2022年12月31日土曜日

2022.12.31 間奏:N響の第九

● 12年ぶりに自宅で大晦日を過ごしている。過去11年は上野の東京文化会館で過ごした。8年は大ホールでベートーヴェンの全交響曲連続演奏会。その後の3年は小ホールでやはりベートーヴェンの弦楽四重奏曲の演奏会。
 でも,もういいかな,と。気がすんだというかね。催行側はもっと長く続けているんだけどね。

● その代わりといっては何だけれども,NHK(Eテレ)で放送されたN響の第九を視聴した。12月21日,22日,24日,25日の4回,NHKホールで開催し,さらに27日に,<かんぽ生命 presents N響第九 Special Concert>と銘打って,サントリーホールでも開催したらしい。
 大晦日にテレビで放送されたのは,24日の演奏の録画・録音のようだ。

● 大事なことが1つある。テレビで観てはいけない。
 なぜかというと,音の問題。テレビが出す音は,第九を聴くにはスペックが低すぎる。サウンドバーを装着すればいいんだろうけど,そんなことをするよりアプリ(NHK+)でネット配信を受信するのが吉。
 音はBTスピーカに飛ばす。取り回しも楽だし,コストも安い。

● 指揮は井上道義さん。ネット配信で観ることのメリットのひとつは,奏者側からの指揮者を観ることができることだ。P席に座るのでない限り,客席からは指揮者の背中しか見えないわけだから。
 井上さんの指揮は,表情にものを言わせる度合いが高いんだろうか。あるいは,独特の仕草。パントマイムを見ているような気分になることがあった。

● 男声のソリスト(テノール:ベンヤミン・ブルンス,バス:ゴデルジ・ジャネリーゼ)が凄かった。欧州人は骨格あるいは骨の太さが日本人とは違うんだろうか。共鳴箱の容積が違うっていうかさ。
 ソプラノはクリスティーナ・ランツハマーでメゾ・ソプラノは藤村実穂子。

● 台所のカウンター(食卓)で視聴。ここがぼくの居場所で,ここに座ったきりで1日が終わることもある。ので,生活感が満載な写真になってしまうのは乞うご容赦。
 右のスピーカはインスタントコーヒーの瓶に乗せ,左のスピーカはウスターソースの容器の上に乗せ,スマホはスタンドに立てて,そのスタンドをクリープの瓶に乗せている。
 こうすると,画面から音が出てるように聞こえるのだ。画面を観るのも楽チンだ。
 明日も台所席でウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを聴こうと思う。


(追記 2023.01.02)

● 見逃し配信で二度目の視聴。ネット配信だとこれがあるのが大きい。
 この演奏,かなり良くないですか。どこがどういいのかと訊かれても,明快に答えることはできないのだけれども,井上さんの指揮ぶりだろうか。引き込まれるんですよねぇ。

● リアルタイムのネット配信のときは,端末が停まってしまうことがあった。停まるというか固まってしまうことが。メモリを4BGしか積んでいないからか,それ以外の理由によるものか。
 が,見逃し配信だとそれがない(ことはないけど,少ないような気がする)。どういうわけでそうなるのか,もちろん,ぼくにはわからない。


(追記 2023.01.04)

● 三度目の視聴。さすがに気がすんだ。台所席でいいや,ホールに行かなくていいや,と思ってしまうよ。
 生でなければ得られない “情報” があることはわかっているつもりだけれども,こうした演奏会のほとんどは首都圏や大阪圏の大都市で開催されるわけだから,なかなか行けない人も多いだろう。そうした人たちにとって,ネット配信があることは,福音という言葉では足りないくらいの福音だと思う。

● わが家からは新幹線を使わずとも,東京は日帰り圏内なのだが,それでもここまでの映像と音声で視聴できるのであれば,無理して東京くんだりまで出かけていかなくてもいいかなぁと思ってしまいますよ。
 実際にそうなってしまったら,決していい結果をもたらさないはずだけどね。諸刃の剣とはこういうことですか。

2022.12.30 間奏:安物 BTスピーカで生活が変わった

● 今年は生活を大きく変える機器を購入した。4月1日のことですよ。それが何かというと,ダイソーの千円のBTスピーカ。2台つなぐとステレオ再生に対応する。
 世界が変わったよ。家で音楽を聴く時間が大きく増え,WALKMAN の使用時間が減った。家で聴くだけで充分だから,野外で WALKMAN を使ってまで聴こうとは思わなくなったっていうかね。

● 特に,NHK-FM を聴く時間が増えた。ネットに上がっている演奏動画が宝に変わった。たった2千円の品物でこうまで自分の生活が変わるものか。
 Bluetoothで飛ばすのだから,核になるのはスマホ。スマホとBTスピーカがあるだけで,これだけの音質で聴けるのか。周回遅れのランナーのような感想だけど。今頃になって何言ってんだよ,お前は,と言われるね。

● スマホだから,当然,アプリを使うことになる。今のところ,ラジオ(FM)もテレビもNHKしか視聴しないので,アプリは “らじる★らじる” と “NHK+” で足りている。
 見逃し配信,聴き逃し配信があるので,放送時間に縛られないのがメリットだが,それ以上に,ラジオやテレビで視聴するより音質が良くなるのが大きい。

● もう一点。再生のための機材が少なくてすむ。再生コストが安くなるということだ。これでは音響メーカーはたまったものではあるまい。立ちいかなくなって倒産したところもあるのではないか。
 だいぶ前からアナログ回帰が流れとして存在しているのだが,これは音響メーカーが仕組んだのではないか。いや,仕組んで起こせることではないので,そんなことはないのだけれども,この流れがあるおかげで音響メーカーもひと息つけるというのはあるだろう。

● ぼくはデジタル化に進んで身軽になりたいと思っているが,卑近な問題もある。2台接続した状態でスマホやタブレット,PCとぺアリングできない。ASUSの Zenfone MaxPro とはつながったのだけど,Xperia10ⅢやiPad,PCとはつながらない。1台にするとつながるんだけどね。
 ので,古い Zenfone をスピーカー接続専用マシンにしている。それでも,充分に満足。
 ただし,そういう問題で困っているという声にはググっても遭遇しないので,ぼくの設定の仕方に問題があるのかもしれない。

● 昨日(29日)は,ニコ生で東響の第九を視聴。場所はサントリーホール。メゾソプラノが秋本悠希さん。
 第九は11月の那須クラシック音楽祭で生で聴いた。生はその1回。
 けど,こういう配信があるからありがたい。インターネットは味方につけないといけないよね。友だちにしないといけない。

● スマホの小さい画面でも,見つめていれば視界はそれで埋まるから,大画面と変わらない。いや,変わるけれども,画面はスマホでいいような気がする。
 ホールで演奏されたのは28日だが,ニコ生で31日まで視聴できるそうだ。これって凄いことなんですよね。録画もせずに,時間に縛られず,何度でも見れるわけだから。昭和原人にとっては,これって決して当たり前じゃないんだよね。

● 今日は都響のブラ3。2020年10月25日の演奏。
 ホールに行くよりおウチがいい,になりそうですよ。ダイソースピーカ,恐るべし,ですよ。
 コロナ禍の3年間でネットに上げられた演奏動画は膨大な数になるのではないか。FMも聴きつつ動画も潰していこうとすると,外出してる時間はないぞ。

2022.12.27 東京農工大学管弦楽団 第51回定期演奏会

ひの煉瓦ホール(日野市民会館)

● 宿泊中の川崎から南武線を乗り通して立川。中央線にひと駅乗って,日野。日野駅で降りたのは,生まれて初めて。
 線路の北側を西に歩く。大坂上通りという坂道を登って行くと,山の手になるんだろうか。お屋敷街だ。実践女子大(生活科学部)もここにある。

● では,線路の南側は下町なのか。地形を見ると,中央線のレールを敷くために,土地を切り通したようだ。元々は一帯で,北も南もなかったのだろう。
 線路を挟んで北側と南側とでは対照的に違う,ということはないようだ。市役所は南側にあるが,こちらも基本は住宅街だ。商業施設は坂を降ったところに集まっている。日野駅も坂下にある。

● 日野に何しに来たのかというと,東京農工大学管弦楽団の定演を聴くためだ。この楽団の演奏は2013年の6月に “サマーコンサート” を聴いている。今回が二度目。定演を聴くのは初めて。
 入場無料。開演は18時。

● 曲目は次のとおり。交響曲が2つある重量級。
 シベリウス Andante festivo
 シベリウス 交響曲第3番 ハ長調
 チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ短調

日野市民会館
● シベリウスの3番を生で聴いたのは初めてかも。生で聴く機会が最も多いのはもちろん2番だけれども,5番,7番,1番は聴いていると思う。が,3番はあったかどうか。
 何を聴いたかなんて1週間も経てば忘れてしまうから,ひょっとしたら聴いてるかもしれないけどね。

● しかし,印象に残ったのは昨夜も聴いたチャイコフスキーの5番。音大ではない一般大学のオケで,これほどのチャイ5を聴いたことがあったろうか。
 この音は指揮者の内藤佳有さんの脳内にあるものを外に出したものなんでしょうね。そう考えるしかない。学生さんがどこまで出せていたかは別として。いや,相当以上に出せていたんでしょう,これはね。

● 内藤さんは丁寧に,かつ入念にコンテを描く。細部の表現もさることながら,4楽章全体の構築物をどう美しく見せるかと考えていたような。細部の合計が全体ではないんだよ,と。
 奏者はそれを線にして色を付けていく。見事な線と色になった(と思う)。

● 裏方の案内や受付も大変だったろう。寒いし,中には変なやつもいたろうし。
 が,アナウンスや声かけも上手いと思った。今どきの若者は,このあたりをそつなくこなす。

● ホールのあるこのあたり,武蔵野の風情を残している。残ったのか再現したのかはわからないけれど,大昔の武蔵野はこうだったんだろうなというイメージと合致する風景になっている。
 新選組のミュージアムもある。なぜ日野にそういうものがあるのかというと,土方歳三や井上源三郎が生まれたところが日野だったらしいのだ。
 新選組はタチの良くないテロ集団でしかなかったとぼくは思っているんだけど,そういうものも含めて,日野って面白いところかもしれない。

2022.12.26 日本大学管弦楽団 第100回記念定期演奏会

ミューザ川崎 シンフォニーホール
● 開演は18時。チケットはS席が1,500円,A席が1,000円。500円の違いならSにしときましょ。
 で,teket で電子チケットを購入しておいた。電子チケットもコロナ禍で普及したもののひとつ。コロナが収束しても紙チケットに戻らず,電子チケットが定着して欲しい。たぶん,定着すると思う。
 記念にほぼ日手帳やトラベラーズノートに貼って残しておきたいから,チケットは紙の方がいい,という向きもあるかもしれないが,それを上回るメリットが電子チケットにはある。

● 第一に購入するのに手数料がかからない。“ぴあ” だとシステム使用料とか発券手数料とか余計なものがかかる。紙で受け取るとなれば,当然そうなる。紙が自分で飛んできてくれるわけではないからだ。電子チケットは飛んできてくれる。
 第二に,当日の午前中でも購入できる。行けるか行けないかわからないというときに,これはありがたい。行けるとわかってからでも購入できるからだ(完売になっていて買えないこともあるかもしれないけど)。
 というわけだから,ぼくは電子チケット推しだ。

● 日本大学管弦楽団の演奏を聴くのは,今回が初めて。たまたま100回という節目の演奏会に立ち会えることになった。
 曲目は次のとおり。指揮は佐藤雄一さん。この楽団の常任指揮者を務めている若い人。
 シベリウス 交響詩「フィンランディア」
 スメタナ 連作交響詩「我が祖国」より “モルダウ”
 チャイコフスキー 交響曲第5番 ホ長調

​​● チャイコフスキーの5番では木管のレベルの高さを感じた。特にオーボエの女性が全体を締めてるなと感じながら聴いていた。配置図が配られたので,あとで確認したところ,彼女は賛助出演者。
 第2楽章のホルンのソロは難しいんでしょうねぇ。どうやればいいのか悩みもするでしょ。危なげなく危なっかしく吹けと言われても,雲を掴むような話だ。

● 日大といえば,日本一のマンモス大学。団員はしかし,100名程度であるらしい。マンモス大学といっても,キャンパスは広範囲に散らばっている。三崎町にドンとまとまってあるわけではないから,団員の数もそんなに多くはならないのでしょう。
 日大には芸術学部もある。日芸といえば相当な知名度を誇る。音楽学科もある。が,プログラム冊子に載っている団員名簿を見ると,芸術学部の学生は2人しかいない。いや,2人もいるというべきか。音楽学科ではないかもしれない。

​● 首都圏の大学オケはインカレ団体の場合が多い。他大学の学生も加わっている。が,この楽団には他大学の学生はいない。日大純正。珍しい。
 が,OB・OGの他に賛助出演者が多いのだが,賛助という名前を与えているだけで,実際には団員と同じ活動をしている他大学の学生なのかもしれない,と思わないでもない。

● コロナが収まったわけではないし,月曜日の午後6時からとあっては,観客の入りも限られる。勤勉に働いている人,つまり大人の大半は来ることができない。専業主婦だってこの時間帯は夕食の準備で忙しいはずだ。
 大学生は冬休みに入っているのだろうが,バイトで忙しかったりするだろう。来れるのは,ぼくのような毎日が日曜日のロートルだけかもしれない。
 というわけで,ミューザの客席もけっこうな余裕があった。こちらとしてはその方がありがたいのだけど。

2022年2月10日木曜日

2022.02.10 間奏69:今年は地元に沈潜したい

● 以前は「フロイデ」,今は「オケ専」と「i-Amabile」で,コンサートの開催予定がわかる。それらのサイトをスマホのホーム画面に貼りつけて使っている。
 が,それらをスマホから削除しようと思う。っていうか,先ほど,削除した。
 理由はハッキリしている。東京圏で開催される演奏会を聴きに行くのはやめようと思っているからだ。

● やめてどうするのかといえば,地元で開催されるものに限って聴くことにする。元々そうだったのだから,元に戻すだけのことだ。
 地元開催のものが「オケ専」や「i-Amabile」に載ることはあまりないので,これらのサイトをスマホに貼りつけていても仕方がないというわけだ。
 地元の演奏会は地元の楽団やホールのサイトで情報のほぼすべてが得られる。ホールに行ったときに,チラシをチェックすれば完璧になる。

● で,鹿沼フィルとか真岡市民交響楽団のサイトを見てみたんだけれども,真岡オケの昨年12月の定演は聴き損ねている。12月19日だ。何で? と思って手帳を確認してみた。
 この日は青山学院のメサイアを聴きに,東京に行っていたのだった。つまり,こういうことをやめようと思うわけだ。
 車を手放したので,公共交通機関で真岡に行くよりは東京の方が近いかもしれないのだが,そういうことであっても地元に沈潜しようと思う。

● 昨年は自分の鑑賞能力を超えて聴き過ぎた。消化不良を起こしている。過ぎたるは及ばざるに劣る。
 聴いただけでは聴いたことにならず,それを言語化して初めて “聴く” が完結すると思っている。ところが,その言語化ができなくなった。聴き過ぎだけが理由ではないのかもしれないけれど,とにかく言語化が追いつかない。
 地元で開催される演奏会を拾っていくに留めようと思うのは,そういう理由による。地元に沈潜すると,自ずと聴く数が少なくなるから。

● コロナ問題もある。コロナだから首都圏に出ていくのが嫌だというのではない。
 コロナで開催を止める度合は東京圏より地方の方が顕著だ。抵抗しない。サッサと白旗をあげる。地方だと抵抗する手段がないのかもしれない。
 ので,この2年間は東京依存が高くなった。東京圏の方が緊急事態宣言が出ていた期間はずっと長いのだが,中止や延期をせずに開催する率は,地方より東京圏の方が高かった。
 ならば,東京まで聴きに行くしかない。だから,そのようにしていた。

● そのコロナにこれ以上つきあう余力が社会になくなった。それゆえ,コロナもそろそろ終わりだ。本当はオミクロンが主流になったところで収束宣言を出してもよかったのだと思うが。
 そうなれば人流が増える。ぼくは天邪鬼なので,コロナが収束したらあまり動かないことにしようと思っているのだ。演奏会は地元開催のものだけを聴く。

ミューザ川崎
● ただし,例外はある。「音楽大学オーケストラ・フェスティバル」だけは例外とする。現時点でそれは決めている。
 が,他にも例外が出ちゃうでしょうねぇ。先月の29日は川崎に泊まったのだが,ミューザに出向いた。何をしに行ったかと言えば,チラシをチェックするためだ。
 地元に沈潜しようと思っているのに,なぜミューザ開催のチラシをチェックしているのだ? という話だ。例外を見つけようとしているようなものだ。
 自分への裏切りではないか,俺よ。