約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2013年2月9日土曜日
2013.02.09 音色を創る-ピアノコンサートができるまで:高木裕(ピアノ調律師)による講演&長富彩ピアノ・ミニコンサート
栃木県総合文化センター サブホール
● 高木さんは,ピアノ調律師という枠には収まらない仕事をしている人のように思える。ホロヴィッツが使っていたスタインウェイ《CD75》を自社で所有している一点だけからして,ただ者ではないとわかる。
前半の1時間はその高木さんの講演,というより実際はちょっと大きめの「つぶやき」という感じだった。
ピアノの歴史から入って,ホロヴィッツのエピソード,スタインウェイとヤマハのこと,など。
後半は,その《CD75》を使用しての,長富さんの演奏。
開演は午後2時。入場無料。以下に書くけれど,いろんな意味でお得な演奏会でしたね。これで無料,いいねぇ。
● 高木さんの話はおおよそ次のようなもの。
チェンバロは鍵盤の先のツメで弦を引っ掻く仕組みだから,強弱が出ない。バッハの鍵盤楽曲を聴いていると眠たくなる理由のひとつはこれ。同じ強さの音が淡々と続くから。
何とか強弱をつけることができないか。ハンマーで叩くようにすれば強弱が出せるのではないかと考えられて,できたのがフォルテピアノ。初期のものは玩具のようだったけれども,だんだんと受け入れられるものになった。
のだが,フォルテピアノとは言いながら,フォルテを出すのが弱点だった。弦の張力が弱いからで,では張力を強くすればいいではないかといっても,そうすると張力に引っ張られて箱(筐体)がつぶれてしまう。それを防ぐには筐体の内部に鉄をいれなければならないが,それが可能になるには産業革命を待たなければならなかった。
で,現在のピアノに近いものが誕生した。
● できたはいいけれども,フォルテピアノに比べると格段に重くなった。演奏家が自分のピアノをコンサート会場まで持って行くことは不可能になった。会場にピアノを備えておくようになる。
しかし,ホロヴィッツはそれを受け容れなかった(グレン・グールドも同じだった)。自分のピアノをコンサートのたびに会場に持ちこんだ。ニューヨークのマンションに住んでいたから,その都度,クレーンで出し入れした。
● 彼が使っていたピアノは数台しかないのだが,最後が《CD75》。普通のピアノと比べると,音が切れずに残る。タッチが軽い。
これで何が変わるかというと,たとえばピアニッシモの出し方が違ってくる。普通のピアノだと,たいてい左ペダルを併用することになる。ペダルを使うと音色が変わる。ぼやけた音になる。ホロヴィッツのピアノだとタッチだけで表現できる。
ホロヴィッツというと,目が醒めるようなフォルテの響きを連想する人が多いかもしれないけれども,コンサートホールの隅にまではっきり届くピアニッシモが彼の真骨頂だ。
● ホロヴィッツの演奏は一世を風靡したわけだが,ピアノが違うのだから出る音も違うのは当然で,評論家はホロヴィッツ魔術の理由を楽器なのかタッチなのかと取りあげて,タッチが違うのだろうと落ち着いたのだが,これは笑止。ピアノがホロビッツ用に調律されていたのだ。他とは違うものだったのだ。
● とすると,ホロヴィッツの名声は楽器にこだわり抜いたおかげ? それだけのはずもないけれども,大切なんですねぇ,楽器を選ぶことって。イチローだって,バットには執拗にこだわったはずだものなぁ。
弘法,筆を選ばず,ってのはどこの国の話だ? 弘法大師だって筆は選んでいたんでしょうねぇ。
● どの業界でも評論家というのはコケにされるものですな。畢竟,いなくてもいい存在だもんな。文芸にしても音楽にしても美術にしても,評論家が実作の水準を引きあげるのに与って力があったなんてことがあるんだろうか。
ないよね,おそらく。評論家が水先案内人になったなんてことは,たぶんないんだと思う。彼らは間違うのが商売で。
その代表が経済評論家という連中で,あんまりコケだから今ではすっかり相手にされなくなった。ぼくに関していうと,テレビ東京の「ワールド・ビジネス・サテライト」は評論家がうるさくて仕方がないので,結局,見なくなって久しい。新聞でも経済記事を読むのに日経はうるさすぎて不適。一般紙で充分。というか,一般紙の方が好ましい。その一般紙でさえ,わが家では宅配をやめてしまったんだけど。
● ホロヴィッツが最後に来日したときは,2日間の演奏でギャラが1億円。ホテルオークラの最上階のスイートルームを2つ,壁をぶち抜いて使用したとのこと。業界の第一人者はそれくらいでいいんだろうねぇ。
チケットは5万円。即完売した。いやはや。
● かつて,日本のピアノメーカーは,ピアノは消耗品,10年で買い換えるもの,と顧客に言っていたらしい。でも,ホロヴィッツもグレン・グールドも新しいピアノは使わなかった。古くなったピアノでなければ出せない音色がある。
でもさ,ロクロク弾きもしないのに,見栄か何かでピアノを買うような手合いには,10年ごとに買い換えさせてもかまわないと思うけどね。そういう手合いに業界を支えてもらえばいい。
● ともあれ,ホロヴィッツが実際に使っていたピアノが高木さんのもとにある。高木さんはホロヴィッツが使っていた当時の調律を一切変えていないし,変えるつもりもないという。
そのピアノを使って長富さんが演奏してみせてくれた。グリーグの「抒情小品集」の「春に寄す」からはじまって,リストの「コンソレーション第3番」,ショパンの「幻想即興曲」「革命」「英雄」,スカルラッティの「ソナタ」を2つ,ラフマニノフの「音の絵」から2曲。最後は,スクリャービンの「練習曲」からひとつ。計10曲。
さらに,アンコールでラフマニノフの「ヴォカリーズ」を。アール・ワイルドが編曲したピアノ独奏版ですね。彼女はワイルド編が一番好きなのだそうだ。
● ミニ・コンサートとはいうものの,これだけ聴けると充分に満足する。ぼく以外のお客さんも同じだったろう。客席はほぼ満席だったけれど,皆さん,高木さんの話を聞きに来たんじゃなくて,長富さんのピアノを聴きに来たんだろうからね。
彼女,ピアノを弾きながら,何かを歌っているような,口ずさんでいるような様子だった。集中のための儀式なんでしょうね。
唐突ながら,元巨人軍の桑田投手を思いだした。投げる前に球を口に近づけて,ブツブツつぶやいていたあの仕草ね。もちろん,見映えはぜんぜん違うんだけどさ。
● ホロヴィッツのピアノを弾くと,弾きながらいろんな発見があって,試してみたいことが出てくる,と語る彼女の愛くるしかったこと。
愛くるしさのゆえでしょうね,演奏終了後にCD売場に立ち寄る人が多かったなぁ。CDを買うと彼女にサインしてもらえたんでね。
ぼくもよっぽどサインをもらおうかと思ったんだけど,すんでのところで思いとどまった。財布の中にいくら入ってるのかを忘れてたよ。
まだ26歳(AKB48の篠田麻里子と同じ年の生まれ。どうでもいいですか)。すでに内外で活躍しているようなんだけども,彼女の名前はこれから目にする機会が多くなるだろう。
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