● 県北のJR沿線に住むぼくからすると,栃木県の中でも心理的に遠い市町がある。合併前の粟野町とか,やはり合併前の葛生町や田沼町。東京よりはるかに遠いという感じ。
はるかな昔は上三川町もそうだったけれども,新4国ができてかなり身近になった。
もちろん,これらの地域に住んでいる方々にすれば,おまえが遠いところに住んでるんだろうよってことですけどね。
● 壬生町もそのひとつ。壬生についてぼくが知るところはほとんどない。その壬生に出かけた。
もう夏は猛暑に決まっている。今さら今年は猛暑だと驚くこともない。
それでもねぇ,東武の壬生駅から会場の中央公民館まで2キロ程度だろうか。その2キロが老いの身にはこたえるわけですよ。
● なんて言ったらいいのかねぇ,まもなく人が住める気象条件の限界を超えてしまうんじゃないかと思った。
世界を見れば,信じがたいほどの過酷な気象のもとで生を営んでいる人たちがたくさんいるんだから,この程度の暑さでヘタれていてはいけないんだろうけどさ。
● 開演は午後2時(ゆえに,駅から会場まで歩いたのは,1日で最も暑い時間帯だったわけですな)。チケットは2,000円。当日券を購入。
座席は指定される。ただし,SだのAだのっていう格付けはなし。
● 曲目は次のとおり。
メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」
シューマン ピアノ協奏曲 イ短調
ベートーヴェン 交響曲第5番
メンデルスゾーンとベートーヴェンは,6月の定演でも演奏されたもの。シューマンのピアノ協奏曲が今回の新たな演しものとなる。
指揮者も定演のときと同じ,三原明人さん。
● まず,「イタリア」。1ヶ月前に同じ栃響の演奏で聴いているわけだけれども,生演奏の一回性を痛感することになった。
演奏する側も同じ演奏はできないはずだし,聴いているこちら側も同じ体調,同じ条件で聴くことはできないわけだから。ホールも別だし,座席の位置も変わっている。
● 若きメンデルスゾーンがこの曲にこめた光と影。全体に遍在する心地よい緊張感。それが練達の演奏によって表現される(ほめすぎか)。
この楽団の弦はアマオケではトップクラスといっていいだろうし,管にはばらつきが見られるものの,すごい手練れがいる。
● 前回は聴き逃していたと思ったのは,第2楽章冒頭のファゴット。これ,効いてるなぁ。じぃぃんと来る。
● かつて,シューマンについて吉田秀和氏が次のように書いた。
シューマンの指揮者は,いわば,どこかに故障があって,ほっておけばバランスが失われてしまう自転車にのって街を行くような,そういう危険をたえず意識し,コントロールしなければならない。あるいは傾斜している船を,操縦して海を渡る航海士のようなものだといってもよいかもしれない。(『世界の指揮者』新潮文庫 p32)この曲にもそれがあてはまるのか。どっちにしてもぼくの惰耳ではそこまでの機微は感じ取れないわけだけど。
● そのピアノ協奏曲でソリストを務めたのは地元出身の佐藤立樹さん。2年前に,同じこのホールで,プラハ放送交響楽団をバックにショパンの1番を演奏したのを聴いている。
そのときの印象は,固くなっていたかなっていうもの。見当違いの印象だったかもしれないけど。今回は伸び伸びと弾いていたような。
● この曲においては,管弦楽の要はオーボエのように思われた。そのオーボエに不安はまったくない。ソリストとの絡みにもさりげなく入っていき,役割を果たすと,静かに退出する。
優雅なものだ。技術の裏打ちがあってのものだけれども,なんていうのか,ほどの良さが好印象だ。
● ベートーヴェンの5番は熱狂のうちに終了したという感じ。
しかし,総じて言うと,6月の定演のほうが,こちらに響いてくるものは多かったような気がする。
同じ曲だから,演奏という刺激に対して,こちら側が馴れてしまっている。そこのところが難しい。
● 本番の前に弦のミニコンサートがあった。指揮者の三原さんもヴィオラを抱えて参加。彼の楽しそうな様子が印象に残っている。
それとお客さんの平均年齢が,定演(宇都宮)と比べると若干若め。この暑い中,ちゃんと装いを整えて来ていた若いお嬢さんが何人かいて(当然,車でしょうね),しかも美人だったりするから,しっかり眼福に与ることができた。
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