鹿沼市民文化センター 大ホール
● 27日(日)は鹿沼市民文化センターに行ってきた。同センター大ホールで鹿沼フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会があったので。
● 市民オーケストラってありがたい。彼らに頑張ってもらわないと,こづかいが週8千円のぼくは,オーケストラをライブで聴くことなど叶わなくなる。
市民オケのメンバーは毎月の会費のほか,演奏会には1~2万円の特別会費を払っているはずだ。自分たちの演奏を聴いてもらうために自腹を切っているわけだ。そうまでしてくれるから,ぼくでもライブ演奏が楽しめるんであってね。
チケット代は8百円。もちろん,喜んで払います。
● 演しものは次のとおり。
フンパーディンク 「ヘンゼルとグレーテル」序曲
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
ドヴォルザーク 交響曲第8番
● ドヴォルザークの第8番。この曲を聴くのは今年3回目になる。宇都宮シンフォニーオーケストラ(5月)と鹿沼高校音楽部(8月)もこの曲を演奏しましたんでね。鹿沼高校の生徒たちの演奏はちょっと懐かしい。
で,高校生と比べたんでは申しわけないんだけど,やっぱりね,違いますね。演奏に締まりがある。透明度が高い。大きく違ったのは木管。
それとタイコ。これが締まると全体が締まるんですな。管弦楽というくらいだから,パーカッションは刺身のつまのようなものと思ったら大間違いなんですね。ちなみに鹿沼フィルのパーカッションは髭の男性で,楽団の団長も務めている。
● ドヴォ8ってこんなに素晴らしい曲だったのだと気づきました。もちろん,CDでも聴いている。けれども,CDでこのゾクゾク感を味わうことはできない。
わが家の音響設備はまことに粗末なものだけども,どんなスピーカをつないでも,どれほど出力を上げようと,生の演奏から伝わってくる波動にとって代わることができようはずがないと思う。
● ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。超メジャーなピアノ曲だけど,恥ずかしながら,CDでも聴いたことがない。はるかな昔まで遡ればたぶん一度は聴いているのかもしれないが,記憶の範囲ではちゃんと聴いたのは今回が初めて。
ピアノは赤澤真由子さん。芸大附属高校から芸大を卒業したその道のエリートだ。まだお若いお嬢さん。ルックスにも恵まれた人だ。
● ぼくからしたら,芸大に行くというだけでとんでもないことなんだけども,そこから先のコンマ何ミリの競争が厳しいんだろうね。トップピアニストと彼女との技術差って,ほんのわずかなんだと思う。けれども,そのわずかな差に才能の壁を見る人たちがたくさんいるんだろうな。
運も露骨にありそうだな。どんな先生につくか,その先生とうまく人間関係を結べるかっていったあたりの。
● ただね,彼女にその辺の不満や屈託があるようには思えないんですよ。彼女に限らず,音楽に身を投じた人って,そういう人が多い気がするんですけどね。
好きなことをやっているからなのか。きら星のような才能の持ち主が自分の周りにたくさんいるからなのか。
● フンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」序曲も初めて聴く曲。フンパーディンクって名前じたい,初めて聞いた。ワーグナーに師事した人で,代表作がこの童話に材をとった歌劇ということだ。CDにはなっているようだけど,県内のツタヤとかCDショップには在庫がない。
● プログラムも楽しく読めるもの。製本の仕方もお金をかけている感じがする。
一時,団員と観客の減少によって財政難に陥り,存続が危ぶまれたこともあると紹介されている。定期演奏会も以前は大ホールで年2回行っていたが,年1回しかも小ホールになってしまった。
今は持ち直してきて,年1回ではあるものの,2年前から大ホールに復帰した。
● いい演奏をするオーケストラは,そのステージがビジュアル的に絵になっているものだと勝手に決めている。奏者のルックスは客席からよく見えるものだが,そういうものでオーケストラのビジュアルが決まるのではない。ピンとした緊張感がビジュアルを作るのだろうね。
鹿沼フィルはビジュアル的にも鑑賞するに耐えるものだった。奏者の腕や顔の動きを見ながら,彼らが紡ぎだす音に身を任せる快楽を充分に味わわせてもらった。
● ステージにどうも見覚えのある人がいた。帰宅してから,これまでに聴いた演奏会のプログラムを繰ってみたのだが,その人,真岡市民交響楽団のA氏だった。
複数のオケに参加している人で,でもけっこういるみたいですね。栃響とダブっている人は何人かいるし,鹿沼フィルには学生もいる。
● 感謝の気持ちを込めて手が痛くなるほど拍手を続けたが,1週間前の栃響のときほど,拍手が響かない。会場の音響効果の違いだとすぐに気づいた。
致し方がないとはいえ,鹿沼市民文化センターの音響効果は総文センターや那須野が原ハーモニーホールと比べてしまってはいけないようだ。
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