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2024年11月30日土曜日

2024.11.30 第15回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 武蔵野音楽大学・東京音楽大学・国立音楽大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● ミューザで音大フェスの2日目。まず,武蔵野のサン=サーンス「オルガン付き」。指揮は現田茂夫さん。
 迫力充分。サン=サーンスが躍動する。

● そりゃあね,細かいミスがないわけではない。けど,いいんですよ,そんなものは。
 若い人たちの全力投球は必ず何かを生む。と感じるのは,自分が年寄りだからかもしれないのだが。
 この曲だからオーボエが最も目立つ。女子学生が見事に演じきった。

● 東京はプロコフィエフの5番。指揮は広上淳一さん。
 悠揚迫らざる初動からプロコフィエフが紡ぎ出すいくつもの物語あるいは情景を,きっちりと音に変えていく。緻密でありながら縮こまっていないのは,実力があればこそ。

● 来月4日定期演奏会でも演るのだけれとも,こうした演奏をまとめて聴けるのが音大フェスのフェスたる所以でしょ。
 関西でも「関西の音楽大学オーケストラ・フェスティバル」があるらしい。大阪音楽大学,大阪教育大学,大阪芸術大学,京都市立芸術大学,神戸女学院大学,相愛大学,同志社女子大学,武庫川女子大学の8大学が参加する。
 が,これは,これら8大学の合同チームによる1回だけの演奏会のようなんだよね。

● 国立はレスピーギの「ローマの噴水」と「ローマの松」。指揮は高関健さん。
 こちらは明日の定演で同じ曲を演奏する。おそらく,今日の方が観客は多いはず。予行演習という感じは皆無。

● 噴水より松の方が耳に馴染みがある分,ちゃんと聴けたと思うんだけども,その “ちゃんと” がどの程度なのかはわれながら疑問。
 こういう演奏を続けて3本というのは,ありがたい一方で,聴き手にも相当な重量がある。今回は芸劇が使えないので,3日で全日程を終えるというスケジュールになったのだと思うが。
 しかし,こちらも気合いを入れていかんとね。

● ぼくの隣の男性氏がブラボー屋だった。ブラボーと叫ぶのは,若くて元気のいい人なのかと思っていたんだけども,普段は冴えない,ひょっとすると仕事も普通にできてるのかと疑わしいような,中年のオッサンが多かったりするんだろうかね。
 案外,そうかもしれないな。女性には相手にされないよえなタイプの,くたびれた感じの中年男が多いのかもしれないよ。

2020年12月18日金曜日

2020.12.06 第11回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 東邦音楽大学・東京音楽大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● 音大フェスの4日目(最終日)。通し券を買っても4回とも聴けるとは限らない。しかし,今年はその点について心配する必要はなかった。仕事を辞めてとんでもない時間持ちになったからだ。
 ただ,押しなべて言うと,時間持ちになるとその時間が軽くなる。フワフワとどこかに飛んでいってしまう。
 読む本の冊数も,聴くCDの枚数も,見る映画の本数も,奥さんとの会話時間も,勤めていた頃とほとんど同じなのだ。勤務時間分をそこに付加できると単純に考えていたのだが,そういうふうにはなっていない。

● 家事見習いを始めてはいる。でも,料理や家事が勤務時間をそっくり充てなければならないほどのものであるはずもない。
 小人が閑居すると,不善は為さないまでも,時間が軽くなってしまうようだ。つまり,ひとりぼくだけのことではないはずだと思っているのだが。
 大学生のときも同じようなものだったかも。が,今はもっと時間持ちだ。大学生には講義や試験や部活などのやらなければならないことがあるが,今のぼくにはそうした義務が一切ないからだ。

● さて,同じ大学生といっても,文系のぼくは遊びたいだけ遊んでいられたが,工学部や医学部になるとそうはいかない。実験や実習がガンガンある。そのたびにレポートも書かなければならないだろう。
 音大生はそれに輪をかけて忙しいのだろうな。授業の多くが実技で,マン・ツー・マンの授業もあるんだろうから,手を抜くことができない。授業中は居眠りの時間と決めこむなんてとんでもない。授業に出るだけですむはずもない。練習また練習に明け暮れているのだろう(そうでもないのか)。

● 東邦はベートーヴェンの3番。指揮は梅田俊明さん。
 音大とはいえ,何でここまでできちゃうかねぇ。マーラーが指揮していた頃のウィーン・フィルより巧いのじゃないかねぇ(いや,わかりませんけどね,もちろん)。マーラーの頃にはなかった録音音源に下駄を履かせてもらえてるとしても,ここまでの演奏を学生がやるんですなぁ。
 木管に気が行く。第2楽章のオーボエ,第4楽章のフルート。

● この録音音源というやつ,考えてみれば偉大な発明ですよね。電気のおかげなのだが,エジソンは偉かった。
 作曲とは聴覚を視覚に変換する作業で,演奏とは視覚を聴覚に変換する作業だ。楽譜を見て,それを音に換える。その変換が正しくできているかどうかを確認しようとすれば,作曲者に聴いてもらう以外に方法がない。そんなことはなかなかできない。
 逆にいえば,録音音源のない時代には,同じ楽曲が指揮者によってだいぶ違った演奏になっていたのかもしれない。

● 今は演奏じたいをいくらでも聴くことができる。視覚を聴覚に変換する作業は格段に楽になったろう。いきなり聴覚からインプットできるわけだから。
 しかも,もって範とするに足る演奏を聴いてしまえるのだ。録音音源の出現によって,珍奇な演奏は影を潜めたに違いない。足切り線がかなり切り上がったはずだ。
 同時に,それによって失われたものもあるはずだが,それらを数えてみるのはかなり以上に虚しい作業になる。ぼくらは録音音源のない時代には戻れないのだし,その状況には耐えられないはずだから。

● 東京音大はR.シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。指揮は尾高忠明さん。大学生のオーケストラがこの曲を演奏してのけるのも,録音音源があればこそと考えていいだろうか。
 今回の音大フェスきっての大編隊。眺めそのものが壮観。演奏はもう恐れ入りましたというしかない。勢いがある。若さゆえでしょうか。

● この曲はコンマスの出番が多いというか,ソリストも兼ねてるような感じでしょ。そのコンマスの江刺由梨さん,どこかで見たことがあるんですよね。どこだったか。
 てか,栃木県出身の人ですよ。昨年の第20回大阪国際音楽コンクールの弦楽器部門 Age-U(大学生)で第1位。コンクールは数え切れないほどあるのだろうが,こうして次々に若い才能が芽生えてくる。その様もまた壮観とするに足る。

2019年12月3日火曜日

2019.12.01 第10回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 東京音楽大学・武蔵野音楽大学・洗足学園音楽大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 音大オケフェスについて感じることのあれやこれやについては,昨日,述べた。ので,今回は,単純に演奏について。あと,若干はどうでもいことに駄弁を弄するかもしれない。
 開演は午後3時。昨日の東京芸術劇場もそうだけれど,駅から近いのは助かる。それで最も困るのがサントリーホールだよね。地下鉄駅からだってけっこう歩くもんね。
 と,さっそく駄弁を弄してしまったけれど,開演は午後3時。

● まず,東京音大。バルトーク「管弦楽のための協奏曲」。指揮は石﨑真弥奈さん。
 女性の指揮者の活躍も,たとえば沖澤のどかさんとか,増えていると思うんだけど,スカートで指揮をしている女性指揮者ってまだ見たことがないよね。必ず,パンツ。
 これって,何でなの? そういう規則があるわけではないだろうから,スカートではまずい理由が何かあるんでしょうかね。スカートでは追いつけない運動量があるとかそういうこと? まさか女性性が強調されすぎるからなんてことではないんだろうからね。

● プログラム冊子の「楽曲紹介」が役に立つ。最初の8行。なるほど,そう考えればいいのか,と思った。
 ここまで割り切ってくれると小気味いいや。説得力もある。

● 武蔵野はじつにベートーヴェン「荘厳ミサ曲」。指揮は飯守泰次郎さん。昨年は「第九」だった。4日の演奏会が本番。今日はそのリハーサルというか,本番前の本番(?)。
 東京音大の「管弦楽のための協奏曲」もそうだけれども,冥途の旅の一里塚が今日のプレ本番ということのようだ。

● 4日は水曜日だから行けるはずもなく,今日聴けるのはとてもラッキーだ。
 当然,ソリスト,合唱団も自前。音大ならではの総合力の具現化。

● これはもう教会で神に捧げるために演奏するミサ曲ではないでしょ。世俗のミサ曲というか,ミサ曲を結界で守られる教会から巷に引きずり出したという感じですよね。
 そこにベートーヴェンの面目を見るかどうかは,その人のベートーヴェン観の問題だけれども,ベートーヴェンが生きた時代というのは,そういう時代だったのかもしれない。よくわからんが。

● 洗足はチャイコフスキーの4番。指揮は秋山和慶さん。
 絶品と申しあげておく。聴きながら何度も脈が速くなったり遅くなったりした(?)。
 第2楽章冒頭のオーボエが完璧に近い。どこで息継ぎをしたのか。息継ぎなしであれをやりとげたのか。
 ロシア音楽を形容するのに「金管の咆哮」という語句がわりと使われる。そのとおりなのだけれども,金管をあそこまで全開にすると音が割れるのが普通にあると思うのだが,そういうことが皆無。
 第3楽章の弦のピチカートも見事なもので,色気を感じた。

● チャイコフスキーは5番と6番がいいと思うのだが,今日よりしばらくは,「チャイコフスキー? 4番が一番だよ。4番を聴かなきゃダメだよ。ムラヴィンスキーでもカラヤンでもいいからさ,とにかく聴かなきゃダメだよ」てなことを言いそうな気がする。

● クラシック音楽→芸術→勉強しないとわからないもの=高尚なもの,という図式があるとして,いやそうでもないよというのをわかりやすく示してくれるのがチャイコフスキーだと思う。エンタテインメント性が濃いというかね。
 しかし,チャイコフスキーが見ていた何か深いものがあったはずで,その何かを抉りだすようにして,ほら,これでしょ,と差しだされたような,そういう感じの演奏ね。

● 差しだされて,なるほどこれか,とぼくが思えたのなら,“感じの”は省略していいのだが,聴き手がそこまでの水準には達していないので,“そういう感じの演奏”という表現になった。
 しかし。こういう演奏が聴けるのだから,このイベント,来年もあって欲しい。

● 3月には例によって,各大学を横断するオールスターチームで,ストラヴィンスキー「春の祭典」を演奏する。
 生とCDとの落差が大きい曲だ。ぜひ,聴いておきたいが,じつはチケットを買いそびれた。“ぴあ”で買っておくか。当日券もあると思うが。

2018年12月10日月曜日

2018.12.08 第9回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 東京音楽大学・東邦音楽大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● 音大フェスの4日目,つまり最終回。今回は皆勤することができた。
 どんだけ暇なんだよ,おまえは,と言われるかもな。言っちゃなんだけど,暇人は最強だからな。暇があって,そこにSome Money(大金の必要はまったくない)が加われば,ほとんど天下に敵なし。天上天下唯我独尊の世界になる。

● 東京音大はR.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。指揮は広上淳一さん。
 オルガンも加わる大編隊。大編隊を要する楽曲がしばしば取りあげられることを,この音大フェスの特色のひとつに数えていいかもしれない。
 大学によって演奏に何か特徴があるかといえば,当然ながらそんなものはない。実力は伯仲しているかもしれないが,桐朋はこう,芸大はこう,国立はこう,というようなそういう特徴はないし,あったらむしろおかしい。

● 世はあげてグローバル化の時代なのだ。いかに外に向けて自身を開くかが問われているのであって,ウチに籠もって自らの特色を模索してみても仕方がない。やってもいいが,それは停滞と呼ばれるものになる。まして世界言語の音楽なのだ。
 というわけで,東京音大のこれが特徴だというものは,ぼくには捉えることができない。しかし,これまで聴いてきた各大学と同様に,素晴らしい演奏だというのはわかる。今の彼らにしかできない演奏で,強烈な一回性,一期一会の出会いを感じる。

● 広上さんは高名な指揮者であるけれども,彼の指揮に接するのは,ぼくは今回が初めて。頑固一徹な職人という風情。空気を読むなどということは,間違ってもやらなそうな感じ。学生にとっては怖い先生なのかもしれない。
 舞台袖から指揮台まで歩いてくるその歩き姿は,とてもコミカルなんだけど。

● 東邦音大はサン=サーンスの3番。こちらも大編成。オルガンの他にピアノも加わる。指揮は大友直人さん。
 この曲で最も耳を打つのは,(普通に数えれば)第3楽章の冒頭の部分だろう。何ごとが起こったのだと思わせる。
 以下,荒唐無稽なことを言うんだけど,ぼくはここでナポレオンの登場を想起する。そこから先は進軍に次ぐ進軍。ウィーンを落とし,ベルリンを落とす。それまで歯が立たなかった宿敵プロイセンを木っ端微塵に蹴散らして,パリに凱旋する。歓喜するパリ市民に迎えられて大団円。

● 徒しごとはさておき。この曲は長らくぼくには難解だった。“フランス”を頭から追いだして聴くのがいいと思う。
 そうじゃないと脳が勝手にこの曲の中に“フランス”を見つけようとしてしまうのだ。明るさとか軽さとか気分とか自由とか非様式とか,そういうものを探そうとしてしまう。
 そういうものをフランス的なるものとするのはそもそもどうなのよ,ということもあるわけで,ぼく程度の聴き手は注意しないといけない。

● この曲の全体を何とか脳内に収めることができたかと思ったのは,今年の6月に鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラの定演でこの曲を聴いたときだ。が,そうなると今度は,その鋳型に合わせて聴こうとしてしまう。
 いったんできた鋳型は壊さなければいけない。ぼく程度の聴き手は,ここでも注意しないと。

● 指揮の大友さん。あの髪型は大切な商売道具なのだろうな。大友さんの一部になっている。髪は女の命というけれど(本当だろうか),大友さんの場合はそれ以上の存在という気がした。
 無駄な贅肉がなくダンディだ。密かにかおおっぴらにかはわからないけれども,身体を鍛えているんだろうし,食事にも気を遣っているのだろう。放っておいたんじゃ(自然にしてたんじゃ)ああはならないものね。

● 今日も客席はほぼ満席。お客さんはよくわかっている。
 素晴らしい演奏で,これさえ聴いとけば,他は聴かんでもいいのでは。今年も終わったという気分になった。

● 終演後,「音楽大学フェスティバル・オーケストラ」のチケットを購入。9大学の合同チームによる演奏会。
 来年3月の30日と31日の2回公演なのだが,31日のカルッツ川崎でのチケットを購入した。ミューザではなくカルッツ川崎。川崎の旧市街(?)にある。川崎も駅とミューザの間(数百メートル)しか知らないから,旧市街を歩く機会を得られるのはありがたい。
 指揮は小林研一郎。「ひたむきに,一心不乱に自分の生き様を音に託して精進する学生諸君との共演。心が踊っている」と語っている。リップサービスではないはずだ。

2015年12月8日火曜日

2015.12.06 第6回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 東邦音楽大学・東京音楽大学・国立音楽大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 今回の音楽大学オーケストラ・フェスティバルもこれが4回目。つまり最終回となる。3回目に行けなかったのは残念だけれども,4回中3回行ければ,上々だろう。僻遠の地(栃木)から行くわけだし。

● 今回の会場はミューザ川崎。国内のコンサートホールのすべてに行ったことがあるわけではないけれど,ぼくが行った中では,座っていて一番気分がいいのが,ここミューザだ。
 座席の間隔が他よりあいているわけでもない。どうして気分がいいと感じるのかよくわからないんだけど,でもともかく気分がいい。
 あるいは,スタッフの多くが発散している柔らかさのようなものが与って力あるのかもしれないと思ってみたりする。

● 東邦がシベリウスの2番,東京音大がムソグルスキー(ラベル編曲)「展覧会の絵」,国立がラフマニノフの2番。シベリウスの2番は,先月8日に洗足学園も演奏しており,「展覧会の絵」は武蔵野音大が演奏している。
 ダブりをなくせないかなどと言うつもりはない。まったく問題はない。何度聴いてもいい曲だもんね。
 ただし,こちら側に両者を比較するというベクトルが生まれてしまいかねない。このベクトルだけは自分の中に存在することを許してはいけないと思うだけだ。

● まず,東邦音楽大学管弦楽団。指揮は田中良和さん。
 シベリウスの2番は彼のイタリア滞在の果実だ,とはよく言われることだ。実際そうなんだろうけど,この曲から感じるのはどうしたって北欧の澄んだ空気がベースになったものだ。遠くまで見晴らしがきくような風景,あるいは森林。そういったイメージが湧いてくる。
 透明で涼やか(ときに冷涼)で,雑踏や原色的風景とはほど遠いもの。

● ロシアに対するフィンランドの反発や独立心を示しているとの解釈を見ることもあるけれども,ぼくにはそういうところは感じ取れなかった。その時代にはそう思えたのかもしれない。
 このあたりは,当時の空気を共有した人にしかわからないところがあるのだろうと思うほかはない。

● 東京音楽大学シンフォニーオーケストラ。指揮は現田茂夫さん。
 元々はピアノ曲。辻井伸行さんの演奏をCDで聴いた程度。それはそれでしっとりするんだけれども,やはり管弦楽版のほうを聴きたくなる。
 ラヴェルのオーケストレーションの巧さ,すごさを思い知ることになる。輝度の高さは誰もが認めるところだろう。これはムソグルスキーの功績なんだろうけど,大衆性も備えている。

● 第2曲で登場するサクソフォン。華々しく活躍したあとは,最後まで出番がない。その間,背筋を伸ばして凜として座っていたのが印象的。
 これ,できそうでなかなかできないことじゃないですか。

● 国立音楽大学オーケストラ。指揮は尾高忠明さん。
 国立というと,声楽が注目されることが多いという印象。ところがどっこい,器楽も相当なもの。このラフマニノフは熱演というのか,見事な集中とアンサンブル。

● 緩徐楽章はあまりにも有名だけれども,ぼくには正直,ピンとこないところがあって,自分の感覚を疑いたくもなっていた。みんながわかるところを自分はわからないのか,ってね。それならそこに居直るしかないな,と。
 が,今回わかりましたよ。いいんですね,これ。いいんですよ。
 この楽章を支える屋台骨はクラリネットとオーボエだと思えたんだけど,そのクラリネットとオーボエがね,艶っぽかったですね。艶っぽい,この言い方がピッタリくるように思う。

● 長生きしたいと思った。長生きして,こういう演奏を聴きたい。生命が迸っているような,若い彼らにしてもそう何度もはできないであろう,こういう演奏を。
 そのためには長生きしなきゃ。足繁くホールに足を運ばなきゃ。ムダ弾を何発も撃つのは覚悟のうえで。そうすると,たまにこういう演奏に遭遇できる。

2014年12月9日火曜日

2014.12.07 第5回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 東邦音楽大学・東京音楽大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● 音大フェスの4回目。今年は4回とも聴くことができた。
 
● 東邦音楽大学管弦楽団はブラームスの4番。今年はブラームスのあたり年か。昭和音大が2番を,昨日は桐朋学園が1番を演奏している。
 指揮は田中良和さん。

● 第1楽章の初っ端,香気に満ちた旋律が届いた。これで客席のリスペクトを引き寄せたに違いない。
 2楽章,3楽章と進むにつれて,終わらないでくれと思った。ずっと聴いていたいよ,と。
 これはなぜなのか。技術は当然として,それ以外の要因をあれこれと考えてみるんだけど(しかし,演奏の8割は技術が決めると思う),そんなの考えたってしょうがないよなぁ,いい演奏にたゆたっていられれば幸せじゃん。

● ライヴで聴くことの幸せですね。CDだと入ってくる情報が限られる。環境を整えてCDを再生すれば,CDでもライヴ並みの情報を再現することがじつはできるのかもしれない。その程度には今の録音技術は進んでいるのかもしれない。
 おまえ,携帯プレーヤーで聴いてるんだろ,それじゃぜんぜんダメなんだよ,と言われますな。

● でも,CDが売れなくなっているのには理由があると思う。ネットにいくらでも音源が転がっているようになったからという以外の理由が。
 ライヴに行くとなれば,前後の時間がかかる。手間もかかる。家でCDを聴いてる方がずっと楽だもん。
 お金もかかる。この演奏会は750円というあり得ない料金なんだけれども,それでも外に出るとなれば,交通費もかかるし,食事だってすることになる。

● つまるところは豊かになったのだろうね。お金をかけるならライヴに,というのがかなり行き渡っていると思うんだけど,それができるようになったってことだから。
 聴き手が成熟したとも言えるのかもしれない。何でも聴くという人が減って,自分はクラシックしか聴かないとか,ジャズ一辺倒とか,細分化が進んでいるのかもしれないとも思う。

● 「短いモチーフを徹底的に全曲で用いる」のがベートーヴェンの影響だとすれば,ブラームスもまたベートーヴェンの影響下にある。
 が,たとえばシューベルトの「未完成」をそうと知らないで聴いたとして,これ,ベートーヴェンの作品だよと言われれば,ぼくなら信じると思う。
 けれども,この曲を何も知らないで聴いて,ベートーヴェンの作品だと言われても,ん?と思うだろう。

● 東京音楽大学管弦楽団は,シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。
 4管編成。ハープが2台。つまりは大編隊になる。これだけのものを自前で用意できるところが,さすがに音大。
 きかん気の強そうな川瀬賢太郎さんが登場して,さっと演奏開始。まだ30歳なのに神奈川フィルの常任指揮者。将来を嘱望される若手指揮者の一人,というかその代表。

● 大編隊での演奏にも関わらず,コンマスの独奏がけっこう登場する。しかも相当な難度で。
 これ,プレッシャーでしょうね。と思うんだけど,案外そうでもないのかなぁ。どうだい,俺の演奏は,って感じなんですか。易々とやってたように見えたんだけど。

● 指揮者もパフォーマーのひとり。川瀬さんの身体能力の高さが印象的だった。
 70歳を過ぎた指揮者はどうやるんだろう。そこはそれ,それに応じた指揮の仕方がいくらでもあるんだろうとは思うんだけど,身体能力って相当な大事ですね,指揮者の場合。

● 大編隊の演奏こそ,生とCDとの落差が大きくなる(ように思われる)。この曲を生で聴いたのは今回が初めてだし,この先,同じ機会があるのかどうかわからない。ありがたかった。
 終演後の“ブラボー”もなかなかやまず。大編隊は大編隊だというそれだけで,聴衆に訴えるものがあるんだと思うけど,もとより今回の“ブラボー”にはそれ以上の意味が込められていたはずだ。

2013年12月10日火曜日

2013.12.08 第4回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 東京音楽大学・国立音楽大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● 4回にわたって開催される「音楽大学オーケストラ・フェスティバル」の最終回。先週行われた3回目(東邦音楽大学・東京藝術大学)には行けなかったけれども,あとは行くことができた。上出来。
 お金のことばかり言って申しわけないけど,これで750円(通し券の場合)っていうのは破格。大学の行事という位置づけで,各大学からお金が出てるんだろう。学生の交流を図るというのが趣旨だとしても,充分に社会還元になってますなぁ。

● 東京に住んでれば,その還元を目一杯に味わえるわけだ。羨ましいですな。
 こちとらは,往復で4千円の電車賃がかかる。それでも聴きに行く価値はあると思っている(だから,実際,聴きに行っている)。

● 東京音大はまずベートーヴェンの8番。指揮は卒業生でもある川瀬賢太郎さん。
 ベートーヴェンの交響曲ならどれであっても,何度聴いてもいい。普段は小澤征爾指揮・サイトウキネンのCDをもっぱら聴いている。イゴール・マルケヴィチ指揮・ラムルー管弦楽団とアバド指揮・ウィーンフィルのCDも手元にあるんだけど,聴きくらべてどうのこうのという水準には達していない。それ以前に,聴きくらべができるほどのオーディオ環境を整えていない。
 だったらあとの2枚は要らないじゃないかって? さよう,しかり。でも,何となくあるんですよ。

● 今の演奏水準って半世紀前とはまるで違うんでしょうね。どんどん上手くなっているんだろうな。今聴いている学生の演奏だって,昔のプロオケの上を行っているんだろう。
 8番の流れるような旋律を聴きながら,そんなことを思ってみた。

● 次はハチャトゥリアンのバレエ「ガイーヌ」から「剣の舞」「バラの娘たちの踊り」「子守歌」「レズギンカ」の4曲。
 3曲目のオーボエのソロが印象的。さすが音大で木管が上手。弦は言うまでもないんだけど,管が巧いと全体がピッと締まる感じ。

● 国立音大はバルトークの「管弦楽のための協奏曲」を持ってきた。指揮は山下一史さん。
 バルトークが好きです,っていう人,当然いると思うんだけど,通っぽいよね。こちらが刷りこまれている予定調和をスパッスパッと切り崩してくれる。
 モーツァルトに慣れたウィーンの市民がベートーヴェンの音楽に接したときもそう思ったかもしれないし,古典派に慣れたベルリン市民がベルリオーズの幻想交響曲を初めて聴いたときにも,同じ印象を持ったかもしれない。

● 先月11日に桐朋学園が演奏したストラヴィンスキーの「春の祭典」なんか典型的にそうだと思うんだけど,この曲も下手な演奏では,簡単に雑音に転化する。ベートーヴェンの5番だったら,下手でもそれなりに聴くことはできるんだけど,この曲でそれはあり得ない。
 というわけだから,今回の演奏で聴けたのはありがたかった。穴がないオーケストラというのは,それだけで充分にすごいものだ。ぼくが感じたのはやはり木管陣の安定感なんだけど,ヴィオラが何気に良かったと思う。目立たないパートなんだけど,そういうところが冴えていると全体の格調が大きくあがる。

● あとは来年3月に選抜チームの演奏会がある。終演後にそのチケットを購入。要するに,来年3月までは生きてなきゃいけない。