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2019年7月27日土曜日

2019.07.20 どこかで聴いたクラシック・唱歌の名曲選-ポリオ根絶チャリティーコンサート

宇都宮短期大学 須賀友正記念ホール

● 主催は宇都宮西ロータリークラブと宇都宮短期大学附属高校インターアクトクラブ。実際には会場も提供した,宇都宮短期大学音楽科が筋道をつけたのだろうが。開演は午後2時。入場料は1,000円。
 言っておくが,ポリオ根絶に協力しようなどという殊勝な志は,ぼくにはない。にもかかわらず,この演奏会に行ってみようと思った理由は2つある。

● ひとつには,オーケストラの演奏はしばしば聴く機会があって,実際に聴いているけれども,それ以外のソロとか室内楽といった小規模な演奏を聴く機会が少ない。
 いや,機会じたいはあるのかもしれない。そうした機会の告知を見逃しているだけなのかも。そうした演奏は聴き手のレベルも直裁に問われるようで,少し怖いと思っているから。
 ともあれ。今回はその少ない機会であるに違いない。しかも,“どこかで聴いた” となればとっつきやすい。

● もうひとつは,情報収集だ。コンサート開催の情報収集の手段はいろいろあるけれども,ぼくの場合だとネットよりも,コンサートに出向いた際に,入場時に渡されるチラシに依存している度合いが高い。プログラム冊子に折り込まれるチラシだね。
 で,オーケストラの演奏会で渡されるチラシはオーケストラのものが多い。オーケストラ以外の演奏会の情報が入ってこない。しかも,オーケストラ情報はネットでも容易に見つけることができるのだが,非オーケストラ情報はこれが意外に難しい。
 要するに,チラシをもらうため。だから,こうした演奏会でチラシが少ないと,何だか損をしたような気分になる。

● さて。前半はフルートの栗田智水さんとヴァイオリンの渡邊響子さん。
 まずはフルートから。曲目は次のとおり。
 ドップラー ハンガリー田園幻想曲
 ピアソラ リベルタンゴ
 村松崇継 EARTH

● 「EARTH」は初めて聴くものだが,あとの2曲はたしかに馴染みがある。「リベルタンゴ」は栗田さん自身のフルートで過去にも聴いたことがある。
 「リベルタンゴ」に限らず,よく聴かれる曲は大衆性を持っているからだが,大衆性の成分は何なのか。これがわからない。後講釈をしようと思えばできなくもないと思うけれども,つまるところはよくわからない。
 大衆性を持っているからよく聴かれるのではなく,よく聴かれる曲を大衆性があると言うのだ,と言うしかない。

● ここまでのフルート捌きは,ぼくからすればはっきりと異能だ。ここまでになるのにどれほどの時間とお金と心労を注ぎ込んできたのか。
 ぼくらは客席にいて,その上澄みをすくって飲んでいるようなものだ。一番得な役回りだ。
 奏者は批判されることがあるが,観客にそれはない。つまり,奏者は生きているが観客は死んでいる。絶対に批判されることのない側に身を置くことは,極端にいえばそういうことだ。
 しかし,その観客なくして音楽は(たぶん)成立しない。時々,やるせなくなることはないのかと思う。

● 渡邊さんのヴァイオリン。曲目は次のとおり。
 エルガー 愛の挨拶
 モーツァルト アイネ・クライネ・ナハトムジーク(第1楽章)
 クライスラー ネグロスピリチュアル
 ドヴォルザーク ユーモレスク
 モンティ チャルダッシュ

● いずれも耳に馴染みがある。かつ,いずれも聴き応えあり。
 その中からひとつあげろと言われれば「チャルダッシュ」。曲が “大衆性” を持っているのに加えて,奏者の技術がすごいんだわ。ため息が出る水準。ガッガッガッと攻めていて,その攻め方が的確なんでしょうね,小気味いいんですよ。
 おそらくジプシー音楽の成分が入っているのだろう(→ “チャルダッシュ” とはジプシーの民族舞踏の名前であるらしい),人生の切なさ,囲われていてそこから出ることができない虚しさのようなものが伝わってくる。

● モーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」をソロで聴く機会もあまりない。こういう演奏で聴けるなら,むしろソロで聴いた方が紛れがない。
 ドヴォルザーク「ユーモレスク」を聴くと,雨,雨,降れ降れ,と詞をつけたくなるのは,どういう訳の訳柄だろう。
 ともあれ。ここまでのヴァイオリンを栃木で聴けるというのは少々以上の驚きで,彼女を追っかけてみたくなる。プライベイトでそれをやったのではストーカーだから,コンサートの追っかけというわけなんだけど,追っかけてみる価値は間違いなくあると感じた。

● 前半の最後はフルートとのヴァイオリンでドップラー「アメリカ小二重奏曲」。ここまで聴いて,募金をするために慌てて席を立った。入場料の1,000円だけですませていてはいけないような気がした。

● 後半は声楽とピアノ。まず,声楽。奏者は荒川茉捺さんと早川愛さん。
 リスト 愛の夢(荒川)
 プッチーニ 歌劇「ジャンニ・スキッキ」より “私のお父さん”(早川)
 その後は,お二人で日本の唱歌。
 滝廉太郎 花
 成田為三 浜辺の歌
 山田耕筰 赤とんぼ
 中田喜直 雪の降るまちを

● 前半からずっとピアノ伴奏は益子徹さんが務めた。声楽ではMCも担当。
 で,最後のピアノは大嶋浩美さんで,ショパンの「ノクターン」と「華麗なる大ポロネーズ」で締めた。

● というわけなのであって,チャリティーの趣旨は趣旨として,コンサートの中身だけ取り出すと,これで1,000円はあり得ない料金ということになる。
 と思うがゆえに募金もしたわけなのだ。かなり満足度が高い。

2018年7月20日金曜日

2018.07.15 栗田智水&金子鈴太郎 蔵chicコンサート-ふみの森もてぎ開館2周年記念

ふみの森もてぎ ギャラリーふくろう

● このコンサートを知ったのは13日の下野新聞に催行告知が載っていたからで,危うく聴き逃すところだった。茂木町では“美の里もてぎクラシックコンサート”なるものもシリーズで開催されているようで,もう何度も聴き逃していたことになる。
 催行告知には先着150人とあったけれども,予め用意した椅子はすべて埋まり,主催者が追加の椅子を並べていた。200人ほどは入ったろうか。茂木にこんなに人がいたのかと思うほどだ。ぼくのように町外から来ていた人も,けっこうな数いたと思うけど。

● 開演は午後2時。この2人が演奏するのに入場無料。ミニコンサート的なものかと思ったら,2時間のフルサイズ。
 このクラスの演奏家がノーギャラってことはあるまいから,茂木町は太っ腹というべきか。200人から入場料を取っても知れているということか。

● プログラムは次のとおり。
 コレッリ フォリア
 モーツァルト 歌劇「魔笛」より“恋人か女房か”
 バッハ 管弦楽組曲第2番 より“ポロネーズ” “バディネリ”
 バッハ 無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調
 バッハ フルートと通奏低音のためのソナタ ハ長調

 ドヴォルザーク ユモレスク
 ロボス ブラジル風バッハ第5番より“アリア”
 カサド 無伴奏チェロ組曲
 アーン クロリスに
 ピアソラ 「タンゴの歴史」より“ボルデル” “カフェ”
 ピアソラ リベルタンゴ

● サービス精神に溢れたステージだった。演奏家も客商売で,聴衆のご機嫌を損ねるわけにはいかないという動機も働くんだろうか。大学の先生が小学生に接するがごとし。
 というか,コンサートは奏者と聴衆の合作だから,聴衆に乗ってもらうことが必要なんだろうかなぁ。シラーッとされてるのが一番困る。
 聴衆側にも自分で自分を乗せていくという努力なり心づもりが必要なのだろう。

● 金子さんの無伴奏チェロの2曲はどちらも那須野ヶ原ハーモニーホールで聴いている(たぶん)。自分のことを棚にあげていうと,居眠ってた人がけっこういた印象。この手の曲は聴き手を選ぶからだと思っていた。
 が,今回はどうだったかというと,皆無ではなかったにせよ,少なかったような。奏者と観客の距離が近いからですかねぇ。

● だとすると,ソロはもちろん,室内楽曲を演奏したり聴いたりするには,コンサートホールの小ホールでも少し大きすぎるってことになる。
 普通は興業として成立させなければいけないから,今回のように催行主が全額を負担し,観客にコストを転嫁しない場合にのみ,理想の大きさ(小ささ)を実現できるということか。理想は実現されないから理想であり続けるのだけれど。

● その金子さん,トークが旨い。努力の結果ではなく天然だろう。彼に喋らせておけば,いくらでも間は保てる。
 1年前に那須野ヶ原ハーモニーホールで聴いたときには,楽譜をiPadに入れて,足で譜めくりをしてたんだけど,今回は普通に紙の楽譜を使っていたようだ(席が後ろで良くは見えなかったのだが)。

● 栗田さんは地元出身。真面目に努力を積み重ねるタイプのようにお見受けする。
 一部上場企業の秘書室にいると絵になるかも。そういう容貌の持ち主。でもって,そういう仕事も無難にこなしそうな気配がある。
 もっと奔放になった方が演奏にはいいのかもしれないけれども,仮にそうだとしても,持って生まれた性格を変えようとすると,ロクな結果にならない。

● とはいえ,四角四面というわけではまったくなく,演奏家は陽性の人が多い(と思っている)。彼女も例外ではない(と思えた)。ここ,かなり大事なところだと思う。
 奏者にまず求められるのは性格が陽性であること。次に運動神経と体力。この2つを欠いて,技術だけがあっても仕方がないような気がする。というより,この2つを欠いて精緻を極めた技術が存在するという状況は少々想定しにくい。
 音楽とか美術の世界で,白皙の文学青年的な人を見かけることはほぼない。いや,文学の世界でも文学青年的な人はあまりいないのじゃないかと思う。

● 金子さんは全国を飛び回っていて,かなりのお忙氏だと聞いたことがある。
 なのに茂木まで来るというのは,金子さんも栗田さんのファンなのかもしれない。

● 特に印象に残った曲は,最初のコレッリ「フォリア」と最後のピアソラ「リベルタンゴ」。
 初めて聴いた「リベルタンゴ」は古川展生さんのチェロによるものだった。もちろんCD。CDは今でもその1枚しか持っていない。ヴァイオリンもピアノもクラリネットももちろんフルートもあるわけだけども,それらはYouTubeで聴ける(ただし,YouTubeにあがっているものは,おおむね装飾過剰。ショーアップしすぎのような気がする)。あとは今回のように生で聴ける機会を拾っていく。
 この曲は,渡世って辛いねぇ,人間って悲しいねぇ,と歌っているように聞こえる(違うんだろうけど)。あまり落ちこんだときに聴くとかえって気が滅入る。ある程度元気なときに聴くのがよろしかろうと思う。

● 会場の“ギャラリーふくろう”は造り酒屋の仕込蔵だったところらしい。構造もまったく当時のままではないにしても,かなりの程度には当時のままのようだ。
 使えるところは以前の部材を使おうとしたようで,柱も途中から古いものを継いでいる。継ぐときにはこうするのかと面白い発見をしたような気分になった。耐震構造の問題もあるだろうから,そのあたりの見極めはデリケートになるのだろうが,そこをどうにかできるだけの継ぎの技術というのは,じつは昔からあったんだろうね。

● 蔵だったのだから四囲は漆喰だろうか。響きのためには悪い条件ではないような気もするのだが,アコースティックはほぼないと感じた。上にあがった音は屋根を通過して無窮の彼方に消えていく。基本的には直接音を聴くことになる。
 このくらいの広さ(狭さ)だと,それがかえっていいのかもしれない。音色の輪郭がクッキリとする。それをクリアというのかもしれない。

● ところで。タイトルの「蔵chic」はクラシックと読ませるわけだけども,クラチックと読んじゃうんだよね。chicはシックとも読むことがあるんだと思うんですけどね。
 「蔵ssic」ではダメなんだろうかなぁと,ひどくつまらないことを思ってみた(字面はchicの方がいいんだけどね)。

2016年4月25日月曜日

2016.04.21 パトリック・ガロワ&栗田智水 フルート・デュオリサイタル

栃木県総合文化センター サブホール

● 開演は午後7時。チケットは3,500円。当日券だと500円増しになるので,前売券を買っておいた。

● 演奏曲は次のとおり。
 ドビュッシー 牧神の午後への前奏曲(ガロワ)
 エネスコ カンタービレとプレスト(栗田)
 ピエルネ ソナタ(ガロワ)

 ゴーベール ソナタ第2番(ガロワ)
 フォーレ シシリエンヌ(ガロワ)
 クーラウ フルート・トリオ(ガロワ,栗田,瀬尾和紀)
 ベーム メンデルスゾーンとラハナーによる3つの二重奏曲(ガロワ,栗田)
 ドップラー デュエッティーノ・アメリカン(ガロワ,栗田)

● このうち,3人で演奏したフルート・トリオはプログラムになかったもの。昨日,やることに決めたものだそうだ。
 栗田さんも瀬尾さんもガロワ氏の弟子というか教え子(瀬尾さんはそうじゃないかもしれない)。その瀬尾さんがピアノ伴奏に回った。唯一,プログラム外のこの曲で,フルートを披露。

● ともあれ,「夢の師弟共演!フルート界の至宝パトリック・ガロワの宇都宮公演が16年ぶりに実現!」ということだ。
 瀬尾さんがガロワ氏についてプログラム冊子に文章を寄せている。「かつての貴公子然とした出で立ちしかご存知ない方だと,現在の写真の風貌からはこれが今のガロワだと想像つかなかった方も多くいらっしゃったかもしれません」とある。
 還暦になるらしい。が,現在の彼の風貌から若き貴公子を想像することは,さほどに難事ではないように思う。

● ガロワ氏が使っているのは木管フルート。木製のフルートは音色が尺八に近いように思われた。
 いやいや,尺八とはまるで違うんだけれども,彼のオールバックの髪型が日本の剣豪を連想させるものだから,つい尺八を持ちだしてしまった。
 昔,漫画かイラストで見た塚原卜伝がこんな風貌だったような。

● ドビュッシーから始めるのはひじょうによくわかる。ぼくの鈍い耳では,この時点ではあまりピンと来なかった。
 彼のすごさの片鱗をぼくが知覚できるようになったのは,後半に入ってから。後半はエンタテインメント性が高い曲が並んだように思えた。たぶん,それでわかったぞと錯覚できたのかもしれないんだけどね。

● 音の粒子が細かい。これだけ微細だと,いかようにでも成形あるいは造形することができそうだ。曲ひとつを自分の掌で転がして自分好みに仕立てるという芸当も可能ではないか。
 作曲家に縛られる度合が少なくなるような。君がこの曲のこの部分をこう作ったのは,こういう理由によるんだろうな,でもぼくはちょっとひねって別の色にしてみるよ,というようなこと。

● 余裕綽々感がある。デュオやトリオのときも,共演者をよく見ていて,退くときには退くし,出るときには出る。
 あるいは,わざとタイミングを8分の1拍くらいずらしてみたり,けっこう遊んでいたようでもある。
 基本,曲に負けていない。曲の前に膝を屈する感がない。作曲家と自分は対等であると自然に思っている(ように見えた)。

● 瀬尾さんもまじえて3人で演奏した曲は,クーラウのトリオだと上に書いた。が,違うかもしれない。栗田さんがそう言っていたと記憶しているので,その記憶にしたがった。が,聞き違いってこともあるしね。
 クーラウのトリオっていくつもあるんでしょ。その中のどれなのか,ぼくには全然わからない。
 今回のプログラムもフルート吹きには馴染みのある曲なんだろうけど,ぼくには初めて目にする曲ばかりだ。

● 冒頭,栗田さんが登場して挨拶した。自身の妊娠についての話がわりと長かったかな。8ヶ月だそうだ。
 女は弱し,されど母は強し。誰なんだ,そんなことを言ったやつは。女は強い。この日の栗田さんを見て,そう思った。身体の構造がそうなっているのだろうな。柔らかいがゆえに強い。あるいは,脳が強固にできているようにも思える。
 男が女に勝るのは,瞬発力(短距離競技)くらいのものではないか。あるいは,ごく短時間,深い集中に入ること。それくらいのものだろうよ。

● その強い女が母になったらどうなるのか。猛獣になるんだな。これは栗田さんのことではなくて,ぼくの身近にいるとある女性を見ての,ぼくなりの結論なんだけどね。
 ただし,ぼくらは猛獣に育てられているんだよね。一頭の猛獣にミルクを飲ませてもらって,オシメを替えてもらって,大きくなったんだよ。
 ぼくらは,絶対,猛獣に勝てない。どうすればいいんだろうか。