約2時間のコンサートが終了した直後の満足感は,他のものでは代替できません。この世に音楽というものが存在すること。演奏の才に恵まれた人たちが,時間と費用を惜しまずに技を磨いていること。その鍛錬の成果をぼくたちの前で惜しみなく披露してくれること。そうしたことが重なって,ぼくの2時間が存在します。ありがたい世の中に生きていると痛感します。 主には,ぼくの地元である栃木県で開催される,クラシック音楽コンサートの記録になります。
2013年2月11日月曜日
2013.02.11 モーツァルト合奏団第14回定期演奏会
那須野が原ハーモニーホール 大ホール
● 那須には弦楽合奏団がふたつある。那須室内合奏団とモーツァルト合奏団。栃木県随一のハーモニーホールも那須にある。そのハーモニーホールの存在が大きいのかもしれないけれども,けっこう音楽活動が盛んなところだとの印象がある。
ひと頃,那須に首都機能が移転してくるという話があったが,いつのまにか立ち消えになった。那須のためにも国会のためにもそれでよかったと思うけれども,それを当てこんで開学したかに思われる那須大学は事実上消滅して,宇都宮共和大学になった。那須アウトレットショッピングセンターは盛況と聞く。
● で,今日はモーツァルト合奏団の定期演奏会。開演は午後2時。入場無料。この合奏団の演奏を聴くのは,今回が2回目。
曲目は次のとおり。
グリーグ 組曲「ホルベアの時代から」
バッハ シャコンヌ(弦楽合奏版)
モーツァルト ディヴェルティメント 変ロ長調 KV.137
チャイコフスキー 弦楽のためのセレナーデ ハ長調
● バッハの「シャコンヌ」が聴ける。これが,今回の一番の楽しみだった。普段はCDで管弦楽版を聴くことが多い。弦楽合奏版は初めて聴くもの。
「シャコンヌ」はこちらの心の琴線(そんなものがぼくにあるのか)に直に触れてくるっていうか,これ以上はないという大袈裟な言い方をすれば,この人生にはいろんなことが起こるけれども,この曲を聴けるというだけで,生きるに値するではないかと思わせてくれるっていうか。
装飾はないのに荘厳。息をするのもはばかられるような。神さま降臨というような。「なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」というような。
荘厳は濁りを嫌う。合奏団の皆さんも,相当苦労されたのではあるまいか。
● じつは,最近,けっこうバッハを聴くようになってまして。この日も朝から,ゴールドベルク変奏曲とヨハネ受難曲を聴いていた。ようやくバッハを聴けるところまで来たのかなと,ちょっと嬉しかったり。
何を言ってるんだと思われるかもね。ヴィヴァルディを例外として,どうもバロックは苦手だったんですよ。宗教色が濃く残っているからとかではないと思うんですけどね。
● モーツァルトの「ディヴェルティメント」を聴きながら感じたこと。楽器ができる人っていいなぁ,これくらいの人数で一緒に曲を作るのって楽しいかもなぁ,と。そういうことを感じさせる曲なんでしょうね。
アマチュアの集団なんだから当然なんだけど,技術のばらつきもあるように思えた。でも,ばらつきがあるなりに,それぞれに居場所はあるような感じ。
ただ,この合奏団は週に1回の練習だそうだから,たとえ楽器ができたとしても,ぼくでは無理。相当に勤勉な人じゃないと。
● 最後はチャイコフスキーの「弦楽のためのセレナーデ」。ところどころで,彼のバレエ音楽を連想させる華やかな旋律が登場する。
この曲はやはり最後に置くものなんでしょうね。
● お客さんも暖かい拍手。団員の知り合いや友人が多かったのでしょうか。
で,残った疑問が,どうして小ホールにしなかったんだろうってことなんですけど。この観客なら小ホールでも収容できるはずで,であれば,小ホールの方が演奏(規模)にも相応しいと思えた。
ぼくの知る限り,那須野が原ハーモニーホールの小ホールは栃木県内では一番。ここの小ホールを超えるホールはないんじゃないのかなぁ。
ま,いろんな事情があって大ホールを使っているのだとは思いますけどね。
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