栃木県総合文化センター メインホール
● 国内においても客を呼べる指揮者って何人かいるんだと思うんだけど,佐渡さんはその一人。というか,その代表格。
客を呼べるってことは,チケットがすぐに完売するということでもあって,ここ数年でも,シエナ・ウィンドオーケストラを率いて,何度か宇都宮に来ているんだけど,チケットを買えたためしがない。気がついたら完売御礼が出ていた,っていう。
で,今回こそはと思って,早めに入手。したら。当日券もあったようだ。ふぅーん。
● 月曜日の午後6時半ですからね。この曜日,この時間帯にホールに自分を運んでいける人って,限られますよね。年金生活者か,有閑マダムか,窓際族か,学生か。ぼくは3番目の人。
ま,好きな人は何とか時間の都合をつけますよね。年金生活者でも有閑マダムでも窓際族でも学生でもなさそうな人が多かったし。県内で行われるアマチュアオーケストラの演奏会に比べると,年寄り比率が低かったような印象がある。
けっこう,ハレの場的な雰囲気もあった。すべて佐渡効果といっていいのだろう。
● ともあれ。開演は午後6時半。チケットはS席で5,000円。ゲネプロも公開されたので,これもぜひ見学したいと思ってたんだけど,4時からとあってはさすがにちょっと無理だった。
当日券があったとはいえ,場内はほぼ満席。
● まず,佐渡さんが登場してごあいさつ。この楽団ができた経緯や,楽団の特徴,今回の演奏の聴きどころなど。政治家や役人のあいさつを聞くのは苦痛だけれども,こうした人はきちんと自分の言葉で話すし,言葉と心情の乖離が少ないから,素直に入っていける。共感的に聞くことができるといいますかね。
ところで,佐渡さん,思っていたより細い人だった(実際,ひと頃より痩せられたと思えるんだけど)。思っていたよりというのは,テレビで見た印象よりというほどの意味。テレビって太って映ると聞いたことがある。本当だね。とすると,女優さんやモデルさんって,ほんとにガリガリなんだろうな。過酷な職業だな。
● 彼ほどになれば,どうしたって毀誉褒貶相半ばすることになる。指揮のパフォーマンスしかり,指揮を離れた場所での発言もしかり。
彼のテンションの高さとか勢いが「毀」や「貶」の対象になることが多いと思うんだけども,自分をテンション高く持っていくことができれば,人生のたいていの問題は乗り越えられる。これができないから右往左往しているわけで。
プロ野球で下位のチームが連勝すると,勢いだけだと言われるけれども,その勢いをつけることがどれほどの難事か。
テンションと勢い。このふたつは,東大に合格できる程度の頭脳や冷静沈着,果断といった精神態度よりも大事だし,得るのが難しいものだと思っている。
● 曲目は次のとおり。
ワーグナー 歌劇「タンホイザー」序曲
ピアソラ バンドネオン協奏曲
ブラームス 交響曲第4番 ホ短調
● 35歳定年制で在籍期間は3年間。メンバーの半分は外国人。これほど多国籍な国内オーケストラは他にないだろうし,安逸を貪っている団員もいないことになる。しかも若い。
となれば,生まれてくる演奏もピンと張られた弦のような緊張感を醸すことになる。鮮度が高い。
● 特に,ブラームスの4番は圧巻だった。少なくともぼくにとっては。
ブラームスって,ぼくには難解だった。それが,第1楽章の途中,あ,わかったぞ,って思えた。
一点突破,全面展開。ブラームスの曲すべてを自分なりに楽しめる地点まで一気に上昇できたっていう手応えがある。ブラームスとの距離がぐっと詰まった感じがする。彼の輪郭がなんか見えてきた感じ。この年になってこういう体験ができるとは。
ま,徐々にぼくの水位が上がってきてて,このコンサートでポコッと頭が水面に出たってことかもしれないんだけど。
● その日のうちに,ピアノ協奏曲1番を聴いてみた。聴ける。2番を聴いた。聴ける,聴ける。やったぞ,オレ。ブラームスのCDを聴く時間が格段に増える予感。
これってかなり嬉しい。兵庫芸術文化センター管弦楽団はぼくにとっての恩人だ。
● それにしても。ブラームスが難解,って。どんだけアホなんだ。やっと人並みの水準に一歩近づいたってことですよね。それもかなりの時間をかけて。
うーん。鈍いというか,感度が悪いというか。
● ピアソラのバンドネオン協奏曲。初めて聴いた。曲もさることながら,御喜美江さんのアコーディオンが驚愕ものだった。
正確にいうと,アコーディオンについて知るところが極めて乏しかったのが修正されたってことかもしれない。だってね,アコーディオンって小学生の頃に触っただけですよ。ブーッと音が延びる楽器っていうイメージしかなかったんですよ。
とんでもない。御喜さんのアコーディオンは切れが身上。小気味よく切れていく。何だこれ,って感じですよ。
● 演奏中の厳しい表情と,演奏が終わったあとの穏やかな表情との落差も印象的。楽器や音楽を離れたところにいる彼女も,かなりチャーミングな人なのだろうなと思わせた。
アンコールはアスティエ「ミス・カーティング」。客席もかなり以上に好意的で,盛大な拍手。
● 兵庫芸術文化センター管弦楽団は,ここで3年間みっちり研鑽を積んで次の扉を開けっていう性格の,半分は勉強の楽団ですよね。団員は切磋琢磨しているのだと思う。切磋琢磨が足の引っぱり合いになることはないとしても,人間関係で厄介な諍いを産むことはあるかもしれない。半数が外国人となれば,細かいトラブルが発生するのは日常茶飯事だろうとも思う。
そこをまとめているのが佐渡さんの求心力ってことになるんだろうけど,ひょっとすると,この楽団のいろんなアレやコレ,華々しい成果をひっくるめて,外国人との協働のモデルケースを作りつつあるのかもしれないなと,思ってみたりする。
しかし,どうたって佐渡さんがいればこそ,なんでしょうね。
● アンコールのヨハン・シュトラウス「ハンガリー万歳」のあとの,割れんばかりの拍手。観客のほとんどは佐渡さんに負けているよね。負けを自覚しているから,演奏会に足を運んでいるわけなんだけど。
こういう負けって気持ちのいいもんだな。使いでのある5,000円を使えたなっていう満足感がある。うん,価値ある5,000円だった。こうなってみると,ゲネプロを見学しそこねたことが,だんだん悔しくなってきた。
約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2013年10月29日火曜日
2013年10月27日日曜日
2013.10.26 第18回コンセール・マロニエ21 本選
栃木県総合文化センター メインホール
● 今年度のコンセール・マロニエはピアノと木管。ピアノは「任意の独奏曲」だけれども,木管は課題曲が指定されている。
で,木管部門の本選に残ったのは,オーボエ2人とフルート4人。なので,課題曲であるモーツァルトのオーボエ協奏曲を2回,同じくモーツァルトのフルート協奏曲の1番か2番を4回,聴くことになる(4人とも1番を選択したので,1番を4回)。
● 本選の課題曲はモーツァルトになることが多いらしく,第14回のときはクラリネット協奏曲を何回か聴くことになった。それがこの曲に親しむきっかけになった。
さすがはモーツァルトで,続けて何度か聴いても,飽きない。腹にもたれることがない。いかなぼくでも,オーボエ協奏曲もフルート協奏曲も何度かは聴いているけれど,今回,2回とか4回聴くことになるのは,むしろ望むところ。
● ピアノは様々な演奏されることになるらしい。チラシに曲名が載っていた。聴いたことのない曲もある。っていうか,ベートーヴェンの「6つのバガテル」なんて,曲名じたいを初めて聞いた。
とはいえ,ピアノ曲をこれだけまとめて聴ける機会もそうそうないわけだから,今回は事前にひと通り聴いておくことにした。ただね,CDをスマホに転送して,イヤホンで聴くという聴き方になるのでね。気を入れて聴くという具合にはいかない。
デジタル携帯プレーヤーが登場して久しい。これのおかげで,聴く時間は格段に増えたんだけれども,部屋でオーディオから流れてくる曲に耳をすますという聴き方とは違ってくる。それでも享受できるメリットの方がずっと大きいと思うけど。
● でも,半ば予想していたことではあるんだけども,そんなことをしても無意味でしたね。スマホで聴くのとステージから届く演奏は,まったくの別物。前もって聴いておきましたよ程度では何の足しにもならないしね。
現に目の前にある演奏は,ともかく初めて聴くものなのだから。
● ともあれ。開演は午前11時半。休憩を3回はさんで,終演は午後5時半という長丁場。審査員の先生方も楽ではないでしょうね。
● まず,ピアノ部門。トップバッターは高橋ドレミさん。東京音楽大学を昨年卒業。プログラムに載ってる写真と印象が違ったのは,今日はメガネをかけていたから。まだちょっとあどけなさが残るお嬢さん。弾いたのはシューマンの「フモレスケ」。渾身の演奏だった。
古典派とかロマン派とかいう時代区分にどれほどの意味があるのかは知らないけれども,この曲はいかにもロマン派のものという感じは,ぼくにも理解できる。
フモレスケとは「喜び,悲しみ,笑い,涙など,様々な感情が交差したような状態を言」うらしい。聴く人それぞれに,自由な想像が可能だろう。
たださ,それも生で聴くからなんだよねぇ。CDで聴いてもダメなんですよ。オーケストラに比べれば,ソロの場合は生とCDの差は小さいと思うんだけど,ぼくのオーディオ環境の劣悪さゆえでしょうね。ある程度のボリュームで聴きたいでしょ。それができない環境なんだよねぇ。
● 次は和田萌子さん。芸大院を修了しているから,20代の半ばか。それにしては顔立ちに幼さを残しているように見えたんだけど,たぶん髪型のせいだな。
グラズノフのピアノ・ソナタ第1番を演奏。体は細いんだけども,演奏はパワフル。ぼく的には今回最も印象に残ったのは,この曲だった。演奏のゆえか,曲そのものに惹かれたのか。
● 田中香織さん。桐朋からウィーン国立音楽大学大学院卒業。演奏したのは,ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第30番の第1,2楽章。ショパンの即興曲第3番。シマノフスキ「メトープ」の第1曲と第3曲。
たぶん,今回の出場者の中で技術点が最も高かったのは彼女ではあるまいか。安定感も申し分なし。問題は「コンセール・マロニエ」との親和性がどうかってことなんだけど。完成されている印象を受けたんで。
● 菊池広輔さん。東京音楽大学大学院2年。この部門で唯一の地元出身者。ラヴェル「夜のガスパール」を演奏。傍目にも難しそうな曲で,これを緊張感を切らさずに演奏しきるのは大変そうだ。
第1曲「オンディーヌ」はたしかに水のイメージっていうか,ぼくの脳内に浮かんだのは,夜の中禅寺湖ですね。月明かりを反射してキラキラしている中禅寺湖の湖面。夜の中禅寺湖なんか見たことはないんだけどね。
● 青木ゆりさん。桐朋学園大学4年で,今回の出場者の中では最年少になる。ベートーヴェンの「6つのバガテル」とベルクの「ピアノ・ソナタ ロ短調」。たとえば「6つのバガテル」を弾くときには,演奏者はどんな風景を見ているのだろう。
自信たっぷりに見えた。ボーイッシュな風貌で,もの怖じせず溌剌と。
● 見崎清水さん。芸大院3年。演奏したのはショパンのピアノ・ソナタ第2番。ていねいに慈しむようにして演奏していた感じ。それがショパンを弾くときの常道なんでしょうけどね。
4年前のこの「コンセール・マロニエ」で第3位。
● 最後は,松岡優明さん。東京音楽大学大学院を修了。ラヴェルの「プレリュード」と「夜のガスパール」。
彼もまたたしかな技術の持ち主で,音の粒だちがいいというか,表現技法に秀でているというか。文句のつけようがない。
● というわけだった。ぼく的に予想を書きたいところだけれども,昨年それをやってはずしているので,今回は自重しよう。
こうしたコンクールの審査というのも,絶対ではないだろうね。審査員の能力にあまるということも,ひょっとしたらあるかもしれないし,典型的な官能検査だから審査じたいにゆらぎがあるはずだ。いくつかのチェックポイントはあるのかもしれないけれども,つまりは総合印象で選ぶしかないだろうから,どうしたって個人差もでる。
● 次は木管部門。
まずはフルートの満丸彬人さん。芸大院の1年。男のフルートもいいもんだなぁ。柔らかさって男にも合うね。まだまだノビシロを蓄えていると思えた。
ピアノ伴奏は與口理恵さん。このピアノ伴奏の人たちはプロの方々なんですか。巧すぎる。
モーツァルトのフルート協奏曲,何だかおざなりに作った感じがするねぇ。最晩年のクラリネット協奏曲に出てくる旋律があったりして,クラリネット協奏曲のための踏み石にも思えてくる。
それでも聴くに耐えちゃうのは,やっぱりモーツァルトってことなんですけどねぇ。
● オーボエの古山真里江さん。芸大を今年卒業。オーボエを吹くために生まれてきたような人なんですかねぇ。
オーケストラでオーボエを聴くときは,あたりまえのように音を出していると受けとめていたんだけど,これ,けっこうしんどい楽器だったんですねぇ。って,今さらだけど。
ピアノ伴奏は宇根美沙恵さん。伴奏の妙にも注目。
● 川口晃さん。フルート。芸大院1年。まだ若いのに大人の風貌。器用な人だなぁと思った。どんな超絶技巧でも苦もなくやってみせてくれる感じ。
ピアノ伴奏は再び與口理恵さん。
● 岡本裕子さん。フルート。東京音大を一昨年,卒業。ブルーのドレスで,艶やかさが際だっていた。派手ではなく,ね。コンクールではなく,自分のリサイタルのような感じでやってたのも,ぼく的には好印象。
唯一残念だったのはプログラムに載っている写真で,これは差し替えの要あり。実物の方が美人だから。
ピアノ伴奏は久下未来さん。
● 山本楓さん。オーボエ。芸大3年。この部門唯一の地元出身者で,栃木にはあるまじき美人。ということになれば,心情的に彼女を応援したくなるのが客席の自然というもので,このときだけは居眠りをしている人はいなかったようだ。
全出場者の中で,彼女が最も緊張感を漂わせていたかもしれない。終わったときにはホッとした表情を見せた。
ピアノ伴奏は,じつに羽石道代さん。
● 浅田結希さん。フルート。芸大院修了。ハラハラするところが皆無。抜群の安定感。完成の域に到達しているんじゃなかろうか。「コンセール・マロニエ」の舞台には収まりきらない人かも。
ピアノ伴奏は小澤佳永さん。
● これもぼく的予想は出ている。んだけど,会場をあとにしたときと,今とでちょっと変わってしまった。
変わってしまったのは,あれですよ,プログラムに載っているプロフィールをよく見て,年齢やら受賞歴やらを知ると,それに自分の印象が影響されちゃったからですよ。ということはつまり,わかっちゃいないね,ってことなんですよね。
● 来年は弦と声楽。このコンクールのファイナルは,ぼく的にはとても美味しい。聴いたことのない曲を若々しい演奏で聴けて,しかもホールはガラガラだからゆったりできる。
べつに人に勧めるつもりはないけれど,うーん,美味しいよ。
(追記 2013.10.27)
今,課題曲を(スマホで)聴いてみると,聴こえ方がだいぶ違う。生で聴いたことの効果ですね。
っていうか,数日前に聴いたのは,聴いたつもりなだけで,実際は聴いてなかったのかもしれないな。
● 今年度のコンセール・マロニエはピアノと木管。ピアノは「任意の独奏曲」だけれども,木管は課題曲が指定されている。
で,木管部門の本選に残ったのは,オーボエ2人とフルート4人。なので,課題曲であるモーツァルトのオーボエ協奏曲を2回,同じくモーツァルトのフルート協奏曲の1番か2番を4回,聴くことになる(4人とも1番を選択したので,1番を4回)。
● 本選の課題曲はモーツァルトになることが多いらしく,第14回のときはクラリネット協奏曲を何回か聴くことになった。それがこの曲に親しむきっかけになった。
さすがはモーツァルトで,続けて何度か聴いても,飽きない。腹にもたれることがない。いかなぼくでも,オーボエ協奏曲もフルート協奏曲も何度かは聴いているけれど,今回,2回とか4回聴くことになるのは,むしろ望むところ。
● ピアノは様々な演奏されることになるらしい。チラシに曲名が載っていた。聴いたことのない曲もある。っていうか,ベートーヴェンの「6つのバガテル」なんて,曲名じたいを初めて聞いた。
とはいえ,ピアノ曲をこれだけまとめて聴ける機会もそうそうないわけだから,今回は事前にひと通り聴いておくことにした。ただね,CDをスマホに転送して,イヤホンで聴くという聴き方になるのでね。気を入れて聴くという具合にはいかない。
デジタル携帯プレーヤーが登場して久しい。これのおかげで,聴く時間は格段に増えたんだけれども,部屋でオーディオから流れてくる曲に耳をすますという聴き方とは違ってくる。それでも享受できるメリットの方がずっと大きいと思うけど。
● でも,半ば予想していたことではあるんだけども,そんなことをしても無意味でしたね。スマホで聴くのとステージから届く演奏は,まったくの別物。前もって聴いておきましたよ程度では何の足しにもならないしね。
現に目の前にある演奏は,ともかく初めて聴くものなのだから。
● ともあれ。開演は午前11時半。休憩を3回はさんで,終演は午後5時半という長丁場。審査員の先生方も楽ではないでしょうね。
● まず,ピアノ部門。トップバッターは高橋ドレミさん。東京音楽大学を昨年卒業。プログラムに載ってる写真と印象が違ったのは,今日はメガネをかけていたから。まだちょっとあどけなさが残るお嬢さん。弾いたのはシューマンの「フモレスケ」。渾身の演奏だった。
古典派とかロマン派とかいう時代区分にどれほどの意味があるのかは知らないけれども,この曲はいかにもロマン派のものという感じは,ぼくにも理解できる。
フモレスケとは「喜び,悲しみ,笑い,涙など,様々な感情が交差したような状態を言」うらしい。聴く人それぞれに,自由な想像が可能だろう。
たださ,それも生で聴くからなんだよねぇ。CDで聴いてもダメなんですよ。オーケストラに比べれば,ソロの場合は生とCDの差は小さいと思うんだけど,ぼくのオーディオ環境の劣悪さゆえでしょうね。ある程度のボリュームで聴きたいでしょ。それができない環境なんだよねぇ。
● 次は和田萌子さん。芸大院を修了しているから,20代の半ばか。それにしては顔立ちに幼さを残しているように見えたんだけど,たぶん髪型のせいだな。
グラズノフのピアノ・ソナタ第1番を演奏。体は細いんだけども,演奏はパワフル。ぼく的には今回最も印象に残ったのは,この曲だった。演奏のゆえか,曲そのものに惹かれたのか。
● 田中香織さん。桐朋からウィーン国立音楽大学大学院卒業。演奏したのは,ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第30番の第1,2楽章。ショパンの即興曲第3番。シマノフスキ「メトープ」の第1曲と第3曲。
たぶん,今回の出場者の中で技術点が最も高かったのは彼女ではあるまいか。安定感も申し分なし。問題は「コンセール・マロニエ」との親和性がどうかってことなんだけど。完成されている印象を受けたんで。
● 菊池広輔さん。東京音楽大学大学院2年。この部門で唯一の地元出身者。ラヴェル「夜のガスパール」を演奏。傍目にも難しそうな曲で,これを緊張感を切らさずに演奏しきるのは大変そうだ。
第1曲「オンディーヌ」はたしかに水のイメージっていうか,ぼくの脳内に浮かんだのは,夜の中禅寺湖ですね。月明かりを反射してキラキラしている中禅寺湖の湖面。夜の中禅寺湖なんか見たことはないんだけどね。
● 青木ゆりさん。桐朋学園大学4年で,今回の出場者の中では最年少になる。ベートーヴェンの「6つのバガテル」とベルクの「ピアノ・ソナタ ロ短調」。たとえば「6つのバガテル」を弾くときには,演奏者はどんな風景を見ているのだろう。
自信たっぷりに見えた。ボーイッシュな風貌で,もの怖じせず溌剌と。
● 見崎清水さん。芸大院3年。演奏したのはショパンのピアノ・ソナタ第2番。ていねいに慈しむようにして演奏していた感じ。それがショパンを弾くときの常道なんでしょうけどね。
4年前のこの「コンセール・マロニエ」で第3位。
● 最後は,松岡優明さん。東京音楽大学大学院を修了。ラヴェルの「プレリュード」と「夜のガスパール」。
彼もまたたしかな技術の持ち主で,音の粒だちがいいというか,表現技法に秀でているというか。文句のつけようがない。
● というわけだった。ぼく的に予想を書きたいところだけれども,昨年それをやってはずしているので,今回は自重しよう。
こうしたコンクールの審査というのも,絶対ではないだろうね。審査員の能力にあまるということも,ひょっとしたらあるかもしれないし,典型的な官能検査だから審査じたいにゆらぎがあるはずだ。いくつかのチェックポイントはあるのかもしれないけれども,つまりは総合印象で選ぶしかないだろうから,どうしたって個人差もでる。
● 次は木管部門。
まずはフルートの満丸彬人さん。芸大院の1年。男のフルートもいいもんだなぁ。柔らかさって男にも合うね。まだまだノビシロを蓄えていると思えた。
ピアノ伴奏は與口理恵さん。このピアノ伴奏の人たちはプロの方々なんですか。巧すぎる。
モーツァルトのフルート協奏曲,何だかおざなりに作った感じがするねぇ。最晩年のクラリネット協奏曲に出てくる旋律があったりして,クラリネット協奏曲のための踏み石にも思えてくる。
それでも聴くに耐えちゃうのは,やっぱりモーツァルトってことなんですけどねぇ。
● オーボエの古山真里江さん。芸大を今年卒業。オーボエを吹くために生まれてきたような人なんですかねぇ。
オーケストラでオーボエを聴くときは,あたりまえのように音を出していると受けとめていたんだけど,これ,けっこうしんどい楽器だったんですねぇ。って,今さらだけど。
ピアノ伴奏は宇根美沙恵さん。伴奏の妙にも注目。
● 川口晃さん。フルート。芸大院1年。まだ若いのに大人の風貌。器用な人だなぁと思った。どんな超絶技巧でも苦もなくやってみせてくれる感じ。
ピアノ伴奏は再び與口理恵さん。
● 岡本裕子さん。フルート。東京音大を一昨年,卒業。ブルーのドレスで,艶やかさが際だっていた。派手ではなく,ね。コンクールではなく,自分のリサイタルのような感じでやってたのも,ぼく的には好印象。
唯一残念だったのはプログラムに載っている写真で,これは差し替えの要あり。実物の方が美人だから。
ピアノ伴奏は久下未来さん。
● 山本楓さん。オーボエ。芸大3年。この部門唯一の地元出身者で,栃木にはあるまじき美人。ということになれば,心情的に彼女を応援したくなるのが客席の自然というもので,このときだけは居眠りをしている人はいなかったようだ。
全出場者の中で,彼女が最も緊張感を漂わせていたかもしれない。終わったときにはホッとした表情を見せた。
ピアノ伴奏は,じつに羽石道代さん。
● 浅田結希さん。フルート。芸大院修了。ハラハラするところが皆無。抜群の安定感。完成の域に到達しているんじゃなかろうか。「コンセール・マロニエ」の舞台には収まりきらない人かも。
ピアノ伴奏は小澤佳永さん。
● これもぼく的予想は出ている。んだけど,会場をあとにしたときと,今とでちょっと変わってしまった。
変わってしまったのは,あれですよ,プログラムに載っているプロフィールをよく見て,年齢やら受賞歴やらを知ると,それに自分の印象が影響されちゃったからですよ。ということはつまり,わかっちゃいないね,ってことなんですよね。
● 来年は弦と声楽。このコンクールのファイナルは,ぼく的にはとても美味しい。聴いたことのない曲を若々しい演奏で聴けて,しかもホールはガラガラだからゆったりできる。
べつに人に勧めるつもりはないけれど,うーん,美味しいよ。
(追記 2013.10.27)
今,課題曲を(スマホで)聴いてみると,聴こえ方がだいぶ違う。生で聴いたことの効果ですね。
っていうか,数日前に聴いたのは,聴いたつもりなだけで,実際は聴いてなかったのかもしれないな。
2013年10月26日土曜日
2013.10.25 上田京&恵谷真紀子とドイツの仲間たち in 宇都宮
栃木県総合文化センター サブホール
● 総合文化センターを所管する「とちぎ未来づくり財団」が無料で催行した「室内楽入門コンサート」。開演は午後2時。
● ピアノが上田京さん,ヴァイオリンがフローリン・パウル氏,ヴィオラが恵谷真紀子さん,チェロがクレメンス・ドル氏。錚々たるメンバーで,「入門」には最適というか贅沢というか。
曲目は次のとおり。アンコールのヨハン・シュトラウス「春の声」を含めて,休憩なしで75分のコンサートだった。
シューベルト 弦楽三重奏曲 変ロ長調
ベートーヴェン 弦楽三重奏曲 セレナーデ(マーチ,アダージョ,メヌエット)
ハイドン ピアノ三重奏曲 ト長調(第1,3楽章)
メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲 ニ短調(第1楽章)
モーツァルト ピアノ四重奏曲 変ホ長調(第1楽章)
ドヴォルザーク ピアノ四重奏曲 変ホ長調(第1楽章)
● 「入門」のゆえんは,上田さんの解説が付いたこと。慣れているんでしょうね(大学でも教えているらしいし)。テキパキとした説明だった。
まず,シューベルト。肩の力の抜けた余裕ある演奏。名手の熟練の技といったところ。この音に乗って,砂浜でも野原でも林でも,好きなところをフワフワと飛んでみたい,っていうかね。
もっというと,この演奏を聴きながら居眠りしたら,これすなわち至福だろうなあ,と思った。でね,ぼくの前の席の爺さんはずっと寝てたんだけど,皮肉でなく,この演奏会を最も効果的に活用したのは,この爺さんじゃないか,と。
● ヨーロッパの男性二人に挟まれた恵谷さん。彼女自身も向こうの人っぽく見えた。タッパもあるし,彫りの深い顔立ちだしね。ほんでもって美人。20代の頃はモデルさながらだったのではないでしょうかねぇ。さぞやと思わせる。誘惑も多かったんじゃないかと思うんだけどな。
って,まぁ,こういうところに気が行ってしまうところがねぇ,なんだかな。
● ベートーヴェンのこの作品は,彼が27歳のときのものですか(当時の27歳はもう立派な完成した大人の年齢かもしれないけど)。この部分に若気のセンチメンタリズムが窺えるとか,まぁ言おうと思えば言えるんだろうけどね,そうしたことって天才にはあんまり関係ないっていうかさ。
● 上田さんの解説にもあったんだけど,室内楽の室内ってのは,もともとは王侯貴族の邸宅だったわけですね。でさ,当時の王侯貴族ってのは,相当以上に通だったんだろうなぁと思いましたね。音楽の鑑賞水準がかなり高かったに違いない。
こうした曲を楽しめたんだからね。ぼくなんかは半分勉強って気分があるけど,これを単純に(もしくは純粋に)楽しめるって,だいぶすごいぞ。
● ハイドンはあまり聴くことのない作曲家。メンデルスゾーンも「スコットランド」とヴァイオリン協奏曲だけの人じゃないんだなぁ,ってことね。
弦楽重奏じたい,あまり聴かないジャンルで,自分が聴く曲の少なさ,偏りを思い知らされる。気がつくと,ベートーヴェンの交響曲とか,すでに馴染んでいる曲を聴いちゃってるね。
そこに居直っちゃおうとも思うし,それじゃまずいよなぁとも思うし。で,今回のような演奏を聴くと,まずいよなぁっていう方に針が振れる。
● このまずいよなぁって気持ちが持続してくれるといいんだけどね。しばらくストイックになって,この分野だけを聴いてみることにしようかねぇ。
交響曲だの協奏曲より,こっちの方が元祖っていうか,音楽の始原に近い形のものだろうしね。個々の楽器の音色の味わいもくっきりとわかるし。
● 総合文化センターを所管する「とちぎ未来づくり財団」が無料で催行した「室内楽入門コンサート」。開演は午後2時。
● ピアノが上田京さん,ヴァイオリンがフローリン・パウル氏,ヴィオラが恵谷真紀子さん,チェロがクレメンス・ドル氏。錚々たるメンバーで,「入門」には最適というか贅沢というか。
曲目は次のとおり。アンコールのヨハン・シュトラウス「春の声」を含めて,休憩なしで75分のコンサートだった。
シューベルト 弦楽三重奏曲 変ロ長調
ベートーヴェン 弦楽三重奏曲 セレナーデ(マーチ,アダージョ,メヌエット)
ハイドン ピアノ三重奏曲 ト長調(第1,3楽章)
メンデルスゾーン ピアノ三重奏曲 ニ短調(第1楽章)
モーツァルト ピアノ四重奏曲 変ホ長調(第1楽章)
ドヴォルザーク ピアノ四重奏曲 変ホ長調(第1楽章)
● 「入門」のゆえんは,上田さんの解説が付いたこと。慣れているんでしょうね(大学でも教えているらしいし)。テキパキとした説明だった。
まず,シューベルト。肩の力の抜けた余裕ある演奏。名手の熟練の技といったところ。この音に乗って,砂浜でも野原でも林でも,好きなところをフワフワと飛んでみたい,っていうかね。
もっというと,この演奏を聴きながら居眠りしたら,これすなわち至福だろうなあ,と思った。でね,ぼくの前の席の爺さんはずっと寝てたんだけど,皮肉でなく,この演奏会を最も効果的に活用したのは,この爺さんじゃないか,と。
● ヨーロッパの男性二人に挟まれた恵谷さん。彼女自身も向こうの人っぽく見えた。タッパもあるし,彫りの深い顔立ちだしね。ほんでもって美人。20代の頃はモデルさながらだったのではないでしょうかねぇ。さぞやと思わせる。誘惑も多かったんじゃないかと思うんだけどな。
って,まぁ,こういうところに気が行ってしまうところがねぇ,なんだかな。
● ベートーヴェンのこの作品は,彼が27歳のときのものですか(当時の27歳はもう立派な完成した大人の年齢かもしれないけど)。この部分に若気のセンチメンタリズムが窺えるとか,まぁ言おうと思えば言えるんだろうけどね,そうしたことって天才にはあんまり関係ないっていうかさ。
● 上田さんの解説にもあったんだけど,室内楽の室内ってのは,もともとは王侯貴族の邸宅だったわけですね。でさ,当時の王侯貴族ってのは,相当以上に通だったんだろうなぁと思いましたね。音楽の鑑賞水準がかなり高かったに違いない。
こうした曲を楽しめたんだからね。ぼくなんかは半分勉強って気分があるけど,これを単純に(もしくは純粋に)楽しめるって,だいぶすごいぞ。
● ハイドンはあまり聴くことのない作曲家。メンデルスゾーンも「スコットランド」とヴァイオリン協奏曲だけの人じゃないんだなぁ,ってことね。
弦楽重奏じたい,あまり聴かないジャンルで,自分が聴く曲の少なさ,偏りを思い知らされる。気がつくと,ベートーヴェンの交響曲とか,すでに馴染んでいる曲を聴いちゃってるね。
そこに居直っちゃおうとも思うし,それじゃまずいよなぁとも思うし。で,今回のような演奏を聴くと,まずいよなぁっていう方に針が振れる。
● このまずいよなぁって気持ちが持続してくれるといいんだけどね。しばらくストイックになって,この分野だけを聴いてみることにしようかねぇ。
交響曲だの協奏曲より,こっちの方が元祖っていうか,音楽の始原に近い形のものだろうしね。個々の楽器の音色の味わいもくっきりとわかるし。
2013年10月19日土曜日
2013.10.19 グローリア アンサンブル&クワイアー第21回演奏会
栃木県総合文化センター メインホール
● 一昨年はベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」だった。昨年は行きそびれて,今回,2年ぶりにお邪魔した。今回はブラームスの「ドイツ・レクイエム」。
この「グローリア アンサンブル&クワイアー」が存在しなければ,ライヴで聴く機会を一度も持つことなく終わったかもしれない。そういう意味じゃ,地元にこういう団体があってくれるのは,じつにどうもありがたい。
開演は午後2時。チケットは2,000円。当日券を購入。
● ロビーは結婚披露宴かと見紛うほどの華やかさに溢れてましたね。楽員の友人や知り合いがお客さんの中には多いのだろう。久しぶりに顔を合わせたのだろうな。ひょっとすると,この演奏会がなければずっと会わないで終わったかもしれない。
というわけで,ロビーは華やいでいたよ,と。ぼくはといえば,一人で来てるし,楽員にもお客さんの中にも,ぜんぜん知った顔はいない。んで,その華やぎが遠く感じたよ,と。
● でもね,もし知った顔があったとしても,たぶん,気づかないふりをしたかもな。これは,ま,性格ですね。
家でもない職場でもない,オープンスペースに一人でいるときに,誰かに話しかけられるのはかなりイヤ,っていう。自分からも話しかけることはない,っていう。実際は,イヤを通せないことの方が多いですけどね。
コンサートに家族や友人(いないけど)と連れだって出かけるのもイヤだ。幸いにして,ウチのヨメはこういう方面に興味を持っていないので,助かっている。来るわけないとわかっているから,時々は誘ってみて,ご機嫌をとることもできる。
● 「ドイツ・レクイエム」に先だって,バッハの「アリア ヘ長調(カンタータ BWV68 第2曲)」など4つを弦楽合奏。指揮は粂川吉見さん。
これが思わぬ拾いもの。っていうかですね,バッハをちゃんと聴かなきゃダメだよなぁと思わされたことですね。バッハの作品はともかく膨大で,全部聴くなんてだいそれたことは考えないとしても,聴かないまま一生を終えてしまっては,相当以上に後悔することになりそうな曲が,まだまだたくさんありそうだ。
● このあと,合唱団が入って,バッハとベートーヴェンの歌曲をふたつ。指揮は畑康博さん。
プログラムのプロフィール紹介によれば東大理学部卒ってことだけど,東大とかの理系出身で,高いレベルで音楽活動をしている人って,けっこういるっぽい。最近はああそうなのかという感じで受けとめるようになった。
傍目の印象だけれども,彼の中では東大なんてどうでもいいものになっているんじゃなかろうか。最初からどうでもよかったのかもしれないな。たまたま,東大に入れる学力があったから入っただけだもんね,っていう。
● 15分の休憩の後に「ドイツレクイエム」。粂川さんは管弦楽に,畑さんは合唱団の最後列に,それぞれ加わった。指揮は片岡真理さん。
ソリストは澤江衣里さん(ソプラノ)と加耒徹さん(バリトン)。加耒さんは8月25日に「大泉町文化むら」で行われたカルメンにも出てらしたので,実力は知ってるつもり。
加耒さんは第3曲と第6曲に,澤江さんは第5曲に登場。
● 要するに,メインは合唱団ってことになるんだけど,合唱だけは録音に載りにくいっていうか,CDを聴いても臨場感を掴みにくい(ような気がする)。CDとライヴの差が大きい。それゆえに,生で聴ける機会は貴重だ。
しかも,これだけみっしりと実のつまった楽曲を,とにもかくにも形にして提供してもらうのだから,それだけでありがたい。
各パートに際だって巧い人がいた(ように思えた)。その人の声だけ,発信源がわかるような感じがした。
● 問題はこちらの鑑賞水準で,レクイエムにしろミサ曲にしろ,西洋の宗教音楽がピタっとこない。歌詞の和訳がプログラムにも掲載されているんだけれども,それを読んだところで,はたしてどこまで了解できたものか,われながら心もとない。
じつのところ,わかることを半ば以上は諦めている。仕方ないよね。ヨーロッパ人にとってのキリスト教のありようがわからないんだもん。
このへんの難しさがあって,CDでもあまり聴くことがない。敬して遠ざけることになる。
● ここを厳密にいうと,それじゃバロックをはじめ,西洋のクラシック音楽全部がわからないことになるじゃないかと言われそうだ。
だから厳密には考えないことにする。ただ,宗教音楽は難易度が高いというにとどめておく。
人の声だけが醸せる荘厳さとでもいうべきものは,感じることができた。それで良しとしておかないと。
● 次回はヴェルディの「レクイエム」。これも聴くしかない。そしてまた難易度が高いとウダウダ言う。何をしてんだか,オレ。
● 一昨年はベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」だった。昨年は行きそびれて,今回,2年ぶりにお邪魔した。今回はブラームスの「ドイツ・レクイエム」。
この「グローリア アンサンブル&クワイアー」が存在しなければ,ライヴで聴く機会を一度も持つことなく終わったかもしれない。そういう意味じゃ,地元にこういう団体があってくれるのは,じつにどうもありがたい。
開演は午後2時。チケットは2,000円。当日券を購入。
● ロビーは結婚披露宴かと見紛うほどの華やかさに溢れてましたね。楽員の友人や知り合いがお客さんの中には多いのだろう。久しぶりに顔を合わせたのだろうな。ひょっとすると,この演奏会がなければずっと会わないで終わったかもしれない。
というわけで,ロビーは華やいでいたよ,と。ぼくはといえば,一人で来てるし,楽員にもお客さんの中にも,ぜんぜん知った顔はいない。んで,その華やぎが遠く感じたよ,と。
● でもね,もし知った顔があったとしても,たぶん,気づかないふりをしたかもな。これは,ま,性格ですね。
家でもない職場でもない,オープンスペースに一人でいるときに,誰かに話しかけられるのはかなりイヤ,っていう。自分からも話しかけることはない,っていう。実際は,イヤを通せないことの方が多いですけどね。
コンサートに家族や友人(いないけど)と連れだって出かけるのもイヤだ。幸いにして,ウチのヨメはこういう方面に興味を持っていないので,助かっている。来るわけないとわかっているから,時々は誘ってみて,ご機嫌をとることもできる。
● 「ドイツ・レクイエム」に先だって,バッハの「アリア ヘ長調(カンタータ BWV68 第2曲)」など4つを弦楽合奏。指揮は粂川吉見さん。
これが思わぬ拾いもの。っていうかですね,バッハをちゃんと聴かなきゃダメだよなぁと思わされたことですね。バッハの作品はともかく膨大で,全部聴くなんてだいそれたことは考えないとしても,聴かないまま一生を終えてしまっては,相当以上に後悔することになりそうな曲が,まだまだたくさんありそうだ。
● このあと,合唱団が入って,バッハとベートーヴェンの歌曲をふたつ。指揮は畑康博さん。
プログラムのプロフィール紹介によれば東大理学部卒ってことだけど,東大とかの理系出身で,高いレベルで音楽活動をしている人って,けっこういるっぽい。最近はああそうなのかという感じで受けとめるようになった。
傍目の印象だけれども,彼の中では東大なんてどうでもいいものになっているんじゃなかろうか。最初からどうでもよかったのかもしれないな。たまたま,東大に入れる学力があったから入っただけだもんね,っていう。
● 15分の休憩の後に「ドイツレクイエム」。粂川さんは管弦楽に,畑さんは合唱団の最後列に,それぞれ加わった。指揮は片岡真理さん。
ソリストは澤江衣里さん(ソプラノ)と加耒徹さん(バリトン)。加耒さんは8月25日に「大泉町文化むら」で行われたカルメンにも出てらしたので,実力は知ってるつもり。
加耒さんは第3曲と第6曲に,澤江さんは第5曲に登場。
● 要するに,メインは合唱団ってことになるんだけど,合唱だけは録音に載りにくいっていうか,CDを聴いても臨場感を掴みにくい(ような気がする)。CDとライヴの差が大きい。それゆえに,生で聴ける機会は貴重だ。
しかも,これだけみっしりと実のつまった楽曲を,とにもかくにも形にして提供してもらうのだから,それだけでありがたい。
各パートに際だって巧い人がいた(ように思えた)。その人の声だけ,発信源がわかるような感じがした。
● 問題はこちらの鑑賞水準で,レクイエムにしろミサ曲にしろ,西洋の宗教音楽がピタっとこない。歌詞の和訳がプログラムにも掲載されているんだけれども,それを読んだところで,はたしてどこまで了解できたものか,われながら心もとない。
じつのところ,わかることを半ば以上は諦めている。仕方ないよね。ヨーロッパ人にとってのキリスト教のありようがわからないんだもん。
このへんの難しさがあって,CDでもあまり聴くことがない。敬して遠ざけることになる。
● ここを厳密にいうと,それじゃバロックをはじめ,西洋のクラシック音楽全部がわからないことになるじゃないかと言われそうだ。
だから厳密には考えないことにする。ただ,宗教音楽は難易度が高いというにとどめておく。
人の声だけが醸せる荘厳さとでもいうべきものは,感じることができた。それで良しとしておかないと。
● 次回はヴェルディの「レクイエム」。これも聴くしかない。そしてまた難易度が高いとウダウダ言う。何をしてんだか,オレ。
2013年10月15日火曜日
2013.10.14 作新学院吹奏楽部第48回定期演奏会
宇都宮市文化会館 大ホール
● 昨年に続いて,お邪魔した。開演は午後1時半。チケットは800円(当日券は1,000円)。前売券を購入しておいた。
客席が大入り満員になることは前回知ったので,早めに会場に行って,並ぶことにした。
● この演奏会の醍醐味は,ひっきょう,若い高校生たちの一生懸命さの炸裂といったあたりになる。一途とか一生懸命というのは,それが誰であれ,何に対してであれ,吸引力を持つ。
若い人たちであればなおさらのことだ。多くの可塑性を残している高校生たちの一生懸命は,しなやかであり,奔放で躍動感があり,次を予感させる説得力がある。これで終わりじゃないぞ,っていう。
若さそれ自体に魅力があることを認めないわけにはいかない。若い生命力がキラキラしている様を眺めることは,生存期間が限られている生体の一員としては,しかもその終期に近づいている者にとっては,何がなし安心感を覚えるものでもある。
● 前回は開演に先だって学校責任者の挨拶があった。それが,この演奏会が校内行事であるような印象を与えたものだが,今回はそれがなかった。
ない方がいいものがない,というのは大事なことだ。きちんと片づいた家屋のようなもの。せっかくの演奏会を散らかしちゃいけない。
今回のようにいきなり演奏が始まってくれると,演奏会はかくあるべしと思いますな。ユニバーサルっていうか,グローバルスタンダートに則っているっていうか。
● プログラムは3部構成。第1部は正統というかフォーマルな吹奏楽の演奏。演奏前に部員が曲の紹介をするスタイルは,前回と同じ。
まずはリード「アルメニアン・ダンス パート1」。最初から度肝を抜かれた。要するに,巧いんですよね。最前列にいるオーボエとフルートに気がいってしまうわけだけど,クラリネットもサクソフォンもラッパも太鼓も,何事かと言いたくなるほどに巧い。
同時に,巧いだけじゃない。
● 巧いというのがほめ言葉にならないことがあると思う。で,その「巧いだけじゃない」ってところを意を尽くして説明しなければいけないんだけど,これがね,ぼくの能力では言葉にしずらいっていいますかね,何なんだろ,ここまでになるのは大変だったろうなぁっていう,ここに至る過程に思いを向けさせるっていうか。
つまりは,うまく言えない。ただ,本質は「巧いだけじゃない」っていう方にある。
● 「もののけ姫セレクション」も,心に沁みてくるっていいますかね。曲もさることながら,演奏の功績だと思う。
長生淳「紺碧の波濤」では,フルートのソロがこちらの涙腺を刺激してくる。高校生に泣かされたんじゃ洒落にならないから,必死こいてこらえましたけどね。
● 第2部はバラエティ(ポップスステージ)。客席へのサービス。で,昨年もそうだったんだけど,この学校はそのサービスを過剰なほどにやる。演出が細かい。その細かいところまで手を抜かない。
たとえば,星出尚志「ダンシン・メガヒッツ」にダンサーを登場させる。もちろん難易度の高いダンスはさせない。なんだけど,踊り手が手を抜かないから,ダンスの見映えが崩れない。
● 演奏する側もリラックスして伸び伸びやってる感じ。ノリがいいっていうか。でもね,ノレるのは技術があるからだよね。こういうところでこそ,実力が露わになるわけで。
森田一浩編曲「サクソフォンとバンドのための青春の輝き」では,サクソフォンのソロがこれまた巧くてねぇ。しかも,見目麗しい。
それと,女子ドラマーが何気にかっこよかったね。
● 吹奏楽といっても,ハープも登場するし,エレキギターも出てくる。自分のパートだけできればいいってわけではなさそうなんですね。実際,いくつもの楽器を操れるようなんですな。
第3部はステージドリルってことになるんだろうけど,「ミス・サイゴン」を演奏。主役は太鼓なんだけど,パーカッションの担当奏者だけでやっていたのではないと思う。
● 最後の生徒(部長)の挨拶も立派なものだった。原稿なし。気持ちが見事に載っている。長さもちょうどいい。いわゆる挨拶でここまでのものを耳にする機会はめったにあるものではない。
下書きを作って,何度も練習したのかねぇ。まったくのアドリブでここまでできたら天才だけど,下書きとはいえ原稿を作ってしまうと,それに縛られてしまいそうだ。イメージトレーニングだけに押さえたのかなぁ。とか,いろいろと想像を逞しくさせる挨拶でしたね。
気持ちを載せさせるような出来事があったに違いないんだけど(それも挨拶の中で紹介されてた),この数分間の挨拶ができただけで,彼女の高校生活3年間のモトは取れたんじゃないかと思うほど。この挨拶をするために彼女の3年間はあった,みたいな。
● プログラムの冊子も楽しめるもの。ここでの主役は顧問の三橋英之先生。
副顧問格の若い先生やトレーナーの先生に,「二人とも早く温かい家庭を持ってほしいと願っています」などと,大きなお世話的なことまで書いているんだけど,面倒見のいい先生なんでしょうね。この先生なしには,この吹奏楽部のカラーもないのだろう。
● チケットにもプログラムにも,「超飛躍 己がやらなきゃだれがやる!!」の文字がおどっている。部是というか,スローガンというか。かくあれと先生が考えたのかなぁ。
世間全体を視野にいれると,自分がやらなくたって必要なことは誰かがやるし,その誰かの方が自分よりずっと巧くやる,ってのがリアルな見方だって気もするんだけど,小集団になるとそんな呑気なことは言ってられなくなるでしょうからねぇ。
● 客席は今回もほぼ満席。開演時には,1階の最前列から数列と3階席に空席があったものの,途中で埋まった。
これだけの観客を作新学院の関係者だけで埋められるはずはないと思うんだけど,でも大方はその関係者だったようでもある。さすがは作新の動員力というべきだろう。
3連休の最終日の昼に時間を空けて,会場まで自分を運んで行って,いくばくかの入場料を払って,2時間半ほどジッとして聴くに値する(もしくは,それ以上に価値のある)演奏会だと思った。
● 昨年に続いて,お邪魔した。開演は午後1時半。チケットは800円(当日券は1,000円)。前売券を購入しておいた。
客席が大入り満員になることは前回知ったので,早めに会場に行って,並ぶことにした。
● この演奏会の醍醐味は,ひっきょう,若い高校生たちの一生懸命さの炸裂といったあたりになる。一途とか一生懸命というのは,それが誰であれ,何に対してであれ,吸引力を持つ。
若い人たちであればなおさらのことだ。多くの可塑性を残している高校生たちの一生懸命は,しなやかであり,奔放で躍動感があり,次を予感させる説得力がある。これで終わりじゃないぞ,っていう。
若さそれ自体に魅力があることを認めないわけにはいかない。若い生命力がキラキラしている様を眺めることは,生存期間が限られている生体の一員としては,しかもその終期に近づいている者にとっては,何がなし安心感を覚えるものでもある。
● 前回は開演に先だって学校責任者の挨拶があった。それが,この演奏会が校内行事であるような印象を与えたものだが,今回はそれがなかった。
ない方がいいものがない,というのは大事なことだ。きちんと片づいた家屋のようなもの。せっかくの演奏会を散らかしちゃいけない。
今回のようにいきなり演奏が始まってくれると,演奏会はかくあるべしと思いますな。ユニバーサルっていうか,グローバルスタンダートに則っているっていうか。
● プログラムは3部構成。第1部は正統というかフォーマルな吹奏楽の演奏。演奏前に部員が曲の紹介をするスタイルは,前回と同じ。
まずはリード「アルメニアン・ダンス パート1」。最初から度肝を抜かれた。要するに,巧いんですよね。最前列にいるオーボエとフルートに気がいってしまうわけだけど,クラリネットもサクソフォンもラッパも太鼓も,何事かと言いたくなるほどに巧い。
同時に,巧いだけじゃない。
● 巧いというのがほめ言葉にならないことがあると思う。で,その「巧いだけじゃない」ってところを意を尽くして説明しなければいけないんだけど,これがね,ぼくの能力では言葉にしずらいっていいますかね,何なんだろ,ここまでになるのは大変だったろうなぁっていう,ここに至る過程に思いを向けさせるっていうか。
つまりは,うまく言えない。ただ,本質は「巧いだけじゃない」っていう方にある。
● 「もののけ姫セレクション」も,心に沁みてくるっていいますかね。曲もさることながら,演奏の功績だと思う。
長生淳「紺碧の波濤」では,フルートのソロがこちらの涙腺を刺激してくる。高校生に泣かされたんじゃ洒落にならないから,必死こいてこらえましたけどね。
● 第2部はバラエティ(ポップスステージ)。客席へのサービス。で,昨年もそうだったんだけど,この学校はそのサービスを過剰なほどにやる。演出が細かい。その細かいところまで手を抜かない。
たとえば,星出尚志「ダンシン・メガヒッツ」にダンサーを登場させる。もちろん難易度の高いダンスはさせない。なんだけど,踊り手が手を抜かないから,ダンスの見映えが崩れない。
● 演奏する側もリラックスして伸び伸びやってる感じ。ノリがいいっていうか。でもね,ノレるのは技術があるからだよね。こういうところでこそ,実力が露わになるわけで。
森田一浩編曲「サクソフォンとバンドのための青春の輝き」では,サクソフォンのソロがこれまた巧くてねぇ。しかも,見目麗しい。
それと,女子ドラマーが何気にかっこよかったね。
● 吹奏楽といっても,ハープも登場するし,エレキギターも出てくる。自分のパートだけできればいいってわけではなさそうなんですね。実際,いくつもの楽器を操れるようなんですな。
第3部はステージドリルってことになるんだろうけど,「ミス・サイゴン」を演奏。主役は太鼓なんだけど,パーカッションの担当奏者だけでやっていたのではないと思う。
● 最後の生徒(部長)の挨拶も立派なものだった。原稿なし。気持ちが見事に載っている。長さもちょうどいい。いわゆる挨拶でここまでのものを耳にする機会はめったにあるものではない。
下書きを作って,何度も練習したのかねぇ。まったくのアドリブでここまでできたら天才だけど,下書きとはいえ原稿を作ってしまうと,それに縛られてしまいそうだ。イメージトレーニングだけに押さえたのかなぁ。とか,いろいろと想像を逞しくさせる挨拶でしたね。
気持ちを載せさせるような出来事があったに違いないんだけど(それも挨拶の中で紹介されてた),この数分間の挨拶ができただけで,彼女の高校生活3年間のモトは取れたんじゃないかと思うほど。この挨拶をするために彼女の3年間はあった,みたいな。
● プログラムの冊子も楽しめるもの。ここでの主役は顧問の三橋英之先生。
副顧問格の若い先生やトレーナーの先生に,「二人とも早く温かい家庭を持ってほしいと願っています」などと,大きなお世話的なことまで書いているんだけど,面倒見のいい先生なんでしょうね。この先生なしには,この吹奏楽部のカラーもないのだろう。
● チケットにもプログラムにも,「超飛躍 己がやらなきゃだれがやる!!」の文字がおどっている。部是というか,スローガンというか。かくあれと先生が考えたのかなぁ。
世間全体を視野にいれると,自分がやらなくたって必要なことは誰かがやるし,その誰かの方が自分よりずっと巧くやる,ってのがリアルな見方だって気もするんだけど,小集団になるとそんな呑気なことは言ってられなくなるでしょうからねぇ。
● 客席は今回もほぼ満席。開演時には,1階の最前列から数列と3階席に空席があったものの,途中で埋まった。
これだけの観客を作新学院の関係者だけで埋められるはずはないと思うんだけど,でも大方はその関係者だったようでもある。さすがは作新の動員力というべきだろう。
3連休の最終日の昼に時間を空けて,会場まで自分を運んで行って,いくばくかの入場料を払って,2時間半ほどジッとして聴くに値する(もしくは,それ以上に価値のある)演奏会だと思った。
2013.10.13 マロニエ交響楽団第2回定期演奏会
宇都宮市文化会館 大ホール
● マロニエ交響楽団の2年ぶり,2回目の演奏会。2年前の清新な印象はくっきりと残っている。今回はオールロシア。ショスタコーヴィチ「祝典序曲」,ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」,チャイコフスキー「交響曲第4番」。
● 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。指揮は北原幸男さん,ソリストは広瀬悦子さん。これを1,000円で聴けるというのは,何ともお得。
なんだけど,客席の半分は空いていた。この時期は地方でも同じような催事が重なるからね。お客さんが割れてしまう。この日は県総合文化センターでもけっこう惹かれるのがあって,ぼくもどちらにしようか迷ったから。
これが1日でも違うと状況がまるで変わったりもするんだけど,企画の段階でそんな競合状況はわからないもんなぁ。運もありますね。
● 前回のメンバーがほぼ維持されている感じ。メインは宇都宮大学管弦楽団のOB・OGの俊英たち。
プログラムに載っている代表者あいさつによると,練習期間は6ヶ月。
● これまたプログラムの曲目解説によれば,「祝典序曲」は数日で作曲したものらしい。この時点でスターリンはすでにこの世にいなかった。とすれば,ショスタコーヴィチは命の心配をする必要はなくなっていたろうから,清々しかったというか,明るい日ざしが射しこんできたような気分だったかなぁ。
危なげのない演奏でスタート。
● ラフマニノフのピアノ協奏曲っていうと,昨年11月に聴いたキエフ国立交響楽団の演奏を思いだしてしまう。あのときのピアノはウラジーミル・ミシュク。演奏したのは第2番だったんだけど,オケとピアノがかみ合わなかった。ザラッとした感じが残ってしまった。
で,今回の第3番の方がずっといいと感じた。心地いいんですよね。ステージから客席に伝わるものの質量って,技術だけでは決まらない。
● 広瀬さんのピアノから感じたのは,まずパワー。ほんとに女なのかよ,っていうかさ。パワーできっちり主役を張る。
これだけのビッグネームをソリストに迎えても,当然ながらというか,管弦楽に臆したところはない。自分たちの仕事をした。木管がそれぞれに奮戦健闘。
あるいは,ソリストに引っぱられたってところもあるのかねぇ。この曲はソリストにとってもオケにとっても相当な難曲なんだろうけど。
● チャイコフスキーの4番。この曲を生で聴くのはこれが4回目になる。曲はまず聴くのがいいと思っている。予備知識を持たないで,まず聴いてみること。曲目解説を読むのはその後でいい。
けれども,4回目ともなれば,たんに聴くことを繰り返してるのは逆にねぇ。で,プログラムの曲目解説をじっくり読んで,なるほどこういう曲なのか,と。ストーリーとか背景が頭に入ると,それなりの聴き方ができるのかも。
が,このあたりはよくわからない。正しい聴き方なんてのがあるとも思えないし。曲に自分が寄り添うんじゃなくて,曲を強引に自分に引き寄せて聴く,っていうのもありそうな気がしている。
● 指揮者の北原さん,紳士ぶりが堂に入っている。女性ソリストの送迎とかね。こういうのって簡単にできそうで,なかなかできないものじゃないですか。どっかでギクシャクが出ちゃうっていいますかね。
そこを見事なエスコート。もっとも,あの体型とあの顔だからこそ,かもしれないんだけどね。
● 次の演奏会はいつになるんだろうか。急ぐことはない。ゆっくり進めばいいと思う。
● マロニエ交響楽団の2年ぶり,2回目の演奏会。2年前の清新な印象はくっきりと残っている。今回はオールロシア。ショスタコーヴィチ「祝典序曲」,ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」,チャイコフスキー「交響曲第4番」。
● 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。指揮は北原幸男さん,ソリストは広瀬悦子さん。これを1,000円で聴けるというのは,何ともお得。
なんだけど,客席の半分は空いていた。この時期は地方でも同じような催事が重なるからね。お客さんが割れてしまう。この日は県総合文化センターでもけっこう惹かれるのがあって,ぼくもどちらにしようか迷ったから。
これが1日でも違うと状況がまるで変わったりもするんだけど,企画の段階でそんな競合状況はわからないもんなぁ。運もありますね。
● 前回のメンバーがほぼ維持されている感じ。メインは宇都宮大学管弦楽団のOB・OGの俊英たち。
プログラムに載っている代表者あいさつによると,練習期間は6ヶ月。
● これまたプログラムの曲目解説によれば,「祝典序曲」は数日で作曲したものらしい。この時点でスターリンはすでにこの世にいなかった。とすれば,ショスタコーヴィチは命の心配をする必要はなくなっていたろうから,清々しかったというか,明るい日ざしが射しこんできたような気分だったかなぁ。
危なげのない演奏でスタート。
● ラフマニノフのピアノ協奏曲っていうと,昨年11月に聴いたキエフ国立交響楽団の演奏を思いだしてしまう。あのときのピアノはウラジーミル・ミシュク。演奏したのは第2番だったんだけど,オケとピアノがかみ合わなかった。ザラッとした感じが残ってしまった。
で,今回の第3番の方がずっといいと感じた。心地いいんですよね。ステージから客席に伝わるものの質量って,技術だけでは決まらない。
● 広瀬さんのピアノから感じたのは,まずパワー。ほんとに女なのかよ,っていうかさ。パワーできっちり主役を張る。
これだけのビッグネームをソリストに迎えても,当然ながらというか,管弦楽に臆したところはない。自分たちの仕事をした。木管がそれぞれに奮戦健闘。
あるいは,ソリストに引っぱられたってところもあるのかねぇ。この曲はソリストにとってもオケにとっても相当な難曲なんだろうけど。
● チャイコフスキーの4番。この曲を生で聴くのはこれが4回目になる。曲はまず聴くのがいいと思っている。予備知識を持たないで,まず聴いてみること。曲目解説を読むのはその後でいい。
けれども,4回目ともなれば,たんに聴くことを繰り返してるのは逆にねぇ。で,プログラムの曲目解説をじっくり読んで,なるほどこういう曲なのか,と。ストーリーとか背景が頭に入ると,それなりの聴き方ができるのかも。
が,このあたりはよくわからない。正しい聴き方なんてのがあるとも思えないし。曲に自分が寄り添うんじゃなくて,曲を強引に自分に引き寄せて聴く,っていうのもありそうな気がしている。
● 指揮者の北原さん,紳士ぶりが堂に入っている。女性ソリストの送迎とかね。こういうのって簡単にできそうで,なかなかできないものじゃないですか。どっかでギクシャクが出ちゃうっていいますかね。
そこを見事なエスコート。もっとも,あの体型とあの顔だからこそ,かもしれないんだけどね。
● 次の演奏会はいつになるんだろうか。急ぐことはない。ゆっくり進めばいいと思う。
2013年10月8日火曜日
2013.10.06 松本俊明 トーク&ピアノミニコンサート
栃木県総合文化センター サブホール
● 開演は午後3時。「とちぎ未来づくり財団」が無料で催行するもの。入場料を取ってメインホールでやっても成立するんだろうけど,今回は整理券方式でサブホール。
● 「あの名曲たちがうまれるまで」という副題が付いている。作曲の秘訣とかを聞けるのかなと思っちゃったりして。
が,秘訣などというものがあるのかどうか。あったとしても,クリエイターがそれを意識化,定式化できるものかどうか。
● Everything,この夜を止めてよ,Someone's calling,月の庭,永遠,琥珀色の記憶,グラスホッパー物語,幸せをフォーエバー,passion cacche,ベルベットノワール,消えた約束,を演奏。アンコールは,「明日へ」。
途中,トークコーナーや質問コーナーをはさんで,2時間半のコンサート。ミニじゃなくて,存分に堪能できる本格的なコンサートだった。
● ステージに登場した松本さんの印象は,何ていうか,規則正しい生活をしている人だな,っていうもの。朝まで飲み明かすとか,遊び呆けるとか,そういう放縦さとは無縁な人のような感じ。
この業界でも無頼派は影を潜めているのかもしれない。
● ていねいに慈しむようにして,ピアノを弾く。クラシックより訴えてくるものがあるとも感じた。
っていうか,曲からイメージや映像を浮かべやすいんですね。タイトルもその手助けをしてくれる。ポップス的というか(ってか,ポップスなんだろうけど)。
● アーティストが輝くように,それを第一に考えて曲を作っている。自身のアルバム「ピアノイア」について,ピアノに歌わせるつもりで作った,とも語った。
実際,そうなのだろうなぁと思わせる弾き方なんですねぇ。
● 質問コーナーでは多くを語ってくれた。次のようなこと。
● 驚いたのは,お題いただきますコーナー。客席から出されたお題に即した曲を即興で作るというもの。で,その題が「小学3年 女子」。
ソッコー弾き始めた彼のピアノの中で,たしかに小学3年生の女の子が飛び跳ねているんだよねぇ。男の子ではなくて,女の子がね。
彼にとっては造作もないことのように見えたんだけど,ぼくらから見たら驚天動地。彼の中にはいろんな音のパーツがぎっしり詰まっていて,イメージに合ったものがポンポンでてくるんでしょうかねぇ。
あと,たぶん,曲を作るときの型のようなものがあるんでしょうね。型にはめる感じでパーツを取りだしてくる,っていう。バッハ的というかなぁ。
● 前半と後半で衣装を替え,アンコールはまた別の衣装で登場した。サービス業に身を置いている人なんだなぁと思った。
サービス精神がハンパない。律儀だし,手を抜かない。むしろ,過剰にやる。
● 女性性を豊富にたたえている。両性具有的な。感情の表出をためらわないし,感激屋でもあるようだ。ひょっとすると,泣き虫かもしれない。アンコールの「明日へ」を弾いているときには,泣いているようにも見えた。被災地への感情移入のゆえだろうか。
曲を作るうえでの秘訣を求めるとすれば,どうやらこのあたりではあるまいか。
● 開演は午後3時。「とちぎ未来づくり財団」が無料で催行するもの。入場料を取ってメインホールでやっても成立するんだろうけど,今回は整理券方式でサブホール。
● 「あの名曲たちがうまれるまで」という副題が付いている。作曲の秘訣とかを聞けるのかなと思っちゃったりして。
が,秘訣などというものがあるのかどうか。あったとしても,クリエイターがそれを意識化,定式化できるものかどうか。
● Everything,この夜を止めてよ,Someone's calling,月の庭,永遠,琥珀色の記憶,グラスホッパー物語,幸せをフォーエバー,passion cacche,ベルベットノワール,消えた約束,を演奏。アンコールは,「明日へ」。
途中,トークコーナーや質問コーナーをはさんで,2時間半のコンサート。ミニじゃなくて,存分に堪能できる本格的なコンサートだった。
● ステージに登場した松本さんの印象は,何ていうか,規則正しい生活をしている人だな,っていうもの。朝まで飲み明かすとか,遊び呆けるとか,そういう放縦さとは無縁な人のような感じ。
この業界でも無頼派は影を潜めているのかもしれない。
● ていねいに慈しむようにして,ピアノを弾く。クラシックより訴えてくるものがあるとも感じた。
っていうか,曲からイメージや映像を浮かべやすいんですね。タイトルもその手助けをしてくれる。ポップス的というか(ってか,ポップスなんだろうけど)。
● アーティストが輝くように,それを第一に考えて曲を作っている。自身のアルバム「ピアノイア」について,ピアノに歌わせるつもりで作った,とも語った。
実際,そうなのだろうなぁと思わせる弾き方なんですねぇ。
● 質問コーナーでは多くを語ってくれた。次のようなこと。
・旅先ではなく,帰ってから思いだしているときに曲想がわく。
・サビだけ,尻尾だけという部分を作って,最後にコラージュ的に組み合わせるというやり方はしない。全部つくる。途中でいきづまったら捨てる。
・他人の曲を聴くと影響されるからと聴かない人もいるけれども,自分はいろんなものを聴くことにしている。それが自分の中で溜まって混ざって,自分のものとして出てくればいい。
・スポーツでも演奏でも,練習しないと腕が鈍る。作曲も同じで,しばらく離れてしまうと感覚がおかしくなる。だから,依頼がなくても作ることもある。
・一番大事なことはやはり努力ではないだろうか。努力といっても,好きなことなら苦労ではない。特に,秘訣っぽいものはないですよね。普通っちゃ普通のこと。普通をきっちりできることを非凡というのかもしれないね。
● 驚いたのは,お題いただきますコーナー。客席から出されたお題に即した曲を即興で作るというもの。で,その題が「小学3年 女子」。
ソッコー弾き始めた彼のピアノの中で,たしかに小学3年生の女の子が飛び跳ねているんだよねぇ。男の子ではなくて,女の子がね。
彼にとっては造作もないことのように見えたんだけど,ぼくらから見たら驚天動地。彼の中にはいろんな音のパーツがぎっしり詰まっていて,イメージに合ったものがポンポンでてくるんでしょうかねぇ。
あと,たぶん,曲を作るときの型のようなものがあるんでしょうね。型にはめる感じでパーツを取りだしてくる,っていう。バッハ的というかなぁ。
● 前半と後半で衣装を替え,アンコールはまた別の衣装で登場した。サービス業に身を置いている人なんだなぁと思った。
サービス精神がハンパない。律儀だし,手を抜かない。むしろ,過剰にやる。
● 女性性を豊富にたたえている。両性具有的な。感情の表出をためらわないし,感激屋でもあるようだ。ひょっとすると,泣き虫かもしれない。アンコールの「明日へ」を弾いているときには,泣いているようにも見えた。被災地への感情移入のゆえだろうか。
曲を作るうえでの秘訣を求めるとすれば,どうやらこのあたりではあるまいか。
2013年10月7日月曜日
2013.10.05 甲斐摩耶&海野幹雄デュオコンサート
宇都宮市文化会館 小ホール
● 「うつのみや文化創造財団」が主催するムジカストリートシリーズの一環。座席指定で500円。その座席なんだけど,販売対象は前方の4分の1で,残りは招待客。
その招待客というのが小学生。休みなのになんでこんなところに連れてこられなきゃいけないんだよ,っていうのが彼らの本音かもね。引率の先生方もご苦労なことだ。
● これがつまり,ムジカストリートシリーズなのかもしれないけれど,高校生の修学旅行を連想してしまった。栃木県の高校生は今でも京都に行くことが多いのだろうか(北海道とか沖縄になっているのか)。ぼくのときは京都だった。当然,多くの寺社を巡ったはずだ。が,その記憶はとうの昔に脱落している。というか,最初から記憶に入らなかったのだと思う。
並みの高校生が寺や神社を見て何か感じたり,はるかな歴史に思いを馳せたりするはずがない。正確には,できるはずがない。ひたすら疲れるだけで終わる。
● 修学旅行で連れていかなくても,そうしたものに興味を持つ人は,持つべきときにきちんと持つようになる。持たない人は一生持たない。それでいいではないか。
興味や関心を向ける対象は,寺社以外にも無数にあるわけで,どれに興味を向けてどれには向けないか,それは個々の生徒に任せればいいことだ。大人が指し示してやる必要はない。示したところで効果もない。もっといえば,指し示せるだけの見識のある大人は,たぶん,めったにいないはずだ。
慣習に流されての校内行事であることくらい,高校生ならわかる。あれは生徒にとっても教師にとっても壮大な徒労であったと思う。
● このホールにいる小学生たちもまた同じだろう。生の音楽に触れさせれば何かを感じてもらえると考えるのは,いくらなんでもナイーヴに過ぎるだろう。
ひょっとすると,音楽は情操を育むなどと考えているのだろうか。一般的な命題として,これが成立するかといえば,明らかに否だ。もしそれが成立するならば,演奏する側にいる人間は例外なく,豊かな情操なるものを持っていることになる。
しかし,それはぼくの経験則に反する。演奏する人としない人,音楽を聴く人と聴かない人の間に,情操云々について差異があるとは思えない。音楽が情操を培うというのは,なにかのスポーツに打ちこんだ人は健全な精神を獲得するというのと同様に,ほとんど幻想だろう。
● つまるところ,大人が作為したものは,だいたいダメだ。あてと褌は向こうから外れる,としたものだ。
音楽に興味を持つ子は勝手に持つようになる。環境が大事だといってみたところで,こうした催事を1回や2回やってみても,環境を動かしたことにはならない。
● と書いてきて,いや待てよ,そうでもないのかもしれないぞ,と思えてきた。
もう半世紀近くも前になるけれど,『二十歳の原点』というベストセラーがあった。自殺した大学生の日記だね。彼女は修学旅行で京都に行って,京都に惹かれ,立命館大学に入学したのだった。そういうこともあるわけだ。
この催事に連れてこられた子のなかで,一人か二人,音楽なり楽器なりに対してオヤッと思う子がいれば,それは成功と呼ばれるべきなのかもしれない。
● で,お子さまたち,演奏中は静かにしていた。相当な忍耐を強いられたに違いない。よくぞ耐えたものだ。偉いなぁと思った。
以上は余談。
● 開演は午後2時。奏者は甲斐さんと海野さんのほかに,ピアノの海野春絵さん。事情がどうあれ,この3人の演奏をわずか500円で聴ける。ためらわず,その実を取りに行った。
まず,チェロの独奏から。バッハの無伴奏チェロ組曲第1番から「プレリュード」「サラバンド」「ジーグ」。次いでヴァイオリン独奏。同じくバッハの無伴奏パルティータ第3番の「ガヴォット」。
ねぇ,曲にも奏者にも文句はないけれど,これ,けっこう音楽好きな大人にとっても厳しくないですか。これらを楽しめる人って,相当な上級者だと思うんですけど。
● しかし,工夫はしているわけで,全部を演奏するのではなくて,抜粋であること。演奏時間を短くしている。もうひとつは,曲間に,甲斐さんと海野さんのトークを入れたこと。
このトークで教えられたこともある。ベートーヴェンが「田園」について,絵画的に表現したのではなく,どんな情景を思い浮かべるかは鑑賞者の想像にお任せすると言っていたこと。自分は感情を表現しただけだ,と。
ホントか。曲を聴いて頭に情景が浮かぶ唯一の曲がこの「田園」なんですけど。これは絵画的に表現したものではなかったのか。
● 甲斐さん,男性性が適度に入っていて,魅力的。職場にこういう女子社員がいると,グッと雰囲気が良くなるだろうな。気が利いて,さばけていて,頭の回転が速くて。ぼく的にはひとつの理想型。もっとも,そうした女性からぼくは相手にされたことがない。ハナもひっかけてもらえない。修行中の身だ。
海野さんは,逆に女性性がこれまた適度にあって,そうでなければ音楽はやれないのかもしれない。
● ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第2番から第3楽章。ここでピアノの海野春絵さんが登場。
ベートーヴェンのヴァイオリンソナタは,5番以降はわりとCDで聴くんだけど,2番はあまり聴いたことがない。っていうか,初めてかもしれない。
● クララ・シューマンの「3つのロマンス」の第1曲とロベルト・シューマンの同じく「3つのロマンス」の第2曲。チェロとピアノ。
シューマン夫妻からぼくは高村光太郎・智恵子を連想する。芸術家どうしが結婚すると,どちらかが(たいていは妻の方が)自分の才能を殺して相手を助けることになる。智恵子が精神を病んだのは,実家が破産したとかの事情もあったのかもしれないけれども,自分を殺して光太郎を助けることの手応えのなさにあったのではないかと,何の根拠もなく想像している。
光太郎は智恵子に対してわがままと横暴が過ぎたのではないか。智恵子の才能を認めるところが少なかったのではないか。要するに,甘ちゃんの子供だったのではないか。たぶん,自尊心だけが肥大した,ちょっと醜悪な。
● その点,クララは幸運だった。と同時に不幸だった。夫の方が追い詰められてしまったからね。もっとも,その点についてクララに責任はない。
10年間に8人の子どもを産んだ。妊娠していなかった期間がない。その間,自分の仕事をし,夫を助け,夫の死後は夫の作品を整理し,76歳で亡くなった。
彼女の生いたちも幸せだったとは思いにくい。いや,本人にすればそうでもないのか。
● ヴァイオリンとチェロで,シベリウスの「水滴」とシューベルトの「魔王」。
「水滴」はシベリウス9歳の作とのこと。ピチカートのみで,ポンポンポンと水滴が地面(じゃないかもしれないけど)を打つ音を表現。間違いなく聴くに耐える。
● このコンサートの前に,お三方は,宇都宮市内の瑞穂野中,宇都宮東高附属中,岡本西小,県立盲学校で実地指導をしているとのことだった。会場のお子さまたちは,その指導を受けた生徒たちだったのかもしれない。
とすると,先に書いたことは全面的に取り消さないといけないかも。すでに音楽に何らかの関心を持っていた生徒たちだったってことだからね。
そういう生徒たちならば,この3人の先生に指導を受けることができるのは,(名選手が必ずしも名コーチとは限らないとしても)大いなる幸運だったかもね。
● 休憩後は,ブラームスのピアノ三重奏曲第1番を,今度は全曲演奏。
男が女に勝っている(勝り得る可能性がある)能力は集中力と瞬発力だけで,あとは万事,女が上。ぼくはそう思っている。女性が集中力を獲得すれば,鬼に金棒。
で,甲斐さんの集中に脱帽。海野さんが合わせていくというふうだった。これはこれでリーダーの貫禄というもの。
ずっしりと聴きごたえのある演奏で,聴き終えたあとの満足感も半端なし。
● 「うつのみや文化創造財団」が主催するムジカストリートシリーズの一環。座席指定で500円。その座席なんだけど,販売対象は前方の4分の1で,残りは招待客。
その招待客というのが小学生。休みなのになんでこんなところに連れてこられなきゃいけないんだよ,っていうのが彼らの本音かもね。引率の先生方もご苦労なことだ。
● これがつまり,ムジカストリートシリーズなのかもしれないけれど,高校生の修学旅行を連想してしまった。栃木県の高校生は今でも京都に行くことが多いのだろうか(北海道とか沖縄になっているのか)。ぼくのときは京都だった。当然,多くの寺社を巡ったはずだ。が,その記憶はとうの昔に脱落している。というか,最初から記憶に入らなかったのだと思う。
並みの高校生が寺や神社を見て何か感じたり,はるかな歴史に思いを馳せたりするはずがない。正確には,できるはずがない。ひたすら疲れるだけで終わる。
● 修学旅行で連れていかなくても,そうしたものに興味を持つ人は,持つべきときにきちんと持つようになる。持たない人は一生持たない。それでいいではないか。
興味や関心を向ける対象は,寺社以外にも無数にあるわけで,どれに興味を向けてどれには向けないか,それは個々の生徒に任せればいいことだ。大人が指し示してやる必要はない。示したところで効果もない。もっといえば,指し示せるだけの見識のある大人は,たぶん,めったにいないはずだ。
慣習に流されての校内行事であることくらい,高校生ならわかる。あれは生徒にとっても教師にとっても壮大な徒労であったと思う。
● このホールにいる小学生たちもまた同じだろう。生の音楽に触れさせれば何かを感じてもらえると考えるのは,いくらなんでもナイーヴに過ぎるだろう。
ひょっとすると,音楽は情操を育むなどと考えているのだろうか。一般的な命題として,これが成立するかといえば,明らかに否だ。もしそれが成立するならば,演奏する側にいる人間は例外なく,豊かな情操なるものを持っていることになる。
しかし,それはぼくの経験則に反する。演奏する人としない人,音楽を聴く人と聴かない人の間に,情操云々について差異があるとは思えない。音楽が情操を培うというのは,なにかのスポーツに打ちこんだ人は健全な精神を獲得するというのと同様に,ほとんど幻想だろう。
● つまるところ,大人が作為したものは,だいたいダメだ。あてと褌は向こうから外れる,としたものだ。
音楽に興味を持つ子は勝手に持つようになる。環境が大事だといってみたところで,こうした催事を1回や2回やってみても,環境を動かしたことにはならない。
● と書いてきて,いや待てよ,そうでもないのかもしれないぞ,と思えてきた。
もう半世紀近くも前になるけれど,『二十歳の原点』というベストセラーがあった。自殺した大学生の日記だね。彼女は修学旅行で京都に行って,京都に惹かれ,立命館大学に入学したのだった。そういうこともあるわけだ。
この催事に連れてこられた子のなかで,一人か二人,音楽なり楽器なりに対してオヤッと思う子がいれば,それは成功と呼ばれるべきなのかもしれない。
● で,お子さまたち,演奏中は静かにしていた。相当な忍耐を強いられたに違いない。よくぞ耐えたものだ。偉いなぁと思った。
以上は余談。
● 開演は午後2時。奏者は甲斐さんと海野さんのほかに,ピアノの海野春絵さん。事情がどうあれ,この3人の演奏をわずか500円で聴ける。ためらわず,その実を取りに行った。
まず,チェロの独奏から。バッハの無伴奏チェロ組曲第1番から「プレリュード」「サラバンド」「ジーグ」。次いでヴァイオリン独奏。同じくバッハの無伴奏パルティータ第3番の「ガヴォット」。
ねぇ,曲にも奏者にも文句はないけれど,これ,けっこう音楽好きな大人にとっても厳しくないですか。これらを楽しめる人って,相当な上級者だと思うんですけど。
● しかし,工夫はしているわけで,全部を演奏するのではなくて,抜粋であること。演奏時間を短くしている。もうひとつは,曲間に,甲斐さんと海野さんのトークを入れたこと。
このトークで教えられたこともある。ベートーヴェンが「田園」について,絵画的に表現したのではなく,どんな情景を思い浮かべるかは鑑賞者の想像にお任せすると言っていたこと。自分は感情を表現しただけだ,と。
ホントか。曲を聴いて頭に情景が浮かぶ唯一の曲がこの「田園」なんですけど。これは絵画的に表現したものではなかったのか。
● 甲斐さん,男性性が適度に入っていて,魅力的。職場にこういう女子社員がいると,グッと雰囲気が良くなるだろうな。気が利いて,さばけていて,頭の回転が速くて。ぼく的にはひとつの理想型。もっとも,そうした女性からぼくは相手にされたことがない。ハナもひっかけてもらえない。修行中の身だ。
海野さんは,逆に女性性がこれまた適度にあって,そうでなければ音楽はやれないのかもしれない。
● ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第2番から第3楽章。ここでピアノの海野春絵さんが登場。
ベートーヴェンのヴァイオリンソナタは,5番以降はわりとCDで聴くんだけど,2番はあまり聴いたことがない。っていうか,初めてかもしれない。
● クララ・シューマンの「3つのロマンス」の第1曲とロベルト・シューマンの同じく「3つのロマンス」の第2曲。チェロとピアノ。
シューマン夫妻からぼくは高村光太郎・智恵子を連想する。芸術家どうしが結婚すると,どちらかが(たいていは妻の方が)自分の才能を殺して相手を助けることになる。智恵子が精神を病んだのは,実家が破産したとかの事情もあったのかもしれないけれども,自分を殺して光太郎を助けることの手応えのなさにあったのではないかと,何の根拠もなく想像している。
光太郎は智恵子に対してわがままと横暴が過ぎたのではないか。智恵子の才能を認めるところが少なかったのではないか。要するに,甘ちゃんの子供だったのではないか。たぶん,自尊心だけが肥大した,ちょっと醜悪な。
● その点,クララは幸運だった。と同時に不幸だった。夫の方が追い詰められてしまったからね。もっとも,その点についてクララに責任はない。
10年間に8人の子どもを産んだ。妊娠していなかった期間がない。その間,自分の仕事をし,夫を助け,夫の死後は夫の作品を整理し,76歳で亡くなった。
彼女の生いたちも幸せだったとは思いにくい。いや,本人にすればそうでもないのか。
● ヴァイオリンとチェロで,シベリウスの「水滴」とシューベルトの「魔王」。
「水滴」はシベリウス9歳の作とのこと。ピチカートのみで,ポンポンポンと水滴が地面(じゃないかもしれないけど)を打つ音を表現。間違いなく聴くに耐える。
● このコンサートの前に,お三方は,宇都宮市内の瑞穂野中,宇都宮東高附属中,岡本西小,県立盲学校で実地指導をしているとのことだった。会場のお子さまたちは,その指導を受けた生徒たちだったのかもしれない。
とすると,先に書いたことは全面的に取り消さないといけないかも。すでに音楽に何らかの関心を持っていた生徒たちだったってことだからね。
そういう生徒たちならば,この3人の先生に指導を受けることができるのは,(名選手が必ずしも名コーチとは限らないとしても)大いなる幸運だったかもね。
● 休憩後は,ブラームスのピアノ三重奏曲第1番を,今度は全曲演奏。
男が女に勝っている(勝り得る可能性がある)能力は集中力と瞬発力だけで,あとは万事,女が上。ぼくはそう思っている。女性が集中力を獲得すれば,鬼に金棒。
で,甲斐さんの集中に脱帽。海野さんが合わせていくというふうだった。これはこれでリーダーの貫禄というもの。
ずっしりと聴きごたえのある演奏で,聴き終えたあとの満足感も半端なし。
2013年10月3日木曜日
2013.10.02 間奏34:YouTubeの恩恵
● YouTube以外にもあるんだと思うんだけど,とりあえずYouTubeで代表させて。
要するに,音源はほとんどここにあるじゃないかってことなんですけどね。今さらですけど。
● 先月28日に須川展也さんのサクソフォンでピアソラの「リベルタンゴ」を聴いて,この曲をほかの楽器の演奏でも聴いてみたいと思った。
まず頭に浮かんだのはCDを集めてみようかってこと。のだが,YouTubeがあるじゃないか,と。で,YouTubeに行ったところ,ヴァイオリン,チェロ,ピアノなど,何人もの演奏がアップされている。しかも,錚々たる演奏家のものが。
● スマホでもって,9つばかり,音声のみをダウンロード。次々に聴いていった。1日聴きまくったら,さすがに気がすんだっていうか,食傷してきた感じ。
でもさ,CDでこれだけ集めようと思ったら,相当な手間だ。その手間を省けるのはやはり大いなる恩恵というしかない。しかも,費用も省けるんだから。
● 音質の問題はあるんだと思う。思うんだけど,CDをリッピングしてiPodやスマホで聴くのが平気な人なら(ぼくもそのひとりだけれども),YouTubeの音質が深刻な問題になることはないのじゃないか。
● 管弦楽曲はほとんどYouTubeにあるんじゃないだろうか。DVDになっているものもあげられている。映像ごとでも音声だけでもダウンロードできるんだから,いや,便利。
昔を知る者にとっては,まったくとんでもない時代になったものだ。ひとりひとりに宝の山が与えられたようなものだ。
● アーノンクールの指揮でヨーロッパ室内管弦楽団が演奏するモーツァルトのジュピターを,動画付きで聴くことができ,同じくレクイエムをカラヤンの指揮ぶりを見ながら聴くことができる。
劇場の臨場感を味わえるとはとてもいかないにしても,ほんの数年前までは考えられなかったことだ。IT技術の発達と著作権切れの恩恵ですかな。
● できれば,オペラもYouTubeで観られるとありがたいんだけど,こちらはまだそうなっていないようだ。
現状でも,音声だけでよければ,マリア・カラスがヴィオレッタを演じている「椿姫」を(全曲ではないけれど)聴くことができる。字幕も表示される。
映画版の映像ならいくつかある。が,映像の場合,日本語の字幕が出ない。でも,たぶん,時間の問題だろう。
● この分野の進歩の速さからすれば,もっと高音質・高画質のものをYouTubeで楽しめる時期が,さほど遠くない将来に来るのだろう。
すごいぞ。年をとって出歩けなくなっても,パソコン(orタブレット・スマートフォン)とイヤホンがあれば,何も心配いらないぞ。養老院も怖くないぞ。
って,耳が聞こえなくなってしまったらどうにもならないか。ぼく,この心配をしなければいけないかも。
● レコードをターンテーブルに載せる。CDをプレーヤーにセットする。そういったかすかな儀式性を有する動作にこのうえないノスタルジアを感じる人にとっては,味気ないといえば味気ないのかもしれない。ぼくには,幸か不幸か,それがない。
もっというと,ブツなんかどうだっていいと思うタイプ。ブツそれ自体にまつわる記憶や情緒は消されたってかまわない。コンテンツだけ取りだして,ハードディスクなりクラウドに置いておければ,その容器であるブツはない方がいい。
要するに,音源はほとんどここにあるじゃないかってことなんですけどね。今さらですけど。
● 先月28日に須川展也さんのサクソフォンでピアソラの「リベルタンゴ」を聴いて,この曲をほかの楽器の演奏でも聴いてみたいと思った。
まず頭に浮かんだのはCDを集めてみようかってこと。のだが,YouTubeがあるじゃないか,と。で,YouTubeに行ったところ,ヴァイオリン,チェロ,ピアノなど,何人もの演奏がアップされている。しかも,錚々たる演奏家のものが。
● スマホでもって,9つばかり,音声のみをダウンロード。次々に聴いていった。1日聴きまくったら,さすがに気がすんだっていうか,食傷してきた感じ。
でもさ,CDでこれだけ集めようと思ったら,相当な手間だ。その手間を省けるのはやはり大いなる恩恵というしかない。しかも,費用も省けるんだから。
● 音質の問題はあるんだと思う。思うんだけど,CDをリッピングしてiPodやスマホで聴くのが平気な人なら(ぼくもそのひとりだけれども),YouTubeの音質が深刻な問題になることはないのじゃないか。
● 管弦楽曲はほとんどYouTubeにあるんじゃないだろうか。DVDになっているものもあげられている。映像ごとでも音声だけでもダウンロードできるんだから,いや,便利。
昔を知る者にとっては,まったくとんでもない時代になったものだ。ひとりひとりに宝の山が与えられたようなものだ。
● アーノンクールの指揮でヨーロッパ室内管弦楽団が演奏するモーツァルトのジュピターを,動画付きで聴くことができ,同じくレクイエムをカラヤンの指揮ぶりを見ながら聴くことができる。
劇場の臨場感を味わえるとはとてもいかないにしても,ほんの数年前までは考えられなかったことだ。IT技術の発達と著作権切れの恩恵ですかな。
● できれば,オペラもYouTubeで観られるとありがたいんだけど,こちらはまだそうなっていないようだ。
現状でも,音声だけでよければ,マリア・カラスがヴィオレッタを演じている「椿姫」を(全曲ではないけれど)聴くことができる。字幕も表示される。
映画版の映像ならいくつかある。が,映像の場合,日本語の字幕が出ない。でも,たぶん,時間の問題だろう。
● この分野の進歩の速さからすれば,もっと高音質・高画質のものをYouTubeで楽しめる時期が,さほど遠くない将来に来るのだろう。
すごいぞ。年をとって出歩けなくなっても,パソコン(orタブレット・スマートフォン)とイヤホンがあれば,何も心配いらないぞ。養老院も怖くないぞ。
って,耳が聞こえなくなってしまったらどうにもならないか。ぼく,この心配をしなければいけないかも。
● レコードをターンテーブルに載せる。CDをプレーヤーにセットする。そういったかすかな儀式性を有する動作にこのうえないノスタルジアを感じる人にとっては,味気ないといえば味気ないのかもしれない。ぼくには,幸か不幸か,それがない。
もっというと,ブツなんかどうだっていいと思うタイプ。ブツそれ自体にまつわる記憶や情緒は消されたってかまわない。コンテンツだけ取りだして,ハードディスクなりクラウドに置いておければ,その容器であるブツはない方がいい。
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