約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2011年3月31日木曜日
2011.03.05 ナターシャ・グジー コンサート
さくら市喜連川公民館
● 5日(土)は午後2時からさくら市の喜連川公民館で,「ナターシャ・グジー コンサート」というのがあった。
喜連川は中学生のときから馴染みがある街だ。子供が小さい時分はお丸山公園に何度も連れて行った。今でも市営温泉を利用させてもらっている。
足利氏ゆかりの城下町で,城下町を偲ばせる遺稿がけっこう残されている。落ち着いたいい街だと思っている。街として地に足がついている。
が,それだけでは人は住めなくなっているわけでねぇ。昔は誰もが喜連川の中だけで完結する生活をしていた。その頃に戻りたくたくても,もう戻れない。人は都会が好きだ。オーストラリアのように土地なんかいくらでもあるところでも,人々は都市を造って住んでいる。寄り集まって,人口圧を高めて。都市に住むことが人にとっては自然なのだと思うほかはない。
人ごとではない。ぼくも同じだ。都会の刺激をまったく浴びることなく老後をやり過ごせるとは思っていない。
● 「ナターシャ・グジー コンサート」だけれども,ナターシャ・グジーとはウクライナ出身の女性シンガー。亡くなった本田美奈子のような位置にいるのかも。本田美奈子より広い音域を持っていて(とはいえ,本田美奈子はCDでしか聴いたことがないわけだが),特に高音はここまで高い音を出せるのかと驚いた。
バンドゥーラという楽器を携えて伴奏に使う。ウクライナの民族楽器だそうだ。弦楽器なのだが,音はチェンバロに非常に近い。張られている弦の数は63本。抱えられるピアノといったところか。
● チェルノブイリの原発事故を体験している。彼女が言うには,事故は夜中にあった。当局からは何も知らされなかった。翌朝は誰もが普通に生活したらしい。子供たちは学校へ行き,大人たちは働きに出た。話があったのはその翌日。たいした事故ではないけれども,念のために,3日間だけ避難してくれ,3日で戻るから荷物は持たないで避難してくれ,と。しかし,3日経っても,半年経っても,20年経っても戻れる日は来なかった。
● 当時,彼女は6歳。20歳のときに来日し,以後,日本に住んで11年になる。だから日本語も達者で,日本の歌も歌った。さだまさしの「秋桜」と「防人の歌」も歌ってみせた。さだまさしが好きなんでしょうね。彼特有の言葉廻しもしっかり理解しているようだ。
もちろん,ハットするほどの美人だが,ウクライナ女もロシアと同じで,若いときはほっそりとして抜けるように色が白くて,動かなければそのまま彫像になりそうな美人であっても,年を取るとドラム缶のように太る,のかなぁ。
● お客さんの平均年齢はだいぶ高い。間違いなくぼくの年齢を超えている。多いのはやっぱりおばちゃん。会場も田舎の公民館のホール。昔の温泉旅館の大広間を思わせる。ホールの佇まいと観客がピッタリ合っている感じがしました。
● しかし,聴きに行ってよかった。アンコール(アメイジング・グレイスだった)も含めて75分間のコンサート,きっちり楽しませてもらえた。先月の大蔵流狂言もそうだったけれど,今回の「ナターシャ・グジー コンサート」も無料催行とは,さくら市はなかなか太っ腹だ。
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