2011年7月31日日曜日

2011.07.18 東京大学音楽部管弦楽団サマーコンサート2011

大宮ソニックシティ 大ホール

● 18日は東京大学音楽学部管弦楽団のサマーコンサートの埼玉公演。会場は大宮のソニックシティ大ホール。

● 毎年,7~8月に全国5都市(今年は埼玉,東京,松本,神戸,高松)でコンサートを開催している学生オケは,たぶんここだけだ。この行事は東大オケの伝統らしいのだが,まずは東大の知名度があればこそ。全国のどこでもお客さんを集めることができるのは,東大ブランドなればこそだ。
 大学の知名度のみならず,オケの腕前もそれに相応しい。今回も若い彼らの演奏を聴きながら,こいつらの中には,東大に合格できる学力があったから東大に入ったけれども,そうでなければ音大に行っていたってやつがけっこういるんだろうなぁと思った。

● サマーコンサートの指揮者は三石精一さんに決まっているようだ。三石さんといえば,この世界の重鎮というか親分というか,草分け的存在といってよい人だろう。その人を終身正指揮者という肩書で囲っておけるのも東大オケならではだろう。
 三石さんも音大ではない一般大学の学生オケでここまでやれる東大オケに一目置いているというか,力になってやりたいという思いがあるのだろうと思う。

● ソニックシティに入るのは,今回が初めて。昨年はつくばのノバホールだったのだが,そのときは完売御礼の立て札が出ていたんだけど,さすがに今年は震災の影響なのか,2階席にはだいぶ空きがあった。
 会場を待って並んでいるお客さんたちに,東大生が氷を入れたビニール袋を配っていた。如才ないねぇ。ここまでやるかと思いましたよ。配る彼らは半袖だがワイシャツを着てネクタイをしている。
 彼らを見ていると,何をやっても生きていけるな,こいつら,と思ってしまう。頭が切れるうえに,サービス精神があって,どうすれば相手が喜ぶかを想像する力もある。そして,照れずにそれを実行できる。

● 曲目は,モーツァルトの歌劇「魔笛」序曲,シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」,ブラームスの交響曲第3番。
 演奏は文句のつけようのない立派なものだったと思うが,2日連続の2日目で,こちらの聴く体勢に綻びがあったかもしれない。疲れていたとは思わないけれども,感度が低下していたようだ。

2011.07.17 ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉

芳賀町民会館

● 2日連続で演奏会に行ってきた。まず,17日(日)は芳賀町民会館ホール。ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉がやってきた。指揮者は同楽団の常任指揮者の大井剛史さん。芳賀町出身。
 ネットで彼のプロフィールを見ると,「17歳より指揮法を松尾葉子氏に師事」とある。17歳から指揮法の勉強をしてたってのは凄いねぇ。この年齢で自分の人生を決めていたってことだからねぇ。それだけで選ばれた人だって気がするねぇ。早熟も才能のうちか。

● ラフな恰好で出かけた(いつものことだけど)。こうまで暑いとね,洋服をちゃんと整えてシャナリシャナリってわけにもいきません。例によって,圧倒的にオバチャンが多いのだが,彼女たちのなかにはヨソユキの装いの人もいるけれども,数少ない男どもはぼくと似たり寄ったり。

● 田舎のホールでクラシック音楽の演奏会を開催することのリスクは,大衆演劇を見物するノリでやって来たであろう中高年男女が少なくないと思われることだ。演奏中に音を出してはいけないことを知らない人もいるのではないか。煎餅をぼりぼり囓りだしかねない人もいるのではないか。
 こうまで暑いと仕方がないことなのだが,扇子を使う人がいた(ぼくの隣のご婦人も)。これがけっこう耳障り。
 ということはあったのだが,客席に特段の問題はなかった。自ずとクラシック音楽の演奏会としての場ができるんですな。その場に包まれるようにして,誰もそれに相応しい観客になっていく。

● 問題は主催者側にもあった。プログラムを用意していなかったっていう。あろうことか,当日に受付でPR用のチラシを渡していた。
 開演15分前に,その大井さんがステージに出て,これから演奏する曲目の解説をした。これはあらかじめチラシにも載っていた予定の行動。プログラムがなかったことを知って慌ててリカバーしたっていうわけでもない。

● 曲目はまず,ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲。あまりにも有名だし,誰でも一部は聴いているはずだが,きちんと全部聴いているひとは意外に少ない。さすがはプロの演奏で,グイグイ聴かせる。

 次はモーツァルトのクラリネット協奏曲イ長調。この協奏曲を聴けるからこの演奏会に足を運んだといっても過言ではない。
 あきれるほどの透明感。曲のどの部分からでも伝わってくる気品(のようなもの)。そして,突き抜けた明るさ。聴くたびにため息がでる。人間がこういうものを作れるのかって。
 突き抜けた明るさってのは,どこかに諦めや悲しみを湛えている。明るさをどれほど煮つめたところで,明るさだけでは明るさを突き抜けることはできない。
 この曲はモーツァルトが亡くなる年に作曲したものだが,その時期,モーツァルトは自分の死期を悟っていたのかもしれないと考えてみる。自分の来し方に諦念を抱いていたに違いない。こんなものだったか,と。
 とすれば,モーツァルトの天才をもってしても,この曲は最晩年を待たなければ成立しなかったはずのもの。

● ソリストは栖関志帆さん。ニューフィル千葉の団員。コンクールの受賞歴も華々しい。ニューフィル千葉の若きエース?
 チラシに載ってる写真よりも実物が美人。こういう例に遭遇するのは初めてのこと。たぶん,これからもないだろう。

● この協奏曲はクラリネットがなくても破綻なく成立する。管弦楽だけの演奏でも味わいは損なわれない(ように思われる)。
 圧巻はやはり第1楽章の出だしの部分。管弦楽が奏でる旋律。渓谷を降ってくる清冽な水の流れのように,刻々と姿を変えていく管弦の音の集合。
 その出だしの部分でこの楽団にKOされた感じ。もちろん,すこぶる快適なKOだ。

● 実際に聴いてみて,こういう表現の仕方があるのかと気がつくのが素人の悲しさですね。
 CDでは限界があるんだなぁ。CDを聴きくらべても発見はない。あくまでぼくの場合だけどね。
 蓄音機でレコードを聴いただけで,小林秀雄は「モオツアルト」を書いた。聴く人が聴けば,CDのみでも相当な高みに登ることができるんだろうけどね。想像力のなさと耳の悪さを音響のせいにするなって言われるかもね。

● メインの3曲目はドヴォルザークの交響曲第9番ホ短調「新世界より」。この曲もCDで何度も聴いている。車のカーナビのハードディスクにコピーして,通勤の車内で聴いているので。
 そうなったキッカケは2年前に宇大管弦楽団の定期演奏会でこの曲を聴いたからだ。その後,昨年5月にもN響の演奏で聴いているんだけど,今回の方がシャープな感じ。演奏している側のノリがいいっていうか。

● というわけで,とても満足できる演奏だった。ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉,凄いぞ。カーテンコールで大井さんが「いいオケでしょ」と客席に同意を求めていたが,御意と答えたくなったぞ。
 演奏終了後は指揮者と奏者が出口に立ってお客さんを見送るなど,ショーマンシップもなかなかなもの。コンミスが笑顔を振りまいていた。
 全席指定で2千円だったのだけど,これで2千円は破格の安さ。たとえこの倍を取ったところで,このホールの座席数では黒字になるはずもない。
 プログラムをウッカリするなどのポカはあったものの,主催者の芳賀町がそれなりに助成しているに違いない。ありがたかったぞ,芳賀町。

2011.07.02 宇都宮大学管弦楽団第71回定期演奏会


宇都宮市文化会館大ホール

●  7月2日は宇都宮市文化会館で宇大管弦楽団の定期演奏会があった。夕方6時から。
 曲目はメインがムソルグスキー(ラヴェル編)の組曲「展覧会の絵」。ほかに,バラキレフ「3つのロシアの主題による序曲」とビゼー「アルルの女 第1組曲」から抜粋でいくつかを演奏した。
 指揮者は小森康弘さん。宇大管弦楽団のOB。宇大教育学部音楽科から芸大,芸大院と進んだ人。

● バラキレフの「3つのロシアの主題による序曲」なんてかなりマイナーで,こういう機会でもないと一生聴くことなく終わったろう。
 3曲とも打楽器が活躍する。今回の選曲は打楽器パートの主張が通ったのかななどと邪推している。

● 演奏はね,立派なものでしたよ。あらためて音楽を聴いていこうと思わせてもらえる。
 縁の下で運営を支える学生たちもよくやっている。文句をつけている老人がいたりもするが,文句をつけてる側が勝手なだけ。

● 次回は12月18日の予定。栃響の第九とたぶん時間帯も重なってしまいそうだ。ぼくは第九を捨てて宇大の演奏会に行くと思う。