から崩れてしまう,からか。
● 最後は,東中学校オーケストラ部。ファリャの「三角帽子」から“終幕の踊り”。これもまた難しい曲を持ってきたものだ。
その難しい曲をほぼ完璧に演奏しきった。技術の高さは特筆もの。技術なんだから有無を言わさない。厳然としてそこにあるわけだから。
● ハープとピアノが入る大編隊で,ハープもピアノも当然,生徒が担当する。東中の水準の高さはすでに承知している。
それでもなお,これほどの規模でこれだけ整った演奏ができるというのは驚きだ。
● 休憩後に,合同演奏。ここには鹿沼高校も加わっていたようだ。たぶん,ジュニアのメンバーにも高校生がいたのだろう。
合同となると,練習時間もそんなには取れないだろう。どうしても音が散ったり,逆に団子になったりするのではないか。息が合わなかったりもするんだろうし。
というわけで,ぼくとしては前半の個別の演奏が聴ければいいやと思っていた。合同演奏はイベントの華にはなるだろうけど,実際に聴いたらそんなに面白いものじゃないだろうな,と。
● 演奏したのはシベリウスの「フィンランディア」と,ホルストの「惑星」から“木星”。
鹿沼フィルの神永さんもオーボエを抱えてアシストに入っていた。要するにオールキャストだ。
指揮者(安藤純さん)の説明によると,このメンバーで練習できたのは前日のみとのこと。当然,そういうことになるだろう。
● ではあっても,盛りあがりはすごかった。ステージに高揚感があった。
コンマスは西中の男女生徒が交替で務めた。いい思い出になるのか,そうでもないのか。
● この日,日光では大雨に見舞われたらしい。鹿沼は猛暑,隣の日光は大雨。
● 鹿沼には中学校,高校に管弦楽部があり,ジュニアオケがあり,大人の鹿沼フィルがある。それらが一堂に会して一緒に演奏しましょう,という催し。
こういうことをやれるのは,宇都宮を除けば,栃木県では鹿沼だけだろう。
● というわけで,この日も暑かったけれども,出かけることにした。
鹿沼駅から会場まで,30分は歩くことになる。タクシーを使えるほど偉くないからね。
● 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。
宇都宮発13:02の日光線に乗って,会場に着いたのは開演10分前だった。
● まず,鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラ。グリーグ「ペールギュント組曲」から“朝”と“山の魔王の宮殿にて”。それと,シベリウスの2番の第4楽章。
指揮は益子和巳さん。東中学校の先生だ(と思う)。ジュニアオケの主力は東中学校なのかもしれない(そうではないのかもしれない)。
● 出だしのフルートに驚いた。驚いているうちにあっという間にシベリウスまで終了。
弦も安定している。もっとも舞台に近い列の,前から4番目に座っていた1stヴァイオリンの女子生徒の所作がきれいで,これも印象に残った。
もちろん,彼女のヴァイオリンが発する音を聞き分けることなどできるはずもないわけだけど。
● 次は鹿沼フィル。モーツァルトの「魔笛」序曲。ジュニアがこれだけの演奏をした後にやるのは,ちょっとやりづらくないかと心配をしたけれど,余計な心配だったようだ。
● 続いて,西中学校管弦楽部。先ほどのジュニアオケのメンバーが制服に着替えて登場した。
演奏したのは,ベートーヴェンの「エグモント序曲」。こういう曲を中学生がやるのかと思い,次にやれるんだなと思った。
● もちろん,いくつかの瑕疵は避けられないわけで,でもそうした瑕疵に接するとホッとするのは,どういうわけのものなのか。
この曲を中学生に完璧に演奏されたら,それこそこちらの中学生観が基礎から崩れてしまう,からか。
● 最後は,東中学校オーケストラ部。ファリャの「三角帽子」から“終幕の踊り”。これもまた難しい曲を持ってきたものだ。
その難しい曲をほぼ完璧に演奏しきった。技術の高さは特筆もの。技術なんだから有無を言わさない。厳然としてそこにあるわけだから。
● ハープとピアノが入る大編隊で,ハープもピアノも当然,生徒が担当する。東中の水準の高さはすでに承知している。
それでもなお,これほどの規模でこれだけ整った演奏ができるというのは驚きだ。
● 休憩後に,合同演奏。ここには鹿沼高校も加わっていたようだ。たぶん,ジュニアのメンバーにも高校生がいたのだろう。
合同となると,練習時間もそんなには取れないだろう。どうしても音が散ったり,逆に団子になったりするのではないか。息が合わなかったりもするんだろうし。
というわけで,ぼくとしては前半の個別の演奏が聴ければいいやと思っていた。合同演奏はイベントの華にはなるだろうけど,実際に聴いたらそんなに面白いものじゃないだろうな,と。
● 演奏したのはシベリウスの「フィンランディア」と,ホルストの「惑星」から“木星”。
鹿沼フィルの神永さんもオーボエを抱えてアシストに入っていた。要するにオールキャストだ。
指揮者(安藤純さん)の説明によると,このメンバーで練習できたのは前日のみとのこと。当然,そういうことになるだろう。
● ではあっても,盛りあがりはすごかった。ステージに高揚感があった。
コンマスは西中の男女生徒が交替で務めた。いい思い出になるのか,そうでもないのか。
● この日,日光では大雨に見舞われたらしい。鹿沼は猛暑,隣の日光は大雨。
2014年8月11日月曜日
2014.08.10 鹿沼市立東中学校オーケストラ部第15回定期演奏会
鹿沼市民文化センター 大ホール
● 昨年に続いて拝聴させていただくことにした。昨年は驚きの連続だった。驚きでもあったし,発見でもあった。中学生がここまでやれるのかっていう。
が,今回はそうではない。昨年の驚きは今年の驚きにはならない。すでに知ってしまったわけだから。たいていのことは想定の範囲内になってしまう。
そこがなぁ。毎回,同じことに驚けたらいいのになぁ。
● ぼくにも中学生だった時期が,当然だけど,あった。部活の経験も多少ながらある。そのわずかな経験から思うに,部風の伝承というのは,順繰りではないような気がしている。3年生の薫陶は,2年生ではなく,1年生に受け継がれる。
1コ上はけっこう話しづらいものだが,2コ離れているとスムーズに話ができる。1コ上とは反目しがちだ。ぼくはそうだった。可愛いのも1コ下より2コ下の後輩たちだったような。
だから何なんだっていわれると,べつに何でもないんだけど。
● ところで。この日は台風11号が西日本を縦断。ちょうど鹿沼駅に着いた頃に,雨足が強烈になった。傘をさしても5メートルも歩けば,びしょぬれになりそうだ。
どうしようか。タクシーで向かおうか。それとも,引き返そうか。
第一,この天気で催行するのかよ。ネットで確認した。のだが,中止とか延期とかっていうのは出ていない。ボーッと空を見ながら思案投首。
● そのうち,雨が弱くなった。よし今のうちに行ってやれ。スマホでベートーヴェンの「第九」を鳴らして,イヤホンで聴きながら歩きだした。
あとで知ったのだが,このときたぶん竜巻が発生したのだろう,鹿沼市内でも人家の屋根が持っていかれるという被害が発生していた。
● JR駅から鹿沼市民文化センターまではいつだって歩いて往復している。坂を下り,黒川を渡って市街に入り,今度はけやき坂をのぼっていく。約30分。
これほど変化のある散歩コースってちょっとないかもしれないと思うほど。
● ともあれ。着いてみれば,予定通りの催行。そりゃそうだ。開演は午後2時。入場無料。
ただ,そうはいっても天気は客足に影響する。前回に比べると,会場はだいぶ空いていた。
開演前にプログラムをザッと読む。3年連続で文部科学大臣奨励賞を受賞したことや,部員が80名もいることを知った。公立の中学校で80名の部員を擁しているってのはただ事じゃないように思える。この大本を支えているのは何なんだ。
● まずは金管アンサンブル。宇宙戦艦ヤマト,笑点のテーマ,ドラえもんメドレー,ルパン三世のテーマと続いて,最後はラングフォード「ロンドンの小景」から第5楽章と第6楽章。
ぼくはオーケストラをメインに聴いているので,金管もオーケストラにおける金管のイメージが強い。自分が主役になることはなく,もっぱら裏にまわって強弱をつけたりメリハリをつけたりという役回りに従事してるっていうイメージ。
金管に限らず管楽器は,吹奏楽の方がやってて面白いんじゃないかと思う。
● であればこそ,こうしたアンサンブルでは期するところがあるものなんでしょうね。ホルン,トランペット,トロンボーン,チューバとある中で,どれが主でどれが従ということはない。どの楽器が転けても全体が転ける。
そこを敢えていうと,トランペットのクリアな斬りこみが必須だと思っている。トランペットがクリアじゃなかったら,全体が切れない刀になる。
で,そのトランペットをはじめ,すべての楽器が役割を果たして,特に最後の「ロンドンの小景」は,これがアンサンブルだっていう見本のようなもの。お互いの音も充分に聴きあっていた。たぶん,彼らが一番演奏したかったのもこの曲なのだろう。
● 次は木管アンサンブル。まず,モーツァルト「木管五重奏曲 ハ短調」の第1楽章。ゆらゆらとモーツァルトが立ちあがってくる。たしかに今,モーツァルトを聴いているっていう,ね。
低音で合いの手をいれるファゴットが印象に残った。
● メンバーが交替して,次の4曲を演奏。
ミューラー 木管五重奏曲 ハ短調(抜粋)
久石 譲 海の見える街 君をのせて
ヘンデル 水上の音楽(抜粋)
最後の「水上の音楽」が特に記憶に残っている。とろけるような,と形容しておきたい。ゾクゾクした。セクシーさを感じた。
捌きが巧い。楽器の捌き。特にフルート。
● 弦楽合奏。ヴィヴァルディの「四季」から「夏」の第3楽章。各パートの精鋭を揃えたんだろうか。最低限の人数に抑えての小合奏。完成度が恐ろしく高い。さらに良くするために,どこをどう直せばいいのか。ぼくにはわからなかった。
人数が増えて,チャイコフスキー「弦楽セレナーデ」第4楽章。この学校の弦の水準の高さは,昨年聴いてよくわかったつもり。つもりなんだけれども,これだけの人数でここまで音が揃っているとは,やはり驚くしかない。
音が揃っているから濁らない。濁らないから聴きあきない。ずっと聴いていたいと思わせる。
● 休憩のあと,オーケストラ演奏。
チャイコフスキー 組曲「眠れる森の美女」よりワルツ
ワーグナー 歌劇「ローエングリン」より第3幕への前奏曲
ヨハン・シュトラウス 喜歌劇「こうもり」序曲
ストラヴィンスキー 組曲「火の鳥」より「カスチェイ王の踊り」「終曲」
チャイコフスキー 幻想序曲「ロミオとジュリエット」
● これだけ曲調が違うものを演奏しわけて,しかもそれぞれの世界がバーッとステージに立ちあがってくる。楽譜を機械的に音に翻訳してるんじゃなくて,解釈してるんでしょうね。楽譜を読み込んでいる(という気がした)。
おっかなびっくり音を出していないのがいい。正面から斬りこんでいく。それができるのは,それぞれ,腕に覚えがあるからなんだろう。
早い話が,並みじゃない。指揮者である顧問の先生の功績はもちろんあるのだと思うんだけどね。
● どの曲もCDでも生でも聴いている。でも,これほどストレートに届いてくる「ロミオとジュリエット」を聴いたことがあったかどうか。
出だしの,これから起こる悲劇を予告するかのような,クラリネットとファゴットによる暗鬱な調べ。そこからスッとステージに引きこまれた。
中学生が演奏しているとわかって聴いているから,そうなるのかもしれない。これが大人がやっていたら,まったく同じ演奏であったとしても,聴いているこちら側が同じ印象を持つかどうかはわからない。そこは踏まえておいた方がいいぞと,自分に言い聞かせながら聴いていた。
● 客席に届くもの。それを決めるのは技術じゃない。いや,そういうと演奏者に失礼だ。技術は充分に持ち合わせていると思えたから。しかし,何なんだろ。技術だけではない。
その「だけではない」部分を解明できるといいんだけど,どうもぼくには手に余る作業のようだ。
● 願わくば,メンデルスゾーンの3番でもドヴォルザークの8番でも,もちろんベートーヴェンでもブラームスでもチャイコフスキーでもいいんだけど,ひとつの交響曲を1楽章から4楽章まで通して聴かせてもらいたいと思った。
技術的には充分可能だろう。心配なのはスタミナだけか。でも,おそらく,この生徒たちならやってのけるだろう。やってのけたうえで,魅せてくれるだろう。
● 昨年に続いて拝聴させていただくことにした。昨年は驚きの連続だった。驚きでもあったし,発見でもあった。中学生がここまでやれるのかっていう。
が,今回はそうではない。昨年の驚きは今年の驚きにはならない。すでに知ってしまったわけだから。たいていのことは想定の範囲内になってしまう。
そこがなぁ。毎回,同じことに驚けたらいいのになぁ。
● ぼくにも中学生だった時期が,当然だけど,あった。部活の経験も多少ながらある。そのわずかな経験から思うに,部風の伝承というのは,順繰りではないような気がしている。3年生の薫陶は,2年生ではなく,1年生に受け継がれる。
1コ上はけっこう話しづらいものだが,2コ離れているとスムーズに話ができる。1コ上とは反目しがちだ。ぼくはそうだった。可愛いのも1コ下より2コ下の後輩たちだったような。
だから何なんだっていわれると,べつに何でもないんだけど。
● ところで。この日は台風11号が西日本を縦断。ちょうど鹿沼駅に着いた頃に,雨足が強烈になった。傘をさしても5メートルも歩けば,びしょぬれになりそうだ。
どうしようか。タクシーで向かおうか。それとも,引き返そうか。
第一,この天気で催行するのかよ。ネットで確認した。のだが,中止とか延期とかっていうのは出ていない。ボーッと空を見ながら思案投首。
● そのうち,雨が弱くなった。よし今のうちに行ってやれ。スマホでベートーヴェンの「第九」を鳴らして,イヤホンで聴きながら歩きだした。
あとで知ったのだが,このときたぶん竜巻が発生したのだろう,鹿沼市内でも人家の屋根が持っていかれるという被害が発生していた。
● JR駅から鹿沼市民文化センターまではいつだって歩いて往復している。坂を下り,黒川を渡って市街に入り,今度はけやき坂をのぼっていく。約30分。
これほど変化のある散歩コースってちょっとないかもしれないと思うほど。
● ともあれ。着いてみれば,予定通りの催行。そりゃそうだ。開演は午後2時。入場無料。
ただ,そうはいっても天気は客足に影響する。前回に比べると,会場はだいぶ空いていた。
開演前にプログラムをザッと読む。3年連続で文部科学大臣奨励賞を受賞したことや,部員が80名もいることを知った。公立の中学校で80名の部員を擁しているってのはただ事じゃないように思える。この大本を支えているのは何なんだ。
● まずは金管アンサンブル。宇宙戦艦ヤマト,笑点のテーマ,ドラえもんメドレー,ルパン三世のテーマと続いて,最後はラングフォード「ロンドンの小景」から第5楽章と第6楽章。
ぼくはオーケストラをメインに聴いているので,金管もオーケストラにおける金管のイメージが強い。自分が主役になることはなく,もっぱら裏にまわって強弱をつけたりメリハリをつけたりという役回りに従事してるっていうイメージ。
金管に限らず管楽器は,吹奏楽の方がやってて面白いんじゃないかと思う。
● であればこそ,こうしたアンサンブルでは期するところがあるものなんでしょうね。ホルン,トランペット,トロンボーン,チューバとある中で,どれが主でどれが従ということはない。どの楽器が転けても全体が転ける。
そこを敢えていうと,トランペットのクリアな斬りこみが必須だと思っている。トランペットがクリアじゃなかったら,全体が切れない刀になる。
で,そのトランペットをはじめ,すべての楽器が役割を果たして,特に最後の「ロンドンの小景」は,これがアンサンブルだっていう見本のようなもの。お互いの音も充分に聴きあっていた。たぶん,彼らが一番演奏したかったのもこの曲なのだろう。
● 次は木管アンサンブル。まず,モーツァルト「木管五重奏曲 ハ短調」の第1楽章。ゆらゆらとモーツァルトが立ちあがってくる。たしかに今,モーツァルトを聴いているっていう,ね。
低音で合いの手をいれるファゴットが印象に残った。
● メンバーが交替して,次の4曲を演奏。
ミューラー 木管五重奏曲 ハ短調(抜粋)
久石 譲 海の見える街 君をのせて
ヘンデル 水上の音楽(抜粋)
最後の「水上の音楽」が特に記憶に残っている。とろけるような,と形容しておきたい。ゾクゾクした。セクシーさを感じた。
捌きが巧い。楽器の捌き。特にフルート。
● 弦楽合奏。ヴィヴァルディの「四季」から「夏」の第3楽章。各パートの精鋭を揃えたんだろうか。最低限の人数に抑えての小合奏。完成度が恐ろしく高い。さらに良くするために,どこをどう直せばいいのか。ぼくにはわからなかった。
人数が増えて,チャイコフスキー「弦楽セレナーデ」第4楽章。この学校の弦の水準の高さは,昨年聴いてよくわかったつもり。つもりなんだけれども,これだけの人数でここまで音が揃っているとは,やはり驚くしかない。
音が揃っているから濁らない。濁らないから聴きあきない。ずっと聴いていたいと思わせる。
● 休憩のあと,オーケストラ演奏。
チャイコフスキー 組曲「眠れる森の美女」よりワルツ
ワーグナー 歌劇「ローエングリン」より第3幕への前奏曲
ヨハン・シュトラウス 喜歌劇「こうもり」序曲
ストラヴィンスキー 組曲「火の鳥」より「カスチェイ王の踊り」「終曲」
チャイコフスキー 幻想序曲「ロミオとジュリエット」
● これだけ曲調が違うものを演奏しわけて,しかもそれぞれの世界がバーッとステージに立ちあがってくる。楽譜を機械的に音に翻訳してるんじゃなくて,解釈してるんでしょうね。楽譜を読み込んでいる(という気がした)。
おっかなびっくり音を出していないのがいい。正面から斬りこんでいく。それができるのは,それぞれ,腕に覚えがあるからなんだろう。
早い話が,並みじゃない。指揮者である顧問の先生の功績はもちろんあるのだと思うんだけどね。
● どの曲もCDでも生でも聴いている。でも,これほどストレートに届いてくる「ロミオとジュリエット」を聴いたことがあったかどうか。
出だしの,これから起こる悲劇を予告するかのような,クラリネットとファゴットによる暗鬱な調べ。そこからスッとステージに引きこまれた。
中学生が演奏しているとわかって聴いているから,そうなるのかもしれない。これが大人がやっていたら,まったく同じ演奏であったとしても,聴いているこちら側が同じ印象を持つかどうかはわからない。そこは踏まえておいた方がいいぞと,自分に言い聞かせながら聴いていた。
● 客席に届くもの。それを決めるのは技術じゃない。いや,そういうと演奏者に失礼だ。技術は充分に持ち合わせていると思えたから。しかし,何なんだろ。技術だけではない。
その「だけではない」部分を解明できるといいんだけど,どうもぼくには手に余る作業のようだ。
● 願わくば,メンデルスゾーンの3番でもドヴォルザークの8番でも,もちろんベートーヴェンでもブラームスでもチャイコフスキーでもいいんだけど,ひとつの交響曲を1楽章から4楽章まで通して聴かせてもらいたいと思った。
技術的には充分可能だろう。心配なのはスタミナだけか。でも,おそらく,この生徒たちならやってのけるだろう。やってのけたうえで,魅せてくれるだろう。
2013年8月5日月曜日
2013.08.03 鹿沼市立東中学校オーケストラ部第14回定期演奏会
鹿沼市民文化センター 大ホール
● 高校生の演奏は何度か聴いたことがあるけれども,中学生のオーケストラは聴いたことがない。それも道理,吹奏楽ならともかく,管弦楽部を抱える中学校はごく少ない。ぼくの知る限り,栃木県には2校しかない。その2校とも鹿沼にある。
ちなみに,高校でも管弦楽部があるのは10校に満たないが,そのひとつは鹿沼高校だ。鹿沼にはジュニアオケもある。なかなかすごいのだ。
どんなキッカケがあって,鹿沼でこれほど少年少女のオーケストラ活動が盛んになったのか。その辺の事情については,何も知らないんだけど。
● ともあれ,その中学生の演奏を聴いてみたいと思った。ただ,二の足を踏ませるものがひとつだけある。
観客のほぼすべてが生徒の父兄だろうと思われることだ。屋内運動会あるいは村祭り的なムードが会場に充満するだろう。それは覚悟しておかないと。こっちが闖入者なんだしな。
取り得る対応策はひとつ。前の方に座らないこと。後方に席を取ることだ。騒々しいやつほど,前に行くから。これが経験則の教えるところだ。
● と思って出かけてみたんだけど,いや失礼しました,父兄の皆さん。そんなことにはならなかったんでした。
唯一,演奏中にビデオカメラやスマートフォンの液晶画面が,客席のそちこちで,咲きほこる花さながらにキラキラしていたけれども,これは許容されるんでしょうね。動画撮影中に着信音は鳴らなかったしさ。
● 生徒の側の進行管理,ステージ設営はたいしたもの。この生徒たちをこの父兄たちが養育してるんだよなぁ。不思議だよねぇ,考えてみると。かけ算九九もろくにできない者が微積分まで知っている人に数学を教えているようなものじゃないか,と思ったりしたね。
実際はさ,生徒たちは今がオンなわけで,オンとオフの差は相当あるに違いないんだけどさ。対して,父兄の方はオフ状態なわけだからね。
● プログラムに掲載されている校長あいさつによれば,「近年の少子化傾向もあって,部員数の確保も大きな課題」になっているらしい。
オーケストラ部に限らないんでしょうね。総数が減っているんだから,いかんともしがたいですよねぇ。各部が部員を取り合う図式になっているのかもしれないね。
しかし,「重奏部門においては全国1位に相当する文部科学大臣賞を,2年連続で受賞」したとある。とびきり上手な生徒が何人かいるんだろうか。
● 開演は午後2時。入場無料。内容は2部構成で,前半は金管,木管,弦それぞれのアンサンブル。後半がオーケストラ。
で,まず,金管アンサンブル。演奏したのは次の3曲。
宇宙戦艦ヤマト(宮川泰)
世界に一つだけの花(槇原敬之)
文明開化の鐘(高橋宏樹)
● 失礼ながら,ステージ(で演奏する奏者)に対して言いたいことをひとつだけ持っている。
ステージに立ったら,自分の技術の巧拙を忘れること。たとえ拙であっても,巧なんだと思いこむこと。
オドオドしたり球をあてにいったりしないこと。思いきりよく踏みこんで,フルスイングを試みること。野球と違って,来る球はすべてストライクに決まっているんだから。
結果なんか,気にしたってしょうがない。どうせ観客は朴念仁だ。失敗したってわかるものか。っていうか,わかられたって,別にかまわないじゃないか。
● プロなら知らず,ステージに立つアマチュアに要求される能力の筆頭に来るものが,この思いこめる能力だと思う。
本番に勝る練習はないわけで,その本番という練習を実りあるものにするためにも,自分は巧いと思いこんで,巧い自分ならどうするかをイメージし,そのイメージのとおりにやってしまうこと。
● とはいえ,このアンサンブルが拙だったというわけではない。ぜんぜんそうではない。特に「文明開化の鐘」は伸び伸びと演奏してた。ひょっとして吹きやすかったりするんだろうか。
ひっかかったのは客席の方で,「宇宙戦艦ヤマト」が始まってすぐに手拍子を始めたオバサンがいたんですよ。これはどうなのか。OKなのか,NGなのか。
手拍子を入れたくなるリズムではあるよね。ひょっとすると,彼女はこの学校の教師なのかもしれない。応援の気分を込めた手拍子だったのかもしれない(ただ,ぼく一個の感想を述べれば,相当以上に耳障りだった。演奏の邪魔をしているように思われた)。
● 次は木管アンサンブル。
「となりのトトロ」(久石譲)とモーツァルトの木管五重奏曲ハ短調の第1楽章。ぼくの中にある中学生のイメージを壊してくれる。中学生をなめちゃいけないぜ,と,当の中学生に知らされるのはかなりの快感。
● メンバーが交替して,ルパン三世のテーマ(大野雄二),イベール「三つの小品」の第1曲と第3曲,夕焼け小焼け変奏曲(渡辺弘和)を演奏。
驚いたのは「夕焼け小焼け変奏曲」。同じメロディーを和風,タンゴ風,ジャズ風など,いくつものバリエーションで吹きわける。楽譜のとおりに吹けばそうなるんだろうけど,そうだとしてもこの完成度には驚くしかなかった。
フルートもオーボエも乗るところに乗り遅れない。ホルンも難しい楽器だろうに,上手に手なづけている感じがした。クラリネットもファゴットも,ほんとに中学生なの,って思った。
● さらに驚いたのが,弦楽合奏。全国1位を取った重奏ってのは,この弦楽合奏のことなんですかね。
ヴィヴァルディの「四季」から「冬」を演奏。ノイズが少ない。客席に届いてくる音に濁りがない。
ソロを弾く女子生徒の巧さがハンパない。呆れるほど。しかし,スタープレーヤーひとりが巧くて,他がダメならば,こういう合奏にはならないわけで,全体的にレベルが高いんですな。
ひょっとすると,彼女が他メンバーへの刺激になって,全体を引きあげるという好循環が効いているのかもしれない。でも,そうした絵に描いたような理想的な循環って,そうそうは実在しないものでしょ。
● 15分間の休憩の後,今度はオーケストラの演奏。
まずは,ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲。結論から先に言ってしまうとですね,ぼくが知る限りでも,ここより下手な大人のアマチュアオーケストラ,・・・・・・あるぞ。
前半のアンサンブルでも聴かせてくれた,フルートとオーボエの健闘が印象的。
● 次は,ホルストの組曲「惑星」から「木星」を演奏。メリハリがあって,平原綾香もまっ青(になるかどうか知らないけど)の表現力。
少なくとも平原綾香の「ジュピター」をCDで聴いてるより,今回のこの演奏の方が,こちらに訴えてくるものがずっと大きい。ま,CDと生とを比較するわけにはいかないんだけれど。
● リムスキー・コルサコフの交響組曲「シェエラザード」第4楽章。コンミスのヴァイオリン・ソロが圧巻。客席も息をつめて,彼女の演奏を見つめていた感じ。有無を言わさぬ説得力とはこういうことだ。
彼女,高校は音楽科に進むのかなぁ。プロへの道はなお峻険だろうけど,プロになるならないにかかわらず,青春をヴァイオリンに賭けてみるのはありだよなぁ,とか思った。
● 最後は,ストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」(1919年版)から「魔王カスチェイの凶悪な踊り」と「終曲」。
ステージの奏者たちを見ていると,コンミスが突出しているわけでもないのかなあとも思える。それぞれ,なんだか凄い感じ。
● それより,これだけのバリエーションを展開できる中学オーケストラ部ってのが,なかなか腑に落ちてこなくてね。
ぶっちゃけ,どうせ中学生だもんな,ってあんまり期待しないで行ったわけです。結果,あまりにも想像と違っていたものだから,ぼくの脳が落ち着き先を見つけられないでいる。
あっという間の2時間だった。恐れいりました,っていうのが最終的な感想だ。
● 帰宅後,あらためてプログラムを読み直してみたら,部長あいさつに,「(部員の)ほとんどが中学生になってから楽器を始めた初心者です」とあった。
本当か? 本当にそうなのか? いや,不思議はない。高校や大学で始める人もいる。中学で始めていれば早い方だ。なんだけど,初心者であそこまで行けるものなのか。腑に落ちなさがいっそう強くなった。
● 高校生の演奏は何度か聴いたことがあるけれども,中学生のオーケストラは聴いたことがない。それも道理,吹奏楽ならともかく,管弦楽部を抱える中学校はごく少ない。ぼくの知る限り,栃木県には2校しかない。その2校とも鹿沼にある。
ちなみに,高校でも管弦楽部があるのは10校に満たないが,そのひとつは鹿沼高校だ。鹿沼にはジュニアオケもある。なかなかすごいのだ。
どんなキッカケがあって,鹿沼でこれほど少年少女のオーケストラ活動が盛んになったのか。その辺の事情については,何も知らないんだけど。
● ともあれ,その中学生の演奏を聴いてみたいと思った。ただ,二の足を踏ませるものがひとつだけある。
観客のほぼすべてが生徒の父兄だろうと思われることだ。屋内運動会あるいは村祭り的なムードが会場に充満するだろう。それは覚悟しておかないと。こっちが闖入者なんだしな。
取り得る対応策はひとつ。前の方に座らないこと。後方に席を取ることだ。騒々しいやつほど,前に行くから。これが経験則の教えるところだ。
● と思って出かけてみたんだけど,いや失礼しました,父兄の皆さん。そんなことにはならなかったんでした。
唯一,演奏中にビデオカメラやスマートフォンの液晶画面が,客席のそちこちで,咲きほこる花さながらにキラキラしていたけれども,これは許容されるんでしょうね。動画撮影中に着信音は鳴らなかったしさ。
● 生徒の側の進行管理,ステージ設営はたいしたもの。この生徒たちをこの父兄たちが養育してるんだよなぁ。不思議だよねぇ,考えてみると。かけ算九九もろくにできない者が微積分まで知っている人に数学を教えているようなものじゃないか,と思ったりしたね。
実際はさ,生徒たちは今がオンなわけで,オンとオフの差は相当あるに違いないんだけどさ。対して,父兄の方はオフ状態なわけだからね。
● プログラムに掲載されている校長あいさつによれば,「近年の少子化傾向もあって,部員数の確保も大きな課題」になっているらしい。
オーケストラ部に限らないんでしょうね。総数が減っているんだから,いかんともしがたいですよねぇ。各部が部員を取り合う図式になっているのかもしれないね。
しかし,「重奏部門においては全国1位に相当する文部科学大臣賞を,2年連続で受賞」したとある。とびきり上手な生徒が何人かいるんだろうか。
● 開演は午後2時。入場無料。内容は2部構成で,前半は金管,木管,弦それぞれのアンサンブル。後半がオーケストラ。
で,まず,金管アンサンブル。演奏したのは次の3曲。
宇宙戦艦ヤマト(宮川泰)
世界に一つだけの花(槇原敬之)
文明開化の鐘(高橋宏樹)
● 失礼ながら,ステージ(で演奏する奏者)に対して言いたいことをひとつだけ持っている。
ステージに立ったら,自分の技術の巧拙を忘れること。たとえ拙であっても,巧なんだと思いこむこと。
オドオドしたり球をあてにいったりしないこと。思いきりよく踏みこんで,フルスイングを試みること。野球と違って,来る球はすべてストライクに決まっているんだから。
結果なんか,気にしたってしょうがない。どうせ観客は朴念仁だ。失敗したってわかるものか。っていうか,わかられたって,別にかまわないじゃないか。
● プロなら知らず,ステージに立つアマチュアに要求される能力の筆頭に来るものが,この思いこめる能力だと思う。
本番に勝る練習はないわけで,その本番という練習を実りあるものにするためにも,自分は巧いと思いこんで,巧い自分ならどうするかをイメージし,そのイメージのとおりにやってしまうこと。
● とはいえ,このアンサンブルが拙だったというわけではない。ぜんぜんそうではない。特に「文明開化の鐘」は伸び伸びと演奏してた。ひょっとして吹きやすかったりするんだろうか。
ひっかかったのは客席の方で,「宇宙戦艦ヤマト」が始まってすぐに手拍子を始めたオバサンがいたんですよ。これはどうなのか。OKなのか,NGなのか。
手拍子を入れたくなるリズムではあるよね。ひょっとすると,彼女はこの学校の教師なのかもしれない。応援の気分を込めた手拍子だったのかもしれない(ただ,ぼく一個の感想を述べれば,相当以上に耳障りだった。演奏の邪魔をしているように思われた)。
● 次は木管アンサンブル。
「となりのトトロ」(久石譲)とモーツァルトの木管五重奏曲ハ短調の第1楽章。ぼくの中にある中学生のイメージを壊してくれる。中学生をなめちゃいけないぜ,と,当の中学生に知らされるのはかなりの快感。
● メンバーが交替して,ルパン三世のテーマ(大野雄二),イベール「三つの小品」の第1曲と第3曲,夕焼け小焼け変奏曲(渡辺弘和)を演奏。
驚いたのは「夕焼け小焼け変奏曲」。同じメロディーを和風,タンゴ風,ジャズ風など,いくつものバリエーションで吹きわける。楽譜のとおりに吹けばそうなるんだろうけど,そうだとしてもこの完成度には驚くしかなかった。
フルートもオーボエも乗るところに乗り遅れない。ホルンも難しい楽器だろうに,上手に手なづけている感じがした。クラリネットもファゴットも,ほんとに中学生なの,って思った。
● さらに驚いたのが,弦楽合奏。全国1位を取った重奏ってのは,この弦楽合奏のことなんですかね。
ヴィヴァルディの「四季」から「冬」を演奏。ノイズが少ない。客席に届いてくる音に濁りがない。
ソロを弾く女子生徒の巧さがハンパない。呆れるほど。しかし,スタープレーヤーひとりが巧くて,他がダメならば,こういう合奏にはならないわけで,全体的にレベルが高いんですな。
ひょっとすると,彼女が他メンバーへの刺激になって,全体を引きあげるという好循環が効いているのかもしれない。でも,そうした絵に描いたような理想的な循環って,そうそうは実在しないものでしょ。
● 15分間の休憩の後,今度はオーケストラの演奏。
まずは,ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲。結論から先に言ってしまうとですね,ぼくが知る限りでも,ここより下手な大人のアマチュアオーケストラ,・・・・・・あるぞ。
前半のアンサンブルでも聴かせてくれた,フルートとオーボエの健闘が印象的。
● 次は,ホルストの組曲「惑星」から「木星」を演奏。メリハリがあって,平原綾香もまっ青(になるかどうか知らないけど)の表現力。
少なくとも平原綾香の「ジュピター」をCDで聴いてるより,今回のこの演奏の方が,こちらに訴えてくるものがずっと大きい。ま,CDと生とを比較するわけにはいかないんだけれど。
● リムスキー・コルサコフの交響組曲「シェエラザード」第4楽章。コンミスのヴァイオリン・ソロが圧巻。客席も息をつめて,彼女の演奏を見つめていた感じ。有無を言わさぬ説得力とはこういうことだ。
彼女,高校は音楽科に進むのかなぁ。プロへの道はなお峻険だろうけど,プロになるならないにかかわらず,青春をヴァイオリンに賭けてみるのはありだよなぁ,とか思った。
● 最後は,ストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」(1919年版)から「魔王カスチェイの凶悪な踊り」と「終曲」。
ステージの奏者たちを見ていると,コンミスが突出しているわけでもないのかなあとも思える。それぞれ,なんだか凄い感じ。
● それより,これだけのバリエーションを展開できる中学オーケストラ部ってのが,なかなか腑に落ちてこなくてね。
ぶっちゃけ,どうせ中学生だもんな,ってあんまり期待しないで行ったわけです。結果,あまりにも想像と違っていたものだから,ぼくの脳が落ち着き先を見つけられないでいる。
あっという間の2時間だった。恐れいりました,っていうのが最終的な感想だ。
● 帰宅後,あらためてプログラムを読み直してみたら,部長あいさつに,「(部員の)ほとんどが中学生になってから楽器を始めた初心者です」とあった。
本当か? 本当にそうなのか? いや,不思議はない。高校や大学で始める人もいる。中学で始めていれば早い方だ。なんだけど,初心者であそこまで行けるものなのか。腑に落ちなさがいっそう強くなった。
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