栃木県総合文化センター メインホール
● 昨年に続いてお邪魔した。じじむさい男が一人でバレエを観る。そんな爺を周りがどう見ているか。まったく気になりませんね,そういうことは。っていうか,べつに誰も見ちゃいませんよね。
ちなみに申しあげれば,ぼくは女性の下着売場にも平気で行けちゃう方でね。彼女(いないけど)に頼まれれば,買ってきますよ,彼女の下着。サイズ,教えてよ。
● ただですね。この時期の休日はコンサートの盛りでもあって,そちこちで開催されてますんでね。どれにするか絞れないまま,今日になった。
で,チケットは当日券を購入。AとBの2種なんだけど,2階のB席を。2,500円。プログラムは別売で500円。
● 今回は「くるみ割り人形」全幕。結論から申しあげれば,ここまで本格的な設えの「くるみ割り人形」を観れるとは思っていなかった。行ってみるもんです。
舞台の造作から照明,衣装に至るまで,要するにチャチくない。お金がかかってる。何より,肝心なダンスが充分以上に鑑賞に耐える水準だったしね。
ほんとに問題は,こちらの鑑賞能力だけだ。
● 第1幕の終盤,「雪の精」たちが登場するときに,弦楽器のトレモロを思わせるような,小刻みなステップで進んでたんだけど,これって簡単にできるものなんですか。それともけっこう難しかったりする?
難しいんでしょうね。
● 圧巻は第2幕の「花のワルツ」だとすることに,あまり異論はないだろう。クララがたまらず躍りだしてしまうのも当然だね。
コール・ドの美しさは息をのむほどで,このあと主役二人(金平糖の精&王子)の超絶技巧やウルトラCが続くんだけど,こういうのってそれだけが突出しててもつまらない。バックが一定の水準に達していないと,主役級の超絶技巧が活きない。バックが支えきれてると,見映えがまるで違ってくるものでしょ。
オーケストラが協奏曲を演奏するようなもので,ソリストはもちろん重要な役回りなんだけれども,最終的にはバックの管弦楽が演奏の良し悪しを決める。
● かなり地味めの練習が,こうした華やかなステージを作るわけだ。演劇だろうと,オペラだろうと,ステージとバックヤードの落差は甚だしいに決まっている。
だけど,客席にいると,バックヤードに思いが届きにくいところがあるかも。バレエはステージのファンタジー性が強烈なだけに。
● クララが夢から醒めて終わるんじゃなくて,王子と次なる旅に出かけるところで終わる。これが今回のストーリー上の特徴。
「金平糖の精」っていうのは,訳語としてすっかり定着してるんでしょうね。Sugar Plum Fairyの訳語としてなら,たんに「砂糖菓子の妖精」とでもした方がいいような気がするんですけどね。
約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2013年12月25日水曜日
2012年12月24日月曜日
2012.12.23 橋本陽子エコール ドゥ バレエ 第15回記念クリスマスチャリティー公演2012
栃木県総合文化センター メインホール
● チケットはA,Bの2種。A席(3,000円)を購入していた。前から8列目。これだとステージ全体が視野に入りきらない。もう少し後ろの席がよかったんだけども,購入先の総合文化センタープレイガイドに割りあてられた席は8列目だけだというので,是非もなかった。
開演は午後5時半。プログラムは別売で500円。
● 内容は2部構成。第1部はさらにふたつに分かれてて,ひとつは,東日本大震災の復興応援を企図したものとのこと。
もうひとつは,日系ブラジル人で現在は日本にお住まいのアオキキヨミさん(車いすで生活。生け花の達人)をステージに招いての,やはりこれも応援歌と言っていいんでしょうね,ステージでダンスを繰り広げている間に,アオキさんが花を生けるという趣向のもの。
当初,ちょっとあざとさが勝ちすぎているのではないかと思ったんだけれども,アオキさんの控えめな佇まいと笑顔にも支えられて,企画として成立していた。
● 途中,ダンサーが通路に降りてきて客席を盛りあげる場面があった。ぼくは通路際に座ってたもんだから,何だかドキドキしてしまいましたよ。年がいもなくね。すぐそばにダンサーのお嬢さんがいるんだもん。
● 第2部は「くるみ割り人形」から「クララの夢 不思議の国へ」。第2幕ということになりますか。
「花のワルツ」でのコール・ドが見どころの最たるもの。期待以上のものを見せてもらった感じ。凜とした感じがとてもいい。
それを支える身体能力の高さと稽古の質量。ダンスのデザイン。衣装。どれもこれも水準が高い。
● 構成が当初の予定とは異なったらしい。販促チラシを作り直しているからね。ひとつのステージを作りあげるまでには,多くの細々とした交渉ごとや根回しがあるはずで,裏方の仕事も大変でしょうね。
ステージに登場する人たちだけでステージが成立しているわけじゃないもんなぁ。
● チケットはA,Bの2種。A席(3,000円)を購入していた。前から8列目。これだとステージ全体が視野に入りきらない。もう少し後ろの席がよかったんだけども,購入先の総合文化センタープレイガイドに割りあてられた席は8列目だけだというので,是非もなかった。
開演は午後5時半。プログラムは別売で500円。
● 内容は2部構成。第1部はさらにふたつに分かれてて,ひとつは,東日本大震災の復興応援を企図したものとのこと。
もうひとつは,日系ブラジル人で現在は日本にお住まいのアオキキヨミさん(車いすで生活。生け花の達人)をステージに招いての,やはりこれも応援歌と言っていいんでしょうね,ステージでダンスを繰り広げている間に,アオキさんが花を生けるという趣向のもの。
当初,ちょっとあざとさが勝ちすぎているのではないかと思ったんだけれども,アオキさんの控えめな佇まいと笑顔にも支えられて,企画として成立していた。
● 途中,ダンサーが通路に降りてきて客席を盛りあげる場面があった。ぼくは通路際に座ってたもんだから,何だかドキドキしてしまいましたよ。年がいもなくね。すぐそばにダンサーのお嬢さんがいるんだもん。
● 第2部は「くるみ割り人形」から「クララの夢 不思議の国へ」。第2幕ということになりますか。
「花のワルツ」でのコール・ドが見どころの最たるもの。期待以上のものを見せてもらった感じ。凜とした感じがとてもいい。
それを支える身体能力の高さと稽古の質量。ダンスのデザイン。衣装。どれもこれも水準が高い。
● 構成が当初の予定とは異なったらしい。販促チラシを作り直しているからね。ひとつのステージを作りあげるまでには,多くの細々とした交渉ごとや根回しがあるはずで,裏方の仕事も大変でしょうね。
ステージに登場する人たちだけでステージが成立しているわけじゃないもんなぁ。
2012年9月17日月曜日
2012.09.16 橋本陽子エコール ドゥ バレエ 宇都宮スタジオ創立45周年記念公演
栃木県総合文化センター メインホール
● バレエを観に。「ジゼル」全幕。席はA・Bの2種。A席が3,000円でB席が2,500円。A席を取っていた。プログラムは別売で1,000円。開演は午後2時。
● 「ジゼル」の前に,言葉は悪いけれど,前座があった。この学校の生徒さんたちの発表会といった意味合いのものでしょう。
ただし,侮ってはいけない。ぼくには充分に面白かった。っていうか,これで満足してしまったせいか,「ジゼル」の印象がやや薄くなった。
● モダンダンスというのかコンテンポラリーというのか,男女ふたりによる「Connect」。楽しめた。ちょっとシュールっていうか,あ,現代ってこんな感じだよな,って。ま,現代に限らず,若者っていつの時代でもこんな感じかなぁ。
もちろん,そんなのはこちらの勝手な解釈で,そういうことを狙ったダンスではないんだろうけどね。
● 「みにくいあひるの子」もまとまっていた。お母さん役のダンサーが印象に残りましたね。可愛いかったからね。
● トウシューズを履いてつま先立ちができるってだけで,ぼくにしたら驚異。なんでそんなことができるのだ。
その状態で細かく歩いたり,クルクル回ったり,小さくジャンプするんだからね。無茶なことするなぁと思うんだけどね。
足の甲を極端に外側に向けるのもそう。バレエってダンサーに不自然な動きを強いる。
でも,その不自然な動きがきれいなんだよねぇ。不自然な動きがダンサーをきれいに見せる。美は自然にありってのは,嘘だなぁ。自然にしてたんじゃきれいにならない。
● さて,「ジゼル」。ひと言でいえば,豪華絢爛。こういうものを宇都宮でも観ることができるんですな。ありがたいね。
主演ダンサーの遅沢佑介さんは,宇都宮の星。彼のようなスターが出てくれると,バレエ全体が盛りあがっていくんでしょうね。少なくとも栃木県ではバレエ界に追い風が吹いている,と。いや,そんな単純なものでもないのかな。
● 第2幕を観ながら感じたこと。ソロやデュエットの「超絶技巧」よりも,女性ダンサーの群舞の方をぼくは好むようなんです。なぜかというと,女性美の極致のひとつが,わかりやすく展開されるからかなぁ。
あのね,女性美ってつまるところ,セクシーさなんですよ。間違っているかもしれないんだけど,今のところはそう思っている。ま,男性が創りだす美もまた同じかもしれないんだけどさ。
● 「極致のひとつ」というと,極致が複数あるのかよと突っこまれそうだな。極致はひとつだとしても,その表現方法は複数ありますよね。
たとえば,日本舞踊。日本舞踊にはバレエのようなダイナミックな動きはない。静かにゆっくりと動く。でも,その過程でゾクゾクするようなセクシーさを感じることがある。そういうことです。
● で,バレエの表現なんですけど。
女性美=セクシーならば,裸で踊ればいいじゃないかなどと,マヌケなことは言わないでくれよ。裸で踊ってセクシーを表現できるんだったら,苦労はないって。
先にも書いたけれども,美って反自然的な動きに宿る。天然の世界に美はない。リアルではなくヴァーチャルなもの。放っておかれると消えてしまうもの。
● そのヴァーチャルな美を生身の身体で表現しようとするところに,バレエの真骨頂がある。
そのためには,長年にわたって鍛えあげた身体と,その身体を使った高い表現能力がどうしたって必要だ。考え抜かれた演出と振付も要るのだし,架空の舞台も設定されなければならないのだ。
って,何をホザいてるんだか,オレ。
● チャイコフスキーのような例外はあるにしても,バレエ音楽って音楽だけ聴いてもあまり面白くない感じ。
オペラもそうだけれども,バレエのストーリーもたいては大雑把で単純,かつ荒唐無稽なもの。
要するに,音楽や物語ではなく,メインはステージ上のダンスにある。あたりまえすぎるほどあたりまえのことだけど。
● であるならば,ダンサーは個としても美しくなければならない。そうであるために,ダンサーたちは涙ぐましいまでの努力をしているものだろう。
もし,ぼくがとんでもない身体能力の持ち主であったとしても,バレエのステージに立つことはおそらく許されまい。
● なおかつ,プロスポーツと同じで,第一線で活躍できる期間は,自ずと限られるだろう。
ゆえに,バレエのステージにはある種の儚さが漂うはずだ。そういうものに人生を賭けた人たちの覚悟と哀感。アマチュアが好きでやっているのなら,話は別だけれど。
今回の公演で,その哀感を感じることはなかったけれども,それを感じたがっている自分がいることは感じた。そんなのはおまえだけだよって言われるかもしれないんだけどさ。
● すべての公演が終了したのは午後6時。二度の休憩をはさんで,4時間の公演だった。
プログラム代を含めて4千円でこの4時間を過ごせれば,まずもって文句はないです。世間の憂さを忘れてファンタジーに身をまかせるって,相当に気持ちがいい。
次回は12月23日に,同じ県文センターでクリスマス・チャリティー公演がある。
● バレエを観に。「ジゼル」全幕。席はA・Bの2種。A席が3,000円でB席が2,500円。A席を取っていた。プログラムは別売で1,000円。開演は午後2時。
● 「ジゼル」の前に,言葉は悪いけれど,前座があった。この学校の生徒さんたちの発表会といった意味合いのものでしょう。
ただし,侮ってはいけない。ぼくには充分に面白かった。っていうか,これで満足してしまったせいか,「ジゼル」の印象がやや薄くなった。
● モダンダンスというのかコンテンポラリーというのか,男女ふたりによる「Connect」。楽しめた。ちょっとシュールっていうか,あ,現代ってこんな感じだよな,って。ま,現代に限らず,若者っていつの時代でもこんな感じかなぁ。
もちろん,そんなのはこちらの勝手な解釈で,そういうことを狙ったダンスではないんだろうけどね。
● 「みにくいあひるの子」もまとまっていた。お母さん役のダンサーが印象に残りましたね。可愛いかったからね。
● トウシューズを履いてつま先立ちができるってだけで,ぼくにしたら驚異。なんでそんなことができるのだ。
その状態で細かく歩いたり,クルクル回ったり,小さくジャンプするんだからね。無茶なことするなぁと思うんだけどね。
足の甲を極端に外側に向けるのもそう。バレエってダンサーに不自然な動きを強いる。
でも,その不自然な動きがきれいなんだよねぇ。不自然な動きがダンサーをきれいに見せる。美は自然にありってのは,嘘だなぁ。自然にしてたんじゃきれいにならない。
● さて,「ジゼル」。ひと言でいえば,豪華絢爛。こういうものを宇都宮でも観ることができるんですな。ありがたいね。
主演ダンサーの遅沢佑介さんは,宇都宮の星。彼のようなスターが出てくれると,バレエ全体が盛りあがっていくんでしょうね。少なくとも栃木県ではバレエ界に追い風が吹いている,と。いや,そんな単純なものでもないのかな。
● 第2幕を観ながら感じたこと。ソロやデュエットの「超絶技巧」よりも,女性ダンサーの群舞の方をぼくは好むようなんです。なぜかというと,女性美の極致のひとつが,わかりやすく展開されるからかなぁ。
あのね,女性美ってつまるところ,セクシーさなんですよ。間違っているかもしれないんだけど,今のところはそう思っている。ま,男性が創りだす美もまた同じかもしれないんだけどさ。
● 「極致のひとつ」というと,極致が複数あるのかよと突っこまれそうだな。極致はひとつだとしても,その表現方法は複数ありますよね。
たとえば,日本舞踊。日本舞踊にはバレエのようなダイナミックな動きはない。静かにゆっくりと動く。でも,その過程でゾクゾクするようなセクシーさを感じることがある。そういうことです。
● で,バレエの表現なんですけど。
女性美=セクシーならば,裸で踊ればいいじゃないかなどと,マヌケなことは言わないでくれよ。裸で踊ってセクシーを表現できるんだったら,苦労はないって。
先にも書いたけれども,美って反自然的な動きに宿る。天然の世界に美はない。リアルではなくヴァーチャルなもの。放っておかれると消えてしまうもの。
● そのヴァーチャルな美を生身の身体で表現しようとするところに,バレエの真骨頂がある。
そのためには,長年にわたって鍛えあげた身体と,その身体を使った高い表現能力がどうしたって必要だ。考え抜かれた演出と振付も要るのだし,架空の舞台も設定されなければならないのだ。
って,何をホザいてるんだか,オレ。
● チャイコフスキーのような例外はあるにしても,バレエ音楽って音楽だけ聴いてもあまり面白くない感じ。
オペラもそうだけれども,バレエのストーリーもたいては大雑把で単純,かつ荒唐無稽なもの。
要するに,音楽や物語ではなく,メインはステージ上のダンスにある。あたりまえすぎるほどあたりまえのことだけど。
● であるならば,ダンサーは個としても美しくなければならない。そうであるために,ダンサーたちは涙ぐましいまでの努力をしているものだろう。
もし,ぼくがとんでもない身体能力の持ち主であったとしても,バレエのステージに立つことはおそらく許されまい。
● なおかつ,プロスポーツと同じで,第一線で活躍できる期間は,自ずと限られるだろう。
ゆえに,バレエのステージにはある種の儚さが漂うはずだ。そういうものに人生を賭けた人たちの覚悟と哀感。アマチュアが好きでやっているのなら,話は別だけれど。
今回の公演で,その哀感を感じることはなかったけれども,それを感じたがっている自分がいることは感じた。そんなのはおまえだけだよって言われるかもしれないんだけどさ。
● すべての公演が終了したのは午後6時。二度の休憩をはさんで,4時間の公演だった。
プログラム代を含めて4千円でこの4時間を過ごせれば,まずもって文句はないです。世間の憂さを忘れてファンタジーに身をまかせるって,相当に気持ちがいい。
次回は12月23日に,同じ県文センターでクリスマス・チャリティー公演がある。
登録:
投稿 (Atom)


