2020年10月17日土曜日

2020.10.10 日比谷高等学校フィルハーモニー管弦楽団 2020年度定期演奏会

なかのZEROホール 大ホール

● ネットで日比谷高校フィルハーモニー管弦楽団の定演があることを発見。この時期だから聴きたければ事前申込方式。当日,フラっとやってきても入れないかんね,という。
 で,申し込んでおいた。申込者多数の場合は抽選になるという。申し込んでいたこと自体を忘れていた頃,聴きに来てもいいよというメールが届いた。
 抽選するほどの申込はなかったらしい(が,座席の残りはかなり少なかった)。そりゃそうだ。外出することに消極的な人たちもまだまだ多いに違いない。

● 日比谷高校というと名前に圧倒されそうになる。何せ日本の中心に位置する高校なのだ。地理的にも歴史的にも名門中の名門。
 学校群制度が廃止されて久しいが,東大合格者数は公立高校では最も多い。往年の輝きを取り戻しつつある。それを輝きと呼ぶのであれば,だけれども。

● 受付を担当していたのは,教師だろうか保護者だろうか。生徒にやらせるともっと手際よくやったのではないかと思えるんだけど,この時期に生徒にやらせるわけにはいかなかったんだろうね。
 もっとも,スマホの画面を確認しなければならないわけなので,普通よりは手間取るのは致し方がない。スマホを見せる側の問題が大きいだろう,たぶん。

● プログラム冊子はA5サイズの小ぶりなものだが,読みごたえがある。まず驚くのはトレーナーの数だ。パート毎に計14人。高校から手当が出ているはずがない。部費で支払えるはずもない。ボランティアで教えているのだろう。
 野球やサッカーだったら,その辺の草野球や草サッカーで鳴らしているオッサンが来て,ワイワイやってることもあるのかもしれないが,ヴァイオリンやチェロを教えるのに,そんなのはあり得ないわけで。

● そのトレーナーの中に見覚えのある人がいた。コントラバスの岡本潤さんだ。コンセール・マロニエ21で第1位になったときの演奏を聴いている。現在はN響の団員。
 何が言いたいのかといえば,彼クラスのトレーナーが(おそらく無報酬で)指導にあたっているというのは,それだけの(金銭的報酬以外の)インセンティブがあってのことのはずで,そうさせるだけの魅力を日比谷高校オケが秘めているということなのだろう。
 それが何なのか。これからの演奏で探れるかもしれない。心して聴かねばならぬだろう。

● 開演は午後2時。曲目は次のとおり。休憩なしで1時間強の演奏会になった。
 エルガー 威風堂々 第1番
 ドヴォルザーク 交響曲第8番 ト長調
 指揮は山上純司さん。山上さんもまたボランティアで高校生の指導にあたっているんだろうか。これほどの人に指揮してもらえる高校オケは,そうそうないでしょう。

● エルガー「威風堂々」1番の第1音。この第1音で聴衆をガッと掴むことができたろう。守る一方じゃなくて果敢に点を取りに行くに違いないと思わせた。そのとおりだった。技術があるからできることだが。
 トレーナーの方々も演奏に参加している。コントラバスの岡本さんの姿もあった。
 が,トレーナーが引っ張っているのかというと,そういう感じでもない。もちろん引っ張っているんだろうけれども,高校生の演奏に引っ張られている感は少ない。

● 3年生はこの演奏会をもって現役を引退するのかと思いきや,すでに引退しているのだった。もう10月なんだから,それはそうだよな。とは思うんだけども,1,2年生だけでやる定期演奏会には初めて遭遇する。
 コロナの影響で開催が遅れてこの時期になったというわけでもなさそうなので,そういうシキタリなのだろう。

● 「威風堂々」は選抜チームだったのだろうが,ドヴォルザークの8番は総員が配置に着いたっぽい。ということは,楽器を始めてまだ半年しか経っていない生徒もいたということ。しかも,少なくない数で。
 特にヴィオラの後席でトレーナーの2人が懸命に音を出していたのが印象に残るのだけれども,始めて半年でとにもかくにもこの曲を演奏してしまうのだ。

● この “とにもかくにも” が大事なことだと,ぼくなんぞも考えている。見切り発車で路上に出て,とにもかくにも決められたコースを自分で運転してしまえ,ということ。上達に最も資するのはこの経験ではあるまいか。
 とはいえ,ではおまえにそれができるのかと問われると,どうにも心もとない。尻込みしそうな気がする。いや,尻込みするだろう。
 しかるに,若い高校生はそれをやるのだ。おそらく,1年後には長足の進歩を遂げているに違いない。ぼくら中高年は若さの前に敬虔でなければいけないと思うのは,そこのところだ。ぼくらができないことを,彼ら彼女らはやるのだ。

● しかし,その生徒たちをもってしても,ドヴォルザークのこの曲をピンと糸を張ったままで乗り切るのは,かなりの難事であるらしかった。糸が緩むことがあった。
 しかし,それは瑕疵ではない。スタミナの問題は経験が解決する(と思う)からだ。能力は充分にあるのだから,あとはその能力を外に出やすくするために土を耕すだけの話だ。どう耕せばよいかのノウハウは,この楽団の中に蓄積されているに違いない。

● 糸が緩むことがあったと言った。呼吸が乱れるところがあったと言い換えてもいい。
 しかし,たとえば,第4楽章冒頭のトランペットのファンファーレは,2本ではなく4本だった。にもかかわらず,音の99%は重なっていたと思えた。地味といえば地味だが,奏者にはプレッシャーにもなるだろう。難しくもあるだろう。ファインプレーと評しておく。
 第3楽章の舞曲は上品に跳ねるようで,楽しそうに(あるいはちょっとすまして)踊っているスラヴの娘たちが脳内に浮かんでくるようだった。

● アンコールのスラヴ舞曲も同様で,本番を無事に終えてリラックスできていたせいか,演奏に切れと伸びがあったように感じたのだが,それはこちらの錯覚かもしれない。
 この高校のシキタリにはないのであろうけれども,3年生の演奏を聴いてみたいものだと思った。

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