2018年4月24日火曜日

2018.04.22 新交響楽団 第241回演奏会

東京芸術劇場 コンサートホール

● アマチュア最高峰との名声はかねてから聞いていたけれども,この高名な楽団の実演に接するのは,今回が初めて。
 開演は午後2時。チケットはS,A,Bの3種。S席は3,000円だが,ぼくは安いB席を“ぴあ”で買っていた。こちらは1,500円。

● 曲目は次のとおり。指揮は寺岡清高さん。
 シュミット 歌劇「ノートルダム」より間奏曲と謝肉祭の音楽
 コルンゴルト 劇的序曲
 シューベルト 交響曲第8番「ザ・グレート」

● いずれもあまり演奏されることのない曲だ。が,意図的にそうした曲を取りあげているわけではないらしい。
 シューベルトの8番はCDが手元にあるが,あとの2つはCDすら持っていない。こちらはその程度の聴き手であるのだ。

● 曲については,プログラム冊子の曲目解説に詳しい。ぼくが印象を語るより,それを読むのがいい。楽団のホームページに掲載されるようだ。
 CDも持っていないくらいだから,シュミットとコルンゴルトについては,生い立ちも経歴もまるで知らなかった。それが今回の曲目解説で多少の知見を得ることができた。0が1か2になったわけで,大いなる進歩(?)である。

● シュミットとマーラーの確執。たぶん,いくつもの誤解が度重なった結果でしょうね。航空機事故は通常では考えられないような偶然がいくつも重なった結果,発生するらしい。人と人との事故も同じなのではないかなぁ。
 たとえば,初対面でウマが合わないと感じてしまって,それが雪だるまのように大きくなるなんてのは,その典型のような気がする。

● 「劇的序曲」はコルンゴルトが14歳のときの作品。作曲家の場合,その多くは早熟の天才だけれども,コルンゴルトの場合は歌劇「死の都」にしても知る人ぞ知るの域にとどまっているように思える。
 父親の支配,ユダヤ系であるがゆえの時代の波(ナチスドイツの台頭)。思うに任せないのは,天才も凡人も同じだ。が,天才の場合は業績との対比が先鋭になるので,“思うに任せなさ”がよりクッキリと描きやすいのかもしれない。

● 「ザ・グレート」というタイトルはシューベルトが付けたものではない。「交響曲第6番ハ長調と区別するため,単に「大きい方」という程度の意味合いで後世名付けられた」のであるらしい。
 そう教えてもらうとスッキリする。「ザ・グレート」は良くも悪くも,いろんなことを想像させる(させてしまう)。このタイトルは頭から追いだしてから聴いた方がいいと思った。

● 演奏水準は評判どおりで,演奏している姿も絵になっている。オーケストラに関しては,演奏している姿の絵になる度合いと演奏水準は一致する(と,とりあえず考えている)。
 アマチュアがここまでの演奏をするのだとすると,国内に30余あるプロオケのいくつかはなくてもいいのじゃないか,と思えてくる。

● 団員名簿に職業が付記されている。比較的多いのは地方公務員(特に都庁),学校の教師,音大を含む学生(東大が多い印象)。
 他に,医師やコンサルタント,外資系の証券会社,エンジニアなどなど,彼ら彼女らの職業は多種多様。これだけのバラツキがある中で,年に4回の演奏会を開催している。その事実がにわかには信じがたい。

● 「大向うを唸らせる」という章句がある。“大向う”とは「芝居小屋の舞台から最も遠い客席」のことで,そこには「安価な席にたびたび通ってくる見巧者の客」がいる。その客を唸らせるという意味の言い方だ。
 こういうのって歌舞伎ばかりじゃなくて,クラシック音楽でも同じなんじゃないかと漠然と思っていた。が,ウィーン国立歌劇場のようなところではそうなのかもしれないけれども,日本のアマチュアオーケストラの演奏会ではそういうことはないようだ。

● B席にはロクなのがいない。自分を棚にあげて言うんだけどね。一人で来ている爺さんがいてね(いよいよ,自分を棚にあげて言うんだけどね),これが拍手をまったくしない。おまえにできることは拍手くらいだろう,できることはせめてやれよ,とどやしつけたくなったんだが。
 椅子に浅く寝そべるようにして,肘掛けに腕を乗せる。この肘掛けって肘を掛けるためのものじゃなく,隣席との仕切りだからね。ここに肘を乗せるのはルール違反なんだがなぁ。こういうのが一人でもいると,気を取られていけない。

● この楽団には“維持会”がある。たいていのところにあるものだけれども,ここは1口1万円。それで5回分のチケット引換券がもらえる。身を入れて聴きたいのであれば,維持会費を払った方がお得だ。いちいちチケットを買う手間も省ける。
 楽団にとってもまとまったお金が入るメリットはそれなりに大きいのだろう。加入しようか。

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