栃木県総合文化センター サブホール
● この合奏団の演奏を聴くのは,今回が3回目。レベルの高い若き職能集団という印象。
中2から高3のAオケと小5~中1のBオケがあるんですな。女子が多いんだけど,圧倒的多数というわけでもなく,男子もそれなりの数,在籍している。
● まず,Bオケがヴィヴァルディを演奏。「調和の幻想」の第2曲(2つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲)。
若きコンマスが目を引いた(コンマスは途中で交代した。そういう習わしなんですか)。足の開き方,演奏前に隣の奏者と談笑する様子。そういう様が大人のオーケストラのコンマスとほとんど変わらない。
それがほほ笑ましい。
いや,ほほ笑ましいと表現すると,彼に失礼だろうな。このステージにおいては,彼は立派に一個の紳士であるのだから。
● 次はA,B合同で「四季のうつろい」(並木厚信・栗原邦子編曲)。日本の唱歌を四季の順に並べて,日本の季節を器楽で表現しようとするもの。
これだけの大人数で演奏しても,ノイズが混じらないのはたいしたものだと思った。
けれども,こういったアレンジ曲って,概してつまらない。
● つまらないと感じる所以のひとつは,歌詞が脳内に浮かんでしまうことだ。“こいのぼり”にしても“小さい秋見つけた”にしても,たちどころに歌詞が登場してしまう。
これが,曲を聴く邪魔をする。曲と詞が勝負すると,たいていは詞が勝つ。詞のほうが脳内でより大きな面積を占めるように思える。
● 休憩をはさんで,3曲目は,Aオケによるチャイコフスキー「弦楽セレナード」。
プログラムノートの解説によれば,「(チャイコフスキーは)モーツァルトをとりわけ崇拝しており,この曲も,モーツァルトへの敬愛から書いたもの」とのこと。
● が,モーツァルトの軽快かつ洒落たセレナードに比べると,シリアスでズッシリした印象が残る。ロシアの特徴というわけでもないんだろうけど,ここから交響曲にもっていくのは,さほどの距離を要する作業でもないように思える。
「複楽章による大規模な合奏曲」を特に(セレナーデではなく)セレナードと呼ぶことがあると,Wikipediaが解説している。少なくとも,これに小夜曲という日本語をあてることには抵抗を感じる。
● 演奏する側に言わせれば難しい曲であるに違いない。しかし,この若き職能集団にかかれば,整った形にされて客席に差しだされるわけだ。
が,優雅な白鳥も水面下では必死に足を動かしているわけで,この合奏団の彼ら彼女らも,スマートに演奏しているように見えたけれども,じつのところはいっぱいいっぱいだったのかもしれない。
● いや,いっぱいいっぱいだったのだと思う。余裕綽々の演奏(そういう演奏を聴いた経験は,たぶんないと思うのだが)より,いっぱいいっぱいでギリギリ水面に顔が出ているくらいのほうが,客席に届くものは多くなるのではないか。豊穣になる。緊張感であったり,懸命さであったり,ある種の危うさ(ハラハラドキドキ)であったり。
約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2015年4月27日月曜日
2015年4月26日日曜日
2015.04.19 フレッシュアーティスト ガラ・コンサート
栃木県総合文化センター サブホール
● 栃木県ジュニアピアノコンクールとコンセール・マロニエ21の前年度の優勝者を迎えて行われるコンサート。入場無料。開演は午後2時。
ただし,今回は構成が変わっていた。昨年までは栃木県ジュニアピアノコンクールは大賞受賞者1名だけが登場してた。そのあと,コンセール・マロニエ21の前年度優勝者の演奏があって,さらに過去のコンセール・マロニエ21の優勝者をゲストとして招いていた。
今回はジュニアピアノコンクールの年齢別優勝者が順番に登場。その代わり,ゲストによる演奏はなし。
● 前半はジュニアピアノコンクールの優勝者が登場。小学生が3人,中学生と高校生が1人ずつ。全員が女性。
高校生の部の優勝者である吉原麻実さんの演奏が抜きんでていた。次の2曲。
ラヴェル 「鏡」より“1.蛾”
リスト ハンガリー狂詩曲第12番 嬰ハ短調
● 彼女のピアノは先月も聴かせてもらっている。大人の演奏という感じ。色香が載っている。色香のないピアノなど誰が聴きたいと思うものか。
この場合の色香って,壇蜜的なそれじゃなくて(壇蜜的なるものも,大変にけっこうなものだけど),奏者が男性の場合でも同じだ。
前に,90歳を過ぎているメナヘム・プレスラー氏の演奏を聴いたことがあるけれども,ほのかに伝わってくる色香がたしかにあった。
● 別の言葉に置き換えてみようか。お茶目さ,奔放さ,闊達さ,技術を濾過した透明感。
いや,やっぱり色香といったほうが一番シックリくるようだ。
● 後半は,コンセール・マロニエ21の優勝者。まずは,弦楽器部門で優勝したコントラバスの白井菜々子さん。次の2曲。
ポッテジーニ タランテラ
ポッテジーニ カプリッチオ・ディ・ブラブーラ
● 昨年のコンセール・マロニエ本選も聴いている。そのときとは,白井さんの佇まいが変わってましたね。
まぁ,コンクールのときと,今回のような凱旋公演で佇まいが違うのはあたりまえではある。ところが,まったく変わらない人も時にいるのでね。前回,ピアノで登場した青木ゆりさんがそうで,彼女はコンクールのときからふてぶてしいほどに落ち着き払っていた(ように思えた)。
でも,ま,青木さんのような人は少数派でしょ。
● でね,ぼくは昨年の弦楽器部門の審査結果に,若干の違和感を持ってましてね。審査結果を知ったときには,ちょっと驚いたんですよ。
でも,自分に何がわかるのかって思うし,専門の先生方の判断に異議申し立てをするつもりはまったくないんですけど。
● 今回,白井さんの演奏を聴いて,やっぱり先生方は正しかったのだなと思いましたよ。
コントラバスだから,右手の弓遣いや左手の弦の押さえ方が正面から見える。どうすればこういうふうにできるようになるんだろ,と思った。
同時に,ぼくなんかが見ると,同じようにできてる人がたくさんいる。それらの人たちと彼女と,何が違うんだろうなとも思った。
そこのところをね,きちっと言葉に翻訳できるようになれば,聴き手として上級者ってことになるのかもしれない。ぼくは,聴き手としてまだ初級の域を出ていないんだなとも思わされた。
● ピアノ伴奏は百武恵子さん。このピアノも聴きごたえあり。前半に出場した少女たちに,百武さんのピアノをどう思ったか,訊いてみたい。
ぼくなどが思いも及ばない方角の感想を聞くことができるのじゃないかなぁ。
● 声楽部門で優勝した高橋洋介さん。プログラムは次のとおり。
スカルラッティ すでに太陽はガンジス川から
ジョルダーニ いとしい私の恋人
モーツァルト 「ドン・ジョヴェンニ」より“シャンパンの歌”“セレナーデ”
ロッシーニ 「セヴィリアの理髪師」より“私は町の何でも屋”
プッチーニ 「エドガール」より“この恋を,俺の恥を”
レハール 「メリーウィドウ」より“おお祖国よ”
ヴェルディ 「ドン・カルロ」より“おおカルロ,聞いてくれ”
● つまり,大盤振る舞い。高橋さん,試してみたいことがいくつかあったんだろうか。そういう気配は感じなかったんだけど。単純にサービスですか。
こちらとすれば,もちろん,ありがたい話ではあるんだけどね。
● ピアノ伴奏は篠宮久徳さん。やっぱり,男性が弾いても,ピアノは色香(が大事)なんですよ。そう思った。
● 栃木県ジュニアピアノコンクールとコンセール・マロニエ21の前年度の優勝者を迎えて行われるコンサート。入場無料。開演は午後2時。
ただし,今回は構成が変わっていた。昨年までは栃木県ジュニアピアノコンクールは大賞受賞者1名だけが登場してた。そのあと,コンセール・マロニエ21の前年度優勝者の演奏があって,さらに過去のコンセール・マロニエ21の優勝者をゲストとして招いていた。
今回はジュニアピアノコンクールの年齢別優勝者が順番に登場。その代わり,ゲストによる演奏はなし。
● 前半はジュニアピアノコンクールの優勝者が登場。小学生が3人,中学生と高校生が1人ずつ。全員が女性。
高校生の部の優勝者である吉原麻実さんの演奏が抜きんでていた。次の2曲。
ラヴェル 「鏡」より“1.蛾”
リスト ハンガリー狂詩曲第12番 嬰ハ短調
● 彼女のピアノは先月も聴かせてもらっている。大人の演奏という感じ。色香が載っている。色香のないピアノなど誰が聴きたいと思うものか。
この場合の色香って,壇蜜的なそれじゃなくて(壇蜜的なるものも,大変にけっこうなものだけど),奏者が男性の場合でも同じだ。
前に,90歳を過ぎているメナヘム・プレスラー氏の演奏を聴いたことがあるけれども,ほのかに伝わってくる色香がたしかにあった。
● 別の言葉に置き換えてみようか。お茶目さ,奔放さ,闊達さ,技術を濾過した透明感。
いや,やっぱり色香といったほうが一番シックリくるようだ。
● 後半は,コンセール・マロニエ21の優勝者。まずは,弦楽器部門で優勝したコントラバスの白井菜々子さん。次の2曲。
ポッテジーニ タランテラ
ポッテジーニ カプリッチオ・ディ・ブラブーラ
● 昨年のコンセール・マロニエ本選も聴いている。そのときとは,白井さんの佇まいが変わってましたね。
まぁ,コンクールのときと,今回のような凱旋公演で佇まいが違うのはあたりまえではある。ところが,まったく変わらない人も時にいるのでね。前回,ピアノで登場した青木ゆりさんがそうで,彼女はコンクールのときからふてぶてしいほどに落ち着き払っていた(ように思えた)。
でも,ま,青木さんのような人は少数派でしょ。
● でね,ぼくは昨年の弦楽器部門の審査結果に,若干の違和感を持ってましてね。審査結果を知ったときには,ちょっと驚いたんですよ。
でも,自分に何がわかるのかって思うし,専門の先生方の判断に異議申し立てをするつもりはまったくないんですけど。
● 今回,白井さんの演奏を聴いて,やっぱり先生方は正しかったのだなと思いましたよ。
コントラバスだから,右手の弓遣いや左手の弦の押さえ方が正面から見える。どうすればこういうふうにできるようになるんだろ,と思った。
同時に,ぼくなんかが見ると,同じようにできてる人がたくさんいる。それらの人たちと彼女と,何が違うんだろうなとも思った。
そこのところをね,きちっと言葉に翻訳できるようになれば,聴き手として上級者ってことになるのかもしれない。ぼくは,聴き手としてまだ初級の域を出ていないんだなとも思わされた。
● ピアノ伴奏は百武恵子さん。このピアノも聴きごたえあり。前半に出場した少女たちに,百武さんのピアノをどう思ったか,訊いてみたい。
ぼくなどが思いも及ばない方角の感想を聞くことができるのじゃないかなぁ。
● 声楽部門で優勝した高橋洋介さん。プログラムは次のとおり。
スカルラッティ すでに太陽はガンジス川から
ジョルダーニ いとしい私の恋人
モーツァルト 「ドン・ジョヴェンニ」より“シャンパンの歌”“セレナーデ”
ロッシーニ 「セヴィリアの理髪師」より“私は町の何でも屋”
プッチーニ 「エドガール」より“この恋を,俺の恥を”
レハール 「メリーウィドウ」より“おお祖国よ”
ヴェルディ 「ドン・カルロ」より“おおカルロ,聞いてくれ”
● つまり,大盤振る舞い。高橋さん,試してみたいことがいくつかあったんだろうか。そういう気配は感じなかったんだけど。単純にサービスですか。
こちらとすれば,もちろん,ありがたい話ではあるんだけどね。
● ピアノ伴奏は篠宮久徳さん。やっぱり,男性が弾いても,ピアノは色香(が大事)なんですよ。そう思った。
2015年4月14日火曜日
2015.04.11 邦楽ゾリスデン コンサート2015
宇都宮市文化会館 小ホール
● 主催者は「音楽の街 宇都宮をつくる会」。地元出身者や地元で活動している演奏家に依頼して,毎年1回,演奏会を開催してきたようだ。
今回が13回目で,かつ最終回。13年も継続してきたのだから,敬意を払われるべきだろう。資金や手間。なかなか容易ならざるところがあるだろう。
● 2年前は「宇都宮 パーカッション アソシエーション(U.P.A.)」だった。で,ぼくが聴くのは,それに次いで今回が2回目。
● その13回の演奏会で,邦楽ゾリスデンの登場は3回に及ぶとのこと。任せて安心というところがあるんでしょうね。
ともかく。3月22日に続いて,また邦楽ゾリスデンの演奏を聴く機会を得ましたよ,と。
● スタートは3月にも聴いた「モザイクの鳥」(名倉明子)。
曲の聴き方は聴き手の数だけあってしかるべきだと思うけど,ぼく程度の聴き手は,音から情景を描きだそうとする。浮かんでくる情景と勝手に遊ぶ。
純粋に音の変化や重なりを音として楽しむのは,かなり難しい。ぼくの場合は。
● 情景を描きだそうとすることが作曲者の意図を追体験することになるとは,もちろん限らない。作曲者の意図は意図として,聴き手がそれに縛られることはないと思って,そうしているけど。
プログラムノートに作曲者の意図は明確に述べられている。それを踏まえても,この曲の音から情景を描くのは,ぼくにとっては難解な作業だ。
● 2曲目は箏の独奏で,「翔き」(沢井忠夫)。3曲目は十七絃の二重奏で,「めぐりめぐる」(沢井忠夫)。
このあたりは,黙って聴きやがれという曲。黙らせるだけの内実があるというか。しみじみと,あるいはしんみりと。
● 休憩をはさんで,「笹の露」(菊岡検校)。古典ということになる。箏,三絃,尺八というオーソドックス(かどうかは,じつはわからないんだけど)な構成。
長く残ってきたのは,どこかで人の内面の琴線にふれるからに違いない。目を眩ませるとか,パンチを見舞うとか,そういった鋭角的なガツンとしたショックはないけれども,どっしりとした安定感がある。
● 次は,尺八と三味線の「枯山水」(山本邦山)。
今回の演奏会で最も印象に残ったのがこの曲。ピンと張った一本の糸のような緊張感。緊張感は観客をして曲に集中させる。
それが長く続くと疲れてしまうんだけど,長い曲ではないからちょうどほどよい疲れを覚えて,いい曲を聴いたという充実感が残る。
● 曲の前の本條さん(三味線)と福田さん(尺八)の掛けあいトークの効果もあったかもしれない。
ふたりともトークの専門家ではないわけだけど,けっこうこういうステージで場数を踏んでいるんだろう,タイミングといい,切り返しといい,上手なんですな。
本條さんが,実家は会場から歩いて2,3分のところで,実家から一番近い高校は宇都宮高校なんだけれども,片道1時間,自転車をこいで○○高校に通ったとか,宇都宮エスペール賞をもらえたのは市長が高校の先輩だったからだね,というような話は客席をホッとさせる。
その直後の「枯山水」だったわけでね。
● 最後はTVテーマ曲メドレー。昨年の定期演奏会でも披露された。これは,客席へのサービス。邦楽を身近に感じてもらおうという趣旨に出るものだろう。
もちろん,大いに盛りあがって,さらにアンコールは水戸黄門のテーマ。サービスにだめ押しをして幕。
● 主催者は「音楽の街 宇都宮をつくる会」。地元出身者や地元で活動している演奏家に依頼して,毎年1回,演奏会を開催してきたようだ。
今回が13回目で,かつ最終回。13年も継続してきたのだから,敬意を払われるべきだろう。資金や手間。なかなか容易ならざるところがあるだろう。
● その13回の演奏会で,邦楽ゾリスデンの登場は3回に及ぶとのこと。任せて安心というところがあるんでしょうね。
ともかく。3月22日に続いて,また邦楽ゾリスデンの演奏を聴く機会を得ましたよ,と。
● スタートは3月にも聴いた「モザイクの鳥」(名倉明子)。
曲の聴き方は聴き手の数だけあってしかるべきだと思うけど,ぼく程度の聴き手は,音から情景を描きだそうとする。浮かんでくる情景と勝手に遊ぶ。
純粋に音の変化や重なりを音として楽しむのは,かなり難しい。ぼくの場合は。
● 情景を描きだそうとすることが作曲者の意図を追体験することになるとは,もちろん限らない。作曲者の意図は意図として,聴き手がそれに縛られることはないと思って,そうしているけど。
プログラムノートに作曲者の意図は明確に述べられている。それを踏まえても,この曲の音から情景を描くのは,ぼくにとっては難解な作業だ。
● 2曲目は箏の独奏で,「翔き」(沢井忠夫)。3曲目は十七絃の二重奏で,「めぐりめぐる」(沢井忠夫)。
このあたりは,黙って聴きやがれという曲。黙らせるだけの内実があるというか。しみじみと,あるいはしんみりと。
● 休憩をはさんで,「笹の露」(菊岡検校)。古典ということになる。箏,三絃,尺八というオーソドックス(かどうかは,じつはわからないんだけど)な構成。
長く残ってきたのは,どこかで人の内面の琴線にふれるからに違いない。目を眩ませるとか,パンチを見舞うとか,そういった鋭角的なガツンとしたショックはないけれども,どっしりとした安定感がある。
● 次は,尺八と三味線の「枯山水」(山本邦山)。
今回の演奏会で最も印象に残ったのがこの曲。ピンと張った一本の糸のような緊張感。緊張感は観客をして曲に集中させる。
それが長く続くと疲れてしまうんだけど,長い曲ではないからちょうどほどよい疲れを覚えて,いい曲を聴いたという充実感が残る。
● 曲の前の本條さん(三味線)と福田さん(尺八)の掛けあいトークの効果もあったかもしれない。
ふたりともトークの専門家ではないわけだけど,けっこうこういうステージで場数を踏んでいるんだろう,タイミングといい,切り返しといい,上手なんですな。
本條さんが,実家は会場から歩いて2,3分のところで,実家から一番近い高校は宇都宮高校なんだけれども,片道1時間,自転車をこいで○○高校に通ったとか,宇都宮エスペール賞をもらえたのは市長が高校の先輩だったからだね,というような話は客席をホッとさせる。
その直後の「枯山水」だったわけでね。
● 最後はTVテーマ曲メドレー。昨年の定期演奏会でも披露された。これは,客席へのサービス。邦楽を身近に感じてもらおうという趣旨に出るものだろう。
もちろん,大いに盛りあがって,さらにアンコールは水戸黄門のテーマ。サービスにだめ押しをして幕。
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