約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2011年1月31日月曜日
2011.01.16 日本の新春&ウィーンのニューイヤー
栃木県立図書館ホール
● 16日も自転車で宇都宮に行った。午前中はけっこう気温があがって小気味いいほど雪が溶けていった。わが相棒(自転車)のそこここにこびりついた雪は氷になっていたが,これもきれいに消滅した。
が,日のあたらないところはそういうわけにいかない。しばらくは自転車は左の原則にしたがって,宇都宮に向かって左側(東側)を走ったのだが,けっこう雪が残っているところがあって,とても走りずらかった。西側はすっかり溶けていたけど。
● この日,何のために宇都宮に行ったのかといえば,県立図書館のクラシック・ライヴ・コンサートを聴くため。
この日は「日本の新春&ウィーンのニューイヤー」と題して,フルーティストの高橋詩織さんが全部で11曲の演奏を披露してくれた。高橋さんは陽西中→宇女高→国立音大→コンセルヴァトリウム・ウィーン音楽大学院と進んだ。フルートとの出会いは陽西中の吹奏楽部だったそうなのだけど,宇女高では音楽から離れていたそうだ。今も宇都宮に住んでいる。
物おじしないお喋りで客席を沸かせていたが,その路線で行くなら,もっと喋りを勉強しないといけないね。といって,彼女は芸人ではないからなぁ。
● ぼくにとっての収穫は,彼女が武満徹の「VOICE」を演奏してくれたこと。彼女も紹介していたけれども,現代クラシック音楽っていうのはこういう方向に行っているのかと,その一片をかいま見ることができた。
音楽に限らず,現代芸術というのは,こちらの理解を超えるものがある。マルセル・デュシャンの「泉」とかね。普通の男子用小便器を逆に置いて,これが芸術ですっていう。 美術評論家があれこれとご託を並べているのを読んだことがあるのだが(この便器でなければならず,しかもこの位置でなければならず,そういう意味で必然性が云々というやつだったかなぁ),何だかついて行けない感じだけが残ってるんだよなぁ。
あるいは,ジョン・ケージの「4分33秒」なんかもね。ちゃんと楽譜があるんだそうだね,第1楽章=休み,第2楽章=休み,第3楽章=休み,っていう。
人間の脳は,そうしたものにも何らかの意味を見いだそうとしてしまう働きがあるのだと推測するしかない。仮に意味があるとしても,状況依存性が高すぎて,作品として独立したものとは認めがたいような気がする。
● 「VOICE」はもちろんそういうものとは一線を画している。しかし,ある状況でしか成立しないような。ま,うまく言えないんだけど。うまく言えないということは,つまり,わかっちゃいないってことなんだろうけど。
ちなみに,彼女はマスター論文で武満徹を取りあげたそうだ。武満は何冊も本を書いているので,論文にしやすいのだ,と。当然,ドイツ語で書いたんだろうねぇ,たいしたもんだねぇ。
● 無料のコンサートでここまで楽しませてもらえるんだからねぇ,ありがたいですよ。なお,ピアノ伴奏は井沢久美子さん。高橋さんの話をしじゅうニコニコしながら聞いていた。
● 今年も順調にライブ鑑賞のスタートを切ることができた。ひとつひとつのコンサートに丁寧に付き合っていきたい。寝ちゃうなんてとんでもないこと。体調を整えた状態でコンサート会場に出かけ,演奏に身を任せてみよう。演奏が連れていってくれるところに連れていかれることにしよう。
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