2016年6月6日月曜日

2016.06.04 那須室内合奏団第8回演奏会

那須野が原ハーモニーホール 交流ホール

● 過去には山下洋輔さんや小林研一郎さんを迎えて,華やかにやっていた。前回から自分たちだけの演奏会になった。今回もそうだ。
 開演は午後2時。入場無料。

● 場所は交流ホール。パイプ椅子を並べて席を作る。こぢんまりとした感じ。ということはつまり,奏者と聴き手との間の距離が短くなる。
 一体感が生まれやすい。聴き手が自分も参加しているという実感を得やすくなる。

● プログラムは次のとおり。
 テレマン リラ組曲
 ヴィヴァルディ 合奏協奏曲「四季」より「春」
 ヘンデル 合奏協奏曲集6の7
 モーツァルト 交響曲第25番より第1楽章
 ピアソラ エスクアロ(鮫) オブリビオン(忘却) リベルタンゴ
 前半はバロックで,後半はモーツァルトをはさんでピアソラというくっきりした対比。

● 音楽監督を務めている白井英治さんの解説によれば,テレマンは3,000ほどの曲を作ったらしい。この時期の作曲家はみな多作だ。
 その代わり,現在まで残っている曲は多くはない。価値がないから残らなかったというのではなく,散逸しやすかったのだろう。バッハのマタイ受難曲だって,初演のあと,メンデルスゾーンが再発見するまでは埋もれてしまっていたわけだから。

● ともかく。リラ組曲を聴きましたよ,と。バロックを本腰入れて聴かないといけないなぁと思うことになる。ライヴを聴くたびに思うことだ。
 が,おそらく,バロックだけをずっと聴き続けるのは,ちょっとした苦行になってしまいそうだ。バロックも聴くというふうでいい。ポートフォリオの中にバロックも組み込むように。

● リラ組曲はCDを持っていたかどうか。以前はCDを持っていない曲をライヴで聴くと,すぐさまCDを探して手に入れてきたものだが(そうでもなかったか),最近はどうも弛んでいる。
 CDを聴く時間も以前よりだいぶ減ってしまっているし。

● 奏者との距離がこれくらい近いと,そうしたことも含めて,いろんなことを次から次へと考える。刺激が大きくなるからだろう。
 これくらいの演奏会っていいなぁ。大ホールで聴くのもそれはそれでいいんだけど。

● ピアソラから感じるものは,生きることの哀しみのようなもの。
 タンゴの踊りは相当にセクシーで,けっこう際どい動きもあるよね。それも生きるって哀しいねっていうのがあって,束の間,それを下敷きにしてカーニバルに興じるっていう,そういう機序なのかなと思ってみたりする(たぶん,違うと思うんだけどね)。

● ただ,その哀しみを強調するんじゃなくて,いったんぐっと抑えて,さらっと差しだしたという感じ。抑制を利かせているのがピアソラの身上のように思う。
 であるから,長く残るのだろう。ピアソラも本腰入れて聴かなきゃなと思って,会場を後にした。

● ところで,白井さんの解説によると,譜面を見るとウワッと思うほど難しいのに,聴いているとそうは聞こえないのが「エスクアロ(鮫)」だ。
 なるほど,そういうことはしばしばあるに違いない。要するに,ファインプレーはわかりにくい。ファインプレーをファインプレーとわかる人は,聴き手として相当なレベルのはずだ。

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