約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2010年5月31日月曜日
2010.05.30 東京大学第83回五月祭-東京大学フィロムジカ交響楽団・東京大学フォイヤーベルク管弦楽団・東京大学音楽部管弦楽団・東京大学吹奏楽部
東京大学本郷キャンパス 安田講堂
● 5月は29~30日の2日間,東大本郷キャンパスで「五月祭」が行われる。東大にいくつもある管弦楽団や歌劇団がそれぞれ演奏会を実施する。2日間とも出かけてみたいと思っている。
昨年11月の「駒場祭」はヨメの入院騒ぎなどがあって,とても東京に行くなんて許されなかったけど,今度は行くぞ,と。
● 東大音楽部管弦楽団の演奏を1月に聴いているのだが,これはわざわざ聴きに行く価値のあるものだった。それをもう一度聴けるのだと思うと,ちょっと気持ちが浮きたつ。
日本でもラ・フォル・ジュルネ的なものが根づいたかのようだけれども,「駒場祭」や「五月祭」はミニ・ジュルネといってもいいんじゃなかろうか。管弦楽から室内弦楽,ピアノやホルンの演奏まで,さまざまなアンサンブルがある。ぼくは管弦楽を中心に聴きたいと思っているけれど,聴きたいものが何であれ,リクエストに応じてくれる品揃え。
● 今の時点(5月11日)で各企画の内容と日程が固まっているようで,サイトで検索できるようになっている。このスピードもたいしたもので,たぶん東大ならではの段取りの良さだと思う。これだけ大規模な催事をこうまで手際よくまとめていく実行委員会の学生たちはたいしたものだ。ノウハウのストックが膨大にあるのだろうけどね。
ちなみに,他の大学ではギリギリまで載らない。あるいは当日になっても載っていないってこともあるからね。
● 結局,29日は出かけられなかった。休日出勤したので。ま,休日に出勤してもさほど能率は上がらないってのは,これまでの経験から鉄壁の法則だと思っているんだけれども,どこかに甘さがあるんでしょうね。休日にやればいいやっていう。
● 30日には行ってきました。50歳を過ぎた男がひとりで行くとかなり目立つかと多少の不安があった。杞憂だった。上野公園の雑踏がそのまま東大構内に平行移動したような様相を呈していた。
まず,来場者の数が半端じゃない。相当な人口密度でまっすぐには歩けない。
● 来場者の様相も上野公園にあるものはすべて揃っている。まず目立つのは女子高校生のグループ。東大を目指したいと思っているわけではなさげ。
● それらの人たちが構内のそちこちで写真を撮りあっている。東大は一大観光名所なのだ。
若い男女のカップルもいるし,小さい子供を連れた親子連れもいる。熟年の夫婦も多い。東大生の父兄なのかもしれないし,OB・OGなのかもしれない。そのどちらでもないのかもしれない。数人で連れ立っている中学生や小学生も。
ぼくのような単独行動者も年齢を問わずに存在する。ホームレスとおぼしき人までいる。
● また,これらの雑多な来場者の要求に応えられるだけの種々雑多なアトラクションを東大(学生)側が用意していることにも驚いた。ぼくは上野駅から歩いて裏口から入学したので,受け取ることはなかったのだけど,この大学祭のプログラムはかなりの厚さの冊子になっている。
● 外に出ている模擬店は東大だからといって変わったところはない。着ぐるみやメイドカフェのコスチュームを着た女子学生が呼びこみをしていたり,男子学生が大声を出していたり。若者が思い思いにエネルギーを発散している。
けれども,路地を避けて建物に入ると,そこでは模擬裁判とか学術講演会とか公開実験とか,東大ならではの催しが(たぶん,ひっそりと)行われている。
● ぼくは管弦楽を聴きに来た。まっすぐ安田講堂に向かった。ちょっとドキドキしましたね。中に入るときに。安田講堂は東大の象徴で,劣等生だったぼくには永遠の憧れってところがあったから。
その安田講堂の赤絨毯を踏んで2階席へ。何か,自動的に2階に導かれたような感じなのだが,もちろん1階席にもお客さんが座っている。
● 正午過ぎから東京大学フィロムジカ交響楽団の演奏会。20分ほど前に着席した。団員がステージで最後の練習をしていた。公開練習になってましたね。めったに見られない光景なので,ありがたく拝見させていただいた。
演しものはロッシーニの「セビリアの理髪師」序曲,シューベルト「未完成」とシベリウス「交響曲第2番」をそれぞれ抜粋で。時間枠が1時間なので,抜粋なのは仕方がない。6月20日に定期演奏会があるので,今回はそのための模擬演奏会でもある。
指揮者は小笠原吉秀氏。プログラムによれば国立音大から日大芸術の院に進んで指揮を勉強したとある。
● さて,その演奏である。東大では音楽部管弦楽団とフォイヤーベルク管弦楽団の2つがすごいと聞いていた。が,このフィロムジカ交響楽団も相当なものだ。凛とした演奏を堪能した。東大が中心だけれども,他大学の学生も含めて,現在150名の団員を抱えているらしい。レベルの高い学生が集まっている東京ならではの集合体だろう。
● 次は東京大学フォイヤーベルク管弦楽団。この楽団も東大の名を冠してはいるけれども,他大学の学生も加わっている。その数は決して少なくない。今年は楽団代表からして東大生ではない。
開始予定が30分遅れて2時ちょうどに始まった。演奏時間は45分。こちらはあまり気合いが入っていない様子。ほかの楽団も出るからウチもお付き合いしておくかっていうところか。普段着でステージに登場した。
演しものはモーツァルト「交響曲29番」の第1楽章,シュトラウスの「13楽器のためのセレナード 変ホ長調」,ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調」の第2楽章と第3楽章。こちらも6月27日に定期演奏会を予定しており,ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲はそちらの演しものにもなっている。
● 「交響曲29番」はモーツァルトが18歳のときに,「13楽器のためのセレナード」はシュトラウスが17歳のときに作曲した。この世界には早熟の天才が雲霞のごとく存在しますね。天才が最も見えやすい世界なのではあるまいか。
指揮者はなし。「13楽器のためのセレナード」は室内管楽だから指揮者なしでいいし,「ヴァイオリン協奏曲」もソリストが指揮者を兼ねればいい。でも,交響曲まで指揮者なしで演奏できるんですな。
ソリストは前田尚德氏。東大を1年で中退し,桐朋に転じた人。東大をパッと捨てられるところが格好いい。
● フォイヤーベルクについては,今年度からぼくは賛助会員になっている。年会費6千円を納めた。それで2回の定期演奏会の指定席チケットと録音CD,会報が送られてくる。6千円では申し訳ないようなサービスが受けられるわけだが,要はこの楽団に対して勝手に思いをこめているってことですね。
それで,今回も期待とともに開演を待ったのだが,上記のような次第で,ちょっと期待をはずされたかなという印象。とはいえ,素敵に上手いのは確かなこと。
● ところで,安田講堂の前に野外ステージが設えられていた。フィロムジカの演奏が終わった後,その野外ステージの回りが騒々しい。何事かと思って出てみれば,ステージ上に矢沢永吉がいるではないか。
来場者は大喜び。ぼくも自分のラッキーを喜んだ。テレビでしか見たことのないロックシンガーのライブに立ち会えるとは。
翌日の新聞が報道していたのだが,それによれば,サプライズ出演だったようで,プログラムには掲載されていなかった(掲載してたらパニックが起きそうだ)。
● 隅っこから遠巻きに見たにとどまるけれど,60歳を過ぎても矢沢にはとんでもないオーラがあった。圧倒的な声量と声域。今まで,アイドル歌手のコンサートで熱狂しているファンが映しだされると,何だこいつらと小馬鹿にしていたけれども,同じ状況に置かれればぼくも同じ反応をするのだな,と。
早々に彼は帰っていった。時間にすれば30分もあったかどうか。新聞によると彼は4曲歌ったようだ。ぼくが聴いたのは3曲。充分に満足させる何かを矢沢は確かに持っていた。
それにしたって,東大価格ってのがあるのかもしれないけれど,東大側は相当なお金を支払っているのだろうし,大学祭に矢沢を呼べる大学って,そんなにないよねぇ。
● さて,次は東京大学音楽部管弦楽団。
1月に定期演奏会に行った。彼らの実力はわかっている。お客さんも同じと見えて,先の2つに比べて客の入りが違う。安田講堂の座席がほぼ埋まった感じ。
先の2つは空席がまとまって存在したんだけれど,今度はそれがなかった。集客力はこの楽団が随一。
この楽団は東大純正で,そのせいか気合いの入り方も随一で,高い水準の演奏を楽しむことができた。
● 曲目はバーンスタイン「キャンディード序曲」,ベートーヴェンの第7番第1楽章,チャイコフスキーの組曲「くるみ割り人形」から抜粋,運動会メドレーと題して「地獄のオルフェ」「クシコス・ポスト」「ウィリアムテル」の「スイス軍の行進」,マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲」,ディズニーメドレー。
運動会メドレーが圧巻の演奏。聞き慣れている曲も,きちんとした演奏で聴くと,こういう曲だったのかと蒙が啓かれる思いがする。ディズニーメドレーも同じだ。聴くに堪える曲だったってことがわかる。
● 指揮者はこの楽団の副指揮者の田代俊文氏。学生オケなのに名誉指揮者と終身正指揮者とふたりの副指揮者がいる。トレーナーも錚々たるメンバーで,これって東大っていうネームバリューだけでできることじゃない。実力が伴ってこそ,叶えられる。
背筋が伸びたファーストヴァイオリンの女子奏者の佇まいも印象に残っている。背中しか見えなかったんだけど,ゆるみのないその姿勢に,こういうふうに人生を生きていればなぁと五十翁は嘆息まじりに思うのだった。
● 最後は東京大学吹奏楽部。プログラムに掲載されていた部員名簿によると,少数の東大男子と多数の他大学女子で構成されている(ごく少数だけれども,他大学男子と東大女子も存在する)。
管弦楽と吹奏楽の違いは,弦楽器があるかどうかにとどまらず,文化の違いもあるようだ。軍隊調というか体育会系気質というか,動きがキビキビしている。吹奏楽を聴くのは今回が2度目で,前回聴いたのが自衛隊音楽隊だったから,それに引き寄せて見てしまっているのかもしれないけれど。
また,吹奏楽がよく取りあげる曲目もあるんですね。管弦楽用の音楽を吹奏楽用に編集しなおしてっていうのではなくて,初めから吹奏楽を想定して書かれた楽曲があって,そういうものが演奏される機会が多いようだ。ま,そんなことも知らなかったってわけで。
● 電車賃をかけて行く価値はあったと思う。矢沢永吉のサプライズがなくても。満足して帰途についた。目下のところは仕事には憂いはない。家庭には大きな問題を抱えているけれども,これとて考え方次第だ。満ち足りた思いで不忍池のほとりを歩き,上野駅に向かった。
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