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2024年11月30日土曜日

2024.11.30 第15回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 武蔵野音楽大学・東京音楽大学・国立音楽大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● ミューザで音大フェスの2日目。まず,武蔵野のサン=サーンス「オルガン付き」。指揮は現田茂夫さん。
 迫力充分。サン=サーンスが躍動する。

● そりゃあね,細かいミスがないわけではない。けど,いいんですよ,そんなものは。
 若い人たちの全力投球は必ず何かを生む。と感じるのは,自分が年寄りだからかもしれないのだが。
 この曲だからオーボエが最も目立つ。女子学生が見事に演じきった。

● 東京はプロコフィエフの5番。指揮は広上淳一さん。
 悠揚迫らざる初動からプロコフィエフが紡ぎ出すいくつもの物語あるいは情景を,きっちりと音に変えていく。緻密でありながら縮こまっていないのは,実力があればこそ。

● 来月4日定期演奏会でも演るのだけれとも,こうした演奏をまとめて聴けるのが音大フェスのフェスたる所以でしょ。
 関西でも「関西の音楽大学オーケストラ・フェスティバル」があるらしい。大阪音楽大学,大阪教育大学,大阪芸術大学,京都市立芸術大学,神戸女学院大学,相愛大学,同志社女子大学,武庫川女子大学の8大学が参加する。
 が,これは,これら8大学の合同チームによる1回だけの演奏会のようなんだよね。

● 国立はレスピーギの「ローマの噴水」と「ローマの松」。指揮は高関健さん。
 こちらは明日の定演で同じ曲を演奏する。おそらく,今日の方が観客は多いはず。予行演習という感じは皆無。

● 噴水より松の方が耳に馴染みがある分,ちゃんと聴けたと思うんだけども,その “ちゃんと” がどの程度なのかはわれながら疑問。
 こういう演奏を続けて3本というのは,ありがたい一方で,聴き手にも相当な重量がある。今回は芸劇が使えないので,3日で全日程を終えるというスケジュールになったのだと思うが。
 しかし,こちらも気合いを入れていかんとね。

● ぼくの隣の男性氏がブラボー屋だった。ブラボーと叫ぶのは,若くて元気のいい人なのかと思っていたんだけども,普段は冴えない,ひょっとすると仕事も普通にできてるのかと疑わしいような,中年のオッサンが多かったりするんだろうかね。
 案外,そうかもしれないな。女性には相手にされないよえなタイプの,くたびれた感じの中年男が多いのかもしれないよ。

2021年11月30日火曜日

2021.11.26 第12回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 上野学園大学・武蔵野音楽大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● 夜の東京芸術劇場にやってきた。じつはちょっと早とちりをしていて,この音大フェスの開演時刻はすべて15時だと思っていた。今までがそうだったから。土日開催で15時から。
 ところが今日は平日の金曜日で,平日なら夜公演にしないとお客さんが来れなくなる。ので,今回だけは19時だったのだ。
 けれども,19時からの公演を最後まで聴くと,今日中に家に帰り着くことが難しくなる。北関東の在から出ていくと,こういう問題がある。

● ので,通し券を買っているけれども,今日だけは諦めるしかないという結論にいったんはなった。
 しかぁし。「一休」で都内のホテルをチェックしてたら,この日,3,072円で泊まれるビジネスホテルがあったのだ。これなら泊まれるぞ,と。
 ので,チェックインして風呂に入って,ここにやってきた。優雅なものだ。ホテルは浅草なので,銀座線 → 半蔵門線 → 丸の内線と乗り継いだ。

● ということで,開演は19時。結論は聴きに来て正解だったということ。
 上野学園はベートーヴェンの1番とシベリウス「フィンランディア」。指揮は福島康晴さん。
 どちらも何度も聴いている曲だが,ぼくは「フィンランディア」の方により大きく感応した。これほどしっとりと届く「フィンランディア」を過去に聴いたことがあったろうかと,記憶をまさぐってみる。

● こういう心的操作をすることが無意味であることはわかっている。過去に聴いたことがあろうとなかろうと,そんなことはどうでもいい。「今,ここ」に集中すべきなのだ。過去を探っても仕方がない。
 でも,まさぐってしまった。しっとりとじんわりと入ってくる。

● 武蔵野音大はブルックナーの7番。指揮はルドルフ・ピールマイヤー氏。ドイツ連邦軍中央音楽隊の隊長で,武蔵野音大の客員教授だそうだ。
 ブルックナーを聴くのは久しぶりだ。その久しぶりがこの音大フェスであったのは幸いだ。渾身とはどういうものか,こういうものだ。そういう演奏ですよね。

● プロの演奏よりも音大フェスを聴きたいとぼくは思っているのだけど,その理由になりうるキーワードのひとつが “渾身” だろう。彼ら彼女らにしても,今しかできない演奏じゃなかろうか。数年後にこのメンバーを招集できたとしても,今日と同じ演奏ができるか。できないのじゃないか。
 一期一会感が強烈にある。 “渾身” と “一期一会” がこの音大フェスの大いなる魅力といっていいのだと思う。

● 彼ら彼女らの中で,プロとして立っていける人はひと握りしかいないと言われる。ひと握りでも多すぎるとして,ひと摘みだと言う人もいる。
 そのとおりなのだと思うのだが,そのプロの演奏よりも,今日の只今現在の彼ら彼女らの演奏の方が力がある。刹那の力に過ぎないのだとしても,力がある。

● 東京まで出て聴くのはこの音大フェスに限ることにしようか。それ以外は地元に沈潜することにしよう。そうだ,そうしよう。いつから? 今日からだ。
 すでにチケットを買ってしまっている演奏会は聴きに来るけれども,それ以外に東京に出張るのはこの音大フェスに限る,と決めてしまおう。
 唐突にそう思った。年金生活者になってそろそろ使えるお金も限られてくるのでね。

● 開演時刻よりだいぶ前に着座したのだが,退屈することはなかった。武蔵野音大の機関誌があって,ご自由にお持ち下さいとなっていた。ここに将棋の佐藤天彦元名人の対談記事があったので,それを読んでいたからだ。
 元名人の趣味のひとつがクラシック音楽だというのは知っていたけれども,ここまで深く入れ込んでいたとは知らなかった。並みのクラシック音楽好きとは一線も二線も画している。渡辺名人の競馬と比べるとどうなんだろうか。
 将棋との関連で,「なかなか壁を突破できずにいたんですね。そんな時,これからの人生で将棋だけに傾注するのは少し寂しいなと感じ,ピアノを習おうと決心しました。そして,ピアノを始めてからそれほど時を経ずに,自分でも不思議な感覚でしたが,将棋の結果が出始めました」と語っている。

● 上野学園は学生募集をやめるとか学内ホールを売却するとか,なかなかシビアな状況にあるようなのだが,短大は今後も存続する。来年の音大フェスにも参加する。

2020年11月30日月曜日

2020.11.28 第11回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 武蔵野音楽大学・桐朋学園大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

ミューザ川崎
● コンサートホールとしては日本一(だとぼくは思っているのだが)のミューザ川崎にやってきた。1階のクリスマスツリーがだいぶ小さくなったんじゃないか? いや,別にいいんだけどさ。
 音大フェスの2日目。今日は武蔵野音大と桐朋学園。


● 全席指定だが,コロナ配慮で座席の半分しか指定していない。そのうえで,座席は完売しており,当日券の販売はなかった。
 が,実際には空席がそれなりにあった。ここ数日,コロナ感染者が急増したのを受けて,外出を見合わせた人が多かったのかと思う。


● コロナに対してどう対応するかは,人それぞれ。自分なりの対応をなさればよいのだと思うが,三密を避け,盛りあがっている集団に近づかず,手指の消毒を億劫がらず,無症状でも陽性かもしれないから人に染さないためにマスクを付け(マスクに防御効果はまったくないわけだよね),外ではとにかく喋らないようにする。
 そうしたうえで感染拡大局面であっても外出する。逆に,落ち着いたからといって,それらを緩めてしまうのは危険極まりない。外部状況がどうなろうと,そのことによって自分の行動を制約されたくない。


● 世の中にはコロナを飯の種にしている人がいて,そうした人たちがまたぞろ,GoToを停止しろとか,東京や札幌,大阪には行くなとか,東京の人はこっちに来るなとか,喧しいことになっているのか。ぼくはテレビを一切見なくなったので,ワイドショー被害は受けずにすんでいるけど。
 これまでの経験でわかっているのは,電車はどうやら安全らしいということ。それゆえ,この状況であっても電車での移動にためらいを覚えることはない。昨日から東京に泊まって,地下鉄であっちに行ったりこっちに行ったりしている。


● ただ,電車の中で喋っている人がいるとイヤだなと思ってしまう。マスクを付けていないのはまったく構わないのだが,マスクを付けていても喋られるとイヤだな,と。
 この状況では,口は最も危険かつ最も汚い排泄器官だ。だから女性の複数連れには距離を置くのだが,70代の爺さんたちもけっこうペラペラ喋っているんだよね。
 コロナの最も厄介なところはここだ。人間の根源的な欲求である Face-to-Face のコミュニケーションや雑談に対して,かなり強力な抑制因子になっているところだ。人間が群生動物であることを,あらためて教えてくれたわけだ。
 言っちゃ何だが,ぼくはそのコミュニケーション欲が微弱なのでまったくといっていいくらいダメージは受けていないんだけど,ストレスを感じている人がけっこうな数いるのではないか。

● 脱線が過ぎた。本題に戻る。武蔵野音大はブラームスの2番。指揮は貴公子が服を着て棒を振っているように見える北原幸男さん。
 正統というか王道というか,正々堂々のこの曲を,武蔵野音大の若きヴィルトゥオーソ(の卵)たちが奇を衒わない堂々の演奏で形にする。
 12月2日にも東京芸術劇場でこの曲を演奏するらしい。平日ゆえ,聴衆も大学関係者がメインになるのかもしれない。おそらく,客席がより客席らしくなるのは今日の方だと思う。


● 今回のぼくの席は,ほとんどP席といってもいいくらいのところ。音の聴こえ方がいつもとは違う。
 見えないところからも聴こえてくる。打楽器や金管の一部がそうなのだが,それが自分の真下から聴こえてくるふうなんですよ。妙な感じがする。
 要は慣れなんだろうけれども,こういう場所に客席があるホール自体がそうそうないから,なかなか慣れることはできそうにない。


● 次は桐朋学園。2曲,演奏。指揮は高関健さん。
 コープランド バレエ組曲「アパラチアの春」
 ベートーヴェン 交響曲第5番 ハ短調


● 「アパラチアの春」は小管弦楽用に書かれた。が,今回聴いたのは,コープランド自身がオーケストラ用組曲に編曲したもの。今では「アパラチアの春」といえばオーケストラ版を指すのだろう。ぼくの手元にあるCDも同じ。
 が,問題は,こうして生演奏を聴く機会でもないとCDも聴かないことだ。逆に言うと,こうした機会があると1回はCDも聴くことになる。それっきりで終わることもあれば,ずっと聴くことになる場合もある(ない?)。


● ベートーヴェンの5番は“勁さ” を彫刻したこの世の至宝。人類がこの曲を持てたのはほとんど奇跡だと思えるほどだ。
 途中から泣きそうになった。何というカタルシス。どうしようもない,ここまでの演奏をされては。第1楽章のオーボエ,第3楽章のチェロ,第4楽章のトランペット。
 ほとんどプロ級の演奏で,正直,ぼくの耳ではこの桐朋の演奏とN響の演奏を目隠しで聴いたら,区別はできない自信がある。


● この演奏でベートーヴェンの5番をもう一度聴けるとして,いくらまでなら出せるだろうかと下世話なことを考えた。とりあえず,5,000円までは出すなという結論に至りましたよ。
 で,1月12日の定期は1,500円だ(曲目は違うが)。当然行くでしょというわけで,e+(イープラス)のサイトでチケットを買おうとしてるんだけども,パスワードが違うらしくて買えない。困ったものだ。


● この音大フェス,4回にわたって8団体の演奏がある。当然,指揮者も8人登場する。
 その8人のうち,じつに7人が桐朋で学んでいる。正直,桐朋はちょっと別格という感じがする。 

2019年12月3日火曜日

2019.12.01 第10回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 東京音楽大学・武蔵野音楽大学・洗足学園音楽大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 音大オケフェスについて感じることのあれやこれやについては,昨日,述べた。ので,今回は,単純に演奏について。あと,若干はどうでもいことに駄弁を弄するかもしれない。
 開演は午後3時。昨日の東京芸術劇場もそうだけれど,駅から近いのは助かる。それで最も困るのがサントリーホールだよね。地下鉄駅からだってけっこう歩くもんね。
 と,さっそく駄弁を弄してしまったけれど,開演は午後3時。

● まず,東京音大。バルトーク「管弦楽のための協奏曲」。指揮は石﨑真弥奈さん。
 女性の指揮者の活躍も,たとえば沖澤のどかさんとか,増えていると思うんだけど,スカートで指揮をしている女性指揮者ってまだ見たことがないよね。必ず,パンツ。
 これって,何でなの? そういう規則があるわけではないだろうから,スカートではまずい理由が何かあるんでしょうかね。スカートでは追いつけない運動量があるとかそういうこと? まさか女性性が強調されすぎるからなんてことではないんだろうからね。

● プログラム冊子の「楽曲紹介」が役に立つ。最初の8行。なるほど,そう考えればいいのか,と思った。
 ここまで割り切ってくれると小気味いいや。説得力もある。

● 武蔵野はじつにベートーヴェン「荘厳ミサ曲」。指揮は飯守泰次郎さん。昨年は「第九」だった。4日の演奏会が本番。今日はそのリハーサルというか,本番前の本番(?)。
 東京音大の「管弦楽のための協奏曲」もそうだけれども,冥途の旅の一里塚が今日のプレ本番ということのようだ。

● 4日は水曜日だから行けるはずもなく,今日聴けるのはとてもラッキーだ。
 当然,ソリスト,合唱団も自前。音大ならではの総合力の具現化。

● これはもう教会で神に捧げるために演奏するミサ曲ではないでしょ。世俗のミサ曲というか,ミサ曲を結界で守られる教会から巷に引きずり出したという感じですよね。
 そこにベートーヴェンの面目を見るかどうかは,その人のベートーヴェン観の問題だけれども,ベートーヴェンが生きた時代というのは,そういう時代だったのかもしれない。よくわからんが。

● 洗足はチャイコフスキーの4番。指揮は秋山和慶さん。
 絶品と申しあげておく。聴きながら何度も脈が速くなったり遅くなったりした(?)。
 第2楽章冒頭のオーボエが完璧に近い。どこで息継ぎをしたのか。息継ぎなしであれをやりとげたのか。
 ロシア音楽を形容するのに「金管の咆哮」という語句がわりと使われる。そのとおりなのだけれども,金管をあそこまで全開にすると音が割れるのが普通にあると思うのだが,そういうことが皆無。
 第3楽章の弦のピチカートも見事なもので,色気を感じた。

● チャイコフスキーは5番と6番がいいと思うのだが,今日よりしばらくは,「チャイコフスキー? 4番が一番だよ。4番を聴かなきゃダメだよ。ムラヴィンスキーでもカラヤンでもいいからさ,とにかく聴かなきゃダメだよ」てなことを言いそうな気がする。

● クラシック音楽→芸術→勉強しないとわからないもの=高尚なもの,という図式があるとして,いやそうでもないよというのをわかりやすく示してくれるのがチャイコフスキーだと思う。エンタテインメント性が濃いというかね。
 しかし,チャイコフスキーが見ていた何か深いものがあったはずで,その何かを抉りだすようにして,ほら,これでしょ,と差しだされたような,そういう感じの演奏ね。

● 差しだされて,なるほどこれか,とぼくが思えたのなら,“感じの”は省略していいのだが,聴き手がそこまでの水準には達していないので,“そういう感じの演奏”という表現になった。
 しかし。こういう演奏が聴けるのだから,このイベント,来年もあって欲しい。

● 3月には例によって,各大学を横断するオールスターチームで,ストラヴィンスキー「春の祭典」を演奏する。
 生とCDとの落差が大きい曲だ。ぜひ,聴いておきたいが,じつはチケットを買いそびれた。“ぴあ”で買っておくか。当日券もあると思うが。

2018年11月30日金曜日

2018.11.24 第9回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 東京藝術大学・武蔵野音楽大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 死ぬ間際に,どれかひとつだけ食べられるとなったら,何を選ぶだろうか。豚肉と野菜のハウスバーモントカレーか,永谷園のお茶漬け海苔か,納豆ご飯か,子供の頃に母親が作ってくれた醤油味の焼き飯か。寿司とかラーメンにはならないような気がするが,けっこう迷って決められない。
 しかし,音楽のコンサートをひとつしか聴けないとなったら何を選ぶか。これに関してはほとんど迷いがない。このコンサートにすると思う。厳密には4回あるんだけれど,まとめてひとつということで。

● 音楽を専攻する若き学生たちの,1回に込める思いの質量の絶対的な大きさが,ヒリヒリするような緊張感に満ちた演奏を生む。
 通し券を買っていたこともあるんだけど,4回全部を聴くことは,ぼくのような暇人にも難しい。が,今年は,たとえ行けない回があろうとも,通し券を買ってしまおうと思う。

● 8月26日にミューザに行ったので,音大フェスの通し券を購入。1回1,000円のところ,通し券だと750円になる。が,通し券用の席はあまりいいところは用意されていないようだ。
 たぶん,1回券を買った方がトータルではお得かもしれない。ということを,前にも言ったような気がする。ま,気は心というやつで,通し券を買っておこうと思ったわけだから,それでかまわないと思っているんだが。

● さて,今日はその1日目。開演は午後3時。
 客席はほぼ満席。空席はそれなりに見受けられたのだが,たぶんチケットは買ったものの,都合がつかなくなった人がそれなりの数いたのだろう。その程度の空席。
 このフェスティバルは,首都圏の音大生が渾身をこめて演奏するし,わが国を代表する錚々たる指揮者が指揮をするし,会場はミューザと芸劇だ。演奏,指揮,会場と3拍子揃っているわけで,それでいてチケットはたったの1,000円なのだ。
 とりあえずチケットは買っておくかという人がいて当然。万難を排して都合をつける価値がある演奏会だと思うのだが。

● ぼくの席は,ステージの(客席中央から見て)左側。1st.Vnの奏者の背中を見る感じのところ。指揮者の表情や動きはよく見える。
 こういう席も悪くはない。というか,こういう席があるホールはそんなに多くない。ミューザの他にはサントリーホールくらいしか知らない。“みなとみらい”もそうだったか。

● 藝大はバルトーク「管弦楽のための協奏曲」。指揮は梅田俊明さん。
 迫真の演奏というか。この曲はわりと演奏される機会が多いが,これほど真に迫った(という言い方は変か)演奏を過去に聴いたことがあったろうかと,記憶をまさぐってみた。うぅん,あったかもしれないのだが,記憶にはひっかかってこない。

● 何なんだろうかなぁ,空気をパリーンと凍らせるようなというか,呼吸をするのも許さないというかなぁ,そういう緊張がステージから発し,あっという間にホール全体を覆ってしまう。
 音楽の楽しみ方って,揺り椅子でくつろぎながらというものではないんだよねぇ。いや,そういうのもあるんだろうけど,それだけじゃない。
 そんな聴き方をしたんじゃ,こちらが呑まれてしまう。客席でこちらも演奏に対峙するというか,迎え撃たないと,“楽しむ”こともできない。
 でもって,そういう聴き方を強いられることにも,ある種の快感がたしかに存在するのだと思わされる。

● 武蔵野音楽大学は「第九」を持ってきた。指揮は北原幸男さん。ソリストも当然,自前。合唱団も同じだろう。
 難しさに満ちていると思われる緩徐楽章も,さすがは音大と思わせる仕上がり。こういうふうにやればいいのか。って,頭ではわかっても実際にやれるかというとね。

● おばちゃん(おじちゃん)とお婆ちゃん(お爺ちゃん)がいない合唱団は,それだけでとてもいい。何もしないで立っているうちから,見た目の美しさが違う。ということを,お爺ちゃんのぼくが言ってはいけないのだが。
 「第九」を聴くのは今年2度目なんだけど,こういうのを聴くと,今年は「第九」はもういいかなぁと思ってしまう。満たされた。「第九」のシーズンはこれからなんだけど,今年はもういいか,と。

● ところで。北原さんは暗譜で振っていた。「第九」ではそれが普通なんだろうか。って,そんなことはないと思うんだけど。
 とまれ。1日目から美味しかったよ。大満足で,千里の彼方にある自宅を目指したんでした。

2015年11月11日水曜日

2015.11.08 第6回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 武蔵野音楽大学・洗足学園音楽大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● 今年も開催される首都圏の音楽大学オーケストラ・フェスティバル。著名な指揮者が音大の学生オケを率いて競演する。チケットは1,000円。破格の安さだ。ぼくは通し券を買っているので,750円。
 問題は,自分を会場まで運んでいくための電車賃が3,790円ほどかかること(自治医大駅でいったん降りて,「休日おでかけパス」を買う)。しかし,それでも聴きに行く価値は充分にある。今回で3年目になる。

● 初回の今日は,武蔵野音楽大学と洗足学園音楽大学。開演は午後3時。
 武蔵野音楽大学管弦楽団はシベリウスの2番。指揮は梅田俊明さん。

 今,ここで演奏している学生たちの多くは,演奏家ではない道を進むのだろう。そこは音大だからといって他の学部とあまり異なるところはないだろう。
 問題は,法学部や経済学部,文学部といった普通の学部であれば,普通に高校生をやっていればいい。そのために意識して抑制することなど何もなくてすむ。何もなくてすむと言い切ってしまっていい,とぼくの経験から言っておく。

● ところが,音大に入るためには,子どもの頃から楽器をやっていなければならない。1年か2年,受験勉強的に楽器の練習をして入れるものではないだろう。
 楽器の練習のために,やりたいと思ったのにやれなかったことも多かったに違いない。そこが普通の学部とは違う。

● 入学前に投じてきた時間と労力(たぶん,お金も)がまるで違うのだ。加えて,入学時にすでに進路の幅を大きく制限されることを,自ら受け入れているように思われる。会社員や公務員といった普通のサラリーマンになりたいとは思っていないだろうから。
 入学後も,法学部や経済学部の学生は勉強などしないですむけれども,音大だとレッスン漬けになるのではないか。入学後の過ごし方も他とはだいぶ異なるものになる。

● にもかかわらず,学生の多くはサラリーマンになる。そこの屈折はいかほどのものなのか。案外,そういうものだと受け入れているのかもしれないけど。
 そういう目で見てしまうからなのか,ステージの学生たちに純なるものを感じてしまう。ま,こちら側のたんなる感傷なのだろうけどね。

● してみれば,多くの学生にとっては,今回の演奏が今までの20年近いあれやこれの体験の集大成なのだろう。
 プロの演奏家になるのでもない限り,卒業後にこれまでと同じ質量のレッスンを継続することは難しいはずだから,それぞれ自分史上最高の演奏をするのが今回なのかもしれない。

● という気持ちでシベリウスを聴く。しみじみとした演奏だった。終演後はいくつかブラボーの声が飛んだ。ぼくの隣のお父さんも叫んでいた。

● 洗足学園音楽大学管弦楽団は「展覧会の絵」。指揮は秋山和慶さん。
 3日にも聴いたばかりの曲だ。そのときは,サクソフォンをクラリネットと間違えるというチョンボを犯した。
 今回はそこはさすがに誤らなかったけれども,さて,どこまで聴けたものやら。

● ぼくはプロオケの演奏はさほど聴いた経験がないので,あまり語る資格がないんだけど,たぶん,プロの演奏を聴いても,ここまで襟を正す気持ちになるかどうか。
 演奏に載せているものの大きさ。それが彼らは違うように思う。そこが直截に伝わってくるというか。
 終演後はこちらも疲れている。もちろん,心地のいい疲れではある。

● ただし,それもこちらの感傷のせいかもしれない。聴くという行為にもたぶん創造的な部分があるのだと思うけど,そこを聴き手が自在に操れるものではないのだろう。

2014年11月25日火曜日

2014.11.24 第5回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 上野学園大学・武蔵野音楽大学・洗足学園音楽大学

ミューザ川崎 シンフォニーホール

● 音大フェスティバルの2回目。開演は午後3時(これは各回とも統一されている)。

● まず,初登場の上野学園大学。指揮は下野竜也さん。客席もほのぼのとした拍手で初登場を歓迎した感じ。
 ウェーベルンの「管弦楽のための5つの小品」。ウェーベルンはシェーンベルクのお弟子さん。プログラムノートの楽曲紹介によれば,ウェーベルンは「極度に凝縮した音楽のあり方を模索した」人であるらしい。
 「伝統的な和声や旋律,形式といった概念が後退」し,「揺らめきや震え。かすかに気配を漂わせ,一瞬のうちに沈黙の中に消え去ってしまう,何か」が浮かび上がるというのだが,聴いてみるとたしかにそのとおりだった。

● が,その「何か」が何なのか。それは聴いた後もわからない。こういうのはわかろうとしてはいけないものなのかもしれないとも思った。
 わかるというのは,自分にとって既知の知識や概念に組み込んで,違和感を取りのぞくことだから。そんなことをしたのでは,せっかくの「何か」が死んでしまうかもしれない。
 脈絡のない5つの夢を続けて見たような感じもした。

● 次はモーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」。CDでは何度も聴いているこの曲も,生でとなると,あんがい聴く機会がない。
 演奏する側にとっては,道は単純でわかりやすいけれども,幅員が狭くて,無事に通り抜けるのはそんなに簡単じゃないってことになるんだろうか。
 下野さんの指揮ぶりも見所のひとつだったと思う。

● 武蔵野音楽大学は,バルトークの「管弦楽のための協奏曲」を用意。指揮は時任康文さん。
 この曲もぼくには難解。バルトークは何をしたかったのだ? それがわからなくてね。曲を聴いたんだろ,それが俺のしたかったことなんだよ,と言うんだろうかなぁ。

● あらゆる奏法を散りばめ,考えつく限りの音の連鎖と組合せを披瀝し,すでにある旋律と自分の楽想を詰められるだけ詰めこむ。そういうことをしたかったのか。
 要するに,散らかってるなぁと思ってしまうわけですよ。
 バルトークは病をおしてこの曲を完成させた。そんなときに,アラカルトの食べ放題メニューを作るようなことはしないでしょ。
 おかしいのは自分の方だよなと思ってましてね。結果,いはく,難解。

● 洗足学園は,レスピーギの「ローマの噴水」「ローマの松」。指揮は秋山和慶さん。
 ハープのほかに,ピアノ,チェレスタ,オルガンも加わり,バンダも登場するわけだから,大編隊になる。当然,そんなに聴ける機会はない。
 と思いきや,「ローマの松」は一昨年度のこのフェスティバルの合同チームの演奏で聴いているんでした。指揮も秋山さんだった。あのときは,メインがマーラーの5番だった。とんでもなかったな。

● 演奏はもうね,ひれ伏すしかない感じ。ここまで3大学の演奏を聴いて,チケットが750円であることを思うと,あまりのお得感に膝がガクガクする。
 が,作曲家に対して,ここまでの大編隊にする必要があったのかね,と思ったりもしてね。埒もないことがチラッチラッと頭をかすめた。

● 終わってみれば,グッタリと心地よい疲れが残った。これがライヴを聴くことの醍醐味でもある。
 願わくば,今から栃木の田んぼの村まで帰る必要がなければ,最高なんだが。

● 今回は近くにブラボー屋がいた。ブラボー屋って,意外に内弁慶でオタクっぽい人が多いのかもしれないね。

2013年11月24日日曜日

2013.11.23 第4回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 武蔵野音楽大学・昭和音楽大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● 栃木の鬼怒川温泉は東京の奥座敷と言われたりするんだけど,こういうのって相対的なものでさ。ぼく的には東京が栃木の奥座敷だと思ってるわけね。東京を後背地として持っているのが栃木の強みだな,と。
 奥に座敷があるんだから,必要に応じて使えばいいんだよね。奥にあるものを全部,自分のリビングに持ってこようとしちゃいけない。散らかるだけだから。こちらから奥に出向くのが効率的。
 東京っていう奥座敷は,じつにどうも使いでがあってね。便利なものだ。

● ともあれ。音楽大学オーケストラ・フェスティバルの2回目。今回は武蔵野音楽大学と昭和音楽大学。開演は午後3時。

● まずは武蔵野音楽大学。演奏するのはショスタコーヴィチの交響曲第10番。
 生で聴くのは初めて。っていうか,恥ずかしながら,CDでも聴いたことがなかった。ショスタコーヴィチの15曲の交響曲の中でも,かなり評価が高いものであることは承知しているけれども,ほんとにぼくが聴いてるのは真砂のひと握りにすぎない。
 でも,初めて聴いたのが,今回の生演奏だったことは,むしろラッキーだったかも。

● さすがは音大で粒が揃っている。この粒が揃ってることの心地よさを味わえた。
 フルート,ピッコロ,オーボエ,クラリネット,ファゴットの木管陣とホルン。何気に出番が多いんだけど,すぐに安心して聴いていられることがわかった。ホルンに不安がないことが大きい。

● 指揮は北原幸男さん。指揮者って体力も要るし,運動神経,特に反射神経,が優れていなくちゃいけない。音楽や楽曲の勉強だけしてたって,ダメなんでしょうね。カラヤンもクライバーもスピード狂だったってのを思いだした。それくらいじゃないと務まらないのかも。
 というようなことを,彼の指揮を見ていて感じました。北原さんもたぶん,身体の鍛錬を怠っていないんでしょうね。

● 演奏が終わると20分の休憩。この間に,交代の準備をする。終わった武蔵野音大は撤退。楽譜や打楽器を片づける。当然,学生がやる。
 女子学生が上体を反らしてコントラバスを運んでいく。そんな様子がなんだかいじらしくてねぇ。

● 昭和音楽大学はチャイコフスキー。交響曲第4番。
 第2楽章冒頭のソロをはじめ,オーボエが重要な役割を担う。その2楽章のソロにしても,単純に息継ぎをどうしてるんだろうと思った。循環呼吸? ではないと思えたけど。
 で,このオーボエが際だっていた。重責を担うに充分。
 ファゴットの茶髪の女子も存在感を放っていた。彼女,一緒に酒を呑んだらとても楽しい子じゃないかと思えたんだけど,外見で判断するなと叱られるかなぁ。

● 指揮はマッシミリアーノ・マテシッチ氏。若く見えた。実際の年齢は40代の半ば。
 これなら文句なしに女性にもてるだろうと思わせる風貌ってありますよね。たとえば,ベッカムとかさ。マテシッチ氏はそうした風貌の持ち主。

● 清新で熱いチャイコフスキー。熱いだけでいいなら,たいていのアマチュアオーケストラはやってのけると思う。そこに確かな技術の裏打ち。
 これ,プロのオーケストラにやってみろといっても,たぶんできないんじゃないか。若い彼らにしかできない演奏だ
 2階席で,至福ってこういうことかもなぁ,と思いながら聴いていた。750円の至福。