約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2009年7月31日金曜日
2009.07.07 間奏3:茂木健一郎さん
● ぼくをライブに導いてくれたものは,地元図書館ロビーの壁に貼られていた真岡市民交響楽団の定期演奏会のポスターだった。今年の4月のこと。
そのポスターに反応したのは,ぼくの音楽の聴き方が変わりつつあったことが背景にある。変わったというより,量的に拡大していたこと。その拡大を可能にしてくれたのがiTunesであり,カーナビのハードディスクだった。
● 音楽を聴く時間を増やす方向に導いてくれたものが,じつはもうひとつあって,それは茂木健一郎氏のいくつかの音楽本だ。
対談であったり,エッセイであったりするが,江村哲二氏との対談本『音楽を考える』(ちくまプリマー新書)と『すべては音楽から生まれる』(PHP新書)の2冊を読んだことだ。読んでいるときには,自分が音楽にここまで傾くとは思ってもいなかったけれども,影響を受けていたんですねぇ。
しかし,これも読んだのが仮に数年前だったら,こうはなっていなかったろう。それやこれやいろんな理由が絶妙に重なって,この変化を作ってくれた。
● その茂木さんが次のような発言をしている。
「あくまでも経験則で申し上げるのですが,音楽CDで名演奏を繰り返し聴く行為は,様々に比較して分析するという意味で,とても「知的な営み」だと思います。その点,生演奏は「全身が圧倒されるような感情の経験」で,極端な話,演奏は多少下手でも問題ないと思います」
まったく同感。っていうか,まずこの発言を読んでいて,それが頭に刻まれていたために,アマチュア楽団のライブでも心おきなく感激できているのかもしれない。
実際,CDを聴くのとライブを見るのとでは,反応する脳の部位が違うように感じる。
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