● 3日(日)は県立図書館のミニコンサートがあった。他のコンサートとかち合わなければだいたい聴きに行っている。
特にこの日の演奏会は大岡律子さんのもの。昨年も,年に10回程度開催されるこのミニコンサートの中で(ぼくが聴いたのは半分にも満たなかったけど),最も充実した演奏だったのは,彼女の回だった。
今年も充実の内容。芸大で共に学んだ岡田真実さんとピアノ・デュオ。ピアノの連弾を聴く機会ってあまりない。というより,ぼくは初めてだったのだけど,ピアノの潜在能力をググッと引きだせる奏法なのかもしれない。
● 岡田さんは勝ち気というか,気が強そうな印象。ピアノがとにかく第一で,この軸がぶれることはなさそうだ。自分のやってきたことに確信を持っている。ここを突いてくる人は許さないって感じかなぁ。
栃木県出身の大岡さんは,穏やかな性格。好きになった人に音楽をやめてくれと言われると,ほんとにやめちゃいそうな感じっていうか。ま,外見と声質からの印象ですけどね。
● 曲目は前半が,モーツアルト「4手のためのソナタ 変ロ長調」,シューベルト「ロンド」,ショパン「ムーアの民謡風主題による4手のための変奏曲」。後半は,シャブリエ「狂詩曲スペイン」,フォーレ「組曲ドリー」,ラヴェル「ラ・ヴァルス」。
アンコール曲が2つあって,ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」とモーツアルトの「フィガロの結婚」の前奏曲。
ピアノは比較的短時間でお腹がいっぱいになりやすい楽器だと思うのだが,奏者の腕がいいとずっと食べ続けることができますね。すべて終わったあとも,もっと聴いていたいとの思いが残った。
● 終了後は奏者のふたりが出口に立ってお見送りという,サービス精神たっぷりの演奏会だった。
こうまでのサービス精神を発揮してくれた理由のひとつは,彼女たちがアンケート用紙を配っていたからだ。アンケートに御協力くださいというわけだが,訊いている項目はごく普通のもので,このコンサートを何で知ったか。演奏時間は適当か,長すぎるか,短すぎるか。演奏に満足したか,不満か。聴きたい曲があれば教えて。
ぼくもそうだけれど,客席側はよほどのことがない限りは,適当だった,満足した,と答えるはずだ。つまり,アンケートで本音を吸いあげられるとは限らない。実施する側は,そんなことは百も承知で,それでも使い道があるから実施していると言うのかもしれないんだけど。
ぼくはこの種のアンケートは無駄だと思っている。そもそも,そういうことを客席に訊いているようじゃいかんのじゃないかと思う。
● 彼女たち,来月13日にすみだトリフォニーでコンサートを行う。小ホールでこちらは2千円のチケット制だ。演奏曲目は,今日のとまったく同じ(だから,ぼくらはとてもラッキーだったと言える)。
彼女たちにしても,今日は模擬試験のようなものだったろう。本番に向けて感触を確かめながら演奏したのだろう。アンケートはその結果を知りたいがためだと思う。
● ふたりとも芸大の院を修了した(岡田さんは院に在籍中にポーランドに留学した)。小さい頃からずっとピアノ漬けの生活を続けてきたに違いない。
何とか今度のコンサートを成功させたいと思うだろう。その思いはぼくにも理解できるものだ。
● 音楽家への道は厳しい。お金も時間も投入してこの道を進んできたけれども,その投資を回収するのは難しい。そのお金と時間を,たとえば勉強に振り向けていれば,医師でも弁護士でも学者でも,なりたい者になれていただろう。けれども,音楽家をめざしてしまった。
そうまでして音楽に打ち込みたくなる才能があった。
● そういう人たちがいてくれるお陰で,ぼくらは音楽のライブを楽しむことができるのだ。だから,ぼくらにはそうした人たちを応援する義務がある。でも,ではどうやって応援すればいいのか。コンサートに足を運ぶか,CDを買うか。
● こうした無料のコンサートには,普段は音楽と無縁な生活をしている人たちも入りこんでしまう。ぼくにしたってにわか音楽ファンにすぎない。だから,たとえば寝ている人も出てしまう。
けれど,終演後,見送る奏者に言葉をかけるのは,こういう人たちのようなんだよね。オバチャンたちなんだけどね。愛想がよくて,奏者に言葉をかけていく。
嬉しいよね。お客さんから言葉をかけられると。オバチャンたちは言葉によって,奏者を応援している。ぼくに限らず,たいていの男性はこれができない。
約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2010年10月31日日曜日
2009年9月30日水曜日
2009.09.06 ヴァイオリンとピアノによるコンサート-栃木県立図書館第120回クラシック・ライヴ・コンサート
栃木県立図書館ホール
● 6日は栃木県立図書館が開催している「クラシック・ライヴ・コンサート」に。年間10回程度開催してて,今年は3回目。過去の2回は他のコンサートと重なったり,家族旅行と重なったりで,ぼくが顔を出すのは今回が初めて。
県立図書館がこういう催しをやっていることは,当然,今年になってから知ったわけだが,通算で120回目になるんだそうだ。
● 今回は「ヴァイオリンとピアノによるコンサート」で,ヴァイオリンは廣瀬麻名さん。ピアノは大岡律子さん。
大岡さんは栃木県の出身で,県立図書館のこのコンサートの常連的演奏者のようだ。廣瀬さんは大岡さんの学友。
ふたりとも芸大附属音楽高校から芸大を経て,現在は芸大院の博士課程に在学中。20代後半のお嬢さん方。
● 演しものは,ルクレール「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ニ長調」,サラサーテ「バスク奇想曲」,ドビュッシー「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」,プロコフィエフ「5つのメロディー」(の一部),ベートーヴェン「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第9番 クロイツェル」。
錚々たる曲目が並んでいるでしょ。とはいえ,この中でぼくがCDで聞いたことがあるのはベートーヴェンのクロイツェルだけなんですけどね。
● ぼくが初めて買ったクラシック音楽のCDがじつはドビュッシー。ドビュッシーは吉行淳之介つながりなんです。若い頃に吉行さんの作品はすべて読んだ。その彼が戦時中,空襲を受けて逃げたときに,自宅から持ちだしたのがドビュッシーのレコードだったと書いているんですね。エボナイトのレコードがずっしりと重かった,と。命に係わる事態にあって,持ちだしたのが何の役にも立たないレコードたったことに,自虐とそれ以上に自負を籠めているんでしょうね。
とまれ,彼が受け容れていたのであれば,自分も聴いてみようと思ったんですね。が,今に至るまでその1枚のCDを通して聴けたことはない。
そのドビュッシーの最晩年の作品を生で聴けて嬉しかった。が,生でもいまいちピンと来なかったってのが正直なところ。
もともと自分の感性をあまり信用しているわけではないんだけれども,いよいよ自信をなくすね。
● ルクレールやプロコフィエフの作品はぼくには未知。まだまだ聴くべき曲があるってこと。何がなし,嬉しくなる。長生きしなきゃって思う。
● このコンサートは設えられた舞台がない。当然,舞台の袖もない。演奏を終えて引っこんだ奏者の様子が見える。楽屋もないから,休憩時間に外にでると彼女たちがノビをしてたりくつろいでる様子が見える。その屈託のなさを見ていると,芸大の院生といえども,普通のお嬢さんなんだなぁと(当然のことを)感じる。
● その屈託のなさを眺めて思った。彼女たちも千人にひとりの才能の持ち主に違いない。しかし,それほどの才能を持ってしても,音楽でメシを喰っていくのは並大抵のことじゃなさそうだ。
実力以外に運も味方にできなきゃいけないんだろうし,その実力にしても紙一重のところに雲霞のごとくきら星たちが蝟集している。
今はとにかく好きな音楽に打ち込んでいられる。しかし,博士課程を終えたあとはどうなるのか。中学や高校の音楽教師への道も,実技に打ち込んできたがゆえに,難しいかもしれない。
しかし,事前にそんなことを考えてビビっているようなヤツは,何ごとも為すことはできないとしたものだ。安定志向を捨てないと,ひとかどの仕事はできないのがこの世の仕組だ。たいていの人はビビリなので,ぼくのようになってしまうのだ。
● 6日は栃木県立図書館が開催している「クラシック・ライヴ・コンサート」に。年間10回程度開催してて,今年は3回目。過去の2回は他のコンサートと重なったり,家族旅行と重なったりで,ぼくが顔を出すのは今回が初めて。
県立図書館がこういう催しをやっていることは,当然,今年になってから知ったわけだが,通算で120回目になるんだそうだ。
● 今回は「ヴァイオリンとピアノによるコンサート」で,ヴァイオリンは廣瀬麻名さん。ピアノは大岡律子さん。
大岡さんは栃木県の出身で,県立図書館のこのコンサートの常連的演奏者のようだ。廣瀬さんは大岡さんの学友。
ふたりとも芸大附属音楽高校から芸大を経て,現在は芸大院の博士課程に在学中。20代後半のお嬢さん方。
● 演しものは,ルクレール「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ニ長調」,サラサーテ「バスク奇想曲」,ドビュッシー「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」,プロコフィエフ「5つのメロディー」(の一部),ベートーヴェン「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第9番 クロイツェル」。
錚々たる曲目が並んでいるでしょ。とはいえ,この中でぼくがCDで聞いたことがあるのはベートーヴェンのクロイツェルだけなんですけどね。
● ぼくが初めて買ったクラシック音楽のCDがじつはドビュッシー。ドビュッシーは吉行淳之介つながりなんです。若い頃に吉行さんの作品はすべて読んだ。その彼が戦時中,空襲を受けて逃げたときに,自宅から持ちだしたのがドビュッシーのレコードだったと書いているんですね。エボナイトのレコードがずっしりと重かった,と。命に係わる事態にあって,持ちだしたのが何の役にも立たないレコードたったことに,自虐とそれ以上に自負を籠めているんでしょうね。
とまれ,彼が受け容れていたのであれば,自分も聴いてみようと思ったんですね。が,今に至るまでその1枚のCDを通して聴けたことはない。
そのドビュッシーの最晩年の作品を生で聴けて嬉しかった。が,生でもいまいちピンと来なかったってのが正直なところ。
もともと自分の感性をあまり信用しているわけではないんだけれども,いよいよ自信をなくすね。
● ルクレールやプロコフィエフの作品はぼくには未知。まだまだ聴くべき曲があるってこと。何がなし,嬉しくなる。長生きしなきゃって思う。
● このコンサートは設えられた舞台がない。当然,舞台の袖もない。演奏を終えて引っこんだ奏者の様子が見える。楽屋もないから,休憩時間に外にでると彼女たちがノビをしてたりくつろいでる様子が見える。その屈託のなさを見ていると,芸大の院生といえども,普通のお嬢さんなんだなぁと(当然のことを)感じる。
● その屈託のなさを眺めて思った。彼女たちも千人にひとりの才能の持ち主に違いない。しかし,それほどの才能を持ってしても,音楽でメシを喰っていくのは並大抵のことじゃなさそうだ。
実力以外に運も味方にできなきゃいけないんだろうし,その実力にしても紙一重のところに雲霞のごとくきら星たちが蝟集している。
今はとにかく好きな音楽に打ち込んでいられる。しかし,博士課程を終えたあとはどうなるのか。中学や高校の音楽教師への道も,実技に打ち込んできたがゆえに,難しいかもしれない。
しかし,事前にそんなことを考えてビビっているようなヤツは,何ごとも為すことはできないとしたものだ。安定志向を捨てないと,ひとかどの仕事はできないのがこの世の仕組だ。たいていの人はビビリなので,ぼくのようになってしまうのだ。
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