2014年4月30日水曜日

2014.04.29 東京藝術大學同声会栃木県支部演奏会

宇都宮市文化会館 小ホール

● 「『上野の森』の響きを再び」と副題が付いているので,これが2回目の演奏会なのかと思ったら,そうではなかった。プログラムのあいさつには「昨年3月に栃木県支部が再編成され,本日そのお披露目の演奏会を開催することになりました」とあるから,「再び」というのは奏者にとっての“卒後再び”なのかもしれない。
 ともあれ,開演は午後2時。チケットは2,500円。

● 小ホールはほぼ満席の盛況。藝大のネームバリューでしょうね。ぼくもそのバリューに惹かれて出かけたひとりだ。
 ネームに内実が備わっているからバリューになる。まず間違いのない演奏を聴かせてもらえるだろうと思うわけですよね。
 藝大に入るほどの人ならば,幼少のみぎりは神童とか天才少女と呼ばれたに違いない。その神童や天才少女たちがその道で研鑚を積んできた。たんに音楽が好きで長く続けてきましたというのとは訳が違う。そういうリスペクト。

● ところが。こちらのチョンボで開演時刻に間に合わなかった。最初の馬場千年さんの箏曲(長谷川恭一「はるかなる道」)は聴きそびれてしまった。
 遅刻の咎はそれだけではない。演奏会の場に馴染むまでに時間がかかる。落ち着いて聴けるようになったのは休憩後の後半からだった。さっさと会場に到着して,開演を待つ行列の一員になっていた方が,なんぼかお得だ。
 記憶にある限りで,これが3回目の遅刻になる。前2回は開演時刻を勘違いしていたのが原因。勘違いなしの遅刻は初めて。いかんなぁ。

● ピアノの小嶋千尋さん。ショパンの「バラード第4番」を演奏。
 プロフィールによれば,学部生だったときにコンセール・マロニエ21で最優秀賞を受賞している。実力派なんでしょう。
 申しわけないことに,このあたりは遅刻の咎をバッチリ受けていて,演奏を聴くことに集中できなかった。

● ファゴットの柿沼麻美さん。モーツァルトのファゴット協奏曲。柿沼さん,まだ(といっていいのか)院生。管弦楽に代わるピアノ伴奏は宇根美沙惠さん。このピアノがまたお見事で。
 今回のプログラムはほぼ聴いたことのないものばかりだけれど,この曲と最後に登場するバラキレフ「イスラメイ」だけはCDで聴きかじったことがある。
 っていうか,ファゴット協奏曲って,モーツァルトのこの曲以外に知らない。ウェーバーとかR.シュトラウスのものはCDも持っていない(と思う)。
 いや,ウェーバーのファゴット協奏曲は5年前に栃響の定演で聴いていた。ソリストは菅原恵子さんだった。危ういところで思いだした。が,結局は聴きっぱなしになっていたってこと。

● 菊地由記子さんが作曲した「Aria ピアノのために」を広島県出身の多賀谷祐輔さんが演奏。ポロンポロンとこぼれ落ちるように始まり,次第に(というか急激に)音が増えていく。
 プログラムの曲目解説によれば「無数に響き合い,空気のようにわたしたちを囲んでいきます」ということ。その響き合いの様をそれと感じればいいんだろうか。

● 前半の最後はソプラノ。中山眞理子さん。モーツァルトのオペラ「羊飼いの王様」より“僕は生涯変わらずあの人を愛し誠実でいよう”。声楽ならではの華やぎってたしかにあって,場のモードがピッと切り替わった感じがした。
 ピアノが大場文恵さんで,ヴァイオリンが佐々木美子さん。ヴァイオリンの迫力が何とも。

● 15分間の休憩。これで遅刻の咎から完全に解放された感じ。
 後半は箏から。田代恭子さん。吉崎克彦「スペイン風即興曲」。十七絃でスペイン風。といっても,全部を演奏したわけではないようだ。
 ぼくの耳では巧いということしかわからない。あと田代さんが美人であること。どうもいけない。曲に入っていけない。

● 次は,中村芳子さん(ソプラノ)。日本の歌曲を3つ。田代さんの箏の伴奏がついた。
 たぶんなんだけど,今回のお客さんにアンケートを取って,どれが一番良かったかと訊ねれば,この演奏に票が集まると思う。
 年寄りにとっては(あるいは,年寄りじゃなくても)エンタテインメントとして訴求力があるのは,この手の日本歌曲で,これはもう仕方がない。ぼくら,日本人だから。

● チューバの田村優弥さん。田村さんもまだ若く,院に在籍中。マドセンの「チューバとピアノのためのソナタ」。
 ぼくが知らないだけで,チューバに焦点を合わせた曲もけっこうな数あるらしい。が,聴ける機会はそんなにない。この曲ももう一度聴く機会がこの先あるかどうか。第3楽章がいい気分にさせてくれた。
 ピアノは新居由佳梨さんで,このピアノもまたうっとりするほどで,うーん,さすがだなぁと言うしかないですかねぇ。ちょっとは気の効いたことが書けるといいんだけどね。

● 鶴野紘之さんのヴァイオリン。イザイ「サン=サーンスの“ワルツ形式の練習曲”によるカプリス」を演奏。嬉しいことに,ピアノは再び新居由佳梨さん。
 ぼく的にはこの演奏を聴けたことが最も嬉しい。超絶技巧のオンパレードのように思えたんだけど,若い鶴野さんが曲に向かっていく様が,見ていて小気味いい。
 
● 最後は新井啓泰さんのピアノで,バラキレフ「イスラメイ」。どうだい,おれのピアノは。どうもこうも,評する言葉を持たない。名手のピアノはいくら聴いても腹にたまらないものだ。

● ぼくには少々難易度が高いかもしれないんだけど,そういうことは考えないでおく。
 高水準の演奏を楽しみたい向きには,こうした催しはありがたいものだ。栃木にいて,これだけの演奏を聴けるわけだから。

● プログラム冊子の末尾に会員名簿が載っている。藝大の卒業生がすべて入会しているわけでもないようだ。
 卒業後の人生は藝大といえども人それぞれだろう。同窓会など眼中に入らないほどに忙しい人もいるだろうし,ひょっとすると藝大を忘れたい人だっているかもしれない。

2014年4月21日月曜日

2014.04.20 フレッシュアーティスト ガラ・コンサート

栃木県総合文化センター サブホール

● 栃木県ジュニアピアノコンクールとコンセール・マロニエ21の前年度の優勝者を迎えて行われるコンサート。入場無料。開演は午後2時。

● まず,ジュニアピアノコンクールの大賞受賞者の須藤麻衣さん。演奏したのは次の2曲。
 ドビュッシー 「映像第1集」から「水の反映」
 シューマン アレグロ ロ短調

● 須藤さん,この4月に大学生になった。が,まだ少女のあどけなさを残す容貌。普段は普通にキャピキャピした女子大生なのだと思う。そういう女の子がステージに立つと,あたりを払うがごとき演奏をする。それ自体が心地いい。

● 次は,コンセール・マロニエ21のピアノ部門で第1位になった青木ゆりさん。昨年のコンセール・マロニエ21のファイナルはぼくも聴きにいってるんだけど,彼女の1位は審査員の全員一致によるものだったに違いない(と推測する)。
 コンセール・マロニエ21でも演奏した,ベートーヴェンの「6つのバガテル」を今回も。あと,ショパンの「スケルツォ第4番 ホ長調」。

● ベートーヴェンの頭に浮かんできたいくつかの断片。相互に関連はないはずだ。その短い断片がそれぞれに際立ってくる。
 すでに大人(たいじん)の風格。技術的にはとっくに究めていて,あとは芸風にどう色をつけていくか,どう磨いていくか,そういう段階に達しているように思われた。

● これが私のベートーヴェンで,これが私のショパンだ,っていう押しだしが素晴らしい。聴き手に四の五の言わせない。瞬時にトップギアに入れるモード変換の速さも魅力だ。
 圧倒される快感っていうのが,こうしたコンサートの醍醐味なのだろう。その醍醐味を存分に味わわせてもらった。

● 木管部門の第1位になったのはフルートの浅田結希さん(木管部門ではオーボエの山本楓さんが1位かなと思ったんだけど,見事に大はずれ)。
 演奏したのは,吉松隆「デジタルバード組曲」とフランツ・ドップラー「ハンガリー田園幻想曲」。生で聴く機会はなかなかないと思われる曲だ。そういう意味でもこのコンサートはありがたい。ピアノ伴奏は安部可菜子さん。

● ていねいな演奏。よほどていねいに扱わないと言うことを聞いてくれない楽器なのかもしれない。が,ていねいに扱って,しかも奏者の腕がよければ,ふくよかな音を響かせてくれる。

● 15分間の休憩のあと,ゲスト演奏。ヴィオラの大島亮さんが登場。8年前のコンセール・マロニエ21の優勝者。
 シューマン「アダージョとアレグロ 変イ長調」とブラームス「ヴィオラ・ソナタ第1番 ヘ短調」を演奏した。もう名人芸というしかありませんね。聴き巧者ならもっといろんなことを言えるのかもしれないけれども,ぼくのボキャブラリーではこれが限界。

● ブラームスのこの曲はCDでも聴いたことがない。クラリネット・ソナタをブラームス自身がヴィオラ用に書き換えたというのは,知識として知ってはいたけれども,聴いたことはないっていう。
 こういうのを聴かないでいたのか,オレ,と思った。まったくお粗末な聴き手だ。こういうふうに蒙を啓いてもらえるのも,このコンサートの功徳のひとつだ。

● ところで。ピアノ伴奏は草冬香さん。コンセール・マロニエ21でもこの人のピアノ伴奏を聴いているはずだ。次はソロで聴きたい。たぶん,東京まで出張れば機会はあるんだろうけど,栃木では無理,でしょうね。

2014年4月20日日曜日

2014.04.19 スプリング・オルガンコンサート

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● 昨年落成した那須野が原ハーモニーホールのパイプオルガン。何やかやで聴く機会を逸してきた。やっと今日,聴くことができた。
 開演は午後1時。奏者は高橋博子さん。チケットは格安の500円。

● チラシには「チケット完売のおそれがありますので,早めのご予約等をおすすめします」とあったけれども,実際はけっこう空席があった。
 こけら落としの演奏会は満席だったらしい。ご祝儀もあったということか。一度で気がすむってこともあるし,飽きやすいのがお客さんだし。

● ところで,オルガンを聴くときはホールのどの辺に席を取るのが正解なんだろうか。まっすぐ届く音を聴くんだったら2階席がいいような気がするし,上から降ってくる音を聴きたいんだったら1階席の前方がいいだろうし。壁際がいいよっていう話も聞いたことがあるんだけど。
 でも,ぼくの耳じゃどこだって同じだろうと思い直して,1階席のやや後方の中央あたりに座った。

● 開演前に演奏時間は約1時間だとのアナウンスがあった。オルガンを最も長い時間聴いたのは,2010年9月の藝大の学園祭(藝祭)のときだった。途中で体が拒否反応を示したことを憶えている。響きがすごい分,少しでお腹がいっぱいになる。
 たしかに,1時間程度が頃合いかもしれないと思った。

● 演奏曲目は次のとおり。
 コッター スペイン風舞曲
 フレスコバルディ トッカータ第4番
 ラインケン フーガ ト短調
 バッハ トッカータとフーガ ニ短調
 サン=サーンス 即興曲(op.150-4)
 ヴィエルヌ 朝の歌(op.55-1)
 ラングレ “フレスコバルディへのオマージュ”より第7曲「主題と変奏」,第8曲「終曲」
 ヴィドール トッカータ(オルガン交響曲第5番第5楽章)

 以上はプログラムから引き写しているわけで,すべて初めて聴く曲だ。

● 1曲ごとに演奏前に高橋さんの解説が付いた。同時代の絵画と絡めての解説は工夫なんだろうけど,うぅーん,これ,どうだったかな。
 音楽も美術も時代の空気に影響される。でも,生半可な感想なんだけど,影響のされ方は音楽と美術じゃけっこう違うような気がしてて。音楽の方が時代からの独立性が強いっていうか。作曲家の個性が画家と比べてどうのこうのじゃなくて,表現形態の違いが然らしめるところかなぁと思ってるんだけど。ま,でも,自信はないですね,ぜんぜん。
 解説が邪魔ということはまったくなかったし,教えられたことが多かった。何より解説者が可愛かったから,何を言っても許しちゃおうってことになるんですけどね。

● 一番聴きたかったのは,ベタで恥ずかしいんだけど,やはりバッハ。この曲の管弦楽版は先月,聴いたばかりなんだけど,元祖をナマで聴きたかったからね。
 単純に,オルガンの性能を目いっぱい引きだしているのはバッハだねと感じてしまうんだけど,たぶん,違うんだろうな。オルガンもだんだんスペックが向上してきたんだろうから。コッターにしてもフレスコバルディにしても,その時代のオルガンの性能を駆使してるんだろうね。
 でもバッハ,音の詰めこみ方がすごいですよね。奏者に求められる水準も前の時代とはだいぶ違うんじゃあるまいか。

● ステージに大きなスクリーンが2枚用意されていた。1枚は手が鍵盤を押さえる様子を,もう1枚は足元の様子を映しだす。これがあると,高橋さん本人ではなく,スクリーンに目が行ってしまう。つまりは臨場感が損なわれることになる。
 でも,そのスクリーンが伝えてくれる情報量は多くてね。鍵盤が3段になっていることや,足元にも鍵盤(というか,バー)があって,低音はその足鍵盤を使って出すのだなということがリアルにわかった。
 ヴィエルヌ「朝の歌」の後半は足鍵盤のみでの演奏になるんですな。その足の動きたるや,アクロバティック。つま先で押して,次の瞬間,ふたつ先のバーを踵で押して,っていうね。向きも自在に変化。めまぐるしい。
 奏者が座る椅子が滑りやすくできている理由もよくわかった。滑ってくれないと,足先が届かないこともありそうだ。

● でも,体には不自然な動きを強いることになりますよね。上半身は左を向いてるのに,下半身は右に向けてるとか。しかも,滑りやすいんだから,バランスを取るのも大変そうだ。
 腰にきませんか,これ。ひょっとすると,オルガニストの職業病は腰痛なんてことはないのかなぁと思った。
 客席からは優雅に弾いているように見えてたんだけど,アヒルの水かきという言い方があったことを思いだした。

● というわけで1時間が経過。なんか,もっと聴いていたい気もした。
 が,1時間というのは,聴き手にとっての限界じゃなくて,奏者にとっての限界かと,終演後に思いいたった。あの姿勢で1時間を超えて弾き続けるのは少々過酷と思える。もっと聴いていたいとは気楽すぎる感想だろう。

2014年4月13日日曜日

2014.04.12 昴21弦楽四重奏団那須野が原公演

那須野が原ハーモニーホール 小ホール

● プログラムによれば,「昴21弦楽四重奏団」は2002年に桐朋の学生だった4人で結成された。三又治彦さん(ヴァイオリン),佐久間聡一さん(ヴァイオリン),御法川雄矢さん(ヴィオラ),玉川克さん(チェロ)。
 日本を代表する中堅どころにさしかかっている人たち。

● 開演は午後3時。チケットは全席指定で2,000円。当日券があった。
 玉川さんが,お花見に行かずに,このコンサートに来てくださってありがとうございます,と挨拶した。
 しかし,だ。花見に行くようなノリでこのコンサートに来た人もけっこういたと思うぞ。観客(ぼくも含まれる)のテンションはあまり高いとはいえなかったように思うね。

● ともあれ,曲目は次のとおり。
 ハイドン 弦楽四重奏曲第74番 ト短調
 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲〈大フーガ〉変ロ長調
 ボロディン 弦楽四重奏曲第2番 ニ長調

● 弦楽四重奏というと,玄人好みというか,ぼくには少々敷居が高い。以前ほどではないと思いたいんだけど,まだまだ身構えてしまうところがある。
 CDでもネットに転がっている音源でも,交響曲や協奏曲だけで聴ききれないほどある。その間隙を縫って弦楽四重奏曲まで聴くとなると,言うは易く行うは難し。なかなか聴けないでいる。

● CDを聴かないから生演奏を味わえないなんてことはまったくないはずだけど,馴染みが薄いという気配が濃厚に(ぼくの場合は)ある。
 せめてベートーヴェンの四重奏曲くらいは聴こうよというわけで,複数のCDを取り揃えてはみたものの,ひとつをひと通り聴いただけで,頭の中に霞がかかったような気分になった。

● そういう人間が〈大フーガ〉を聴くんだからね。正直,味わえるところまで行っていませんね。
 この曲はベートーヴェンの作品中,最もヘンテコリンなものという紹介もあったんだけど,昔は否定一色だったでしょ。今は先駆的なものと評価されているようだけど。
 ぼくにわかるわけはないよなぁと,妙に納得している。

● ただね,弦楽四重奏はアンサンブルの精妙さが命だろうとは思うわけですよね。そこを味わえればいいかなぁ,と。
 で,そこのところはね,こちらから味わいに行かずとも,ステージから勝手に届いてくるわけでね。

● 〈大フーガ〉に比べると,ボロディンの方がずっと聴きやすい。とっつきやすい。こういうところから入っていけばいいかなぁと思った。背伸びしてベートーヴェンにとっかからなくてもいいかなぁ,と。

● アンコールはシューマンの「トロイメライ」ほか3曲。最後のアイネ・クライネ・ナハトムジーク変奏曲(?)は大変なサービス。この弦楽四重奏団の水準の高さが最もわかりやすく伝わってきた。
 アンコールになると客席もグッとくだけてきた。いい意味でね。柔らかくなった。
 自分に引き寄せて,これでいいんだよなと思いましたね。わかるとかわからないとか,堅苦しく構えるなよ,まずは楽しめる曲を聴こうよ,って思いましたよ。

● 演奏ぶりを見ながら,四人それぞれの性格を推測してみるのも楽しいものだね。たいてい外れるんだろうけどさ。別に個人的にお付き合いするわけじゃないから,こいつはこんな性格だなと勝手に決めつけるって,けっこう面白いもので。

● こちらにも家庭の事情や個人の事情がいろいろあって(たいしたもんじゃないんだけど),その「いろいろ」が雑念になって押し寄せてくる。
 それを払いのけて聴くことに注意を集中させようとするんだけど,今日はそれがうまくいかなかった。せっかく演奏してくれてるのに,申しわけない。
 そういうところを含めて,演奏を聴くという単純なことが十全にはできていない。修行が足りない。

2014年4月7日月曜日

2014.04.06 庄司紗矢香&メナヘム・プレスラー デュオリサイタル

栃木県総合文化センター サブホール

● 開演は午後3時。チケットは4,000円(指定席)。当日券もあったようだけれども,バルコニー席は別として,満席状態。
 ぼくの隣もひとりで来てた中年のおっさん。男ひとりは別に珍しくないけど(ぼくもそうですしね),今回はそれがけっこう目立った感じ。理由は推測不可能。あるいは,グループかカップルで来たのに,連続した席が取れなかっただけなのかもしれない。

● 庄司紗矢香とくれば,ネームバリューは圧倒的だ。ぼくも正直,どんな人なのかひと目見たいっていうミーハーな部分があったかな。
 ま,ともあれ。ふたりの天才がにこやかに登場して,音合わせもなくいきなり演奏が始まった。曲目は次のとおり。
 モーツァルト ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 変ロ長調 K.454
 シューベルト ヴァイオリンとピアノのための二重奏曲 イ長調
 シューベルト ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番 ニ長調
 ブラームス ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番 ト長調

● こういうリサイタルに来ると,そのたび感じることがある。この演奏を自分に聴かせることは,馬に念仏を聞かせることと何が異なるのか,ということだ。
 ピアニッシモもちゃんと聞こえてくるとか,重心の移動がきれいだとか,そういうことは感じる。けれども,それって彼女に限らない。たいてい,プロの奏者はみんなそうでしょ。
 庄司紗矢香を庄司紗矢香たらしめているもの。結局,ぼくにはわからない。

● ピアノのメナヘム・プレスラー氏は90歳を過ぎている。庄司さんとは爺と孫娘ほど(あるいはそれ以上)の年齢差がある。そのプレスラー氏が可愛らしかった。巧まざる可愛さ。
 威厳も実直も踏みこえて可愛らしさに至ったのか,もとからそういうキャラクターだったのか。
 ピアノにしても,壮年期に比べれば確実に技術は落ちているはずだと思うんだけど,この年齢に至らなければ出せない音がきっとあるんだろうなと思わせるんですよね。どうなんだろ。これまた,ぼくにはわかるはずもないんだけど。

● アンコールは4曲。
 ドビュッシー 亜麻色の髪の乙女
 ショパン 夜想曲第20番
 ブラームス 愛のワルツ
 ショパン マズルカ(作品17-4)

● ショパンは当然ながらプレスラー氏のソロ。説得力がある。彼の年齢を知ったうえで聴いたからというわけではなかったと思う。
 何だか,無性に長生きをしてみたくなった。その年齢にならないとわからない何ものかがあるに違いないと思わされたから。