宇都宮市文化会館 大ホール
● この演奏会は第27回からほぼ1年おきに聴いてきたんだけども,34回から3年連続になった。じつのところ,今年は見送るつもりでいた。この演奏会に出かけるのはかすかに億劫なのだ。
その理由は非常に単純で,半端なく混むからだ。あまりの混雑は鬱陶しい。開演は13時30分で,会場は45分前。が,45分でも足りるかどうか,と思うくらいの長い行列ができる。
● 世の中には並ぶのを苦にしないというか,むしろ嬉々として並ぶのを楽しめる人たちがいるようで,appleの新製品の発売日前夜から行列を作る人もいる。TDRもそういう人たちのおかげで商売ができている。
appleにしてもTDRにしても,それだけのコンテンツや話題性を提供しているのだと思うが,その列に加わるのは,相当な理由があるのでなければ御免こうむりたい。
● いつだったか,ソフトバンクが吉野家牛丼の無料クーポンを配布したことがあった。380円の牛丼を無料で食べるために,とんでもない行列ができた。
ソフトバンクもソフトバンクだが,380円の牛丼をタダで食べるために,1時間以上も並べる輩がこんなにいるというのは,ぼくの理解を超えた。こういうのって,祝祭性を帯びるんだろうか。
だとしても,世の中は暇人で溢れかえっているのだと感じたことだった。時間コストを気にしなくてすむのは,暇な証拠だから。
ラーメン店や飲食店にできる行列も理解しがたいもののひとつだ。並んでまで食べるに値するものが,この世にあるわけもない。
● というと,ぼくはけっこう忙しい人間のように思われるかもしれない。そうではない。言っちゃなんだけど,ぼくはハッキリ暇である。ぼくほどの暇人がそんなにいるとは思えない。
しかし,だね。行列に加わるのはねぇ。あれって見た目が下品だしね。旧ソ連に生まれなくて良かったとつくづく思うわけでさ。
● そこを押して,この演奏会は3年連続になった。その所以は以下においおいと述べることにする。
混むのはわかりきっていたので,早めに並んだ。2階右翼席の最も左側に着座。ぼくはここが一番カンファタブル。
チケットは1,000円。当日券はあるにはある。が,前売券の売れ残りではなくて,最初から当日券分として取り分けておいたものかと思われる。緊急避難用ではないか。
ゆえに,この当日券はあてにしない方がいいだろう。前売券を買っておくのは必須。
● 3階席までギッシリ。両校の関係者が多いのかもしれないが,県内きっての名門ブランドの集客力もあるのかも。
2階席中央に来賓席がかなり確保されていた。いささか確保しすぎたようだ。開演時には立ち見客もいたのだが,確保しすぎた分を彼らに開放することはなかったっぽい。
そのあたりの臨機応変性というか機敏性を学校関係者に期待するのは,期待する方が間違っていることはわかっているけれども,少しもったいないような気がした。
いや,この演奏はOB会が主催だった。それゆえかどうかは知らないが,学校長挨拶などというマヌケなものがないのはとてもいい。
● 今回は例年と違って,宇高合唱から始まった。オナーティン,磯部俶(詞:室生犀星),youth case(詞:小山薫堂)の「ふるさと」3つ。多田武彦の“鐘鳴りぬ”と清水脩「最上川舟唄」。
宇女高合唱は「キャロルの祭典」から“入場”,“来たれ喜びよ”,“四月の朝露のごとく”,“この小さな嬰児”。この曲は3年連続となる。宇女高合唱の定番。
シュミットとプーランクの小品をいくつか。今回の合唱の山はここになった(と思う)。
● そのあと,両校の合同演奏があって,第1部は終了。15分間の休憩。といっても,これだけビッシリと満席だと,休憩中に席を立つのも面倒くさくなる。
左奥の席なのでなおさらだ。じっとしてる方がいいやとなる。
● 第2部は管弦楽。両校の管弦楽が乗るわけだから,大編隊になる。ちょっと窮屈そうだ。
まずは管弦楽だけで,サン=サーンスの交響詩「死の舞踏」。この曲って,TDLの「ホーンテッド・マンション」を思い浮かべながら聴けばいい? あそこまでコミカルじゃなくて,あれをもっとシリアスにした感じの。って,そういうものじゃないでしょうねぇ。
交響曲第3番のスケルツォ楽章を思いださせるような旋律があったりして,聴く側からすればお楽しみが多い曲だと思う。
● 最後は両校のオールキャストによるヘンデルの“ハレルヤ”と「第九」の第4楽章。
昨年は「第九」より“ハレルヤ”が記憶に残った。こういうのって,演奏側がどうのこうのじゃなくて,主にはこちら側の事情による。極端な話,「第九」じゃなくて“ハレルヤ”に感動してやろうと思って聴くと実際にそうなる,という法則(?)だってありそうだ。
今回もこの“ハレルヤ”にいたく感心した。
● この演奏会は今回が36回目。現在は宇都宮で開催される「第九」は2つある。日フィルと栃響によるもの。36年前にはどちらもなかった。
だから,この演奏会は宇都宮においては生で「第九」を聴ける唯一の機会だったかもしれない。第4楽章だけであっても。が,今はそんなわけで,他に全楽章を聴ける機会が2つもある。
だったら,「第九」はそちらにお任せして,こちらはたとえば“ハレルヤ”のみならず「メサイア」の全曲をやるとか(演奏時間が2時間半に及ぶ。まったく現実的ではないな),「第九」以外の一手を指してみるのはありかなぁと思った。
● そう思ったあとで「第九」第4楽章。宇高・宇女高といったって,構成員は毎年入れ替えがある。そうである以上,年によって波がある。
何度か聴いたこの演奏会で,これならこの演奏で全楽章を聴いてみたいと思ったこともあるし,そこまでは思わなかったこともある。
で,今回は,全楽章を聴いてみたいと切に思った。技術ではない何ものかが立ち上がっていると感じたから。
● その何ものかが立ち上がったのは,演奏開始とほぼ同時。では,その何ものとは何か。
この演奏会における「第九」は高校生が演奏するところにアピールポイントがある。高校生でもここまでやれるのだという,そこのところを知らしめるためのものというか。
であるから,主役はあくまで演奏する高校生であって,ベートーヴェンはその高校生を引き立てるための媒介に過ぎない。そういうものだと思って聴いている。
感心したとか,巧いと思ったとか言っても,それはそういう範疇での話であって,それを超えるものではない。それが暗黙の前提としてある。
● しかるに何ぞ。ステージから客席に届いてくるのは,間違いなくベートーヴェンなのだった。ベートーヴェンが立ってゆらゆらと揺れている。
演奏している高校生は背後に退く。主役が主役としての役割を全うすると,こういうことが起こるのだ。
技術ではない何ものかとは,比喩的にいうとそういうことだ。あくまで比喩でしかないが。
なぜそういうことが起こるのか。わからない。言葉にできないというのではない。そもそもわからない。
● 何ものかを立ち上げるためには,これだけの技術が必要なのだろうと思う。が,もっと巧いオーケストラはアマチュアの中にもある。あたりまえだ。
そのもっと巧いオーケストラの「第九」を聴いても,ここまでくっきりとベートーヴェンを感じたことは,さて,何回あったか。
● それから。合唱,特に女声,が素晴らしい。お見事という他はない。練習時間はそんなに取れなかったろうに。
● 宇高・宇女高合同演奏会といっても,率直に申しあげて,合唱においても管弦楽においても,4分の3は宇女高が支えている。
その分,奔放さにおいては宇高生が勝ると言えればいいんだけれども,これも意外にそうではない。型を想定してそこに自分を嵌め込もうとしているのは,むしろ男子に多かった印象がある。おそらく楽器の経験年数の違いかと思われるのだが。
男子受難の時代はしばらく(ひょっとすると,半永久的に)続きそうだ。が,彼らの年代だと,彼は昔の彼ならずとなる可能性はいくらでもある。今はあくまで途中経過に過ぎない。演奏に限らない。
● とはいえ,数年前に比べると,宇高管弦楽団の水準が切り上がっているので,溶けあわない2種の油をひとつの容器に入れた感は薄くなった。
というわけなので,第4楽章だけの第九は第九ではないとは誰でもわかる話だけれども,それでも聴いておいて損はない。混雑や長い行列に並ぶのを忍んでも,聴いておいた方がいいでしょう。
約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2018年12月24日月曜日
2017年12月31日日曜日
2017.12.24 第35回宇高・宇女高合同演奏会(第九「合唱」演奏会)
宇都宮市文化会館 大ホール
● この演奏会を初めて聴いたのは第27回。その後,30回,32回,34回と聴いている。ほぼ1年おき。
今回は初めて2年連続で聴いたんだけど,そのことに気づいたのはつい先程だ。今回も2年ぶりだと思っていた。つまり,前回(第34回)の記憶がスッポリと抜け落ちている。何回か聴いていると,記憶が混ざってしまうのだと思う。
困ったことだけど,仕方がないんでしょうね。たぶん,こういうことって,誰にでもあるんだと思う。だから,人の記憶ってあまりあてにならない。自分の記憶を頑固に信用してはいけないってことですね。
● 開演は14時。かなり混むことはわかっていたから,かなり早めに並んだ。その甲斐あって,2階右翼席に座ることができた。自分で勝手にここが自分の指定席と決めているところ。
チケットは1,000円。これまた,当日券は厳しいだろうと思って,数日前に前売券を買っておいた。
● 例年,宇女高合唱→宇高合唱→両校合唱→両校管弦楽→両校管弦楽&両校合唱&両校2学年音楽選択生,の順での演奏になる。
まずは,宇女高合唱部。「キャロルの祭典」から4曲。“入場”,“来たれ喜びよ”,“四月の朝露のごとく”,“この小さな嬰児”。「キャロルの祭典」は女声合唱の定番であるらしい。たしか昨年も。
● 初めて聴いた第27回のときは,部員が少ないのに少し驚いたものだった。が,最近は事情がだいぶ変わってきたらしい。
アンダーソン「雪だるまをつくろう」など4曲を,ミュージカル仕立てにして演奏した。それができるためには,第一に数が揃っていなければならない。
4つの曲をはめこむためのストーリーや場面設定にも無理がなく,ひょっとすると,定型があるのだろうかと思った。
● 次は,宇高音楽部合唱団。「じゆびれえしよん」から“雪景”,“独唱”,“りんごよ”。「父のゐる庭」から“紀の国”。「鴎」「斎太郎節」。
今回は少々手こずってる印象を受けたんだけどね。高音部に苦戦していたような。期して次回を待て,ということでしょう。
そのあと,両校の合同演奏があって,第1部は終了。
● 第2部は両校合同の管弦楽。かなりの人数になる。デュカスの「魔法使いの弟子」を演奏。
なぜ「魔法使いの弟子」かといえば,このあと日本青年館で「全日本高等学校オーケストラフェスタ」というのがあるらしく,宇女高オーケストラがこの曲を引っさげて参戦する。そういう事情があったようだ。
● この演奏会の白眉はもちろん,最後の「両校管弦楽&両校合唱&両校2学年音楽選択生」にある。ヘンデル「メサイア」から“ハレルヤ”,それと「第九」の第4楽章。つまり,これが第3部。
音楽選択生の中には合唱部員よりも巧い人もいるはずだ。合唱よりもバスケットがもっと好きだからバスケット部員になっているというような。あるいは,部活の意義に自分は疑問を感じるから合唱部には入らないけれども,歌わせたらかなりの腕前だ,というような。そういう人が音楽選択生の中にはいるだろう。
● 一方で,口パクの人も散見された。責めているのではない。当然,あっていい対応だ。たぶん,この演奏会への参加希望は問われずに,音楽選択生は全員参加することになっているのだろう。それなのに口パクも許さないというのでは,すでにして小さなファシズムだ。
だから,口パクはあっていいのだ。ここで良心の呵責など感じてはいけない。
● しかし,だね。明らかにわかる口パクはダメだよ。ここは演技力を見せるところだからね。(観客に)口パクと悟られないような口パクを演じて見せてくれ。
この点で言うとね,男子の宇高生より女子の宇女高生の方が,演技力は上のような気がしたね。
● 管弦楽については,宇高と宇女高の実力差が相当あるなと思っていた。正直,宇高生が可哀想に思えることもあったんだけどねぇ。
このあたりも様相が変わっているようだ。宇高管弦楽団の名簿を見ると,1年生の部員がかなりいる。技量も向上しているようだ。
「第九」は宇高生がコンマスを務めた。その彼にコンマスとして見劣りするところは,まったくなかったと思う。
● この演奏会に備えるのに与えられた時間は限られていたはずで,両校の合同練習ができたのは2回程度じゃないか。もっとも,管弦楽は,那珂川町の「第九を歌う会」(12/10)でも演奏しているので,そこで総合リハーサルは済んでいるのかもしれないけど。
“ハレルヤ”を仕上げるだけでも,けっこう大変でしょ。それに加えて「第九」だからね。
管弦楽も合唱も自前で,しかもこの水準まで持ってくることができるのは,栃木県内でもこの両校だけだろう,たぶん。たいしたもんです。
ぼく的には,「第九」よりも“ハレルヤ”の素晴らしさを称揚したい。主には合唱についてなんだけどね。
● 客席は“ほぼ”のつかない満席状態で,とにかく人圧がすごかった。これはちょっと入り過ぎだろう。人圧に押されて,居心地の悪さを感じることがある。
が,その人圧も途中から感じなくなった。高校生のパワーはかくも凄い。
● この演奏会を初めて聴いたのは第27回。その後,30回,32回,34回と聴いている。ほぼ1年おき。
今回は初めて2年連続で聴いたんだけど,そのことに気づいたのはつい先程だ。今回も2年ぶりだと思っていた。つまり,前回(第34回)の記憶がスッポリと抜け落ちている。何回か聴いていると,記憶が混ざってしまうのだと思う。
困ったことだけど,仕方がないんでしょうね。たぶん,こういうことって,誰にでもあるんだと思う。だから,人の記憶ってあまりあてにならない。自分の記憶を頑固に信用してはいけないってことですね。
● 開演は14時。かなり混むことはわかっていたから,かなり早めに並んだ。その甲斐あって,2階右翼席に座ることができた。自分で勝手にここが自分の指定席と決めているところ。
チケットは1,000円。これまた,当日券は厳しいだろうと思って,数日前に前売券を買っておいた。
● 例年,宇女高合唱→宇高合唱→両校合唱→両校管弦楽→両校管弦楽&両校合唱&両校2学年音楽選択生,の順での演奏になる。
まずは,宇女高合唱部。「キャロルの祭典」から4曲。“入場”,“来たれ喜びよ”,“四月の朝露のごとく”,“この小さな嬰児”。「キャロルの祭典」は女声合唱の定番であるらしい。たしか昨年も。
● 初めて聴いた第27回のときは,部員が少ないのに少し驚いたものだった。が,最近は事情がだいぶ変わってきたらしい。
アンダーソン「雪だるまをつくろう」など4曲を,ミュージカル仕立てにして演奏した。それができるためには,第一に数が揃っていなければならない。
4つの曲をはめこむためのストーリーや場面設定にも無理がなく,ひょっとすると,定型があるのだろうかと思った。
● 次は,宇高音楽部合唱団。「じゆびれえしよん」から“雪景”,“独唱”,“りんごよ”。「父のゐる庭」から“紀の国”。「鴎」「斎太郎節」。
今回は少々手こずってる印象を受けたんだけどね。高音部に苦戦していたような。期して次回を待て,ということでしょう。
そのあと,両校の合同演奏があって,第1部は終了。
● 第2部は両校合同の管弦楽。かなりの人数になる。デュカスの「魔法使いの弟子」を演奏。
なぜ「魔法使いの弟子」かといえば,このあと日本青年館で「全日本高等学校オーケストラフェスタ」というのがあるらしく,宇女高オーケストラがこの曲を引っさげて参戦する。そういう事情があったようだ。
● この演奏会の白眉はもちろん,最後の「両校管弦楽&両校合唱&両校2学年音楽選択生」にある。ヘンデル「メサイア」から“ハレルヤ”,それと「第九」の第4楽章。つまり,これが第3部。
音楽選択生の中には合唱部員よりも巧い人もいるはずだ。合唱よりもバスケットがもっと好きだからバスケット部員になっているというような。あるいは,部活の意義に自分は疑問を感じるから合唱部には入らないけれども,歌わせたらかなりの腕前だ,というような。そういう人が音楽選択生の中にはいるだろう。
● 一方で,口パクの人も散見された。責めているのではない。当然,あっていい対応だ。たぶん,この演奏会への参加希望は問われずに,音楽選択生は全員参加することになっているのだろう。それなのに口パクも許さないというのでは,すでにして小さなファシズムだ。
だから,口パクはあっていいのだ。ここで良心の呵責など感じてはいけない。
● しかし,だね。明らかにわかる口パクはダメだよ。ここは演技力を見せるところだからね。(観客に)口パクと悟られないような口パクを演じて見せてくれ。
この点で言うとね,男子の宇高生より女子の宇女高生の方が,演技力は上のような気がしたね。
● 管弦楽については,宇高と宇女高の実力差が相当あるなと思っていた。正直,宇高生が可哀想に思えることもあったんだけどねぇ。
このあたりも様相が変わっているようだ。宇高管弦楽団の名簿を見ると,1年生の部員がかなりいる。技量も向上しているようだ。
「第九」は宇高生がコンマスを務めた。その彼にコンマスとして見劣りするところは,まったくなかったと思う。
● この演奏会に備えるのに与えられた時間は限られていたはずで,両校の合同練習ができたのは2回程度じゃないか。もっとも,管弦楽は,那珂川町の「第九を歌う会」(12/10)でも演奏しているので,そこで総合リハーサルは済んでいるのかもしれないけど。
“ハレルヤ”を仕上げるだけでも,けっこう大変でしょ。それに加えて「第九」だからね。
管弦楽も合唱も自前で,しかもこの水準まで持ってくることができるのは,栃木県内でもこの両校だけだろう,たぶん。たいしたもんです。
ぼく的には,「第九」よりも“ハレルヤ”の素晴らしさを称揚したい。主には合唱についてなんだけどね。
● 客席は“ほぼ”のつかない満席状態で,とにかく人圧がすごかった。これはちょっと入り過ぎだろう。人圧に押されて,居心地の悪さを感じることがある。
が,その人圧も途中から感じなくなった。高校生のパワーはかくも凄い。
2016年12月29日木曜日
2016.12.24 第34回宇高・宇女高合同演奏会(第九「合唱」演奏会)
栃木県総合文化センター メインホール
● 第27回,30回,32回に次いで,4回目の拝聴。開演は午後1時半。チケットは1,000円。第32回のときは800円だったから,200円の値上げ。必要なら当然のこと。
この演奏会がかなり混むことは,過去3回で学習しているから,早めに行って行列に加わった。おかげで1階左翼席に座れたんだけど,客席はギッシリビッシリの満員御礼。
● っていうか,立ち見のお客さんも出ていたようだ。それが4人や5人ではなくて,けっこうな数。
座席数を超えた数のチケットを売ってしまったってことはないだろうから,招待客の歩留まりが予想を超えたってことですかねぇ。いや,ひょっとしてホールの座席数の確認を怠ってしまったのかなぁ。
● 宇都宮高校と宇都宮女子高校の合唱と管弦楽の「合同演奏会」。ゆえに,内容は盛りだくさんになる。
「第九」は第4楽章のみだけれども,これまでの経験から判断すると,宇女高オーケストラ部の腕前はかなりのもの。「第九」の全部をやって見せろと言われれば,ヒョイヒョイとやってのけるだろう。
が,宇高・宇女高の合同演奏であることに意味があるのだろうし,となると「第九」の全部をやるってわけには行くまいな。
● つまり,この演奏会の唯一の傷は総花的でありすぎることで,だから毎年行くってことにはなりにくいのだけど。
しかし,同時にそこがこの演奏会の魅力でもあって,どうにも舵の切り方が難しい。って,ぼくは当事者ではないんだけどさ。
● 主催はOB会,OG会。学校側は表に出ない。たとえば校長挨拶のごとき,ない方がいいものはきちんとないという,整理整頓が行き届いたステージになっている。
演奏会においては,演奏するのが高校生であろうと中学生であろうと,演奏以外のものはない方がいい。演奏がすべてを語るのだから,余計な講釈は要らないのだ。余計なものがあると,聴く側も集中と緊張をそがれる。
プログラム冊子にもそのようなものは掲載されていない。OB会,OG会の代表者と両校の顧問の先生,部長の挨拶が載っているにとどまる。
● まずは,宇女高の合唱から。初めて聴いた第27回では,部員の少なさに驚いたものだった。それが嘘のように,豊富な陣容で登場。OGも加わっていたようだけれど。
こういうのって,顧問の先生が替わると勢いがつくってことなんだろうか。
● 曲目は次のとおり。
ブリテン「キャロルの祭典」より“入場”など4曲
クリスマスソング “星に願いを”“サンタが街にやってくる”など4曲
● 後者のたとえば“サンタが街にやってくる”では,歌い手の表情も大切だ。ステージでこの曲を歌うということはつまり,自らがサンタになって客席に福を届ける役を担うことでもあるからだ。
でもって,その表情を十全に作れていた子が二人いた。たった二人かと言ってはいけない。二人もいたのかと驚くべきなのだ。かなり難易度の高いことなのだから。
● 宇高合唱団はまず,現役生だけで,間宮芳生「合唱のためのコンポジション」Ⅰと千原英喜「どちりなきりしたん」Ⅳ。
「どちりなきりしたん」とは,「近世初期にイエズス会によって作成されたカトリック教会の教理本」のこと。
次にOBも加わって,次の3曲。
多田武彦 男声合唱組曲「わがふるき日のうた」より“鐘鳴りぬ”
多田武彦 男声合唱組曲「富士山」より“作品第貳拾壱”
清水 脩 最上川舟歌
● この演奏会では「秋のピエロ」や「斎太郎節」を定番としていたようなんだけど,今回は上記のようなプログラム。
これだけ多くの人数で,これだけ多彩に男声合唱を展開できる高校があることに,まずは驚かされる。たぶん,栃木県ではこの高校一校にとどまるかもしれない。
この演奏会のひとつめの山がここにあることに,異論を述べる向きはおそらくないと思う。男声合唱の醍醐味を味わいたければ,この演奏会は狙い目だ。
● 次は両校合同で次の2曲。
ミュージカル「レント」より“Seasons of Love”
ミュージカル「レ・ミゼラブル」より“Do You Hear The People Sing?”
● ここから管弦楽が登場。宇高音楽部管弦楽団と宇女高オーケストラ部の合同演奏。チャイコフスキー「くるみ割り人形」から“行進曲”“花のワルツ”など。
高校生になってから楽器を始めたという弾き手がけっこういるだろう。特に,男子校である宇高の生徒さんは,ほとんどがそうではないか。女子なら小さい頃から習い事で楽器を始めることもあるだろうけれど,男子はなかなかね。
にしては,チェロで達者に弾きこなす男子(つまり宇高生)がいたのが印象に残った。
● そうして,いよいよ「第九」に突入する。合唱と管弦楽が一堂に会する。合唱には両校の音楽選択生も加わるから,大合唱団になる。壮観と言っていいだろう。
ヘンデルの「ハレルヤ」で場内を盛りあげてから,「第九」の第4楽章に移るというのが,この演奏会の約束事になっているようだ。
● 第4楽章しか演奏しない「第九」は「第九」ではないと言う人は多いだろうし,ぼくもそう思っている。「第九」で最も重要なのは第1楽章だと考えている。「第九」はあくまで管弦楽曲だ。合唱を主役にしてはいけないものだ。
そうなのではあるけれども,この演奏会における「第九」は,合唱を聴かせるためにある。管弦楽もソリストも,そのための捨て石にすぎぬ。
● というとさすがに言い過ぎであろうけれど,合唱団の迫力は凄まじい。迫力というより破壊力と言い換えた方がいいかもしれない。
“「第九」はあくまで管弦楽曲だ”なんぞという小賢しい半可通は跡形もなく吹き飛ばしてしまう。問答無用の説得力をもって,客席を支配する。
● というわけだった。宇高・宇女高合同演奏会,ひと言でいえば素晴らしかった。高校生に素敵すぎるクリスマス・プレゼントをもらったようなもの。
過去3回もそう思ったはずなのだ。が,雑事に取り紛れて,1年後にはそのことを忘れてしまっているのだ。
● 生徒さんたちはクリスマス・イヴどころではなかったろうな。サービスする側に回ったわけだから,それはそういうことになるしかない。終演後,連れだってスタバでお茶したり,ラーメン屋でお喋りしながら麺を啜ったりはしたのかもしれないけど。
充実感とか達成感を得ているだろうから,それとバーターってことになるんだろうけどね。
● 第27回,30回,32回に次いで,4回目の拝聴。開演は午後1時半。チケットは1,000円。第32回のときは800円だったから,200円の値上げ。必要なら当然のこと。
この演奏会がかなり混むことは,過去3回で学習しているから,早めに行って行列に加わった。おかげで1階左翼席に座れたんだけど,客席はギッシリビッシリの満員御礼。
● っていうか,立ち見のお客さんも出ていたようだ。それが4人や5人ではなくて,けっこうな数。
座席数を超えた数のチケットを売ってしまったってことはないだろうから,招待客の歩留まりが予想を超えたってことですかねぇ。いや,ひょっとしてホールの座席数の確認を怠ってしまったのかなぁ。
● 宇都宮高校と宇都宮女子高校の合唱と管弦楽の「合同演奏会」。ゆえに,内容は盛りだくさんになる。
「第九」は第4楽章のみだけれども,これまでの経験から判断すると,宇女高オーケストラ部の腕前はかなりのもの。「第九」の全部をやって見せろと言われれば,ヒョイヒョイとやってのけるだろう。
が,宇高・宇女高の合同演奏であることに意味があるのだろうし,となると「第九」の全部をやるってわけには行くまいな。
● つまり,この演奏会の唯一の傷は総花的でありすぎることで,だから毎年行くってことにはなりにくいのだけど。
しかし,同時にそこがこの演奏会の魅力でもあって,どうにも舵の切り方が難しい。って,ぼくは当事者ではないんだけどさ。
● 主催はOB会,OG会。学校側は表に出ない。たとえば校長挨拶のごとき,ない方がいいものはきちんとないという,整理整頓が行き届いたステージになっている。
演奏会においては,演奏するのが高校生であろうと中学生であろうと,演奏以外のものはない方がいい。演奏がすべてを語るのだから,余計な講釈は要らないのだ。余計なものがあると,聴く側も集中と緊張をそがれる。
プログラム冊子にもそのようなものは掲載されていない。OB会,OG会の代表者と両校の顧問の先生,部長の挨拶が載っているにとどまる。
● まずは,宇女高の合唱から。初めて聴いた第27回では,部員の少なさに驚いたものだった。それが嘘のように,豊富な陣容で登場。OGも加わっていたようだけれど。
こういうのって,顧問の先生が替わると勢いがつくってことなんだろうか。
● 曲目は次のとおり。
ブリテン「キャロルの祭典」より“入場”など4曲
クリスマスソング “星に願いを”“サンタが街にやってくる”など4曲
● 後者のたとえば“サンタが街にやってくる”では,歌い手の表情も大切だ。ステージでこの曲を歌うということはつまり,自らがサンタになって客席に福を届ける役を担うことでもあるからだ。
でもって,その表情を十全に作れていた子が二人いた。たった二人かと言ってはいけない。二人もいたのかと驚くべきなのだ。かなり難易度の高いことなのだから。
● 宇高合唱団はまず,現役生だけで,間宮芳生「合唱のためのコンポジション」Ⅰと千原英喜「どちりなきりしたん」Ⅳ。
「どちりなきりしたん」とは,「近世初期にイエズス会によって作成されたカトリック教会の教理本」のこと。
次にOBも加わって,次の3曲。
多田武彦 男声合唱組曲「わがふるき日のうた」より“鐘鳴りぬ”
多田武彦 男声合唱組曲「富士山」より“作品第貳拾壱”
清水 脩 最上川舟歌
● この演奏会では「秋のピエロ」や「斎太郎節」を定番としていたようなんだけど,今回は上記のようなプログラム。
これだけ多くの人数で,これだけ多彩に男声合唱を展開できる高校があることに,まずは驚かされる。たぶん,栃木県ではこの高校一校にとどまるかもしれない。
この演奏会のひとつめの山がここにあることに,異論を述べる向きはおそらくないと思う。男声合唱の醍醐味を味わいたければ,この演奏会は狙い目だ。
● 次は両校合同で次の2曲。
ミュージカル「レント」より“Seasons of Love”
ミュージカル「レ・ミゼラブル」より“Do You Hear The People Sing?”
● ここから管弦楽が登場。宇高音楽部管弦楽団と宇女高オーケストラ部の合同演奏。チャイコフスキー「くるみ割り人形」から“行進曲”“花のワルツ”など。
高校生になってから楽器を始めたという弾き手がけっこういるだろう。特に,男子校である宇高の生徒さんは,ほとんどがそうではないか。女子なら小さい頃から習い事で楽器を始めることもあるだろうけれど,男子はなかなかね。
にしては,チェロで達者に弾きこなす男子(つまり宇高生)がいたのが印象に残った。
● そうして,いよいよ「第九」に突入する。合唱と管弦楽が一堂に会する。合唱には両校の音楽選択生も加わるから,大合唱団になる。壮観と言っていいだろう。
ヘンデルの「ハレルヤ」で場内を盛りあげてから,「第九」の第4楽章に移るというのが,この演奏会の約束事になっているようだ。
● 第4楽章しか演奏しない「第九」は「第九」ではないと言う人は多いだろうし,ぼくもそう思っている。「第九」で最も重要なのは第1楽章だと考えている。「第九」はあくまで管弦楽曲だ。合唱を主役にしてはいけないものだ。
そうなのではあるけれども,この演奏会における「第九」は,合唱を聴かせるためにある。管弦楽もソリストも,そのための捨て石にすぎぬ。
● というとさすがに言い過ぎであろうけれど,合唱団の迫力は凄まじい。迫力というより破壊力と言い換えた方がいいかもしれない。
“「第九」はあくまで管弦楽曲だ”なんぞという小賢しい半可通は跡形もなく吹き飛ばしてしまう。問答無用の説得力をもって,客席を支配する。
● というわけだった。宇高・宇女高合同演奏会,ひと言でいえば素晴らしかった。高校生に素敵すぎるクリスマス・プレゼントをもらったようなもの。
過去3回もそう思ったはずなのだ。が,雑事に取り紛れて,1年後にはそのことを忘れてしまっているのだ。
● 生徒さんたちはクリスマス・イヴどころではなかったろうな。サービスする側に回ったわけだから,それはそういうことになるしかない。終演後,連れだってスタバでお茶したり,ラーメン屋でお喋りしながら麺を啜ったりはしたのかもしれないけど。
充実感とか達成感を得ているだろうから,それとバーターってことになるんだろうけどね。
2014年12月22日月曜日
2014.12.21 第32回宇高・宇女高合同演奏会(第九「合唱」演奏会)
宇都宮市文化会館 大ホール
● 2009年の第27回,2012年の第30回に続いて,三度目の拝聴になる。開演時刻,チケット料金はずっと変わらず。午後1時半開演,800円。
開場前にお客さんが長蛇の列をつくるのも同じ。
● 構成も変わらない。宇女高合唱→宇高合唱→混声合唱と進んで,第1部が終了。第2部は両校合同の管弦楽。
第3部が合唱と管弦楽が一堂に集っての,「ハレルヤ」と「第九」第4楽章の演奏になる。
● まず宇女高合唱部。OG会長のあいさつ文によると,県代表として関東合唱コンクールに出場したとのこと。
「サラソラ女声合唱曲集」から“ヘブライ人の子らは”と“神をたたえよ”の2曲。清純さに心が洗われるような思いがしたというと,陳腐に過ぎてしまうだろうか。
曲調のしからしめるところでもある。が,十代半ばの彼女たちの声質のゆえでもあるでしょう。
● 次は「Life is Beautiful!」とあるんだけれども,要は企画もの。女性の一生を主にはポピュラーソングをアレンジして表してみましたよ,という趣向。
子どもから思春期に入って,恋愛を経て結婚。子どもが生まれて母親になって,やがて幸せに老いていく,という。
● これを聴きながら思いましたよ。女性はその大半をオバサンとして生きていかなきゃいけない。乙女でいられるのは,ほんの束の間に限られる。
それは男も同じなんだけど,男はどうも地に足が着いているのかいないのかわからないところがあって,いい年こいて子どもっぽいふるまいをしたり,浅薄な正義感を振りかざしている輩がけっこういる。世間もそれに対して意外に寛容だ。
ぼくもそっち側の人間であることを自覚しているんだけど,男がそんなことをしていられるのも,女性がしっかりオバサンをやってくれているからで,しょせんはその前提あっての話だ。
● ところが。地に足の着いていない男が,女性に向かってオバサンになってはいけないなどと言いだしたりするから,不毛な厄介さが生じてしまう。
● 2009年の第27回,2012年の第30回に続いて,三度目の拝聴になる。開演時刻,チケット料金はずっと変わらず。午後1時半開演,800円。
開場前にお客さんが長蛇の列をつくるのも同じ。
● 構成も変わらない。宇女高合唱→宇高合唱→混声合唱と進んで,第1部が終了。第2部は両校合同の管弦楽。
第3部が合唱と管弦楽が一堂に集っての,「ハレルヤ」と「第九」第4楽章の演奏になる。
● まず宇女高合唱部。OG会長のあいさつ文によると,県代表として関東合唱コンクールに出場したとのこと。
「サラソラ女声合唱曲集」から“ヘブライ人の子らは”と“神をたたえよ”の2曲。清純さに心が洗われるような思いがしたというと,陳腐に過ぎてしまうだろうか。
曲調のしからしめるところでもある。が,十代半ばの彼女たちの声質のゆえでもあるでしょう。
● 次は「Life is Beautiful!」とあるんだけれども,要は企画もの。女性の一生を主にはポピュラーソングをアレンジして表してみましたよ,という趣向。
子どもから思春期に入って,恋愛を経て結婚。子どもが生まれて母親になって,やがて幸せに老いていく,という。
● これを聴きながら思いましたよ。女性はその大半をオバサンとして生きていかなきゃいけない。乙女でいられるのは,ほんの束の間に限られる。
それは男も同じなんだけど,男はどうも地に足が着いているのかいないのかわからないところがあって,いい年こいて子どもっぽいふるまいをしたり,浅薄な正義感を振りかざしている輩がけっこういる。世間もそれに対して意外に寛容だ。
ぼくもそっち側の人間であることを自覚しているんだけど,男がそんなことをしていられるのも,女性がしっかりオバサンをやってくれているからで,しょせんはその前提あっての話だ。
● ところが。地に足の着いていない男が,女性に向かってオバサンになってはいけないなどと言いだしたりするから,不毛な厄介さが生じてしまう。
ときには,同じことを女性が言いだすという,驚天動地の事態も発生する。
オバサンで何が悪い? オバサンあってのこの世だぞ。オバサンがしっかりしていれば,残余は無用といってもいいくらいのものだ。
● OGも入って,ブリテンの「キャロルの祭典」から,“入場”“来たれ喜びよ”“四月の朝露のごとく”“この小さな嬰児”の4曲。
けっこう,難しい曲じゃないですか。女子大の合唱団が比較的よく演奏しているイメージがある。
● 次は,宇都宮高校の男声合唱。過去2回,男声合唱に圧倒される思いがしたが,今回はどうか。
「クレーの絵本第2集」から“ケトルドラム奏者”と“黄金の魚”。谷川俊太郎さんの作詞。それと,「コルシカ島の2つの歌」。
いや,たいしたものだと思った。ひとつには数の力。が,木偶の坊が大勢揃ってみてもしょうがないわけでね。
自分で歌いながら,全体がどう客席に届いているか,それを把握しているんですかねぇ。それができるって相当なものだと思うんだけどね。
● OBも加わって,秋のピエロ,紀の国,斎太郎節。不動のレパートリーなんだろうか。曲じたい,評価が定まっているものだろうけれども,表現者も素晴らしい。
空気を切り裂いて届いてくる“斎太郎節”の合いの手なんか,男声ならでは。
ここが,この演奏会のひとつの頂点を作っていることに異議をはさむ人は,たぶんいないのじゃないかと思う。
● OBはネクタイを締めてスーツで登場。OBになって間もない人も,そうでない人もいた。
まったく脈絡がないんだけど,その様子を見て頭に浮かんだことがあった。男性が最もモテる日はいつかというテーマだ。
ぼく自身の体験を申しあげれば,大学4年生のとき。就職が決まったあとの,ゼミの追い出しコンパ。一次会が終わって,二次会。その店のオネーチャンにやたらにモテた。
スーツを着ていった。大学生から社会人になろうとしている男性の,でもまだ学生の側にいる時分。その学生が社会人の恰好をしている。そのあわいの風情。これではないかね,諸君。
しかし,社会人の側に入ってしまうと,そのあわいは消えてしまう。
● 管弦楽のみでの演奏は,シベリウスの「カレリア」組曲。
高校に入ってから楽器を始めた人も多いだろう。小さい頃から習っていた人もいるようだ。管楽器にしても,中学校の吹奏楽部でみっちり練習してきた人もいるだろうし,まったく初めてという人もいそうだ。
各パートとも,個々の技量にだいぶ差がある。それで当然。けれども,難しさもそこにあるんでしょうね。
● それと,もう一点。管弦楽に関してははっきりと女子が優位。両校の演奏をそれぞれ単独で聴いたら,かなりの力量の差を感じるはずだ。つまり,宇女高が巧い。コマもそろっている。
コンミスなんか手練れの印象だ。姿も美しい。フルート,オーボエも女子奏者がリード。トランペットをはじめ,総じて,金管の水準はかなりのものじゃなかったかと思うんだけど,双肩の役割を果たしたのはやはり女子奏者。
これはもう仕方がないなぁ。良し悪しは別として,育ってきた環境が違うもんなぁ。つまり,歌舞音曲は女のもの,っていう感覚がまだかなりあるものね,この国には(この国以外にもありそうだが)。
● 「ハレルヤ」からは宇高生がコンマスを務めたんだけど,彼,だいぶとまどっただろう。えっ,なんでオレなの? ってなもんだったかも。
自分より巧いメンバーを従えて,彼らの演奏を背中で感じながら必要な指示を体で発するなんて,どうやったらできるんだ?
ここはもう,その経験じたいを楽しんでしまうしかない。言うほど簡単なことではないはずだけど。
● しかし。この年代の若者のノビシロはすごい。昨日の彼は明日の彼ではない。中高年はそれを畏れなければならない。
同時に思った。あまり小器用に巧くならないでほしい。
● 「ハレルヤ」以降は,合唱団も入る。音楽選択の2年生が加わる大合唱団だ。「第九」も第4楽章しかやらないわけだから,主役は合唱団であって,それ以外ではありえない。
生徒の中には,なんでこんなのに狩りだされなくちゃなんないんだよ,迷惑なんだよ,と思っている子もいるかもしれない。それが自然だし,もっというとそれが健全でもある。
● けれども,これだけの数の高校生が繰りだす合唱は,上手下手を超えて,文字どおりに他を圧する迫力があった。何人も抗する能わず。管弦楽もソリストも観客も。
「なんでこんなのに狩りだされなくちゃなんないんだよ」と思っている音楽選択生はひょっとしたらいなかったのかも,と思わせるだけの圧を最後まで切らせることはなかった。
● 合唱も管弦楽も,高校の部活だ。高校生は忙しい。スケジュールはタイトなはずだ。
その部活でここまでのバリエーションをこの水準で客席に提示できることじたい,彼ら彼女らの能力の高さをうかがわせるに充分。
● 合唱に限らず,管弦楽も含めて,あんまり頭を使って聴いてはいけないものだろうと思う。それが過ぎると,自分を評論家か審判者の位置においてしまうことになる。審判者とはつまり神でもある。自分を神に祭りあげて恥じないのであれば,とっとと人間であることをやめてしまった方がいい。
と思っているんだけど,ところどころ頭デッカチの聴き方をしてしまっている。聴き手として未熟。そこがぼくの反省課題だ。
オバサンで何が悪い? オバサンあってのこの世だぞ。オバサンがしっかりしていれば,残余は無用といってもいいくらいのものだ。
● OGも入って,ブリテンの「キャロルの祭典」から,“入場”“来たれ喜びよ”“四月の朝露のごとく”“この小さな嬰児”の4曲。
けっこう,難しい曲じゃないですか。女子大の合唱団が比較的よく演奏しているイメージがある。
● 次は,宇都宮高校の男声合唱。過去2回,男声合唱に圧倒される思いがしたが,今回はどうか。
「クレーの絵本第2集」から“ケトルドラム奏者”と“黄金の魚”。谷川俊太郎さんの作詞。それと,「コルシカ島の2つの歌」。
いや,たいしたものだと思った。ひとつには数の力。が,木偶の坊が大勢揃ってみてもしょうがないわけでね。
自分で歌いながら,全体がどう客席に届いているか,それを把握しているんですかねぇ。それができるって相当なものだと思うんだけどね。
● OBも加わって,秋のピエロ,紀の国,斎太郎節。不動のレパートリーなんだろうか。曲じたい,評価が定まっているものだろうけれども,表現者も素晴らしい。
空気を切り裂いて届いてくる“斎太郎節”の合いの手なんか,男声ならでは。
ここが,この演奏会のひとつの頂点を作っていることに異議をはさむ人は,たぶんいないのじゃないかと思う。
● OBはネクタイを締めてスーツで登場。OBになって間もない人も,そうでない人もいた。
まったく脈絡がないんだけど,その様子を見て頭に浮かんだことがあった。男性が最もモテる日はいつかというテーマだ。
ぼく自身の体験を申しあげれば,大学4年生のとき。就職が決まったあとの,ゼミの追い出しコンパ。一次会が終わって,二次会。その店のオネーチャンにやたらにモテた。
スーツを着ていった。大学生から社会人になろうとしている男性の,でもまだ学生の側にいる時分。その学生が社会人の恰好をしている。そのあわいの風情。これではないかね,諸君。
しかし,社会人の側に入ってしまうと,そのあわいは消えてしまう。
● 管弦楽のみでの演奏は,シベリウスの「カレリア」組曲。
高校に入ってから楽器を始めた人も多いだろう。小さい頃から習っていた人もいるようだ。管楽器にしても,中学校の吹奏楽部でみっちり練習してきた人もいるだろうし,まったく初めてという人もいそうだ。
各パートとも,個々の技量にだいぶ差がある。それで当然。けれども,難しさもそこにあるんでしょうね。
● それと,もう一点。管弦楽に関してははっきりと女子が優位。両校の演奏をそれぞれ単独で聴いたら,かなりの力量の差を感じるはずだ。つまり,宇女高が巧い。コマもそろっている。
コンミスなんか手練れの印象だ。姿も美しい。フルート,オーボエも女子奏者がリード。トランペットをはじめ,総じて,金管の水準はかなりのものじゃなかったかと思うんだけど,双肩の役割を果たしたのはやはり女子奏者。
これはもう仕方がないなぁ。良し悪しは別として,育ってきた環境が違うもんなぁ。つまり,歌舞音曲は女のもの,っていう感覚がまだかなりあるものね,この国には(この国以外にもありそうだが)。
● 「ハレルヤ」からは宇高生がコンマスを務めたんだけど,彼,だいぶとまどっただろう。えっ,なんでオレなの? ってなもんだったかも。
自分より巧いメンバーを従えて,彼らの演奏を背中で感じながら必要な指示を体で発するなんて,どうやったらできるんだ?
ここはもう,その経験じたいを楽しんでしまうしかない。言うほど簡単なことではないはずだけど。
● しかし。この年代の若者のノビシロはすごい。昨日の彼は明日の彼ではない。中高年はそれを畏れなければならない。
同時に思った。あまり小器用に巧くならないでほしい。
● 「ハレルヤ」以降は,合唱団も入る。音楽選択の2年生が加わる大合唱団だ。「第九」も第4楽章しかやらないわけだから,主役は合唱団であって,それ以外ではありえない。
生徒の中には,なんでこんなのに狩りだされなくちゃなんないんだよ,迷惑なんだよ,と思っている子もいるかもしれない。それが自然だし,もっというとそれが健全でもある。
● けれども,これだけの数の高校生が繰りだす合唱は,上手下手を超えて,文字どおりに他を圧する迫力があった。何人も抗する能わず。管弦楽もソリストも観客も。
「なんでこんなのに狩りだされなくちゃなんないんだよ」と思っている音楽選択生はひょっとしたらいなかったのかも,と思わせるだけの圧を最後まで切らせることはなかった。
● 合唱も管弦楽も,高校の部活だ。高校生は忙しい。スケジュールはタイトなはずだ。
その部活でここまでのバリエーションをこの水準で客席に提示できることじたい,彼ら彼女らの能力の高さをうかがわせるに充分。
● 合唱に限らず,管弦楽も含めて,あんまり頭を使って聴いてはいけないものだろうと思う。それが過ぎると,自分を評論家か審判者の位置においてしまうことになる。審判者とはつまり神でもある。自分を神に祭りあげて恥じないのであれば,とっとと人間であることをやめてしまった方がいい。
と思っているんだけど,ところどころ頭デッカチの聴き方をしてしまっている。聴き手として未熟。そこがぼくの反省課題だ。
2012年12月24日月曜日
2012.12.23 第30回宇高・宇女高合同演奏会(第九「合唱」演奏会)
宇都宮市文化会館大ホール
● 開演は午後1時半。会場に到着したときにはすでに長蛇の列。開演直前には文化会館の大ホールが文字どおりの満席となった。生徒の父兄や家族だけで大ホールが埋まるとは考えにくいから,ぼくのような部外者もけっこう来てるんでしょうね。チケットは800円。
● この演奏会を初めて聴いたのは3年前。当時1年生だった生徒もすでに卒業している。まことに光陰矢のごとし。高校生たちはこの3年間で身体も精神も大きく成長して卒業していったに違いないが,こちらはそんなこともないわけでねぇ。ま,こういうのは順繰りだけどね。
● 両校とも栃木県を代表する名門。自分の息子や娘が宇高・宇女高に入ってくれれば,親御さんにしてみれば自慢の息子・娘ってことなんだろうなぁ。
ただね,こういうご時世ですからね,名門校がその後の安寧を保証してくれるわけじゃないからね(じつは時世に関係なく,いつの時代もそうだったと思うんだけど)。これから先,何が起こるかわからない。
ゆえに。ご油断めさるな,宇高・宇女高生諸君。くさる必要はないぞ,宇高・宇女高を望みながらも別の高校に入学せざるを得なかった諸君。
っていうかさ,いい高校とは何かと問われれば,自宅に一番近いところにある高校のことだと,ぼくなら答えるぞ。
● 問題は,しかし,油断していなくても,起きるときには起きる。この世はままならぬとはそういうことだ。
ぼくなんぞはここで思考停止してしまう。すなわち。今を楽しめ。後のことは考えるな。現在を将来の犠牲に供するな。人生は目先の連続。目先良ければすべて良し。
● まず宇女高合唱部,次に宇高合唱団,両校合同の合唱があって,管弦楽の登場。
スタートはスメタナの「モルダウ」。さすがに相応のたどたどしさが窺える演奏だったけれども,これはこれで可愛らしいともいえる。
もちろん素晴らしく巧い子もいる。中学のときに吹奏楽部でみっちり練習してきたか,小さい頃から習っているかでしょうね。
この年代の若者は短時日でグンと伸びることがあるんじゃないかと思っている。ゆえに,中高年は高校生の集中力とノビシロに対して畏れを持っていなければならないというのが,ぼくの変わらぬ信念だ。短時日で伸びた直後の,その香りを味わってみたいものだ。
● 次に合唱団も加わって,ヘンデルの「ハレルヤ」。2年生の音楽選択生も入るから大合唱団となる。
そして,この演奏会の標題にもなっている「第九」の第4楽章に移る。単純に聴く側からいえば,第4楽章しかない「第九」は「第九」ではない。かといって,この演奏会にそれを求めるのは典型的なないものねだり。
両校の合唱部(団)は1週間前の栃木県楽友協会の「第九」本番でリハーサルをすませているんだったな。その成果のほどは訊いてみないとわからないけれども,押しだしのいい(つまり,おっかなびっくり声をだしていない)演奏で,客席も大いに満足した(に違いない)。3年前は男声が幼いと感じてしまったんだけど,今回はそんなこともなくて(3年前の自分の感覚を叱ってやりたい),迫力充分。
音楽選択生が「ハレルヤ」のみならず,「第九」までカバーする。これが並じゃないことくらい,ぼくにも想像できる。時間をどうやりくりしているのか。
● で,話が前後するんだけど,最初の宇女高合唱部。3年前には部員が少ないことにちょっと驚いたんだけど,その部員も増えたようで,まことに慶賀の至り。プログラムに載っているOG会長の挨拶文によれば,8月の県合唱コンクールで金賞を取り,関東大会に出場したそうだ。
今回は,クリスマスソングをいくつか。乙女たちによる聖なる調べ。
ずっと不景気で,閉塞感におおわれて,社会全体が縮こまっているようなきらいがなくもないんだけど,彼女たちを見ていると,日本はぜんぜん大丈夫なんだと思えてくる。型にはまった言い方で申しわけないんですけどね。安心感を与えてくれる少女たちでしたね。
● 宇高合唱団で圧巻だったのは「秋のピエロ」と「齋太郎節」。「秋のピエロ」って詞もいいしね。「身すぎ世すぎの是非もなく」かぁ。しみじみするなぁ。
もう過去のことになったんだろうけど,「自分探し」ってのが流行したじゃないですか。言葉だけが流行ったのかその実態があったのか,ぼくはよく知らないんだけど,もし後者だとすれば,どんだけ暇なんだよってことだよねぇ。
もし「自分探し」にはまれば,死ぬまでそれを続けなくてはならなくなるはずだ。そんなことができるのは,要は暇だから。思慮深いからではなくて,愚かだから。丁寧な性格だからではなくて,グズだから。
「秋のピエロ」を聴きながら,そんな埒もないことを考えた。
● 「第九」終了後に「ふるさと」を歌った。ここでの男声の奮戦が印象的だった。
これだけのボリュームの演奏会を,これだけの水準で客席に提供できる。たいしたものだ。感嘆しつつ敬意を表する以外に,対応する術を知らない。
すごいね,君たち。
● 問題はやっぱり客席にあるね。写真撮影は個人情報の侵害になるからやめろと何度も放送しているのに,ビデオを回し続けているのや,フラッシュをたくやつが最後までいたもんな。
自分の子供や孫を写しておきたいのかもしれない。気持ちは当然わかるんだけれども,それがそのまま許される時代は過ぎた。窮屈といえば窮屈なんだけどさ。
あるいは,YouTubeに動画と音声をアップするつもりなのかもしれない。そんなものは君がやらなくても,他の誰かが必ずやってくれる。それを見,それを聴けばいいじゃないか。どうせ素人のやることだ。誰がやっても大差ないって。
というと,それならおまえが書いているこの文章だって,きっと誰かも書いているはず,それを読めばいいじゃないかと返されそうで,ちょっと具合が悪いことになるんだけどね。
● 開演は午後1時半。会場に到着したときにはすでに長蛇の列。開演直前には文化会館の大ホールが文字どおりの満席となった。生徒の父兄や家族だけで大ホールが埋まるとは考えにくいから,ぼくのような部外者もけっこう来てるんでしょうね。チケットは800円。
● この演奏会を初めて聴いたのは3年前。当時1年生だった生徒もすでに卒業している。まことに光陰矢のごとし。高校生たちはこの3年間で身体も精神も大きく成長して卒業していったに違いないが,こちらはそんなこともないわけでねぇ。ま,こういうのは順繰りだけどね。
● 両校とも栃木県を代表する名門。自分の息子や娘が宇高・宇女高に入ってくれれば,親御さんにしてみれば自慢の息子・娘ってことなんだろうなぁ。
ただね,こういうご時世ですからね,名門校がその後の安寧を保証してくれるわけじゃないからね(じつは時世に関係なく,いつの時代もそうだったと思うんだけど)。これから先,何が起こるかわからない。
ゆえに。ご油断めさるな,宇高・宇女高生諸君。くさる必要はないぞ,宇高・宇女高を望みながらも別の高校に入学せざるを得なかった諸君。
っていうかさ,いい高校とは何かと問われれば,自宅に一番近いところにある高校のことだと,ぼくなら答えるぞ。
● 問題は,しかし,油断していなくても,起きるときには起きる。この世はままならぬとはそういうことだ。
ぼくなんぞはここで思考停止してしまう。すなわち。今を楽しめ。後のことは考えるな。現在を将来の犠牲に供するな。人生は目先の連続。目先良ければすべて良し。
● まず宇女高合唱部,次に宇高合唱団,両校合同の合唱があって,管弦楽の登場。
スタートはスメタナの「モルダウ」。さすがに相応のたどたどしさが窺える演奏だったけれども,これはこれで可愛らしいともいえる。
もちろん素晴らしく巧い子もいる。中学のときに吹奏楽部でみっちり練習してきたか,小さい頃から習っているかでしょうね。
この年代の若者は短時日でグンと伸びることがあるんじゃないかと思っている。ゆえに,中高年は高校生の集中力とノビシロに対して畏れを持っていなければならないというのが,ぼくの変わらぬ信念だ。短時日で伸びた直後の,その香りを味わってみたいものだ。
● 次に合唱団も加わって,ヘンデルの「ハレルヤ」。2年生の音楽選択生も入るから大合唱団となる。
そして,この演奏会の標題にもなっている「第九」の第4楽章に移る。単純に聴く側からいえば,第4楽章しかない「第九」は「第九」ではない。かといって,この演奏会にそれを求めるのは典型的なないものねだり。
両校の合唱部(団)は1週間前の栃木県楽友協会の「第九」本番でリハーサルをすませているんだったな。その成果のほどは訊いてみないとわからないけれども,押しだしのいい(つまり,おっかなびっくり声をだしていない)演奏で,客席も大いに満足した(に違いない)。3年前は男声が幼いと感じてしまったんだけど,今回はそんなこともなくて(3年前の自分の感覚を叱ってやりたい),迫力充分。
音楽選択生が「ハレルヤ」のみならず,「第九」までカバーする。これが並じゃないことくらい,ぼくにも想像できる。時間をどうやりくりしているのか。
● で,話が前後するんだけど,最初の宇女高合唱部。3年前には部員が少ないことにちょっと驚いたんだけど,その部員も増えたようで,まことに慶賀の至り。プログラムに載っているOG会長の挨拶文によれば,8月の県合唱コンクールで金賞を取り,関東大会に出場したそうだ。
今回は,クリスマスソングをいくつか。乙女たちによる聖なる調べ。
ずっと不景気で,閉塞感におおわれて,社会全体が縮こまっているようなきらいがなくもないんだけど,彼女たちを見ていると,日本はぜんぜん大丈夫なんだと思えてくる。型にはまった言い方で申しわけないんですけどね。安心感を与えてくれる少女たちでしたね。
● 宇高合唱団で圧巻だったのは「秋のピエロ」と「齋太郎節」。「秋のピエロ」って詞もいいしね。「身すぎ世すぎの是非もなく」かぁ。しみじみするなぁ。
もう過去のことになったんだろうけど,「自分探し」ってのが流行したじゃないですか。言葉だけが流行ったのかその実態があったのか,ぼくはよく知らないんだけど,もし後者だとすれば,どんだけ暇なんだよってことだよねぇ。
もし「自分探し」にはまれば,死ぬまでそれを続けなくてはならなくなるはずだ。そんなことができるのは,要は暇だから。思慮深いからではなくて,愚かだから。丁寧な性格だからではなくて,グズだから。
「秋のピエロ」を聴きながら,そんな埒もないことを考えた。
● 「第九」終了後に「ふるさと」を歌った。ここでの男声の奮戦が印象的だった。
これだけのボリュームの演奏会を,これだけの水準で客席に提供できる。たいしたものだ。感嘆しつつ敬意を表する以外に,対応する術を知らない。
すごいね,君たち。
● 問題はやっぱり客席にあるね。写真撮影は個人情報の侵害になるからやめろと何度も放送しているのに,ビデオを回し続けているのや,フラッシュをたくやつが最後までいたもんな。
自分の子供や孫を写しておきたいのかもしれない。気持ちは当然わかるんだけれども,それがそのまま許される時代は過ぎた。窮屈といえば窮屈なんだけどさ。
あるいは,YouTubeに動画と音声をアップするつもりなのかもしれない。そんなものは君がやらなくても,他の誰かが必ずやってくれる。それを見,それを聴けばいいじゃないか。どうせ素人のやることだ。誰がやっても大差ないって。
というと,それならおまえが書いているこの文章だって,きっと誰かも書いているはず,それを読めばいいじゃないかと返されそうで,ちょっと具合が悪いことになるんだけどね。
2009年12月31日木曜日
2009.12.23 第27回宇高・宇女高合同演奏会(第九「合唱」演奏会)
宇都宮市文化会館大ホール
● 23日の天皇誕生日には,宇高・宇女高合同演奏会の「第九」を聴きに行った。高校生の演奏は8月の鹿沼高校管弦楽団に次いで二度目。13時半から宇都宮市文化会館大ホール。
主催は学校ではなくて,両校音楽部のOB会・OG会。
● 両校とも栃木県を代表する名門。どんな演奏を見せてくれるんだろうか。
加えて,第九である。第九じたいが持つ力は20日に味わった。同じ力に再び包まれる快感を想像して出かけた。唯一の不安は第4楽章しか演奏しないわけじゃあるまいなってこと。
● ところが,結果においてその不安が的中した(→今思えばそれが当然。なぜ第九をそっくり演奏するものと思いこんでしまったのか)。
3部構成になっていて,第1部は両校合唱部の演奏。どちらも途中から部活動を引退している3年生と卒業生が加わった。宇女高が先。乙女たちの聖なる調べということなのだが,合唱部の部員が数名しかいないのは以外だった。最後に校歌まで歌ってくれた。
宇高の合唱部は数が揃っていた。こちらは「箱根八里」や「斎太郎節」(宮城県の民謡ですね。マツッシマァアノォってやつ)などを歌った。
第2部は両校の管弦楽の合同演奏。ビゼーのカルメン組曲から,アラゴネイズなど3つ。
そして第3部が合唱+管弦楽。が,いきなり第九ではなくて,まずヘンデル「メサイア」からハレルヤを。次がやっと第九になる。ただし,第4楽章のみ。
● ぼくも高校生のとき,ハレルヤにかり出されたことがあった。某高校と合同で合唱した。ぼくは積極的な理由があって音楽を選択したわけではない。美術にはまったく自信がなかったし,書道も何だかなぁというわけで音楽を選んだデモシカ音楽選択生に過ぎなかった。それゆえ,義務感だけでやっていたので,今ではほとんど記憶から脱落している。そのあやふやな記憶を辿って書くのだけれども,音楽の時間以外に練習をやったという記憶はない。お相手との合同練習も1回だけだったような気がする。
というようなことを思いだしながら,両校のハレルヤを聴いていたのだが,聴いている分にはすぐに終わってしまうねぇ。
ぼくらは,当時,これだけしかやらなかったわけだが,主催者としてはもっとやらせたかったろうねぇ。こちら側の負担を慮ってくれて,最小限の要求にしてくれてたんだなぁと,今にしてわかる。
● さて,おめあての第九。ソリストは,先生つながりで選んでいる。テノールは菊川祐一さん。宇都宮北高校の先生。バリトンは氏家中の校長さん。合唱団は両校の合唱部と音楽選択の2年生。指揮は宇高の音楽担当教諭の藍原先生(国立音大の出身らしい)。
男声が幼い。致し方のないことだ。まだ骨格も完全にはできあがっていない男子高校生が歌っているのだから。その点,女声に幼さはない。発育の男女差がクッキリと現れる。
オーケストラは宇女高の方が駒が多い。両校のオーケストラをガッチャンコしてパート別に配列するわけだから,自分の隣にいるのが女の子だったりするわけだ。嬉しいだろうねぇ,宇高生諸君。
● 特徴的だったのは,相当にゆっくりした演奏だったこと。なぜなのか理由がわからない。何らかの教育的配慮だろうか(テンポを落とした方が,音を合わせやすいから?)。
もっとも,その昔は今よりずっとゆっくりした演奏だったと聞いた記憶もあるんだけど。カラヤンが速くしてしまった,みたいな。
両校のオーケストラは相当な実力を秘めているのに,その実力を引きだせていないように思えた。じれったさのようなものを感じましたね。
このオーケストラで第九の全体を聴きたいとの思いも残った。
● しかし。藍原先生の説明によると,新型インフルエンザのために,例年のような練習ができなかったそうだ。例年だと,合唱団とオーケストラの合同練習を5~6回はするのだけれども,今年は一緒に演奏するのは,この本番が初めてなのだという。
生徒の集中力に脱帽するとおっしゃっていたが,まことに高校生畏るべし。オーケストラの実力を引きだせていないと感じたのも,練習時間がなかったせいか。
今回の演奏会であらためてわかったことがある。結局のところ,自分は管弦楽を聴きたいのだなってこと。合唱ではなく管弦楽を聴きたいんだ。
● 開場前に長い列ができていた(それでも当日券があったけれど)。大ホールがほぼ埋まった。客席の多くは生徒の父兄なんでしょうね。演奏中にデジカメやケータイカメラで撮影してたり,終演近くなると,壁際に立って写真を撮る人まで出る始末。
演奏会の性格からして,そういうものじゃないかと言われれば,それまでのことではあるけれど。
● 23日の天皇誕生日には,宇高・宇女高合同演奏会の「第九」を聴きに行った。高校生の演奏は8月の鹿沼高校管弦楽団に次いで二度目。13時半から宇都宮市文化会館大ホール。
主催は学校ではなくて,両校音楽部のOB会・OG会。
● 両校とも栃木県を代表する名門。どんな演奏を見せてくれるんだろうか。
加えて,第九である。第九じたいが持つ力は20日に味わった。同じ力に再び包まれる快感を想像して出かけた。唯一の不安は第4楽章しか演奏しないわけじゃあるまいなってこと。
● ところが,結果においてその不安が的中した(→今思えばそれが当然。なぜ第九をそっくり演奏するものと思いこんでしまったのか)。
3部構成になっていて,第1部は両校合唱部の演奏。どちらも途中から部活動を引退している3年生と卒業生が加わった。宇女高が先。乙女たちの聖なる調べということなのだが,合唱部の部員が数名しかいないのは以外だった。最後に校歌まで歌ってくれた。
宇高の合唱部は数が揃っていた。こちらは「箱根八里」や「斎太郎節」(宮城県の民謡ですね。マツッシマァアノォってやつ)などを歌った。
第2部は両校の管弦楽の合同演奏。ビゼーのカルメン組曲から,アラゴネイズなど3つ。
そして第3部が合唱+管弦楽。が,いきなり第九ではなくて,まずヘンデル「メサイア」からハレルヤを。次がやっと第九になる。ただし,第4楽章のみ。
● ぼくも高校生のとき,ハレルヤにかり出されたことがあった。某高校と合同で合唱した。ぼくは積極的な理由があって音楽を選択したわけではない。美術にはまったく自信がなかったし,書道も何だかなぁというわけで音楽を選んだデモシカ音楽選択生に過ぎなかった。それゆえ,義務感だけでやっていたので,今ではほとんど記憶から脱落している。そのあやふやな記憶を辿って書くのだけれども,音楽の時間以外に練習をやったという記憶はない。お相手との合同練習も1回だけだったような気がする。
というようなことを思いだしながら,両校のハレルヤを聴いていたのだが,聴いている分にはすぐに終わってしまうねぇ。
ぼくらは,当時,これだけしかやらなかったわけだが,主催者としてはもっとやらせたかったろうねぇ。こちら側の負担を慮ってくれて,最小限の要求にしてくれてたんだなぁと,今にしてわかる。
● さて,おめあての第九。ソリストは,先生つながりで選んでいる。テノールは菊川祐一さん。宇都宮北高校の先生。バリトンは氏家中の校長さん。合唱団は両校の合唱部と音楽選択の2年生。指揮は宇高の音楽担当教諭の藍原先生(国立音大の出身らしい)。
男声が幼い。致し方のないことだ。まだ骨格も完全にはできあがっていない男子高校生が歌っているのだから。その点,女声に幼さはない。発育の男女差がクッキリと現れる。
オーケストラは宇女高の方が駒が多い。両校のオーケストラをガッチャンコしてパート別に配列するわけだから,自分の隣にいるのが女の子だったりするわけだ。嬉しいだろうねぇ,宇高生諸君。
● 特徴的だったのは,相当にゆっくりした演奏だったこと。なぜなのか理由がわからない。何らかの教育的配慮だろうか(テンポを落とした方が,音を合わせやすいから?)。
もっとも,その昔は今よりずっとゆっくりした演奏だったと聞いた記憶もあるんだけど。カラヤンが速くしてしまった,みたいな。
両校のオーケストラは相当な実力を秘めているのに,その実力を引きだせていないように思えた。じれったさのようなものを感じましたね。
このオーケストラで第九の全体を聴きたいとの思いも残った。
● しかし。藍原先生の説明によると,新型インフルエンザのために,例年のような練習ができなかったそうだ。例年だと,合唱団とオーケストラの合同練習を5~6回はするのだけれども,今年は一緒に演奏するのは,この本番が初めてなのだという。
生徒の集中力に脱帽するとおっしゃっていたが,まことに高校生畏るべし。オーケストラの実力を引きだせていないと感じたのも,練習時間がなかったせいか。
今回の演奏会であらためてわかったことがある。結局のところ,自分は管弦楽を聴きたいのだなってこと。合唱ではなく管弦楽を聴きたいんだ。
● 開場前に長い列ができていた(それでも当日券があったけれど)。大ホールがほぼ埋まった。客席の多くは生徒の父兄なんでしょうね。演奏中にデジカメやケータイカメラで撮影してたり,終演近くなると,壁際に立って写真を撮る人まで出る始末。
演奏会の性格からして,そういうものじゃないかと言われれば,それまでのことではあるけれど。
登録:
投稿 (Atom)





