2012年1月31日火曜日

2012.01.29 栃木県交響楽団第92回定期演奏会

宇都宮市文化会館大ホール

● 29日は栃響の定期演奏会。曲目はシュトラウスの交響詩「死と変容」とオーボエ協奏曲。メインはシューマンの交響曲第1番「春」。指揮者は山下一史さん。ソリスト(オーボエ)はN響の池田昭子(しょうこ)さん。
 池田さん,音を延ばすときは,見ているこちらも息が苦しくなってきそうだった。大変だなぁ。肺活量が多ければいいというものでもないのだろうけど,体を鍛えておくことは絶対に必要なはずだ。演奏家にデブが少ないのは,これが理由かとあらためて思い至った。

● いずれも初めて聴く曲だった。CDでも聴いていないと思う。シューマンの「子どもの情景」は中学校の音楽の時間に聴かされたかもしれないけれど。シューマンは精神を病んで,交響曲の4番などは難解になっていると聞いていたので,敬遠していた気味合いもある。
 ゆえに,こうして聴く機会が得られるのはありがたい。1番の「春」はシューマン自身による命名であるらしい。クララと結婚できて,彼の人生の絶頂期であったのかもしれないね。勢いもあったようだ。プログラムの解説によれば,ダーッとできあがった曲だとのこと。

● 気になったのが,客席に空席が目立ったこと。特に2階席はガラガラだった。文化会館ではぼくは2階の右翼席に座る。椅子が横に5つ並んでいるのだけれども,4つは空席のままだった。
 この日は総文センターでも開設20周年の行事が続いていたから,お客さんが割れたのかもしれないのだが。

2012.01.28 楽器たちの饗宴 一流アーティストによるリレーレクチャーコンサート


栃木県総合文化センター メインホール

● 28日(土)は総合文化センターで「楽器たちの饗宴」なる無料のコンサートがあった。開設20周年記念の催し。出演者は菊池洋子(ピアノ),徳永二男(ヴァイオリン),吉野直子(ハープ),高木綾子(フルート)の4人。全体の司会進行は朝岡聡さん。テレビ朝日のアナウンサーだった人。
 いずれも錚々たるメンバーで,これだけのメンツを揃えて,無料で公開するというのは,なかなか凄いことではないか(4人とも,今年の12月から総文センターでリサイタルを行うことになっているそうだ)。総文センターができて,県都の文化事情はたしかに変わった。いや,変化が先で,それが総文センターを造らせたのかもしれないが。

● それぞれの持ち時間が1時間。間に15分間の休憩が入って,トータルで4時間45分の長いコンサートになった。けれども,朝岡さんの座持ちがさすがに旨くて,飽きさせなかった。彼は趣味でリコーダーを吹くらしいのだが,音楽への造詣は相当なもの。

● 菊池さんのピアノ。弾いたのはすべてモーツァルト。朝岡さんによれば,彼女はモーツァルト弾きとして認知されているそうだ。
 まず,「幻想曲」をフォルテピアノで弾いた。次にピアノ・ソナタ第8番の第1楽章をフォルテピアノとモダンピアノの両方で。ピアノ・ソナタ第10番をモダンピアノで。
 フォルテピアノとモダンピアノの違いを菊池さん自身が説明。実技から遠い場所にいるぼくには,そういうものなのかと聞きおくことしかできないけれど。
 でも,基礎的なことがわかって嬉しかった。ピアノは(フォルテピアノも)ハンマーで叩いて音を出すのに対して,チェンバロは引っ掻いて音を出す仕組みになっていることとか,ピアノという名前の由来とか。何せ,こうしたことがらに関して,ぼくはほとんど何も知らないからね。

● 最も盛りあがったのが徳永二男さんのヴァイオリン。ヴァイオリンという楽器の持つ特性なんでしょうね。朝岡さんも細かい感情表現に適した楽器だと評していたが。
 演奏曲目は,ヴィターリの「シャコンヌ」,サン・サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」,チャイコフスキー「メディテーション」,サラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」の4曲。
 「ツィゴイネルワイゼン」以外は,初めて聴くもの。「ツィゴイネルワイゼン」は昨年,那須野が原ハーモニーホールで聴いたことがある。超絶技巧のヴァイオリン曲の代名詞?

● 徳永さんは長くN響のコンマスを務めた人だから,知名度も高い。その徳永さんが使う楽器はストラデバリウス。今も昔もヴァイオリンはイタリアが一番とのこと。
 音楽史はたまたまドイツで発生したから,ドイツ生まれの作曲家が中心になっているが,たとえばバッハのオルガン曲の相当部分はヴィヴァルディが作曲したものであって,バッハはそれをオルガン用に編曲しただけとも言われるし,もしイタリアで音楽史が生まれていれば,今とはまったく違った風景になったはずだとはしばしば指摘されるところでもある(って,21日の沼野雄司さんの講演で聞いた知識なんですけどね)。
 ピアノは時代が降るにつれて次々に改良されたが,ヴァイオリンは古い楽器が今でも使われる。共鳴箱を形造っている木材の経年変化が大きいらしい。古くなると弾き手の要請に応えてくれる度合いが大きくなるという。
 けれども,弾いていないといけない。弾かないで金庫に1年もしまっておくと,共鳴してくれなくなるものらしい。木造住宅も人が住んでいないと荒れてしまう。木ってそういうところが面白いと思う。

● 吉野直子さんはロンドン生まれ。フォーレの「塔の中の王妃」など8曲を演奏した。ハープも時代とともに大きくなってきた楽器。マリーアントワネットがハープ好きだったというのを初めて知った。彼女の時代のハープはルイ16世タイプと呼ばれる小ぶりなもの。そのルイ16世タイプのハープでバッハのパルティータ第1番のプレリュードと,モーツァルトのピアノ・ソナタ第15番の第1楽章を披露してくれた。
 ハープを弾いている姿は傍目には優雅だけれども,見ると弾くとは大違い。弦の張力が強くて,体力が要るものらしい。指の皮膚が破れたりはしないのだろうか。

● 最後は高木綾子さん。痩身で長髪の美人である。楚々として知性美を湛えているように思われる。深窓がよく似合う感じ。
 ところが実物は。美人には違いないとしても,おきゃんな女性なのだった。短くポンポンと喋る(出身は愛知県)。まず喋って,あとから考えるタイプに見えた。
 演奏したのは,バートン「フルートとピアノのためのソナチネ」,マレ「ラ・フォリア」,ドビュッシー「シリンクス」,プロコフィエフ「フルート・ソナタ ニ長調」の4曲。最後のプロコフィエフ「フルート・ソナタ」は聴きごたえ充分。初めて聴いた曲だったけれども。

● ちょっとしたパフォーマンスもあった。観客が息をとめていられる時間と,彼女がフルートを引き続ける時間の,どちらが長いか比べてみようというもの。もちろん,彼女がフルートの音を切らさずに出し続けている時間が長いわけで,その秘密は循環呼吸。8月の宇女高OGオーケストラの演奏会で,クラリネットの岡静代さんが同じ技を見せてくれた。
 高木さんによれば,足りなくなる前にちょっと足すのだという。といわれても,訳がわからない。口から吐くのと鼻から吸うのを同時にやる。プロでも誰もができるわけではないらしいのだが,人間の体というのは訓練すれば珍妙なことができるようになるのだなと思うしかない。

● というわけで,充分に堪能できた。先週のカルチャーセンターもだけれども,これで無料とはありがたい。税金をダイレクトに取り戻す感じですかね。
 客席のマナー違反はあったけれども,奏者は意外に気にしてないようだ。慣れているということもあるだろうし,その程度では集中を乱されることはないのがプロなのだろうかねぇ。

2012.01.21 沼野雄司さんの講演「クラシック音楽は難しい」

● 21日(土)は総合文化センターの特別会議室で講演を聞いてきた。桐朋学園大学准教授の「クラシック音楽は難しい」というタイトルの講演。

● 沼野さん,穏やかな紳士といった感じの人。育ちが良さそうで,音楽大学の教師が似合う。声も良くてこれもポイントが高い。
 話の中身は音楽理論の基礎の基礎といったものだと思うのだが,視界30センチくらいだった見通しが3メートルくらいになった気がする。まだまだ見通しは悪いけれども,必要に応じて自分で何とかできるくらいにはなったかも。つまり,行って正解の講演でした。

● 無料ゆえ,定員一杯の申込みがあったらしいのだが,この日はみぞれが降っていたからか,ドタキャンした人がけっこういたようだ。聞き手は年配の女性が多かった。男性も平均年齢は高い。未就学児を連れてきている母親がふたりいた。いい子たちで静かにしていてくれたけれど。
 無料のカルチャーセンターという感じ。こういう話をタダで聞けるんだなぁ。今はホントにお金をかけないで色んな催しに接することができるんですよねぇ。

● ベートーヴェンが生きていた時代にベートーヴェンの音楽を聴いた人たちはウィーンの市民ではない。職人や農民でベートーヴェンの音楽を一度でも聴いたことがあるという人は,彼らの中にはひとりもいない。人口のわずか数パーセントの超エリート階層の人たちに限られた。貴族というか遊んでいても生きていける人たちだ。
 というような話から始まった。

● それが,今では極東日本に生きるぼくらまでがベートーヴェンを聴くことができる。これを称して音楽の大衆化というのだろう。
 しかし,ぼくらが当時の貴族の水準に達したということではない。当時の彼らの聴き方がそのまま下に降りてきたというのではない。いうなら薄まった形で降りてきたわけだ。薄まったからこそ,薄める方策ができたからこそ,大衆化が可能になったわけだものね。

● 当時は電気がなかった。音楽を聴くということはすなわち生演奏を聴くことだった。しかも,今のような大ホールはない。貴族の館で演奏させて,それを少人数で聴いた。
 そのためのコストは相当なものだったろう。同じことを今やろうとしたら1時間あたりいくらになるだろうか。その負担に耐えられる人は,現在の日本でも人口の数パーセントもいないに違いない。
 ウィーンフィルにしてもベルリンフィルにしても,しばしば日本に来て公演する。たいていはサントリーホールで行われるその演奏会のチケットは3万5千円程度だ。2時間足らずの演奏に3万5千円を支払える人はそんなにいないだろう。しかも,サントリーホールの収容人員は2千人。一回の演奏会を2千人で共同負担してこの額になるわけだ。

● 電気を使えるようになって,蓄音機ができて,レコードができたことは画期的だった。生演奏のコピーを大量に,したがって安価に作れるようになった。
 その後も多くの技術進歩があって,ぼくらは,ほとんど手間を要さず,費用を発生させることなしに,聴くという行為に至ることができるようになった。
 ぼくらはたいていCDで聴く。あるいは,インターネットにアクセスしてネットにある楽曲を聴く。しかし,その体験は生演奏を聴く体験とは別のものだ。
 これがつまり大衆化というものだよね。

 現在のカトリックもプロテスタントも,原始キリスト教とは別のものであるはずだ。聖書はそのままだとしてもね。
 クラシック音楽だって,楽譜はそのまま残っていても,当時と今とではたぶん別のものになっている。

2012.01.09 那須野が原ハーモニーホール New Year Concert

那須野が原ハーモニーホール大ホール

● 9日(月)は今年初めてのコンサートに出かけた。那須野が原ハーモニーホールのニューイヤー・コンサート。3時開演だったので,11時半に自転車で自宅を出た。2時に到着。開場は2時15分だったので,ちょうどよい頃合いだった。

● コンサートは3部構成。が,その前にプレイベントとして「与一太鼓」が披露された。藤田正典氏(といっても,ぼくはまったく存じあげないが)が構成した「与一永劫のかなたへ」と「与一の里 祭ばやし」。併せて20分ほどのパフォーマンス。聴きごたえがあった。

● さて,ここで3時になり,第1部は「那須野が原ヴィルトゥオーソ」。ヴィルトゥオーソとは「演奏の格別な技巧や能力によって完成の域に達した,超一流の演奏家を意味する言葉」でありますね。出演者は栃木県の出身者か在住者を集めているようだった。
 トップバッターは藤本美玲子,曽我陽子さんのピアノ連弾。ふたりとも那須塩原市に住んでいる。ミヨーの「スクラムーシュ」と三善晃の「雪」「夕焼小焼」。

● 次は吉成律子さん(大田原市出身)のフルート。ドビュッシーの「小舟にて」とプーランクの「フルート・ソナタ」。
 ドビュッシーは吉行淳之介氏のエッセイに何度か登場している。それを読んで比較的早い時期に知った作曲家なのだが,ぼくにとっては非常に難解。感性の問題なのだろう。

● 3番はチェロの本橋裕氏。那須塩原市の出身で,セントラル愛知交響楽団のチェロ奏者。彼の演奏は前に同じこのホールで聴いたことがある。那須室内合奏団の演奏会に来ていたのだった。ブロッホの「バール・シェムより“ニグン”」とショパンの「序奏と華麗なポロネーズ ハ長調」を演奏。

● 最後は須藤梨菜さん(ピアノ)。宇都宮市出身。8歳で東京フィルと共演したというから,天才少女で鳴らしたのだろう。
 4月12日に総合文化センターでポーランド・シレジア・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会があるのだが,そこでショパン「ピアノ協奏曲第2番」のソリストを彼女が務める予定。来年3月には読売日本交響楽団の演奏会がやはり総合文化センターであるのだが,そこでもチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」のソリストに予定されている。地元の演奏家にチャンスを与えようということなんだろうけどね。
 この日の演奏は,ドビュッシー「月の光」「喜びの島」とクライスラー(ラフマニノフ編)「愛の喜び」。

● こうしたソロ的な演奏は玄人受けするのだろうが,うねるような盛りあがりはないので,ぼくのような初心者には物足りない。音楽はやはり管弦楽だよなぁと思いながら聴いていた。
 それと客席の質にどうも問題がある。ぼくの席は1階の最後列の通路側だったんだけども,演奏中にどんどん入ってくる観客がいるわけだよ。靴音がしてしまう。鼾も聞こえてきたり。

● 今回のチケットは昨年11月30日の東京佼成ウインドオーケストラの演奏会に行ったときに購入しているのだが,その時点でだいぶ席が埋まっていて,ぼくは残り少なかった1階席を取れてラッキーだと思ったんだけど,2階席はガラガラ(もともと多くの席があるわけではないけれど)。1階席にもそれなりに空席があった。
 まとまって空いていたから,何か特殊事情があるのかもしれない。

● 第2部は「ニューイヤーオペラ」。出演者はやはり栃木県ゆかりの次の5人。大貫裕子(ソプラノ,鹿沼市出身),日原大朗(バリトン,大田原市出身),田中明美(ソプラノ,那須塩原氏在住),髙田正人(テノール,宇都宮出身),寺田功治(バリトン,那須塩原市出身)。
 演しものは広く知られているものを選んだようだ。ヴェルディの「椿姫」より「乾杯の歌」とか,ビゼーの「カルメン」より「闘牛士の歌」とか,プッチーニの「蝶々夫人」より「ある晴れた日に」とかね。
 大貫さんは第1回コンセールマロニエの声楽部門優勝者。エンタテイナーとしての愛想の良さももっている人。田中さんの声の伸びに感嘆。男声もそれぞれさすがのレベル。うっとりと楽しむことができた。

● ここまで聴いて,このニューイヤー・コンサートは音楽のバラエティ番組のようなものだなと思った。バラエティはバラエティで別に悪くはない。けれども,やっぱり芯が欲しい。その芯になりうるものはやはり管弦楽。
 そこは主催者もよくわかっていらっしゃる。第3部は「ウィーンのかおり」と題して弦楽亭室内オーケストラが登場した。

● 弦楽亭は那須町にある民間のホール。オーナーは前嶋靖子,矢野晴子の双子姉妹。核になる活動グループが「ザ・芸者ストリングス」。矢野晴子さんはそのメンバー。
 「ザ・芸者ストリングス」とは何かといえば,「女流弦楽奏者で構成される弦楽四重奏ユニット。全員が本格的な技術を持つ東京芸術大学出身。ユニット名は古来から伝わる日本女性の芸の心を表しています」とのこと。
 ここからの人脈で弦楽亭室内オーケストラも結成されたのだろう。管や打は新日フィルから助っ人に来ているらしい。ヴァイオリンは執行恒宏さんも加わっていた。つまり,かなり本格的なオケというわけだ。

● まず,プロコフィエフの「交響曲第1番」。指揮は柴田真郁さん。初めて聞く名前だけれども,ぼくにも指揮者の力量というものがおぼろにわかりつつある。彼の指揮ぶりを見て,あ,こいつ,ただ者ではないとわかった。
 プログラムに載っているプロフィールによれば,遠回りをしてきた人のようだ。下積みが長いというか。
 次はマーラー「さすらう若人の歌」より第2曲「朝の野を歩けば」。第2部に登場した寺田功治さんが共演。次いで,サン・サーンスの交響詩「死と舞踏」。
 ここまでで完全に満足した。このコンサートは安すぎる。第3部だけでモトが取れる(ぼくが持っているチケットは2千円)。

● さらに後半はシュトラウス2世の「ウィーン気質」。チャイコフスキーの「くるみ割り人形」から抜粋。「花のワルツ」では大田原在住の斎藤芙三晃・美菜子夫妻(プロの競技ダンサー)のダンスが加わった。「雪片のワルツ」では田中明美・大貫裕子の両ソプラノが共演。
 寄席でいえば色物にあたるのかもしれない。しかし,格段に華やぐことは間違いない。

● 音楽はエンタテインメントなのだと実感できた。音楽に限らないだろう。芸術はエンタテインメントたりえていなければ,存立する意味はおそらくない。お笑い芸人とこうしたクラシック音楽とは,機能の究極はたぶん同じだ。