約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2009年11月30日月曜日
2009.11.30 間奏9:無料主義
● すでに書いたことの繰り返し。
数年前から無料主義?を標榜している。大事なものほど無料ですませようという,ケチ体質満載の生き方だ。
要するに,本は図書館で借りれば無料。CDも図書館で借りてPCに取りこめば無料でコレクションが増える。英会話を勉強したければ,英会話学校に通うよりもNHKのラジオ・テレビ講座を推奨。
● 本でもCDでも借りれば返すことになる。使用後にブツが手元に残らないというメリットも大きい。モノに囲まれて暮らすのは鬱陶しい。家の中のモノは少なければ少ないほどいい。
● コンサートはレベルの高いアマオケを探して聴きに行く。鑑賞力がぼく程度であれば,これはじつに賢いやり方だと思う。チケットが安いから。どれがレベルの高いアマオケかってのは,今どきはネット情報でかなりの程度まで絞りこめる。
しかし,新幹線で東京まで往復するのでは,チケットが安くても何にもならない。したがって,基本的には地元にならざるを得ない。地元主義だとレベルの高いアマオケを探すといっても自ずからなる限度がある。
● が,仕事や主婦業の傍らに演奏活動をしている人たちの集まりであるアマオケのレベルは高いに決まっている,と擬制すればいいのだ。レベルの低いアマオケなどないのだ,と。
● なぜなら,オーケストラの場合は,CDで聴くのとライブで聴くのとはまったく別物で,重なるところがないからだ。
CDで聴くと,プレーヤーと自分との間の距離は縮まることがない。常に必ず距離がある。
という状況だと,頭で聴くことになる。あるいは理性で聴く。自分の中の評論家や自分の中の審査員が頼みもしないのに口を出してくる。
これがライブだと,演奏しているステージと客席にいる自分,その距離が伸縮する。どんどん距離が詰まっていって,瞬間的にだけれどもゼロになることがある。演奏と自分が一体化する。このときに強烈な幸福感に包まれるわけだ。ときに鳥肌が立つくらいの。
● 重要なのは,ステージと自分との距離を決めるのは,楽団の技術ではないってことだ。少なくとも,技術に比例はしないってことだ。
では何によって決まるのかといえば,曲じたいだったり,ホールの音響効果だったり,聴いている自分の側のコンディションだったり,いろんな要素があるのだろうとしか言えない。ただ,技術だけではないよってことね。
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