栃木県教育会館 大ホール
● すでに何度か聴いている気でいたんだけど,錯覚だった。これが2回目だ。作新高校吹奏楽部の演奏会と混同してしまっていたのかも。
作新楽音会は作新高校吹奏楽部のOB・OGで構成されている。平均年齢がかなり若いので,それも混同しちゃった理由のひとつ,ってことにしておこう。
● 「作新楽音会と楽しむ音の会」と副題の付いたコンサート。楽しむといったって,下手な演奏じゃ楽しめないぞ,というわけだ。
ところが,作新吹奏楽部のOB・OGで,しかも卒業後も演奏を続けようというんだから,腕は確かなはず。ここはリスペクトしちゃって大丈夫だろう。要するに,個々のメンバーの技量がかなりの水準にある。
● したがって,ステージから繰り出される演奏の水準もかなりのもの。
そこに,高校時代に身についたのであろう,これでもかというほどの(観客への)サービス精神が発揮されるんだから,充分以上に楽しい演奏会になる。
● 1部のプログラムは次のとおり。指揮は大貫茜さんと三橋英之さん。
福丸光詩 祝典行進曲「光へ」
リード アルメニアンダンス パート1
高昌帥 吹奏楽のための風景詩「陽が昇るとき」より「Ⅳ.陽光」
● 福丸光詩さんは,東京音大作曲科の学生。作新楽音会のトランペット奏者でもある。作新楽音会の委嘱を受けて作曲。素人の愚察だけれど,行進曲は作曲しやすいんでしょうね。
あとの2つも吹奏楽ではかなりポピュラー。ここまで奇を衒わないプログラム。
● 奇を衒わないのは2部のポップスステージになっても同様なんだけれど,主力はこちらに注いでいたようだ。演奏する側もこちらの方が楽しいかもねぇ。
M.ブラウン編 ディズニーランド セレブレーション
真島俊夫編 MOVE ON
磯崎敦博編 ジャパニーズ・グラフィティーⅣ(弾厚作作品集)
真島俊夫編 宝島
● この中で最も印象に残ったのは,「MOVE ON」のフルートソロ。めまぐるしく変化する楽譜を追って,音に変換していく。その様はほとんどアスリートのようだ。
サックス陣のアンサンブルも聴きどころ。
● 弾厚作とは加山雄三のペンネームらしい。っていうか,この人,本名は池端直亮と申しあげる。俳優や歌手としては加山雄三と名乗り,作曲家としては弾厚作と名乗っている。
Wikipedia情報によれば,加山さん,波瀾万丈の人生を送っておりますなぁ。2桁の億の借金を背負うも,10年で完済とかね。
俳優であり,タレントであり,歌手であり,作曲家である。油絵も個展を開けるほどの腕前。料理も達者らしいし,スポーツも野球を除いて堪能。
● 人生はお金を貯めた者が勝ちじゃないものね。お金を使った者の勝ちだ。自分のために使うか,人のために使うか,使い方はそれぞれだけど。
お金に関していえば,稼がないより稼いだ方がいい。稼ぐ過程も楽しめれば,稼いだお金は捨ててもいいくらいのものだろうよ。
加山さんは稼ぎまくったはずで,それは彼の才覚と実力による。大変な人だ。
● というようなことはどうでもいいか。「ジャパニーズ・グラフィティーⅣ」はその加山さんのヒットメドレー。年配の日本人なら誰でも知っているけど,若い人たちはどうなんだろう。
つまり,年寄りの観客へも目配せしているよ,と。観客の中でぼくは最年長だったかもしれないんだけど,まぁ,年輩者もけっこういたと思うんでね。
● 今月5日に栃響の定演を聴いて以来,管弦楽を聴いていない。そろそろ管弦楽への禁断症状が出てくる頃だ。それを吹奏楽で補えるわけはない。
でも,この演奏会は自分を会場に運んで行って聴いてみる価値がある。吹奏楽,いやもっと広く音楽,っていうのは何のためにあるのかというところに,こちらの思考を誘ってくれる。
音楽=芸術,ではなくて,それ以前に実用的な価値があった。副作用のない麻薬的な効果があるねぇ。
約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2017年2月28日火曜日
2017年2月24日金曜日
2017.02.24 間奏54:音楽再生プレーヤー(専用機)を初めて使ってみた
写真はメーカーのサイトから拝借 |
なぜないかといえば,必要がないから。つまり,家で椅子に座ってゆったりを音楽を聴くということを(少なくともこれまでは)してなかったからだ。
● おまえはライヴ以外に音楽は聴かないのか,と言われれば,そんなことはありませんと回答する。けど,もっぱらイヤホンで聴くタイプだ。
路上や電車の中が,ぼくが音楽を聴く場だ。たまに家で聴くときもイヤホンで聴いていた。プレーヤーはスマホ。
● ところが,そのスマホが昨年11月11日にダメになった。諸般の事情があって,そのままになっている。したがって,少なくとも昨年11月11日からはまったく音楽を聴かない生活を送っている。
スマホ以外に携帯プレーヤーは持っていないのか? じつは持っている。約1年前にSONYのWALKMANを買った。
息子に買ってあげたんだけど,8ヵ月前にぼくのところに戻ってきた。
● が,何となく面倒でね,そのまま放置しておいた。11月11日以降も。
でもって,音楽を聴かない生活をずっと続けていたんだから,ひょっとすると,ぼくは音楽がさほどに好きじゃないのかもしれない。
● ところが昨夜,WALKMANに楽曲を転送する作業を唐突に始めた。昨夜は珍しく酒を飲まなかった。それが大きいのかも。酒を飲まないと,夜はけっこう長いのだねぇ。そんなことも忘れてましたよ。
とりあえず,よく聴く楽曲を入れて見た。ベートーヴェン,ブラームス,ラヴェル,ショスタコーヴィチ,バッハ。
128GBのmicroSDを入れているので,どっさり入るんだけど,それは追々にということで。
● その状態で試し聴き。したらば。音がまるで違う。
バッハの「ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲」を聴いてみた。クリアだ。粒立ちが明瞭だ。音が立って踊っているようだ。
逆にいえば,今まで使っていたスマホで再生された音は,ふた昔前のデジカメで撮った写真のように,音がベタッと寝てしまっていた。
8ヵ月前からWALKMANを使えたはずなのに放置していたのだ。大げさにいえば,その8ヵ月は捨てたも同然だと思った。
● ぼくが買ったWALKMANはNW-A25という機種だ。現在では生産終了になっている。手頃な価格ながら,「ハイレゾ音源を再生しながら,周囲の騒音を低減できる「ハイレゾ対応デジタルノイズキャンセリング機能」を搭載。シチュエーションを選ばず,いつでもどこでもハイレゾの高音質を楽しめます」とある。
「音の情報量がCDの約6.5倍あるハイレゾ音源に対応。高音域再生におけるノイズ除去性能を高めたフルデジタルアンプ「S-Master HX」を搭載し,繊細な空気感や臨場感あふれる,きめ細やかなサウンドを体感できます。また,MP3などの圧縮音源やCD音源をハイレゾ相当の高解像度音源にアップスケーリングする「DSEE HX」を搭載。いつも聴いている楽曲がハイクオリティーに生まれ変わります」ともある。
● 「CD音源をハイレゾ相当の高解像度音源にアップスケーリングする」なんてのは,正直,少し怪しんでいた。
ぼくはハイレゾ音源は持っていない。iTunesでCDをリッピングして,ハードディスクに溜めている。それをスマホに転送してイヤホンで聴く。
それ以上のことはやっていないし,やる気もない。ルーティンから少しでも外れる作業は面倒くさいと思ってしまう,しょうもないオヤジなのだ。
● と言いながら,ハイレゾとノイズキャンセリングに対応したイヤホンは早くから用意していた。WALKMANとほぼ同時に買っておいた。
で,聴いた印象は上記のとおり。WALKMAN,すごい。
もっとも,ぼくが使っていたスマホは古いものだった。今どきの,たとえばSONYのXperiaなら,WALKMANと同等の音を再生するんだろうな。
● 今朝はそのWALKMANで音楽を聴きながら出勤した。少なくとも昨年11月11日以来のはず。この通勤時間も,うーん,昨日までは捨てていたな。面倒くさがり屋は損をする。
何でもかんでもスマホでと思っていたけど(基本的には今でもそう思っている),専用機はやはりたいしたものなのだな。
● 今日聴いたのは,カルロス・クライバー指揮のベートーヴェンの4番,5番,7番とブラームスの4番。それと,諏訪内晶子のバッハ協奏曲集。
小さい携帯再生プレーヤーで,これらの曲をこの音質で聴けるのは驚きだ。
● ミニコンポは物色するのもやめる。携帯プレーヤーでここまでの音で聴けるんだったら,携帯プレーヤーのみで充分。
えっ,WALKMANでそんなに驚いているのか,今までどんな音で聴いてたんだよ,おまえは,と言われますな。
● というわけで,音楽再生機能はスマホから専用機に移行した。スマホは音楽再生プレーヤーとして使う時間が最も長かったから,スマホへの欲求は少し減少。もうしばらく,スマホなしでもいいかな。
2017年2月21日火曜日
2017.02.18 宇都宮市立東図書館 ジャズライブ2017
宇都宮市東市民活動センター ホール
● この日は,16時から宇都宮大学の松が峰講堂でResonanz Barock Consortの2回目のコンサートがある。当日券で聴こうかなと思っていた。昨年の1回目は聴いている。
ところが別件で宇都宮市立東図書館に行ったら,14時からこのライヴがあることを知った。
● さて,どうするか。約10秒ほど考えて,このまま東図書館にとどまることにした。16時までにはかなり間がある。その時間を持てあましそうだったしね。
というわけで,開演は14時。入場無料。
● 宇都宮にはかのナベサダがいる。宇都宮は餃子の街であり,自転車の街であり,妖精の街であり,カクテルの街であるのだが,ジャズの街でもあるのだ。
このライヴももう何回も開催しているらしい。
● ジャズにはまったく詳しくない。詳しくないというより,こういうものだというイメージを持てないでいる。
イメージを持てないと困るのかと言われると,たぶん困らないんだろうけどと,モゴモゴ返答することになりそうだ。
● 山下洋輔さんは,どんなものでもジャズになると言っていた。バッハなんかジャズの素材にピッタリだとか。
だとすると,ジャズの外延を定義するなんてことは無意味なのだろうね。理屈で入るものじゃない。まず,聴く。聴いてピンと来なければ撤退する。ジャズであれクラシックであれ,音楽に対する姿勢はそれでいいのだと思う。
● 最初に登場したのは,「the moon」というオッサン4人のグループ。
MCはトロンボーンの奏者が担当。宇都宮市泉町に「近代人」というスナックがある。その「近代人」がMCで紹介された。ぼくが酒場デビューしたときにはすでにあったから,だいぶ古いんだけど,半世紀は経っているのであるらしい。
この店でジャズのライヴが行われる。その道に詳しい人には,“いわゆるひとつの聖地”になっているだろう。ぼくも若いときに一度か二度行ったことがあるんだけど,その後バッタリ。縁なき衆生は度しがたし。
● 次は,「Calendula mix」。中学生から大学生までの若者のグループ。「宇都宮ジュニアジャズオーケストラ」の“リズム隊”を中心にしたメンバーとのこと。
その一番年長者(といっても20歳)の女性が,鍵盤ハーモニカで年下の男性を率いるという図。大学ではオーケストラでヴィオラを弾いているそうだから,小さい頃から楽器に馴染んでいれば,たいていの楽器はモノすることができるんでしょうね。
● オッサンの演奏と若者の演奏を比べれば,どうしたって若者の演奏を聴いている方が楽しい。これはもうどうしようもない。
オッサンの側に圧倒的な技術の差があり,かつ,こちらがその差を識別できる耳を持っていれば,別かもしれない。
ぼくなんぞの耳では,さほどの差は感知できない。どうしたって若者の肩を持ちたくなる。自分がオッサンだからね。
● 最後が「宇都宮ジュニアジャズオーケストラ」。小学生から高校生まで。MCを務めたのは高校生の男子。歯切れが良くて,小気味よく場面を刻んでいた感あり。
アニメの主題歌メドレーなんかも演奏した。となると,ジャズオーケストラと吹奏楽団とは何が違うのだ? 違いなんかないんだろうな。ジャズを主に演奏する吹奏楽団ということなんでしょ。
● ぼくが主に聴くのはクラシックなんだけど,聴いてて楽しくなるのは,やっぱりクラシックの方かなぁ。
このあたりは体質なんだろうか。今回聴いたジャズのいろんな曲より,たとえばブラームスの交響曲の1番や4番,バッハの「ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲」を聴いているときの方が,自然に身体がスウィングするような感覚がある。
● が,まだ諦めなくていいだろう。ジャズを聴く機会はこれからもけっこうあるはずだしね。
● この日は,16時から宇都宮大学の松が峰講堂でResonanz Barock Consortの2回目のコンサートがある。当日券で聴こうかなと思っていた。昨年の1回目は聴いている。
ところが別件で宇都宮市立東図書館に行ったら,14時からこのライヴがあることを知った。
● さて,どうするか。約10秒ほど考えて,このまま東図書館にとどまることにした。16時までにはかなり間がある。その時間を持てあましそうだったしね。
というわけで,開演は14時。入場無料。
● 宇都宮にはかのナベサダがいる。宇都宮は餃子の街であり,自転車の街であり,妖精の街であり,カクテルの街であるのだが,ジャズの街でもあるのだ。
このライヴももう何回も開催しているらしい。
● ジャズにはまったく詳しくない。詳しくないというより,こういうものだというイメージを持てないでいる。
イメージを持てないと困るのかと言われると,たぶん困らないんだろうけどと,モゴモゴ返答することになりそうだ。
● 山下洋輔さんは,どんなものでもジャズになると言っていた。バッハなんかジャズの素材にピッタリだとか。
だとすると,ジャズの外延を定義するなんてことは無意味なのだろうね。理屈で入るものじゃない。まず,聴く。聴いてピンと来なければ撤退する。ジャズであれクラシックであれ,音楽に対する姿勢はそれでいいのだと思う。
● 最初に登場したのは,「the moon」というオッサン4人のグループ。
MCはトロンボーンの奏者が担当。宇都宮市泉町に「近代人」というスナックがある。その「近代人」がMCで紹介された。ぼくが酒場デビューしたときにはすでにあったから,だいぶ古いんだけど,半世紀は経っているのであるらしい。
この店でジャズのライヴが行われる。その道に詳しい人には,“いわゆるひとつの聖地”になっているだろう。ぼくも若いときに一度か二度行ったことがあるんだけど,その後バッタリ。縁なき衆生は度しがたし。
● 次は,「Calendula mix」。中学生から大学生までの若者のグループ。「宇都宮ジュニアジャズオーケストラ」の“リズム隊”を中心にしたメンバーとのこと。
その一番年長者(といっても20歳)の女性が,鍵盤ハーモニカで年下の男性を率いるという図。大学ではオーケストラでヴィオラを弾いているそうだから,小さい頃から楽器に馴染んでいれば,たいていの楽器はモノすることができるんでしょうね。
● オッサンの演奏と若者の演奏を比べれば,どうしたって若者の演奏を聴いている方が楽しい。これはもうどうしようもない。
オッサンの側に圧倒的な技術の差があり,かつ,こちらがその差を識別できる耳を持っていれば,別かもしれない。
ぼくなんぞの耳では,さほどの差は感知できない。どうしたって若者の肩を持ちたくなる。自分がオッサンだからね。
● 最後が「宇都宮ジュニアジャズオーケストラ」。小学生から高校生まで。MCを務めたのは高校生の男子。歯切れが良くて,小気味よく場面を刻んでいた感あり。
アニメの主題歌メドレーなんかも演奏した。となると,ジャズオーケストラと吹奏楽団とは何が違うのだ? 違いなんかないんだろうな。ジャズを主に演奏する吹奏楽団ということなんでしょ。
● ぼくが主に聴くのはクラシックなんだけど,聴いてて楽しくなるのは,やっぱりクラシックの方かなぁ。
このあたりは体質なんだろうか。今回聴いたジャズのいろんな曲より,たとえばブラームスの交響曲の1番や4番,バッハの「ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲」を聴いているときの方が,自然に身体がスウィングするような感覚がある。
● が,まだ諦めなくていいだろう。ジャズを聴く機会はこれからもけっこうあるはずだしね。
2017年2月9日木曜日
2017.02.06 間奏53:コンサートホールのS席問題
● 4月20日に栃木県総合文化センターのメインホールで,フジコ・ヘミング&イタリア国立管弦楽団の演奏会がある。チケットはS席が1万円。A席が8千円で,一番安いB席が6千円。
安いB席を買うつもりで,同センターのプレイガイドに行った。
● ところが,B席はほんの僅かしかないのだった(完売)。A席も少ししかない。つまり,ほとんどの席はSなのでした。
まぁ,そういうものではあるんだけど,総文センターでSの比率がここまで高くなるのは,珍しい。つまり,需給関係で決まるわけで,フジコ・ヘミングならそれでも売れるというわけでしょう。
結局,8千円を投じてA席チケットを購入。
● ところで。
フジコ・ヘミングはNHKがドキュメンタリー仕立てで取りあげてから,その存在が知られるようになった。テレビの爆発力は凄い。この点ではネットはまだまだ及ぶまい。
彼女がここまで人気なのは,普段は音楽など聴かないけれども,彼女のピアノなら聴きたいと思う人たちがいるからだ。“音楽知らずのフジコ好き”という層がたしかに存在するのだと思う。
一方で,音楽界のセンターにいる人たちは,こういう知られ方をした奏者に対してはかなり冷淡なのが常だ。クソミソに貶すか,黙殺する。
● ぼくは彼女のリサイタルを一度聴いたことがある(やはり総文センターだった。そのときも1万円を投じた)。聴くに値するピアノだと思った。だから,また行こうとしている。
のだけれど,今回はイタリア国立管弦楽団がメンデルスゾーンの4番を演奏するので,どちらかといえばそっちが楽しみだったりする。
● オールSというのもあるね。たとえば,6月25日に栃木県総合文化センターのメインホールで開催されるこちら。
全席指定で6千円。SだのAだのっていう区別はない。一律6千円だ。つまり,すべての席がSってこと。
● サブホールならわかるんだけど,メインホールでオールSというのは滅茶苦茶だ。1階席の前方と実質的な4階席やバルコニー席が同じだというんだからね。
が,その滅茶苦茶がまかり通る。諏訪内人気,怖るべし。美人は得ってところもあるんでしょうか。
● 3月4日がチケットの発売開始日。その日のうちに買い行こう。いい席を押さえましょ。
諏訪内さんのヴァイオリンを生で聴けるなんて思ってなかったからな。それが宇都宮で聴けるんだから。
● ぼくの相方は諏訪内さんと話したことがあるという。飛行機で隣り合わせたことがあるんだそうだ。
諏訪内さんはヴァイオリンケースを機内に持ちこむわけだけど,(大きな荷物で)ごめんなさいねと相方に声をかけたらしい。話したといってもそれだけのこと。
皇太子のお妃候補に名前があがったこともあったから,相方も諏訪内さんの顔と名前は知っていたようなんですよ。
● で,以来,相方は諏訪内さんのファン。ヴァイオリンはキーキーというから嫌いなの,でも諏訪内さんに限ってはその金属音が気にならないの(でも,本当は五嶋龍の音が好きなの),だと。
えっ,通っぽいね。といって,ぼくが知っている相方は,音楽はまったく聴かない人なんだけどね。
安いB席を買うつもりで,同センターのプレイガイドに行った。
● ところが,B席はほんの僅かしかないのだった(完売)。A席も少ししかない。つまり,ほとんどの席はSなのでした。
まぁ,そういうものではあるんだけど,総文センターでSの比率がここまで高くなるのは,珍しい。つまり,需給関係で決まるわけで,フジコ・ヘミングならそれでも売れるというわけでしょう。
結局,8千円を投じてA席チケットを購入。
● ところで。
フジコ・ヘミングはNHKがドキュメンタリー仕立てで取りあげてから,その存在が知られるようになった。テレビの爆発力は凄い。この点ではネットはまだまだ及ぶまい。
彼女がここまで人気なのは,普段は音楽など聴かないけれども,彼女のピアノなら聴きたいと思う人たちがいるからだ。“音楽知らずのフジコ好き”という層がたしかに存在するのだと思う。
一方で,音楽界のセンターにいる人たちは,こういう知られ方をした奏者に対してはかなり冷淡なのが常だ。クソミソに貶すか,黙殺する。
● ぼくは彼女のリサイタルを一度聴いたことがある(やはり総文センターだった。そのときも1万円を投じた)。聴くに値するピアノだと思った。だから,また行こうとしている。
のだけれど,今回はイタリア国立管弦楽団がメンデルスゾーンの4番を演奏するので,どちらかといえばそっちが楽しみだったりする。
● オールSというのもあるね。たとえば,6月25日に栃木県総合文化センターのメインホールで開催されるこちら。
全席指定で6千円。SだのAだのっていう区別はない。一律6千円だ。つまり,すべての席がSってこと。
● サブホールならわかるんだけど,メインホールでオールSというのは滅茶苦茶だ。1階席の前方と実質的な4階席やバルコニー席が同じだというんだからね。
が,その滅茶苦茶がまかり通る。諏訪内人気,怖るべし。美人は得ってところもあるんでしょうか。
● 3月4日がチケットの発売開始日。その日のうちに買い行こう。いい席を押さえましょ。
諏訪内さんのヴァイオリンを生で聴けるなんて思ってなかったからな。それが宇都宮で聴けるんだから。
● ぼくの相方は諏訪内さんと話したことがあるという。飛行機で隣り合わせたことがあるんだそうだ。
諏訪内さんはヴァイオリンケースを機内に持ちこむわけだけど,(大きな荷物で)ごめんなさいねと相方に声をかけたらしい。話したといってもそれだけのこと。
皇太子のお妃候補に名前があがったこともあったから,相方も諏訪内さんの顔と名前は知っていたようなんですよ。
● で,以来,相方は諏訪内さんのファン。ヴァイオリンはキーキーというから嫌いなの,でも諏訪内さんに限ってはその金属音が気にならないの(でも,本当は五嶋龍の音が好きなの),だと。
えっ,通っぽいね。といって,ぼくが知っている相方は,音楽はまったく聴かない人なんだけどね。
2017.02.05 栃木県交響楽団 第102回定期演奏会
那須野が原ハーモニーホール 大ホール
● 今回は宇都宮市ではなく,那須野が原ハーモニーホールでの開催。
開演は午後2時。チケット(前売券)は1,200円(全席自由)。指揮は三原明人さん。
● 早めに家を出たんだけど,会場の近くにあるラーメン屋で昼食を食べるのに,ちょっと時間をかけすぎてしまって,会場に着いたのは開演15分前。
すでにかなりの数のお客さんで,空席を見つけるのに苦労した。前から3列目に座ることになった。オーケストラの演奏を聴くには,いくら何でも前過ぎるんだけど,致し方がない。致し方ないんだけど,こうまで前だと,ヴァイオリン奏者しか見えないわけで。
● このあとも続々とお客さんがつめかけて,まったく空席はなくなった。それでもまだ来るので,スタッフがオルガンの下にパイプ椅子を並べた。それでも足りずに立ち見のお客さんが出た。
どうしたんだろうか。座席の数以上にチケットを販売してしまったんだろうか。これだけ入っていると,演奏する側は気持ちいいんだろうけどね。
● 曲目は次のとおり。
ドヴォルザーク 交響曲第8番 ト長調
早川正昭 ハープ協奏曲「月児高」
サン=サーンス 交響曲第3番 ハ短調「オルガン付」
交響曲が2つという重量級のプログラム。最近はこういうのが珍しくなくなった。だから驚くことはないんだけど,演奏する方は大変だろうなぁ。
● ドヴォルザークの8番を聴くのは久しぶり。栃響は「第九」以外で対向配置を採用することはあまりない印象があるんだけど,今回はその対向配置。
しかし,配置がどうのこうのより,演奏においては活きの良さって大事だなと思う。活きを生むのは,集中と思い切りなんだろうけど,集中できる,思い切りよく踏みこめるためには,巧くなければいけない。
技術がすべてではないけれども,ある程度の技術がないと,音楽に限らず,表現行為は成立しないものなのだろう。文章表現もまた同じ。
● 地方で音楽を聴くというときに,一番大切だなと思うのは,安定供給が確保されていることだったりする。群馬には群響が,山形には山響があって,地元で数多くの演奏会を開催しているのだろう。群馬や山形ではその条件が満たされている。
基本的にぼくは栃響の演奏水準に不満はない。これだけ活きのいい演奏を聴かせてもらっている。それ以上望むことはあまりない。栃木県に住んでいて,栃響でダメなら仕方がないのだとも思っている。
● が,栃響はアマチュア・オーケストラであって,定演が2回,特別演奏会と年末の「第九」,一般向けの演奏会はこの4回のみ。他に有志の活動もあるようだから,アマオケとしてはかなりハードに活動している。
ただ,群馬や山形の住人に比べると,栃木県人は栃響への依存度を高めたくても高められないというところはある(だから,年間に数十回の演奏会を催行できるプロのオーケストラが栃木にもあった方がいい,とはまったく思わないのだが)。
● 第3楽章は3拍子の舞曲。たぶん,ここが8番の中で最も知られているところだろう。ここが聴きたいから,この会場まで自分を運んできたのだという人もいるかもしれない。
こうした部分を突破口にしてクラシックを聴く人が増えてくれればと思う。というのも,クラシックに馴染めるかどうかは10代で決まると言われるからだ。10代のうちにクラシック音楽を聴いて,何らかの痕跡を残してもらわないと,一生,クラシック音楽とは無縁に終わるだろう,という言い方。
● ほとんどの人は小学生のとき,学校の音楽室でクラシックのレコードを聴かされたはずだ。中学校でも然り。自分には居眠りタイムだったという人も多いはずで,だから自分にクラシックなんかとなったりするんだろう。
無理に聴く必要はさらさらないんだけど,10代云々という話をあまり真に受けない方がいいのじゃないかと思う。例外もけっこういるはずだからだ。ぼくもそのひとりだ。
● 演奏のプロになるなら5歳から楽器を始めていなくてはならないとしても,聴く方はそうじゃない。聴くことにおけるプロというのがもしいるとしても,そのプロになり得る有資格者は5歳から楽器を始めた人たちに限られる。ぼくはそう思う。
世上,音楽評論家というのはいるけれど,間違えるのが評論家の仕事だ。評論家の言うところを深追いするのは,あまり賢いとは思えない。
● クラシックの側に自分がすり寄るんじゃなくて,クラシックを自分に引きつけて聴けばいいんだと思う。大御所には大御所の聴き方があり,ぼくらにはぼくらの聴き方がある。聴き方に優劣を持ちこんでも仕方がない。
自分に引きつけるキッカケになる音楽の断片が,映画やドラマやテレビCMの中にあるかもしれない。ドヴォルザークの8番第3楽章の出だしのところにあるかもしれない。それらのどれかをガチッとではなく,フワッと掴んでもらえるといいのかなぁと思ったりする。
● ハープ協奏曲「月児高」が流れ始めたとたん,あ,これは日本人が作ったものだとすぐにわかるな,と思った。のだが。
プログラム冊子に作曲者自身による曲目解説がある。それによると,台湾のレコード会社から「中国琵琶の古曲(独奏曲)にオーケストラをつけて協奏曲風にしてほしいとの依頼を受けて書いたのが発端」とのこと。作曲者とすれば,ことさらに和を強調しようとは思っていないんでしょうね。
ちなみに,「月児高」とは「高い所に小さな月がかかっている,という意味」だそうだ。
● ハープ独奏は早川りさこさん。作曲者の説くところによれば,独奏ハープが月を引き受けている。つまり,月の四方山話の独白をハープが行う。その独白の内容がどんなものかは,聴き手ひとり一人によって違うのだろう。
この曲は聴き手にとっては難解な部類に属するとぼくは感じたが,それはこの曲目解説にあるとおりに聴こうとすればということかもしれない。聴き方は自由なはずだ。
● サン=サーンスの3番はこのホールならでは。電子オルガンで代替すれば,その限りではないけれども。オルガンはこのホールの専属を務めているジャン=フィリップ・メルカールトさん。
オルガンは独奏で聴くよりもこういう形の方が身体に染みてくる(ように思う)。
● サン=サーンスは「モーツァルトに匹敵する神童」であったらしい。しかも,音楽に限らず,戯曲や詩,小説から天文学や考古学,哲学に至るまで,幅広い分野の著書があるんだそうだ。本当かね。
反面,母と叔母に溺愛され,束縛され,その結果としてマザコンの権化でもあった。マザコンでも哲学はできるんだな。
と,凡愚は天才を茶化したくなるんだけど,サン=サーンスってこの交響曲第3番だけで歴史にその名を刻まれる人でしょうね。
● 壮大な曲だと思う。ライヴで何度か聴いているんだけど,たぶん,ぼくはこの曲を聴ききれていないだろう。
聴ききるためにはどうすればいいのか。CDを何度も聴くとかね。そういうことしかないんだろうな。急ぐことはない。ボチボチ行こう。
ぼくに残された時間はそんなにないと思うんだけど,だからといって急いだってしょうがないやね。
● アンコールはエルガー「威風堂々」。「威風堂々」を聴くとき,ひとつだけ困ったことがある。「キーテキテ,アタシーンチー,キテキテ,アタシンチー」というコトバが,頭の中に浮かんでしまうことだ。
今回の曲目はアンコールまで含めて,脈絡がない。どういうわけでこのような選曲になったのだろう。もっとも,脈絡が要るのかと問われれば,そんなものは必要ないね,というのが回答になるわけだけど。
● 今回は宇都宮市ではなく,那須野が原ハーモニーホールでの開催。
開演は午後2時。チケット(前売券)は1,200円(全席自由)。指揮は三原明人さん。
● 早めに家を出たんだけど,会場の近くにあるラーメン屋で昼食を食べるのに,ちょっと時間をかけすぎてしまって,会場に着いたのは開演15分前。
すでにかなりの数のお客さんで,空席を見つけるのに苦労した。前から3列目に座ることになった。オーケストラの演奏を聴くには,いくら何でも前過ぎるんだけど,致し方がない。致し方ないんだけど,こうまで前だと,ヴァイオリン奏者しか見えないわけで。
● このあとも続々とお客さんがつめかけて,まったく空席はなくなった。それでもまだ来るので,スタッフがオルガンの下にパイプ椅子を並べた。それでも足りずに立ち見のお客さんが出た。
どうしたんだろうか。座席の数以上にチケットを販売してしまったんだろうか。これだけ入っていると,演奏する側は気持ちいいんだろうけどね。
● 曲目は次のとおり。
ドヴォルザーク 交響曲第8番 ト長調
早川正昭 ハープ協奏曲「月児高」
サン=サーンス 交響曲第3番 ハ短調「オルガン付」
交響曲が2つという重量級のプログラム。最近はこういうのが珍しくなくなった。だから驚くことはないんだけど,演奏する方は大変だろうなぁ。
● ドヴォルザークの8番を聴くのは久しぶり。栃響は「第九」以外で対向配置を採用することはあまりない印象があるんだけど,今回はその対向配置。
しかし,配置がどうのこうのより,演奏においては活きの良さって大事だなと思う。活きを生むのは,集中と思い切りなんだろうけど,集中できる,思い切りよく踏みこめるためには,巧くなければいけない。
技術がすべてではないけれども,ある程度の技術がないと,音楽に限らず,表現行為は成立しないものなのだろう。文章表現もまた同じ。
● 地方で音楽を聴くというときに,一番大切だなと思うのは,安定供給が確保されていることだったりする。群馬には群響が,山形には山響があって,地元で数多くの演奏会を開催しているのだろう。群馬や山形ではその条件が満たされている。
基本的にぼくは栃響の演奏水準に不満はない。これだけ活きのいい演奏を聴かせてもらっている。それ以上望むことはあまりない。栃木県に住んでいて,栃響でダメなら仕方がないのだとも思っている。
● が,栃響はアマチュア・オーケストラであって,定演が2回,特別演奏会と年末の「第九」,一般向けの演奏会はこの4回のみ。他に有志の活動もあるようだから,アマオケとしてはかなりハードに活動している。
ただ,群馬や山形の住人に比べると,栃木県人は栃響への依存度を高めたくても高められないというところはある(だから,年間に数十回の演奏会を催行できるプロのオーケストラが栃木にもあった方がいい,とはまったく思わないのだが)。
● 第3楽章は3拍子の舞曲。たぶん,ここが8番の中で最も知られているところだろう。ここが聴きたいから,この会場まで自分を運んできたのだという人もいるかもしれない。
こうした部分を突破口にしてクラシックを聴く人が増えてくれればと思う。というのも,クラシックに馴染めるかどうかは10代で決まると言われるからだ。10代のうちにクラシック音楽を聴いて,何らかの痕跡を残してもらわないと,一生,クラシック音楽とは無縁に終わるだろう,という言い方。
● ほとんどの人は小学生のとき,学校の音楽室でクラシックのレコードを聴かされたはずだ。中学校でも然り。自分には居眠りタイムだったという人も多いはずで,だから自分にクラシックなんかとなったりするんだろう。
無理に聴く必要はさらさらないんだけど,10代云々という話をあまり真に受けない方がいいのじゃないかと思う。例外もけっこういるはずだからだ。ぼくもそのひとりだ。
● 演奏のプロになるなら5歳から楽器を始めていなくてはならないとしても,聴く方はそうじゃない。聴くことにおけるプロというのがもしいるとしても,そのプロになり得る有資格者は5歳から楽器を始めた人たちに限られる。ぼくはそう思う。
世上,音楽評論家というのはいるけれど,間違えるのが評論家の仕事だ。評論家の言うところを深追いするのは,あまり賢いとは思えない。
● クラシックの側に自分がすり寄るんじゃなくて,クラシックを自分に引きつけて聴けばいいんだと思う。大御所には大御所の聴き方があり,ぼくらにはぼくらの聴き方がある。聴き方に優劣を持ちこんでも仕方がない。
自分に引きつけるキッカケになる音楽の断片が,映画やドラマやテレビCMの中にあるかもしれない。ドヴォルザークの8番第3楽章の出だしのところにあるかもしれない。それらのどれかをガチッとではなく,フワッと掴んでもらえるといいのかなぁと思ったりする。
● ハープ協奏曲「月児高」が流れ始めたとたん,あ,これは日本人が作ったものだとすぐにわかるな,と思った。のだが。
プログラム冊子に作曲者自身による曲目解説がある。それによると,台湾のレコード会社から「中国琵琶の古曲(独奏曲)にオーケストラをつけて協奏曲風にしてほしいとの依頼を受けて書いたのが発端」とのこと。作曲者とすれば,ことさらに和を強調しようとは思っていないんでしょうね。
ちなみに,「月児高」とは「高い所に小さな月がかかっている,という意味」だそうだ。
● ハープ独奏は早川りさこさん。作曲者の説くところによれば,独奏ハープが月を引き受けている。つまり,月の四方山話の独白をハープが行う。その独白の内容がどんなものかは,聴き手ひとり一人によって違うのだろう。
この曲は聴き手にとっては難解な部類に属するとぼくは感じたが,それはこの曲目解説にあるとおりに聴こうとすればということかもしれない。聴き方は自由なはずだ。
● サン=サーンスの3番はこのホールならでは。電子オルガンで代替すれば,その限りではないけれども。オルガンはこのホールの専属を務めているジャン=フィリップ・メルカールトさん。
オルガンは独奏で聴くよりもこういう形の方が身体に染みてくる(ように思う)。
● サン=サーンスは「モーツァルトに匹敵する神童」であったらしい。しかも,音楽に限らず,戯曲や詩,小説から天文学や考古学,哲学に至るまで,幅広い分野の著書があるんだそうだ。本当かね。
反面,母と叔母に溺愛され,束縛され,その結果としてマザコンの権化でもあった。マザコンでも哲学はできるんだな。
と,凡愚は天才を茶化したくなるんだけど,サン=サーンスってこの交響曲第3番だけで歴史にその名を刻まれる人でしょうね。
● 壮大な曲だと思う。ライヴで何度か聴いているんだけど,たぶん,ぼくはこの曲を聴ききれていないだろう。
聴ききるためにはどうすればいいのか。CDを何度も聴くとかね。そういうことしかないんだろうな。急ぐことはない。ボチボチ行こう。
ぼくに残された時間はそんなにないと思うんだけど,だからといって急いだってしょうがないやね。
● アンコールはエルガー「威風堂々」。「威風堂々」を聴くとき,ひとつだけ困ったことがある。「キーテキテ,アタシーンチー,キテキテ,アタシンチー」というコトバが,頭の中に浮かんでしまうことだ。
今回の曲目はアンコールまで含めて,脈絡がない。どういうわけでこのような選曲になったのだろう。もっとも,脈絡が要るのかと問われれば,そんなものは必要ないね,というのが回答になるわけだけど。
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