言っておくが,ポリオ根絶に協力しようなどという殊勝な志は,ぼくにはない。にもかかわらず,この演奏会に行ってみようと思った理由は2つある。
● ひとつには,オーケストラの演奏はしばしば聴く機会があって,実際に聴いているけれども,それ以外のソロとか室内楽といった小規模な演奏を聴く機会が少ない。
いや,機会じたいはあるのかもしれない。そうした機会の告知を見逃しているだけなのかも。そうした演奏は聴き手のレベルも直裁に問われるようで,少し怖いと思っているから。
ともあれ。今回はその少ない機会であるに違いない。しかも,“どこかで聴いた” となればとっつきやすい。
● もうひとつは,情報収集だ。コンサート開催の情報収集の手段はいろいろあるけれども,ぼくの場合だとネットよりも,コンサートに出向いた際に,入場時に渡されるチラシに依存している度合いが高い。プログラム冊子に折り込まれるチラシだね。
で,オーケストラの演奏会で渡されるチラシはオーケストラのものが多い。オーケストラ以外の演奏会の情報が入ってこない。しかも,オーケストラ情報はネットでも容易に見つけることができるのだが,非オーケストラ情報はこれが意外に難しい。
要するに,チラシをもらうため。だから,こうした演奏会でチラシが少ないと,何だか損をしたような気分になる。
● さて。前半はフルートの栗田智水さんとヴァイオリンの渡邊響子さん。
まずはフルートから。曲目は次のとおり。
ドップラー ハンガリー田園幻想曲
ピアソラ リベルタンゴ
村松崇継 EARTH
● 「EARTH」は初めて聴くものだが,あとの2曲はたしかに馴染みがある。「リベルタンゴ」は栗田さん自身のフルートで過去にも聴いたことがある。
「リベルタンゴ」に限らず,よく聴かれる曲は大衆性を持っているからだが,大衆性の成分は何なのか。これがわからない。後講釈をしようと思えばできなくもないと思うけれども,つまるところはよくわからない。
大衆性を持っているからよく聴かれるのではなく,よく聴かれる曲を大衆性があると言うのだ,と言うしかない。
● ここまでのフルート捌きは,ぼくからすればはっきりと異能だ。ここまでになるのにどれほどの時間とお金と心労を注ぎ込んできたのか。
ぼくらは客席にいて,その上澄みをすくって飲んでいるようなものだ。一番得な役回りだ。
奏者は批判されることがあるが,観客にそれはない。つまり,奏者は生きているが観客は死んでいる。絶対に批判されることのない側に身を置くことは,極端にいえばそういうことだ。
しかし,その観客なくして音楽は(たぶん)成立しない。時々,やるせなくなることはないのかと思う。
● 渡邊さんのヴァイオリン。曲目は次のとおり。
エルガー 愛の挨拶
モーツァルト アイネ・クライネ・ナハトムジーク(第1楽章)
クライスラー ネグロスピリチュアル
ドヴォルザーク ユーモレスク
モンティ チャルダッシュ
● いずれも耳に馴染みがある。かつ,いずれも聴き応えあり。
その中からひとつあげろと言われれば「チャルダッシュ」。曲が “大衆性” を持っているのに加えて,奏者の技術がすごいんだわ。ため息が出る水準。ガッガッガッと攻めていて,その攻め方が的確なんでしょうね,小気味いいんですよ。
おそらくジプシー音楽の成分が入っているのだろう(→ “チャルダッシュ” とはジプシーの民族舞踏の名前であるらしい),人生の切なさ,囲われていてそこから出ることができない虚しさのようなものが伝わってくる。
● モーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」をソロで聴く機会もあまりない。こういう演奏で聴けるなら,むしろソロで聴いた方が紛れがない。
● ここまでのフルート捌きは,ぼくからすればはっきりと異能だ。ここまでになるのにどれほどの時間とお金と心労を注ぎ込んできたのか。
ぼくらは客席にいて,その上澄みをすくって飲んでいるようなものだ。一番得な役回りだ。
奏者は批判されることがあるが,観客にそれはない。つまり,奏者は生きているが観客は死んでいる。絶対に批判されることのない側に身を置くことは,極端にいえばそういうことだ。
しかし,その観客なくして音楽は(たぶん)成立しない。時々,やるせなくなることはないのかと思う。
● 渡邊さんのヴァイオリン。曲目は次のとおり。
エルガー 愛の挨拶
モーツァルト アイネ・クライネ・ナハトムジーク(第1楽章)
クライスラー ネグロスピリチュアル
ドヴォルザーク ユーモレスク
モンティ チャルダッシュ
● いずれも耳に馴染みがある。かつ,いずれも聴き応えあり。
その中からひとつあげろと言われれば「チャルダッシュ」。曲が “大衆性” を持っているのに加えて,奏者の技術がすごいんだわ。ため息が出る水準。ガッガッガッと攻めていて,その攻め方が的確なんでしょうね,小気味いいんですよ。
おそらくジプシー音楽の成分が入っているのだろう(→ “チャルダッシュ” とはジプシーの民族舞踏の名前であるらしい),人生の切なさ,囲われていてそこから出ることができない虚しさのようなものが伝わってくる。
● モーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」をソロで聴く機会もあまりない。こういう演奏で聴けるなら,むしろソロで聴いた方が紛れがない。
ドヴォルザーク「ユーモレスク」を聴くと,雨,雨,降れ降れ,と詞をつけたくなるのは,どういう訳の訳柄だろう。
ともあれ。ここまでのヴァイオリンを栃木で聴けるというのは少々以上の驚きで,彼女を追っかけてみたくなる。プライベイトでそれをやったのではストーカーだから,コンサートの追っかけというわけなんだけど,追っかけてみる価値は間違いなくあると感じた。
● 前半の最後はフルートとのヴァイオリンでドップラー「アメリカ小二重奏曲」。ここまで聴いて,募金をするために慌てて席を立った。入場料の1,000円だけですませていてはいけないような気がした。
● 後半は声楽とピアノ。まず,声楽。奏者は荒川茉捺さんと早川愛さん。
リスト 愛の夢(荒川)
プッチーニ 歌劇「ジャンニ・スキッキ」より “私のお父さん”(早川)
その後は,お二人で日本の唱歌。
滝廉太郎 花
成田為三 浜辺の歌
山田耕筰 赤とんぼ
中田喜直 雪の降るまちを
● 前半からずっとピアノ伴奏は益子徹さんが務めた。声楽ではMCも担当。
で,最後のピアノは大嶋浩美さんで,ショパンの「ノクターン」と「華麗なる大ポロネーズ」で締めた。
● というわけなのであって,チャリティーの趣旨は趣旨として,コンサートの中身だけ取り出すと,これで1,000円はあり得ない料金ということになる。
と思うがゆえに募金もしたわけなのだ。かなり満足度が高い。
ともあれ。ここまでのヴァイオリンを栃木で聴けるというのは少々以上の驚きで,彼女を追っかけてみたくなる。プライベイトでそれをやったのではストーカーだから,コンサートの追っかけというわけなんだけど,追っかけてみる価値は間違いなくあると感じた。
● 前半の最後はフルートとのヴァイオリンでドップラー「アメリカ小二重奏曲」。ここまで聴いて,募金をするために慌てて席を立った。入場料の1,000円だけですませていてはいけないような気がした。
● 後半は声楽とピアノ。まず,声楽。奏者は荒川茉捺さんと早川愛さん。
リスト 愛の夢(荒川)
プッチーニ 歌劇「ジャンニ・スキッキ」より “私のお父さん”(早川)
その後は,お二人で日本の唱歌。
滝廉太郎 花
成田為三 浜辺の歌
山田耕筰 赤とんぼ
中田喜直 雪の降るまちを
● 前半からずっとピアノ伴奏は益子徹さんが務めた。声楽ではMCも担当。
で,最後のピアノは大嶋浩美さんで,ショパンの「ノクターン」と「華麗なる大ポロネーズ」で締めた。
● というわけなのであって,チャリティーの趣旨は趣旨として,コンサートの中身だけ取り出すと,これで1,000円はあり得ない料金ということになる。
と思うがゆえに募金もしたわけなのだ。かなり満足度が高い。
0 件のコメント:
コメントを投稿