宇都宮市文化会館 小ホール
● その8日後(17日の土曜日),再び宇都宮市文化会館小ホールを訪れた。今度は「響」という団体の定期演奏会。今年が34回目になる。
どういう団体なのか皆目見当がつかなかった。当日のプログラムで西洋音楽(クラシック)の演奏会であることを知った。会員は11名。全員女性。声楽が2名,あとはピアノの演奏者だった。
チケットは千円。
● 受付で渡されたものはプログラムだけなのが小気味良かった。つまり,アマチュアの演奏会にありがちなアンケート用紙がなかったのだ。このアンケートにはかなり疑問を持っているので(何かの役に立っているのかね。アンケートのためのアンケートじゃないのか),それがないと潔さを感じる。
● プログラムの表紙に「貴族のための音楽から市民の愉しみの音楽へ」というスローガン?が踊っている。ちょっと時代錯誤じゃないかい。
とっくの昔に,日本では音楽は市民のものになっているんではないかい。アマチュアオーケストラの数の多さと活動の活発さはたぶん世界でも群を抜く。全世帯の4分の1がピアノを所有する。年末には全国のあちらこちらでベートーヴェンの第九を大量に消費する。いずれも,音楽が市民の愉しみのためのものになっていなければありえない現象だろう。
● その前に,日本では貴族が名実ともに消滅してしまった。天皇家は別として,近衛家とか冷泉家とか旧大名家とかの生き残りはまだあるけれども,ひとつの階層を構成できるほどの量ではない。
現在の日本には新興成金はいても貴族はいない。このスローガンはちょっと見直して欲しいぞ。
● 演し物は全部で7つ。まずは,クーラウの「序奏とロンド(フルートとピアノのために)」。フルート奏者は賛助出演者(ひょっとすると元会員なのかもしれない)。
作曲者のクーラウは初めて聞く名前。こういうのが音楽鑑賞初心者にとってはありがたい。生の演奏を聴いて好印象を持てばCDコレクションに加えればいい。コレクションが充実する端緒になる。ただし,クーラウのCDは地元の図書館にはなかった。CDショップでもたぶん扱ってないだろう。扱っているところがあるとすれば,ネット販売ですかね。
● 会員の新陳代謝があまりないようだ。34年前は若かったり女盛りだったりした女性たちで構成されている。
ピアノと声楽しかいないってことは,うがった見方をすれば,全員が主役になりたいと思っている人たちだろう。主役願望者の集まりってことになると,団体の運営もなかなか一筋縄では行かないかもしれないなぁ。
新陳代謝が進まないとすれば,それが理由のひとつになっているのではあるまいか。下司の勘ぐりか。
● 次はベートーヴェンのピアノソナタ第27番。宇大の小林功教授による演奏を聴いたばかりだけれども,比べても仕方がない。
● 今回もいろんな人がいろんな所で音楽と関わりをもっているのだなぁと思わされた。層が厚い。恐るべし,日本。
が,ピアノは飽きる。ピアノ曲が2つ続いただけで,お腹がいっぱいになってきた。
● 3つめはシューベルトのヴァイオリンソナタ第2番。ヴァイオリン奏者は賛助出演者。
シューベルトのヴァイオリンソナタは聴いたことがなかった。これまた新しい世界への導入になるかもしれないのだが,このあたりからやっぱりオーケストラを聴きたいという思いが,目の前の演奏を凌駕し始めた。
● 休憩のあと,4つめの演しもの。初めて声楽が入った。メンデルスゾーンの二重唱曲集から3曲。ソプラノとメゾソプラノ,それと伴奏のピアノ。メゾソプラノ以外は賛助出演者。
次はまたピアノソロ。メンデルスゾーンの無言歌集から4曲。この時点でピアノには完全に食傷してしまった。
● 次は,シュテックメストの「歌の翼による幻想曲」。メンデルスゾーンの「歌の翼に」の変奏曲。
今回,メンデルスゾーンがしばしば登場するのは彼の生誕200年を踏まえて曲を選んだからだと,プログラムにある。
フルートとピアノの曲。フルートでもヴァイオリンでも,ピアノ以外の楽器が入ってくれると気持ちが軽くなる。
● 最後はロッシーニの「約束 音楽の夜会から」と「猫の二重唱」。ソプラノ,メゾソプラノにピアノの伴奏。これは会員のみの演奏だった。
最後の「猫の二重唱」がユーモラスで客席の笑いを誘った。これを最後に持ってきたのは正解だったのだろう。
ただ,「猫の二重唱」がロッシーニの作だというのは俗説だから,作者不詳としておくのがよかったかも。
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