約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2011年11月30日水曜日
2011.11.30 NHK公開録音「吹奏楽のひびき」
那須野が原ハーモニーホール大ホール
● 30日(水)には那須野が原ハーモニーホール(大ホールで)NHK公開録音「吹奏楽のひびき」というのが催された。去年は宇都宮市文化会館で同種の催しがあった。東京フィルハーモニー交響楽団の演奏をタダで聴けるという美味しい思いをした。
今回も無料なんだけれども,整理券を申し込んでおかないといけない。ところが,この催しがあることに気づいたのは,申込期限が過ぎたあとだった。
● しかし,その整理券がヤフーオークションに500円で出品されているのを発見。出品者は東京に住んでいる人。こうした無料の催事をチェックして整理券を取ったり,招待券をゲットして,ヤフオクに出すのを業としている人がいるんだね。ま,業としているわけではないか。
ともあれ,その整理券を買って,那須野が原ハーモニーホールに行ってきた。
● 吹奏楽は東京佼成ウインドオーケストラ。指揮者は新田ユリさん。
曲目はオリヴァドーティ「序曲バラの謝肉祭」,マーティン・エレビー「マルコム・アーノルド・ヴァリエーションズ」,北爪道夫「雲の変容」,ムソルグスキー「組曲 展覧会の絵」。
「展覧会の絵」以外は聞いたこともない。「展覧会の絵」にしたって,管弦楽版(たいていはラヴェル編)とはだいぶ違う。吹奏楽と管弦楽は別物。管弦楽から弦を取り去ったものが吹奏楽というものではないですよね。
● 吹奏楽には独特の迫力がある。吹いてる方は相当きついだろうね。休む間がないもんね。ひょっとしてワンステージごとに何キロか痩せるのではあるまいか。血管が切れるんじゃないかと余計な心配もする。
また,テンポが速く,音量も大きめな曲が多いせいか,ステージと客席の距離は,管弦楽よりずっと近いと感じられる。
● 会場はほぼ満席。タダってのが効いている。けれども,不遜な言い方をすれば,来てはいけない人まで来てしまうんだよなぁ。
でも,ぼくもまた500円で整理券が手に入ったからこそ,来たわけでね。もし,5,000円の料金設定だったら,はたして来たかどうか。だから,ぼくもまた彼らの同類かもしれないんだけどね。
2011.11.26 グローリア アンサンブル&クワイアー第19回演奏会
栃木県総合文化センター メインホール
● 26日(土)は総合文化センターでベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」を聴いた。「グローリア アンサンブル&クワイアー」なる団体が催行している。19回目の演奏会とあるから,毎年この時期にミサ曲や「レクイエム」などを演奏しているのだろうが,今まで気がつきませんでした。
ともあれ,今回初めて出かけてみた。合唱付きの演奏会は「第九」を除けば初めて。チケットは2千円だった。
● 指揮は片岡真理さん。荘厳ミサ曲の前に,バッハの「前奏曲ロ短調(平均律クラヴィア曲集第1巻より)」とシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」が演奏されたんだけれど,こちらの指揮は粂川吉見さん。
合唱のソリストは,小林晴美(ソプラノ),栗林朋子(アルト),小林彰英(テノール),押川浩士(バス)。いずれもプロの人たち。
管弦楽は実質的には栃響選抜。
● 片岡さんは国立音大の声楽科の出身で,県内のいくつかの合唱団を指導している。「グローリア アンサンブル&クワイアー」も創設時から手塩にかけているらしい。
そうした思い入れのゆえだと思うのだが,プログラムに載せている挨拶にこう書いている。
「練習は困難を極め,このような心境にも至りました。“痛みを伴いながら,音符がはがされていく。その痛みが音楽を奏でるのだ”」「この曲を演奏することにより,確実に栃木県の音楽水準の高さを内外に示すことが出来ることを誇りに思い・・・・・・」
団員代表の小田八千子さんが最後に謝辞を述べていて,これが落ち着いた日本語なので救われた感じがしたが。
● 「Members' words」と題してプログラムに団員の声を載せている。これがけっこう面白い。「ベトの超怪作。まさか文化の谷底,関東の極北で歌えるとは! 来年は救世主再来でしゅ」と書いている人がいた。
指揮者が「栃木県の音楽水準の高さを内外に示すことが出来ることを誇りに思」っているというのに,団員が「文化の谷底」などと本当のことを書いていいのか。
● まぁね,はるかな昔から,「文化不毛の地」が栃木県の代名詞になっている。他県の人が栃木を指してそう言うのではなく,自分たちが自虐的に言い続けてきたんだと思うんだけどね。
京都や金沢のような絢爛たる過去を持たないことに,劣等感を感じているのかもしれない。(文化的には)未開の地に住む民だ,と。
空っ風に代表される栃木の風土や,栃木の言葉(オーッ,オメヨー,ソーダッペー。チガーノゲ?)が,文化なるものとはいかにも相性が悪いと思っているのかもね。
さらには,他県の人に自信をもって提示できる郷土料理がないことも,ボディーブローのように効いているかなぁ。シモツカレじゃしょうがないもんな。関西や北陸,東北と比べて,栃木の食の水準が低かったことは紛れもない。内陸で海産物と無縁だったからね,食材で負けてたよなぁ。
● 個人的には,過去や伝統や歴史なんてのはどうでもいいと思ってますけどね(そう思う以外に選択肢がないじゃないか)。
はやい話が,現在に限定していえば,東京以外の地方すべてが「文化不毛の地」ではないか。文化生産?においても,東京一極集中はくっきりしてて(ただし,それを担っているのは地方から東京に出てきた人たち),それはメカニカルにそうならざるを得ないものでしょ。
● さて,コンサートの中身の話。きちんと練習しているのは見てとれた。ぼくなんぞはいくら練習してもこのレベルにはとてもなれないので,すごいものだなぁと思うしかない。これだけの大曲を素人が表現するわけだから,ひと通りさらうだけでも容易じゃないだろう。
これだけの集団になれば,ばらつきは当然ある。ひょっとして団員が膨らみすぎているのかも。
来年はヘンデルの「メサイア」をやるそうだ。
● 26日(土)は総合文化センターでベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」を聴いた。「グローリア アンサンブル&クワイアー」なる団体が催行している。19回目の演奏会とあるから,毎年この時期にミサ曲や「レクイエム」などを演奏しているのだろうが,今まで気がつきませんでした。
ともあれ,今回初めて出かけてみた。合唱付きの演奏会は「第九」を除けば初めて。チケットは2千円だった。
● 指揮は片岡真理さん。荘厳ミサ曲の前に,バッハの「前奏曲ロ短調(平均律クラヴィア曲集第1巻より)」とシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」が演奏されたんだけれど,こちらの指揮は粂川吉見さん。
合唱のソリストは,小林晴美(ソプラノ),栗林朋子(アルト),小林彰英(テノール),押川浩士(バス)。いずれもプロの人たち。
管弦楽は実質的には栃響選抜。
● 片岡さんは国立音大の声楽科の出身で,県内のいくつかの合唱団を指導している。「グローリア アンサンブル&クワイアー」も創設時から手塩にかけているらしい。
そうした思い入れのゆえだと思うのだが,プログラムに載せている挨拶にこう書いている。
「練習は困難を極め,このような心境にも至りました。“痛みを伴いながら,音符がはがされていく。その痛みが音楽を奏でるのだ”」「この曲を演奏することにより,確実に栃木県の音楽水準の高さを内外に示すことが出来ることを誇りに思い・・・・・・」
団員代表の小田八千子さんが最後に謝辞を述べていて,これが落ち着いた日本語なので救われた感じがしたが。
● 「Members' words」と題してプログラムに団員の声を載せている。これがけっこう面白い。「ベトの超怪作。まさか文化の谷底,関東の極北で歌えるとは! 来年は救世主再来でしゅ」と書いている人がいた。
指揮者が「栃木県の音楽水準の高さを内外に示すことが出来ることを誇りに思」っているというのに,団員が「文化の谷底」などと本当のことを書いていいのか。
● まぁね,はるかな昔から,「文化不毛の地」が栃木県の代名詞になっている。他県の人が栃木を指してそう言うのではなく,自分たちが自虐的に言い続けてきたんだと思うんだけどね。
京都や金沢のような絢爛たる過去を持たないことに,劣等感を感じているのかもしれない。(文化的には)未開の地に住む民だ,と。
空っ風に代表される栃木の風土や,栃木の言葉(オーッ,オメヨー,ソーダッペー。チガーノゲ?)が,文化なるものとはいかにも相性が悪いと思っているのかもね。
さらには,他県の人に自信をもって提示できる郷土料理がないことも,ボディーブローのように効いているかなぁ。シモツカレじゃしょうがないもんな。関西や北陸,東北と比べて,栃木の食の水準が低かったことは紛れもない。内陸で海産物と無縁だったからね,食材で負けてたよなぁ。
● 個人的には,過去や伝統や歴史なんてのはどうでもいいと思ってますけどね(そう思う以外に選択肢がないじゃないか)。
はやい話が,現在に限定していえば,東京以外の地方すべてが「文化不毛の地」ではないか。文化生産?においても,東京一極集中はくっきりしてて(ただし,それを担っているのは地方から東京に出てきた人たち),それはメカニカルにそうならざるを得ないものでしょ。
● さて,コンサートの中身の話。きちんと練習しているのは見てとれた。ぼくなんぞはいくら練習してもこのレベルにはとてもなれないので,すごいものだなぁと思うしかない。これだけの大曲を素人が表現するわけだから,ひと通りさらうだけでも容易じゃないだろう。
これだけの集団になれば,ばらつきは当然ある。ひょっとして団員が膨らみすぎているのかも。
来年はヘンデルの「メサイア」をやるそうだ。
登録:
投稿 (Atom)