東京芸術劇場 コンサートホール
● 「音楽大学オーケストラフェスティバル2017」。今日から計4日間の日程。開演は午後3時。チケットは1,000円。
今日は藝大と桐朋が登場。初日で両横綱が顔を合わせてしまった。
● 藝大はストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」。桐朋はプロコフィエフ「ロミオとジュリエット」(もちろん抜粋)。
もちろん偶然だろうけれども,バレエ音楽が並ぶことになった。
● 粛然として襟を正さしめる何ものかを,ステージ上の音大生は放っている。四の五の言わせない,強い何ものかを。
その何ものかを充填しているのが,彼ら彼女らがここまで来るのに払ってきた,膨大な時間であることはハッキリしている。一点に費やしてきた膨大な時間。それはまた,その一点以外の可能性を排斥するものでもあった。
彼ら彼女らには,今このステージ上に立っているという以外の生活があり得た。客席にいてこの演奏を聴いている人生もあったはずだ。
が,その一点以外の可能性をすべて捨てて,その結果,今このステージにいるという,圧倒的な事実。
● 息をするのも憚られるような濃密な緊張感が,客席を支配する。その何ものかに圧倒される快感というのがたしかにある。
● まず,藝大。指揮はラースロー・ティハニ氏。ハンガリーの人。
藝大でも奏者の多くは女子。が,数は少ないながら,男子もしっかりとそこにいる。男子がしっかりとそこにいることの安心感のようなものがある。何だろうね,これ。
● 歌舞音曲は女のものという風潮というか色合いというか,それは今でもあるのか。それとも過去のものになったのか。
どうも今でもあるのじゃないかと思う。が,楽器を操る男子がひと頃よりは増えているようにも思える。
それって,男が女に取り込まれている(男女差がなくなってきている。ただし,女寄りの方向に)からで,歌舞音曲は女のものという命題が否定されつつあることの証左にはならないように思う。
という埒のないことを思ったりしたんだけど。
● 次は桐朋。女子比率は藝大より高い。もちろん,だからダメということではまったくない。何というのかなぁ,東正位の貫禄というのかなぁ,確信のようなものを感じるんですよ。
これでいいんだ,自分たちのやってきたことは間違っていないんだ,っていう確信。臆せず,グイグイ前に出る迫力。
この音大フェスは何度か聴いているんだけど,桐朋から感じるのはこのことだ。
● 指揮は中田延亮さん。経歴が面白い。筑波大学の医学部(筑波では学部とは言わないらしいのだが)を途中で飛びだして,音楽の世界に転んだ。医師免許は放棄したのだろう。
世間一般からすればモッタイナイの典型例。しかし,やむにやまれぬ大和魂。
ときどき,いるよね。勉強もできちゃったから医学部に行ったけど,やっぱり自分のいるところはここじゃないと気づいて(という言い方でいいんだろうか)音楽の世界に飛びこむ人。
● チケットの1,000円は,このイベントを開催するのに必要な装置と労力を考えれば,ほとんどタダに近いだろう。無料というのも何だから,いくらかいただくことにしましょうか,という感じなんでしょうかね。
いや,奏者は学生なんだし,指揮者も手弁当なのかもしれない(日本を代表する指揮者が登場するんだけど)。だとすると,チケット収入だけで賄えているはずだ。
が,その場合は,演奏する側がボランティアということになるわけで,いずれにしても,ぼくらはそのおこぼれに与っている。
● 電車賃が4千円かかるんだけど,これはそれでも聴きに行きたい演奏会。
来年から東京に出向くのは抑制しようと思っている。最低でも半分にしたいのだけど,どうしても残ってしまうものがあって,これはそのひとつですね。
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