2015年7月6日月曜日

2015.07.05 スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団 栃木公演

栃木県総合文化センター メインホール

● 開演は午後3時。チケットはS席だと9,000円。うーむ,9,000円か。で,ひとつグレードを下げて,7,500円のA席にした。
 かなり早い時期に買っておいたので,限りなくS席に近いA席だったと思うんだけど。

● 曲目は次のとおり。
 スメタナ 交響詩「我が祖国」より「モルダウ」
 ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調
 ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」 

● ごく自然な選曲だろうけど,2年前のプラハ放送交響楽団のときも,「モルダウ」と「新世界より」が演奏された。
 この楽団でベートーヴェンやブラームスも聴いてみたい気がする。いや,今回の演奏に不満があったわけではまったくないんですけどね。

● 指揮は常任客演指揮者のレオシュ・スワロフスキー。セントラル愛知響の音楽監督も務めている人。
 楽団員もそうなんだけど,ユーザーフレンドリーですよね。客席に愛想をふりまく。
 外国の楽団はだいたいそうだと思うんですけどね。少なくともステージ上ではそういう振る舞いをする。ステージを離れたところではどうなんだかわからないけど。

● 女性の比率が少ないのも,日本のプロオケ(ただし,N響を除く)と違うところ。これはどういうわけなのか。
 どういうわけなのかって,歌舞音曲は女子供のものっていう感覚がないってことですか。
 でも,それだけじゃなくて,ヨーロッパってけっこう保守的で,女性をなかなか受け入れない体質があるんじゃないんですか。だからこそのレディファーストなんじゃないのかねぇ。
 日本では江戸時代の昔から家庭の実権はカアチャンが握っていた。民法が女性を行為無能力者にしたのは,明治になってからの話だ。しかも,たかだか法律世界の話。

● スロヴァキアの語源はスラヴだろうから,スラヴ民族の国なんだろうけど,ゲルマンやマジャールとの境界区域でもある。実際には,混血が進んでいるんだろう。
 スロヴァキアっていう国には行ったことがない。行ってみたくもあり,かといって,ちょっと行ってくるかってわけにもいかないところにあるもんねぇ。

● さて,まず「モルダウ」。音の厚みと躍動感に感動した。「モルダウ」ってこういう曲だったのかと思ったほど。
 厚くても重くはない。軽味がある。そう聞こえるのは,切れがあるからだ。
 それと,瞬間の爆発力というか,一点に音を集めるその鮮やかさが印象に残った。

● ドヴォルザークのチェロ協奏曲。ソリストは地元出身の宮田大さん。拍手もひときわだし,彼が出るから聴きに来たというお客さんもいるに違いない。
 吹っ切れた演奏だったように思えた。おれのチェロはこれなんだよ,文句あるかよ,っていう感じ。

● 協奏曲っていうと,ソリストと管弦楽を対比して見がちなところがぼくにはある。「対比≒対決」でもある。
 だけど,協奏曲の演奏中,ソリストと管弦楽は互いを聴きあいながら対話しているのだろう。対話の中には対決的対話もあるはずだけれども,互いの実力に対するリスペクトが対話の前提となる。
 その対話がひじょうにスムーズに行っていたのではないか。勇者はかくあるべし,という何の脈絡があるのかわからない感想が浮かんできた。

● 「新世界より」も圧巻だった。圧倒された。
 テンポ感がぼくらと違うのかもしれない。同じ楽章での場面転換に対する対応がじつに小気味いい。時間にすれば0.1秒かそれ以下だと思うんだけども,間が短いんだね。こいつらとサッカーで戦って勝つのは大変だなぁと,これまた少々ずれた感想ですけど,思ってしまった。

● 管弦楽のアンコールは,スラヴ舞曲第15番。これを生で聴くのは,ひょっとしたら初めてかもしれない。 
 ちなみに,宮田さんのアンコールは,バッハの無伴奏第1番“プレリュード”。しっとりと聴かせてもらいましたよ。得した気分。

● 余韻を味わっていたかったけどねぇ,貧乏性はどうしようもないな。そそくさと帰途につき,あっという間に日常に溶けてしまった。

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