栃木県総合文化センター メインホール
● 8月21日は総合文化センターのメインホールにNHK交響楽団宇都宮公演を聴きに行ってきた。初めて,プロのオーケストラの演奏を聴く機会を得た。
総文センターのホールに入るのは初めて。メインホール,いいホールですね。座席の勾配が適度にあるので,前の人の頭が邪魔にならない。那須野が原ハーモニーホールの小ホールに次いで,気に入りました。
● S席とA席には売れ残りがあったようだ。それでも1,600人収容のホールがほぼ満席。これほどのクラシックファンがいるのだと,あらためて妙な感慨にひたった。ぼくが来ているくらいなのだから,これだけの人がいても何ら不思議はないわけだけど。
ぼくの右は若いカップル。左はひとりで来たお嬢さん。前は就学前の女の子を連れた母親。女の子にヴァイオリンでも習わせているのだろう。一番目立ったのは60代の女性のグループかなぁ。特に教師あがりと思われるオバサマたち。後期高齢者もけっこういる。平均年齢は高い。
楽員の皆さん,前夜は前橋で同じ内容の演奏会を催行し,宇都宮は2日目になる。ご苦労さまです。
● 演しものはシベリウスのバイオリン協奏曲ニ短調とチャイコフスキーの交響曲第5番ホ短調の2つ。にわか音楽ファンのぼくは,どちらも初めて聴く曲だ。協奏曲のソリストはエリック・シューマン。母親はピアニストの日本人とのこと。
6月の栃響の定期演奏会にソリストで来ていたファッゴトの菅原恵子さんがいた。N響の楽員なんだから,あたりまえなんだけど。
● ソリストのヴァイオリンはストラデバリウスの「ジュピター」とのことだが,その音色はぼくにはまさに猫に小判。
しかし,プロオーケストラの技は充分に見せてもらった。疲れてもいるだろうし,慣れもあるだろう。油断が入り込んだり,緊張が途切れたりしがちなものかとも思うのだが,そこはプロ。楽器を持てば緊張と集中に入りこむのが習い性になっている(のだろう)。
● 唯一,残念だったのがお金をケチってB席にしてしまったこと。一応2階席なのだが,高さ的には4階相当で,ステージははるか下。楽員はみな俯いている。上から見下ろすのだから当然だ。表情は見えた方がいいね。次はケチらずにS席にしようと思った。
こんな席がなんでSなのというくらいS席が多いから,早めに予約していい席を確保することが基本ですな。
約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2009年8月31日月曜日
2009.08.17 間奏5:ライブの快感は胎内回帰
● 音楽をCDで聴くのとライブで聴くのとはまったく別の行為で,重なる部分はほとんどない。
CDで聴くときは理性というか頭で聴いている。自分と音との間には充分な距離があって,それゆえ自分の中の批評家や審査員があれこれと口を出しがちになる。
けれども,ライブだと理性が裏側に引っこむ。感情で聴くというのはおかしいけれども,頭ではなく全身で聴いている。客席にいる自分とステージとの距離がだんだん詰まってきて,ついにはステージと自分が一体になる。それゆえ,自分の中の批評家や審査員は出る幕がなくなる。
● したがって,と言っていいのかどうかわからないけれども,ライブで幸福感を享受するに際しては奏者の技術的な巧拙は問題にならない。もちろん,技術の最低レベルはクリアしてて欲しいけれども,その最低レベルってのはたぶん高校生の上級レベルでいいのではないか。
それを超えて巧いに越したことはないけれども,越したことはないというにとどまる。ぼく的には真岡市民交響楽団,宇都宮大学管弦楽団のレベルであれば充分に幸福感に浸れる。
● 技術的な巧拙でなければ何がライブの質を決めるのだろう。それを特定するためには,ライブでの幸福感の正体を突きとめなければならない。
暫定的な回答だけれども,どうやら胎内回帰の快感だろうかと推測している。母親の子宮内で羊水に浸っていた胎児に戻る快感。音楽に包まれる感じ。
始まってから終わるまでずっと変化を続ける音の高低,強弱,響き。いくつもの楽器が奏でるいくつもの音があるいは重なり,あるいは別々に存在して,自分をくるむ。あるときはひそやかに,あるときはしっかりと。あるときは軽く,あるときは強く。
千変万化する包み方で自分を包んでくれる。ただ音楽の波間に漂っていればいい安心感。これが幸福感の正体ではないか,と。
● 奏者の思い,集中力は大事だ。巧くなくても思いは切らさないでほしい。それが演奏に緊張をもたらす。緊張を欠いた演奏はライブといえども雑音に過ぎなくなる。
2009.08.16 Seven☆Star Orchestra第1回演奏会
ティアラこうとう 大ホール
● 16日も同じ「ティアラこうとう」に行った。今度は「SevenStar Orchestra」の第1回演奏会である。第1回の演奏に立ち会えるのも何かの縁と思って,数ある中からこれを選んだ。チケットは無料。受付でプログラムを受け取る。なんか申し訳ないような後ろめたさを感じますな。
お客の入りは前日より多く,8割は入っていたのではないかと思う。
● 「SevenStar Orchestra」の名前の由来は,「7」にこだわることをコンセプトにして設立したからだという。たとえば,初回の今日の演しものはベートーヴェンの序曲「コリオラン」と交響曲第7番,モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」なんだけど,6番でも9番でもなく7番だ,と。
何故に「7」にこだわるのかは不明。またその程度のこだわりでメンバーを集められるのかとも思うが,実際に集まって演奏会をやるんだからねぇ。
プログラムにも,前提となる団体があるわけではなく出身大学もバラバラで,とあったけど。
● しかし。演奏のレベルは今まで聴いたオーケストラの中でトップ。
まず,序曲「コリオラン」でグイグイ引き込まれた。もちろん,曲自体の力もあるだろう。1回目の演奏会の1番目に序曲「コリオラン」を持ってきたのは正解だったろう。けれども,それだけのはずがない。音が美しいのだ。
● 演奏がきれいなオーケストラはビジュアルも美しい。女性楽員のステージ衣装が色とりどりでカラフルだった。
が,そういうことではないね。演奏中の姿や動きがいちいち絵になるのだ。ファーストヴァイオリンの奏者たちの腕の動き,肩や肘の動き,手首の動き,上半身の揺れ方,顔の向きの変化に目が釘付けになる。綺麗だなぁと思って見とれてしまう。管楽器はさすがにこのあたりは見えにくい。客席に近いところに弦を配していることには理由があるのだなぁと思いましたね。
つまり,ビジュアルを決めるのは,生まれもった顔かたちの問題ではないってことね。
● モーツァルトの「プラハ」を経て,再びベートーヴェンの第7番。圧巻だった。3楽章の途中で涙がでた。雑念は湧いてくるんですよ。だから,曲を聴くことに集中しようと思いながら,それでも涙がでてくる。何なんだろうなぁ。
この世に音楽ってものがあること。音楽を演奏し表現することの才に恵まれた人たちがいて,彼らが膨大な時間とエネルギーを注いでその表現に取り組んでいること。そして,その鍛錬の結果をぼくたちに見せてくれること。これらのことに,ありがとうって言いたくなる。
この演奏会が午後2時からでよかった。もし夜だったら,朝まで眠れなくなるところだった。
● ベト7はCDで何度も聴いている。17日も帰宅してから,CDを聴いたことは言うまでもない。翌日の出勤時にはカーオーディオのボリュームをいつもより5割方あげてベト7を聴いた。
しかし,いくらボリュームをあげようとも,あのライブで味わったときめきと幸福感は再現されない。それゆえライブには価値がある。
● 16日も同じ「ティアラこうとう」に行った。今度は「SevenStar Orchestra」の第1回演奏会である。第1回の演奏に立ち会えるのも何かの縁と思って,数ある中からこれを選んだ。チケットは無料。受付でプログラムを受け取る。なんか申し訳ないような後ろめたさを感じますな。
お客の入りは前日より多く,8割は入っていたのではないかと思う。
● 「SevenStar Orchestra」の名前の由来は,「7」にこだわることをコンセプトにして設立したからだという。たとえば,初回の今日の演しものはベートーヴェンの序曲「コリオラン」と交響曲第7番,モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」なんだけど,6番でも9番でもなく7番だ,と。
何故に「7」にこだわるのかは不明。またその程度のこだわりでメンバーを集められるのかとも思うが,実際に集まって演奏会をやるんだからねぇ。
プログラムにも,前提となる団体があるわけではなく出身大学もバラバラで,とあったけど。
● しかし。演奏のレベルは今まで聴いたオーケストラの中でトップ。
まず,序曲「コリオラン」でグイグイ引き込まれた。もちろん,曲自体の力もあるだろう。1回目の演奏会の1番目に序曲「コリオラン」を持ってきたのは正解だったろう。けれども,それだけのはずがない。音が美しいのだ。
● 演奏がきれいなオーケストラはビジュアルも美しい。女性楽員のステージ衣装が色とりどりでカラフルだった。
が,そういうことではないね。演奏中の姿や動きがいちいち絵になるのだ。ファーストヴァイオリンの奏者たちの腕の動き,肩や肘の動き,手首の動き,上半身の揺れ方,顔の向きの変化に目が釘付けになる。綺麗だなぁと思って見とれてしまう。管楽器はさすがにこのあたりは見えにくい。客席に近いところに弦を配していることには理由があるのだなぁと思いましたね。
つまり,ビジュアルを決めるのは,生まれもった顔かたちの問題ではないってことね。
● モーツァルトの「プラハ」を経て,再びベートーヴェンの第7番。圧巻だった。3楽章の途中で涙がでた。雑念は湧いてくるんですよ。だから,曲を聴くことに集中しようと思いながら,それでも涙がでてくる。何なんだろうなぁ。
この世に音楽ってものがあること。音楽を演奏し表現することの才に恵まれた人たちがいて,彼らが膨大な時間とエネルギーを注いでその表現に取り組んでいること。そして,その鍛錬の結果をぼくたちに見せてくれること。これらのことに,ありがとうって言いたくなる。
この演奏会が午後2時からでよかった。もし夜だったら,朝まで眠れなくなるところだった。
● ベト7はCDで何度も聴いている。17日も帰宅してから,CDを聴いたことは言うまでもない。翌日の出勤時にはカーオーディオのボリュームをいつもより5割方あげてベト7を聴いた。
しかし,いくらボリュームをあげようとも,あのライブで味わったときめきと幸福感は再現されない。それゆえライブには価値がある。
2009.08.15 西池袋管弦楽団第6回定期演奏会
ティアラこうとう 大ホール
● 15日から2泊3日で東京にやってきた。家族旅行である。ホテルに泊まって美味しいものを食べようというわけだが,ムスコも中学生になって,親にべったり付き添われるのは迷惑らしい。
というわけで,ぼくは都内で開かれるコンサートに行くことにした。自慢ではないが,ぼくのこづかいは週8千円だ。5月以降,コンサートの費用もこの枠内でやりくりしている。しかし,この度は自宅から東京までの旅費は家計から出る。都内の移動費だけ自分で出せばいい。
● アマチュアオーケストラの活動状況を集めた「Freude」というサイトがありますね。演奏会の日程などもまとめて載っている。もちろん,アマオケのすべてを網羅するなんてことはできるはずもなく,載っているのは一部の団体だけなんだけども,とにかく世界に冠たる帝都東京であって,15日も16日もあちこちで演奏会は行われているのだ。
● その中から15日は西池袋管弦楽団の演奏会に行ってみることにした。19時から。場所は「ティアラこうとう」。
西池袋管弦楽団は,立教大学のOB・OGが中心になって作った楽団。であれば,演奏レベルは信頼できると見た。
ホテルが恵比寿なので,まず山手線で渋谷に出,渋谷から半蔵門線に乗り換えて住吉で下車。住吉駅から3百メートルの距離。初めてだったので早めに向かった。
● チケットは5百円。ホームページの演奏会告知のページを印刷して持参すれば無料になる。ということは,要するに無料ってこと。ぼくは印刷する暇がなかったので5百円を払って入場した。
5百円くらい取っても焼け石に水だろうし,無料にした方がお客さんが増えるのは確かだろうけれども,アマチュアといえどコンサートを無料でやるってのはよろしくない。5百円でも千円でも取るべきだと思う。
● ティアラこうとう大ホール。収容人員は千人に満たないが,流麗なホールだった。今どきのホールはどこもすごいんだけどね。
ぼくの中のスタンダードってのは,中学校の体育館,せいぜい昔の栃木会館の大ホールだから,どこに行ってもすごいもんだなぁと思うことになっている。
● お客さんの入りは6~7割といったところだったろうか。
曲目は3つともブラームスだった。悲劇的序曲,ハイドンの主題による変奏曲,交響曲第1番。
2つが同一作曲者ってのはわりとあるパターンだけど,3つとも同じってのは初めてですね。もとより文句があるわけではないけれど。
● 演奏終了後,指揮者がパートごとに立たせて観客に紹介するわけだけど,ティンパニ(女性奏者)に対する拍手がひときわ大きかった。素人にはパーカッションが何気に格好良く映るのですよね。それと,彼女が美人だったこと。
コントラバス弾きの男性で目立つのがいた。動作が大きいのですね。一生懸命に弾いているのが伝わってくる。のだが,無駄な動きがありすぎないか。しかし,彼はあれがウリなのかも。
● 帰りはJR錦糸町駅まで歩いてJRで帰ってきた。その方が70円安くなるのと,ぼくが田舎者ゆえか,同じ電車でも地下鉄は疲れるので。JRの方が体を固くする度合いが少なくてすむっていうか。
総武線の各駅に乗り,代々木で山手線に乗り換え。新宿のひとつ手前で乗り換えられるのがありがたい。新宿の殺人的な雑踏は閉口だ。昔はそんなことなかったんだけどね。スイスイ泳いでいたような気がするのだが。
● 15日から2泊3日で東京にやってきた。家族旅行である。ホテルに泊まって美味しいものを食べようというわけだが,ムスコも中学生になって,親にべったり付き添われるのは迷惑らしい。
というわけで,ぼくは都内で開かれるコンサートに行くことにした。自慢ではないが,ぼくのこづかいは週8千円だ。5月以降,コンサートの費用もこの枠内でやりくりしている。しかし,この度は自宅から東京までの旅費は家計から出る。都内の移動費だけ自分で出せばいい。
● アマチュアオーケストラの活動状況を集めた「Freude」というサイトがありますね。演奏会の日程などもまとめて載っている。もちろん,アマオケのすべてを網羅するなんてことはできるはずもなく,載っているのは一部の団体だけなんだけども,とにかく世界に冠たる帝都東京であって,15日も16日もあちこちで演奏会は行われているのだ。
● その中から15日は西池袋管弦楽団の演奏会に行ってみることにした。19時から。場所は「ティアラこうとう」。
西池袋管弦楽団は,立教大学のOB・OGが中心になって作った楽団。であれば,演奏レベルは信頼できると見た。
ホテルが恵比寿なので,まず山手線で渋谷に出,渋谷から半蔵門線に乗り換えて住吉で下車。住吉駅から3百メートルの距離。初めてだったので早めに向かった。
● チケットは5百円。ホームページの演奏会告知のページを印刷して持参すれば無料になる。ということは,要するに無料ってこと。ぼくは印刷する暇がなかったので5百円を払って入場した。
5百円くらい取っても焼け石に水だろうし,無料にした方がお客さんが増えるのは確かだろうけれども,アマチュアといえどコンサートを無料でやるってのはよろしくない。5百円でも千円でも取るべきだと思う。
● ティアラこうとう大ホール。収容人員は千人に満たないが,流麗なホールだった。今どきのホールはどこもすごいんだけどね。
ぼくの中のスタンダードってのは,中学校の体育館,せいぜい昔の栃木会館の大ホールだから,どこに行ってもすごいもんだなぁと思うことになっている。
● お客さんの入りは6~7割といったところだったろうか。
曲目は3つともブラームスだった。悲劇的序曲,ハイドンの主題による変奏曲,交響曲第1番。
2つが同一作曲者ってのはわりとあるパターンだけど,3つとも同じってのは初めてですね。もとより文句があるわけではないけれど。
● 演奏終了後,指揮者がパートごとに立たせて観客に紹介するわけだけど,ティンパニ(女性奏者)に対する拍手がひときわ大きかった。素人にはパーカッションが何気に格好良く映るのですよね。それと,彼女が美人だったこと。
コントラバス弾きの男性で目立つのがいた。動作が大きいのですね。一生懸命に弾いているのが伝わってくる。のだが,無駄な動きがありすぎないか。しかし,彼はあれがウリなのかも。
● 帰りはJR錦糸町駅まで歩いてJRで帰ってきた。その方が70円安くなるのと,ぼくが田舎者ゆえか,同じ電車でも地下鉄は疲れるので。JRの方が体を固くする度合いが少なくてすむっていうか。
総武線の各駅に乗り,代々木で山手線に乗り換え。新宿のひとつ手前で乗り換えられるのがありがたい。新宿の殺人的な雑踏は閉口だ。昔はそんなことなかったんだけどね。スイスイ泳いでいたような気がするのだが。
2009.08.09 鹿沼高等学校音楽部管弦楽団第14回定期演奏会
鹿沼市民文化センター 大ホール
● 鹿沼高校の定期演奏会に行ってきました。8月9日(日)の13時開場,13時30分開演。入場料は無料。
● 演しものは次の3本。
ハチャトゥリアン 組曲「仮面舞踏会」
新見徳英 管弦楽組曲「森は踊る」
ドヴォルザーク 交響曲第8番
● ハチャトゥリアンも新見徳英もぼくは全然知らなかった。「仮面舞踏会」については,浅田真央がを自身の演技に採用して知られるようになったとプログラムに紹介されていた。こっちは浅田真央にもあまり興味がないからねぇ。
● 過去に演奏した曲目もプログラムに載っているんだけど,あまりポピュラーではないとんがった曲を採用しているようだ。高校生らしいというか(ぼくがあまりに曲を知らないために,とんがった曲と思ってしまうだけかもしれないけどね)。
ドヴォルザークの第9番は6月に宇大管弦楽団の演奏で聴いた。感銘を受けたものだから,そのあとCDで何度か聴いた。第8番(ドボ8というんだそうだ)は今日初めて聴く。
と書いたところで気がついた。5月に宇都宮シンフォニー・オーケストラの演奏で聴いていました。
● 文化センター大ホールの座席は3分の2が埋まったろうか。多くは生徒の保護者とか親戚,学校関係者だと思うんだけど,単独で来ていた若者もいた。
じつは,ぼくのように鹿沼高校はおろか鹿沼市とも何のゆかりもない人間が行くと,お邪魔してすみません的な居心地の悪さを味わうことになるかもしれないとちょっと不安だったんだけれども,そのようなことは微塵もなく,普通に楽しむことができた。
ぼくの隣のオバサン(ぼくよりは若いが)は演奏中は寝ていたくせに,拍手は人一倍熱心にしていた。ありだよな。
● 「森は踊る」の演奏は(少なくとも高校生の演奏では)日本で初めてだったらしい。新見氏本人が演奏の指導もし,この日も本人が指揮をした。生徒にとっては緊張の中にも晴れがましい体験だったろうねぇ。
演奏前に氏の肉声を聞くことができた(インタビューがあって)。東大工学部を卒業してから芸大作曲学科に進んだ。東大も工学も惜しげもなく捨てたんだろう。かっこいいねぇ。
● 「森は踊る」はややこしい曲で,よく演奏するなぁと感心した。ドボルザークもしかり。総じて高校生は可愛らしかった。一生懸命さが伝わってきた。
高校に入ってから初めて楽器に触ったという生徒も相当数いるに違いない。それでもここまで音を作って合わせてくる。勉強の合間にここまでできれば立派なものだと思った。高校生,恐るべし。
● もちろん,難点を指摘することはできる。たとえば演奏に固さがあった。野球にたとえれば球をあてに行っている感じ。バットを思いきりよく振りきっていないから,音にキレが出ない。ミスを怖れてのことだと推測するが,あてに行く態度がかえってミスを呼びこむ。実際,ぼくの耳でもそれとわかるミスがあった。
しかし,そういうことはあっても,オーケストラとしてちゃんと成立していたし,あの大曲をともかく演奏しきれるんだから。
● 生徒たちは大きな達成感を味わったことだろう。自分の高校時代に照らしてみると,彼らの高校生活はとても充実したものに映る。羨ましい。
彼らの中にプロの演奏家になる人はたぶんいないと思う。そういう意味では将来に直接つながるものではない。が,そういう形でつながるかどうかなんてどうでもいいことだ。将来のための現在ではない。今ここをどれだけ充足した場にできるかだ。
● その日の夜,ドヴォルザークの第8番をCDで聴いてみた。プロのオーケストラの演奏をCDで聴くよりも,高校生の演奏をライブで聴く方がずっと体に染みてくるんだなぁ。オーケストラをライブで聴くってのはとても贅沢なことなんだと,あらためて知ることになった。
今回の演奏を聴くためのコストは往復の電車賃だけ。それで贅沢な2時間を過ごせる。そういう環境にいることを有難いと思う。ずっと以前から同じ環境にいたのに,こちらの準備が整っていなかったために,その贅沢を享受しないできてしまった。もったいないことをしてきたなぁ。
● 鹿沼高校の定期演奏会に行ってきました。8月9日(日)の13時開場,13時30分開演。入場料は無料。
● 演しものは次の3本。
ハチャトゥリアン 組曲「仮面舞踏会」
新見徳英 管弦楽組曲「森は踊る」
ドヴォルザーク 交響曲第8番
● ハチャトゥリアンも新見徳英もぼくは全然知らなかった。「仮面舞踏会」については,浅田真央がを自身の演技に採用して知られるようになったとプログラムに紹介されていた。こっちは浅田真央にもあまり興味がないからねぇ。
● 過去に演奏した曲目もプログラムに載っているんだけど,あまりポピュラーではないとんがった曲を採用しているようだ。高校生らしいというか(ぼくがあまりに曲を知らないために,とんがった曲と思ってしまうだけかもしれないけどね)。
ドヴォルザークの第9番は6月に宇大管弦楽団の演奏で聴いた。感銘を受けたものだから,そのあとCDで何度か聴いた。第8番(ドボ8というんだそうだ)は今日初めて聴く。
と書いたところで気がついた。5月に宇都宮シンフォニー・オーケストラの演奏で聴いていました。
● 文化センター大ホールの座席は3分の2が埋まったろうか。多くは生徒の保護者とか親戚,学校関係者だと思うんだけど,単独で来ていた若者もいた。
じつは,ぼくのように鹿沼高校はおろか鹿沼市とも何のゆかりもない人間が行くと,お邪魔してすみません的な居心地の悪さを味わうことになるかもしれないとちょっと不安だったんだけれども,そのようなことは微塵もなく,普通に楽しむことができた。
ぼくの隣のオバサン(ぼくよりは若いが)は演奏中は寝ていたくせに,拍手は人一倍熱心にしていた。ありだよな。
● 「森は踊る」の演奏は(少なくとも高校生の演奏では)日本で初めてだったらしい。新見氏本人が演奏の指導もし,この日も本人が指揮をした。生徒にとっては緊張の中にも晴れがましい体験だったろうねぇ。
演奏前に氏の肉声を聞くことができた(インタビューがあって)。東大工学部を卒業してから芸大作曲学科に進んだ。東大も工学も惜しげもなく捨てたんだろう。かっこいいねぇ。
● 「森は踊る」はややこしい曲で,よく演奏するなぁと感心した。ドボルザークもしかり。総じて高校生は可愛らしかった。一生懸命さが伝わってきた。
高校に入ってから初めて楽器に触ったという生徒も相当数いるに違いない。それでもここまで音を作って合わせてくる。勉強の合間にここまでできれば立派なものだと思った。高校生,恐るべし。
● もちろん,難点を指摘することはできる。たとえば演奏に固さがあった。野球にたとえれば球をあてに行っている感じ。バットを思いきりよく振りきっていないから,音にキレが出ない。ミスを怖れてのことだと推測するが,あてに行く態度がかえってミスを呼びこむ。実際,ぼくの耳でもそれとわかるミスがあった。
しかし,そういうことはあっても,オーケストラとしてちゃんと成立していたし,あの大曲をともかく演奏しきれるんだから。
● 生徒たちは大きな達成感を味わったことだろう。自分の高校時代に照らしてみると,彼らの高校生活はとても充実したものに映る。羨ましい。
彼らの中にプロの演奏家になる人はたぶんいないと思う。そういう意味では将来に直接つながるものではない。が,そういう形でつながるかどうかなんてどうでもいいことだ。将来のための現在ではない。今ここをどれだけ充足した場にできるかだ。
● その日の夜,ドヴォルザークの第8番をCDで聴いてみた。プロのオーケストラの演奏をCDで聴くよりも,高校生の演奏をライブで聴く方がずっと体に染みてくるんだなぁ。オーケストラをライブで聴くってのはとても贅沢なことなんだと,あらためて知ることになった。
今回の演奏を聴くためのコストは往復の電車賃だけ。それで贅沢な2時間を過ごせる。そういう環境にいることを有難いと思う。ずっと以前から同じ環境にいたのに,こちらの準備が整っていなかったために,その贅沢を享受しないできてしまった。もったいないことをしてきたなぁ。
登録:
投稿 (Atom)