2015年6月29日月曜日

2015.06.28 那須野が原ハーモニーホール サマー・フレッシュ・コンサート

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● このコンサートは那須野が原ハーモニーホールの定例行事になっている。昨年も行ったし,一昨年も行った。
 開演は午後2時。チケットは2,000円。座席は指定される。

● 第1部は「第83回日本音楽コンクール優勝者コンサート」。登場したのは,吉田南さん(ヴァイオリン)と佐藤晴真さん(チェロ)。
 お二人とも高校生だ。若い才能が次々に出てくるんだなと思わないわけにはいかない。どんどんひしめき合うイメージ。

● まず,吉田さん。演奏したのはモーツァルトの「ヴァイオリンと管弦楽のためのロンド ハ長調」。もちろん,管弦楽の代わりにピアノ伴奏になった。その伴奏を務めた女性,何度か聴いていると思うんだけど,名前がわからない。申しわけない。
 2曲目は,ガラッと曲調が変わって,サン=サーンスの「ワルツ形式の練習曲」。

● 桐朋女子高校のまだ2年生。演奏は,ぼくなんかの評価は歯牙にもかからない水準だと思う。弦を押さえる左手の動きなんか,神の手にしか見えなかった。
 「ワルツ形式の練習曲」は超絶技巧のオンパレードじゃないですか。ぼくがもし真似たら(真似られないけど),何度かヴァイオリンを取り落とすに違いない。

● 愛くるしさを残す顔立ちだけれども,これからどんどん美しくなっていくのだろう。
 そういうところも含かめて,まぶしい存在。快い敗北感を味わわせてくれるっていうか。

● 佐藤さんは,藝大附属の3年生。ブリテンの「無伴奏チェロ組曲第1番」を演奏。こういう曲を高校生が演奏するっていうこと自体が,なかなか腑に落ちないわけですよ。
 でも,腑に落ちようが落ちまいが,現に目の前で演奏している彼がいて,その音が聞こえてくるわけで。

● これは奏者にとってのみならず,聴き手にとっても難解な曲だと思う。佐藤さん自身が書いた曲目解説がプログラムに掲載されているんだけど,それを読まずに聴いたとしたら,「祈りよりももっと強烈で鮮明な平和への訴え」を聴き取ることはできないだろうと思う。
 初めてこの曲を聴いて,平和への訴えを読み取ることができるのは,作曲家が作曲したときの時空間を共有している(していた)人に限られそうだ。

● 聴いていると,勝手に脳内にイメージが浮かんでくる。渓流のような流れにもっと細い流れが何本も合流するというイメージだったり,星ひとつない漆黒の闇夜だったり。
 まぁ,でもブリテンがそういうイメージを描いて曲を作っているはずもないわけでね。

● 低く小さくうねっていく。奏者にはかなりの集中を強要する。長い曲だから,相当大変だろうと思われた。が,その低く小さいうねりが,客席には睡眠導入剤的な効果を発揮することもあったようだ。
 ピッツィカートもペチャッとしないで,ふくよかに立ちのぼってくる。この弾き手ならそんなの当然。気持ちがいいものだ。

● 第2部は「ラフマニノフとバッハ」。
 大嶋浩美さん(ピアノ)による「楽興の時」。ん,これのどこが楽興なんだ,と思う。重くてシリアス。むしろ苦悩を歌っているのかと思いましたよ。

● 組曲ともいえる長い曲で,聴きごたえは充分すぎる。ときに超絶技巧と思われるアクロバティックな弾き方もあるので,見てても面白い。
 面白いという言い方もどうかと思うんだけど(弾き手はそれどころじゃないだろうから),そこは聴き手の特権でしょうね。美しい弾き手の動きの変化を見て楽しむ,という。

● 続いて,金子鈴太郎さんのチェロ。バッハの無伴奏チェロ組曲の2番と6番。このコンサートのたびにバッハを演奏してきて,今回が最終回。これで無伴奏チェロ組曲のすべてを演奏したことになるんだろうか。
 で,以前の記憶はすでに朧なんだけども,今回が最もこちらに響いてきた。演奏側よりもこちらのコンディションとか座席の位置とか,そういうところによる部分が大きいんだろうと思っているんですけど。

● バッハの曲って,無伴奏チェロ組曲に限ったことではないんだけど,自分でも気づかない自分の琴線をやんわりと愛撫してくるような,そんな快感も感じさせてくれる。それでいて崇高だ。
 クラシック音楽の歴史はバッハから始まる? とすると,完成型から始まったことになりそうだ。あとは時代の空気が何かを削ったり,何かを付け加えたりしただけだとも思いたくなる。
 そこまで単純に言ってしまうと,知性の欠如をさらけ出しているようなものですかね。

● 金子さんが曲に向かう際の息づかい,踏みこむときの気の載せ方,演奏している最中の気分の調整。そういうものが,ヴィヴィッドに伝わってきた(伝わってきた気になっているだけかもしれない)。
 曲の解釈というけれど,奏者にとっての解釈は頭だけでは終わらないんだな。

● 演奏後の消耗ぶりも。2番はチューニングなしで通したけれども,6番では二度,チューニングを入れた。なぜそのタイミングでのチューニングだったか,金子さんにしかわからない。あるいは,金子さんにもわからないかもしれない。
 が,消耗と無関係ではなかったように思われた。

● 聴き終えたときには,こちらもグッタリと疲れていてね。こういう疲れるような聴き方は,聴き方として根本的に間違っているのではないかと思うんだけどねぇ。
 が,この時点で開演からすでに2時間を経過してたんで。これだけ高密度の演奏をずっと聴いていれば疲れますかねぇ。

● 第3部は「那須野が原の夏に歌う」。
 那須野が原ハーモニーホール合唱団による,フォーレ「レクイエム」。今年の3月にも同じ合唱団の同じ曲を聴いている。
 そのときと違ったのは,管弦楽がなかったこと。今回はオルガン伴奏で演奏された。そのオルガンは3月と同じジャン=フィリップ・メルカールト氏。ソプラノは横森由衣さん。バリトンは加耒徹さん。

● 三大レクイエムというけれど,たぶん,フォーレのこの曲が一番人気なのではあるまいか。少なくとも日本ではそうではないかと思う。
 モーツァルトやヴェルディに比べて,小体で洒落ている。アーバンチックで洗練されている。何より宗教臭が薄い。それやこれやで,聴く前のさぁ聴くぞという踏ん切りも大仰じゃなくてすむ。

● 合唱団はどこでもそうであるように,ここも女声優位。しかも圧倒的に。だから,いいとかよくないとか,そういう話ではない。こちらにとって,それは所与のものだ。
 実際の話,そうであっても,こちらに格別の不都合はないわけでね。

2015.06.27 作新楽音会 Dream Concert 2015

栃木県教育会館 大ホール

● 作新楽音会とは「作新学院高等学校吹奏楽部の卒業生によって結成された吹奏楽団」。ちなみに,OB・OGは1,117人にのぼるという。
 ただし,ざっと目には平均年齢はだいぶ若い。卒業して間もないOB・OGが多いようだ。現役の大学生もいるようだった。

● 仕事だけならまだしも,家庭まで持ってしまうと,なかなか演奏活動を継続するのもままならないのかもしれないし,社会人の吹奏楽団もいくつもあるわけだからそちらに参加している人もいるのかもしれない。
 ともかく,フレッシュ感あふれる吹奏楽団という印象。

● 司会進行もOGが務めた。真面目な進行で好感が持てた。巧くやろうとしていないところがね。

● 開演は午後2時。入場無料。
 2部構成で,第1部がシンフォニックステージで,第2部がポップスステージ。第1部の指揮は,OGの大貫茜さん。本職はサックス奏者。
 音大卒ではない。高校と大学の吹奏楽部で修行したようだ。

● 作新高校の吹奏楽部には三橋先生という熱血漢がいて,彼が求心力を発揮していると思われるのだけれども,三橋先生の前に顧問を務めていた石塚武男先生も第2部で登場。2曲ほど指揮棒を振った。
 この先生も魅力的な人だった。すでに退いている気楽さもあるのかもしれないし,たいていのことは言ってもやっても許される年齢になっていることもあるのかもしれない。飄々とした枯れた感じがとても良かった。
 が,指揮の最中は腕は上がるし,動きは機敏だ。プロの指揮者も長命な人が多いんだけど,指揮と長命は何か関係があるのかねぇ。指揮者って,もともと運動神経が優れた人じゃないと務まらないと思える。そういうことも影響してるんだろうか。

● その石塚先生が指揮した「オリーブの首飾り」が最も印象に残った。CMで使われているし,テレビでしょっちゅう聞いているメロディーが出てくるから,馴染み感があったのが一番の理由だろう。
 最後の「ラピュタ-キャッスル・イン・ザ・スカイ」も耳に残った。柔らかい感じを受けた。シルクの肌触りってやつ? 心地いいわけですよね。

● アンコールも2曲あって,石塚さんと三橋さんが,それぞれ指揮を務めた。聴いている分には,和気藹々とした楽団だなと思える。実際にはいろいろあるんだろうけど。
 っていうか,和気藹々だけだったら,成果品の水準も落ちるはずだよね。

2015年6月22日月曜日

2015.06.20 とちぎクラシック・カフェVol.3 奥村 愛

栃木県総合文化センター メインホール

● カフェ・マスターは山田武彦さん。言わずと知れた日本の代表するピアニスト(の一人)にして,洗足学園の教授も務める。
 常連マダムが松本志のぶさん。こちらも言わずと知れた元日テレアナウンサー。この二人がホスト役になって,毎回違ったゲストを迎えるという趣向。
 といっても,山田なさんは演奏もするわけなので,進行役は松本さんが主に担う形。

● で,今回のゲストは奥村愛さんですよ,と。ぼくはこのシリーズにお邪魔するのは初めてなんだけど,それもゲストが奥村さんだったからですよ,と。
 これまた言わずと知れた,日本の代表的なヴァイオリニストにして,ヴァイオリン界を代表する美形でありますね。

● プログラムは次のとおり。
 エルガー 朝の歌
 クライスラー 愛の喜び
 クライスラー 愛の悲しみ
 ドヴォルザーク(クライスラー編曲) スラヴ幻想曲
 クライスラー 前奏曲とアレグロ

 シュトラウス(山田武彦編曲) 「薔薇の騎士」ワルツ
 ヘス(加藤昌則編曲) ラヴェンダーの咲く庭で
 ブラームス(ハイフェッツ編曲) 5つのリートより第1番
 ヴィエニャフスキー 創作主題による華麗なる変奏曲

 (アンコール)
 チャップリン スマイル
 モンティ チャルダッシュ

● 「薔薇の騎士」ワルツのみ山田さんのピアノ独奏。あとは,山田さんの伴奏で,奥村さんのヴァイオリン。
 穏やかにあるいは軽やかに始まって,その軽やかさを損ねないようにしつつも,後半から徐々にシリアスさが勝ってくるという感じ。

● が,一気に頂点に駆けのぼった感があるのはアンコールの2曲。
 チャップリンの「スマイル」は映画『モダン・タイムス』で使用された曲というのは,事後に知ったこと。初めて聴いた。『モダン・タイムス』も見たことがない。モンティの「チャルダッシュ」は言うにや及ぶ。
 最後に頂点が来た。演奏してるほうはまた違うのかもしれないけれども,この組立ては計算されたものであることは言うまでもない。

● 合間合間にトークが入る。奥村さん,サラブレッドですよね。成るべくして成ったという感じ。
 もちろん,馬のサラブレッドだって,血統がよければ必ず活躍するかといえば,そんなことはないわけで,音楽界のサラブレッドも途中で消えていった人も多いに違いないとは思うんだけどね。

● 男は美人に弱い。これは間違いない。もっといけないのは,美人は弱いと受けとめがちなことだね。オレが助けてやらなきゃみたいなね。美人=深窓の令嬢=世間知らず=だまされやすい,的に考えてしまうんだな。
 実際はそんなことはないわけでね。奥村さんは涼やかな美人だけれども,弱くはない。っていうか,かなり強くてタフ。陽性の人という印象。普段の生活ではあけっぴろげで,あまり構えを作らない人のように思われた。

2015年6月16日火曜日

2015.06.14 宇都宮音楽集団第23回吹奏楽演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 昨年の第22回に次いで,今回が2回目。裏を返すのは礼儀といいますかね。じつのところ,返していないのもけっこうあったりするんだけど。
 チケットは当日券を購入。1,000円(前売券は800円)。開演は午後2時。

● 地元で開催される演奏会に限ってみても,全部をフォローするのはとても無理だ。管弦楽,吹奏楽,ピアノやヴァイオリンのリサイタル。
 中学生や高校生の演奏からプロのオーケストラまで。地元の奏者はもちろん,外国からやってくる著名な奏者やオーケストラもけっこう演奏してくれる。
 生の演奏に接する機会は,もう充分にある。

● それだけ,音楽好き,演奏好きが多いってことですよね。であればこそ,ぼくらはともかく生演奏を聴くことができるわけだけれども,逆にいうと,管弦楽にせよ吹奏楽にせよ,集客の厳しさっていうのは増すことはあれ,減ることはないように思われる。
 おそらく,それぞれに固定ファンがいるのだと思う。この楽団の演奏しか聴かないという頑なな固定ではないだろうけど。

● ともあれ。第1部は吹奏楽コンクールの課題曲から始まった。
 ここは毎回,演歌をひとつ,演奏するらしい。今回は八代亜紀の「舟唄」。こぶしまで再現できているような気がした。ブレスの使い方なんだろうか。

● NHK連ドラの主題歌をふたつ。「まれ」と「マッサン」。
 ぼくはテレビをまったく見ない生活をしているんだけど,「マッサン」の「麦の唄」のメロディーは何度か耳にしていたんでした。

● 第2部は「こわれた100のがっき」から始まった。新 理恵子さんの語りが入る。絵本の世界(絵+言葉)を音楽と語りで置き換えるという趣向? このパターンもしばらく続いているらしい。
 プロコフィエフの「ピーターと狼」があったりするから,この形は吹奏楽ならではってことでもないんだろうけど,そうはいっても吹奏楽の自在性というか,柔軟さが活きる形ではあるんでしょうね。
 ずっと続けているということは,この楽団の売りのひとつなのかもしれない。ということは,新さんもこの楽団の重要なメンバーということになる。

● リードの「オセロ」と,ピナの「バミューダ・トライアングル」。
 この2曲が聴いてる分には最も面白かった。「バミューダ・トライアングル」は最初のクラリネットのトレモロ(?)が耳に残る。
 曲じたいの魅力なんだと思うんだけど,その魅力を体現できる演奏でもあるわけだろう。

● 実際,相当に巧い。この楽団のホームページには,演奏技術は決してほめられたものではないといったことが書かれているけれども,いやいや,なかなかのものでしょ。
 って,ぼくが言ってもしょうがないんだけどさ。

● 管弦楽もそうだし,吹奏楽はいっそうそうだと思うんだけども,演奏を楽しむというのが最も高級な聴き方だと思う。
 ああだこうだと頭を先行させないで,ただ音の展開を楽しめばいい。身をゆだねればいい。もし,楽しめないような演奏だったら,秘かに苦情を申したてればいい。
 なんだか,そういう聴き方ができなくなっているんじゃないかと,少々反省するところがある。

2015年6月9日火曜日

2015.06.07 栃木県交響楽団第99回定期演奏会

宇都宮市文化会館 大ホール

● 今回に限らないんだけど,開場前にはいわゆる長蛇の列。ぼくは列の前のほうに並ぶことが多いんだけど,今回は後のほうになった。
 列を作っている人たちを眺めながら,世の中に暇な人って多いんだなぁと思った。当然,自分のことを棚にあげている。ぼくもその暇人のひとりっていうか,ひょっとしたらその筆頭かもしれない。

● 中には寸暇を惜しんでっていう人もいたかもしれないけれども,なんの,ほとんどの人は惜しむ必要もないほどに暇なんだと思うぞ。
 暇なればこそ,こういう演奏会に足を運ぶことができる。演奏会に限るまい。人生は暇であってこそ。

● 今回の曲目は次のとおり。指揮者は三原明人さん。開演は午後2時。チケットは1,200円(前売券)。
 メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」
 リスト 死の舞踏-「怒りの日」によるパラフレーズ
 ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」

● 交響曲が2つ。最近,こういった重量級のプログラムが多くなったような気がする。
 ともあれ,初っぱなはメンデルスゾーンの「イタリア」。CDでは数えきれないほど聴いている。クラシック音楽を聴こうと思っている人に最初に勧める曲として,ホ短調協奏曲は格好なものかもしれない。メンデルスゾーンは入っていきやすいという印象がある。
 適度に情緒がこもっている。曲に入っていきやすい気がする。

● 今回は対抗配置。「第九」を別にすれば,栃響が対抗配置を採るのは珍しいように思う。
 が,実際のところ,対抗配置だろうとストコフスキー配置だろうと,それによって音の聞こえ方が違ってくるかといえば,どうもぼくにはピンと来ないところもあってね。
 並べやすいように並べればいいじゃん,っていうくらいにしか思っていない。まことに聴かせがいのない聴衆(のひとり)であるな。

● 以前は栃響を侮っていたかもしれない。オヤッと思ったのは,2012年の「第九」演奏会から。以後,栃響の演奏水準には一切の文句をさしはさまないことにしている。
 今回も同様であって,こういう演奏をしてくれれば,観客が離れていくことはないように思われる。

● リストの「死の舞踏」。ステージの空気が一変した。そりゃそうだ。まったく違う曲調の演奏が始まったんだからね。
 ソリスト(ピアノ)は阿久澤政行さんで,彼のピアノはもう何度か聴く機会を得ている。
 ぼくなんぞには,ビッグネームのピアニストと彼との違いはわからない。見事に何もわからない。
 非常に洗練されているという印象を受ける。緩急自在はさすがにプロという感じ。ときに慈しむように,ときに何者かに挑むように。主張しすぎず,けれども存在感はある。オーケストラとの調和もいい。
 何か問題あるのっていう感じだね。

● 愛嬌があるのは天性のものだろう。何もしないでいても笑っているように見える。これ,すこぶる大事。
 というわけで,スター性もあるように思うのだが。

● アンコールは一転,カールマン「君のくれた美しさ」。静かで穏やかな曲。静謐っていう言葉はこういうときに使うのかもしれない。
 そこにちょっと甘味を加えたような。過ぎ去った私の青春よ,と言ってしまうと少し違うようなんだけど。

● 最後はベートーヴェンの5番。この曲を「運命」と呼ぶのは日本ではあたりまえ。
 なんだけど,Wikipediaによれば「これは通称であって正式な題名ではない。この通称は、ベートーヴェンの弟子アントン・シントラーの「冒頭の4つの音は何を示すのか」という質問に対し「このように運命は扉をたたく」とベートーヴェンが答えたことに由来するとされる。しかしこのシントラーの発言は、必ずしもこの作品の本質を表しておらず,現在では「運命」という名称で呼ぶことは適当でないと考えられている」ということ。

● 学術的にはそうかもしれないけれども,“苦悩を突き抜けて歓喜にいたれ”というストーリーが「運命」という言葉によく絡むんですよね。
 いったんこのストーリーが頭に入ってしまうと,それ以外の聴き方はできなくなる。とすれば,「運命」と命名したのは秀逸なんじゃないかと思ってしまうんですよ。
 ベートーヴェン個人の人生が背景にあってのこと。有名すぎるんですよね。聴力を失って「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたこと。けれども,その後,きら星のような多くの実りを世に送りだしたこと。

● 演奏も間然するところがなかった。特に,木管が印象的。弦は巧いに決まっている。「イタリア」のあとに,これだけの集中力を持続できるだけでたいしたものだと思う。
 が,ノーミスというわけにはいかない。あたりまえだ。ぼくはミスは咎めない派。オーケストラって森のようなもので,森としてどうかが問題だ。木々の一本か二本が,他とは違うそよぎ方をしたからといって,何ほどのことがあろう。

● アンコールはメンデルスゾーンの“結婚行進曲”。この曲を生で聴く機会はそんなにない(ぼくは初めてだった)。
 というわけで,トータルでかなりのお得感。7月にも壬生で同じ曲を演奏するらしい(「死の舞踏」はやらない)。指揮者も三原さん。さて,どうするか。壬生まで行くか。