2016年2月29日月曜日

2016.02.27 交響楽団はやぶさ 創立記念第1回演奏会

サントリーホール 大ホール

● 交響楽団はやぶさとは何者か。「学生を中心にマーラー「交響曲第5番」をサントリーホールで演奏することをコンセプトとして結成されたオーケストラ」であるらしい。今日のこの演奏会がそれだ。
 ということは,これがすんだら解散するのかというと,そうではないようだ。次の演奏会の日程がすでに決まっている。

● 「全国の学生が参加できるように,演奏会の前に合宿も行い,集中的に練習しつつ親睦を深め」るともある。
 若い学生ならではの熱い宣言が続くのだけれども,どうも学生の多くは医学生のようだ。国家試験がすんでから,全国の医学生が集まって,1週間の合宿を組んで集中的に練習したということのようだ。

● 「特定非営利活動法人友情の架け橋」とか「国境なき医師団日本支部」の名前が登場する。でもって,チケット売上げの一部は「国境なき医師団日本支部」に寄付することにしたらしい。
 とはいえ,医学生以外の学生もいるし,特に桐朋の学生がまとまった数,入っていたようだ。これだけ音大の学生がいれば,底割れを起こすことはないだろうね。

● という言い方は,主力の医学生に失礼かもしれない。いや,失礼だろう。
 その所以を以下に述べる。

● 開演は午後7時。チケットは1,000円。曲目は次のとおり。
 ワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
 マーラー 交響曲第5番 嬰ハ短調
 指揮は,谷口悠さん。慶應の経済を卒業して,2年前に社会人になった。このオケの代表者も務めている。
 ちなみに,このオケのホームページからチケットを申し込んだんだけど,送付作業を担当したのも谷口さんだったようだ。送られてきた封筒に裏に彼の住所と名前が書いてあった。

● マイスタージンガー前奏曲。指揮者が固くなってるのじゃないかと思った。たとえアマチュアであっても,ステージで演奏する以上はサービス業の一面を持たざるをえない。サービス業に従事する者に第一に要請される要件は何か。
 笑顔でしょうね。愛想の良さと言い換えてもいいけれども,まずは笑顔。それがない。求道者か研究者の趣だ。指揮者に限らず楽器を演奏する者は求道者でなければならないのだとしても,もう少しリラックスしてもいいのでは,と思えた。初々しいと言うのかもしれないけどね。
 でも,これは彼の味なのかも。オケと仲が悪いわけではない。コミュニケーションの取り方が不器用というわけでもないようだ。そういうスタイルなのだろうな。

● さて。演奏はどうだったかといえば,サッとブラボーがかかった。お祝いブラボーではなかったと思う。
 集中合宿がどれほどの効果があるのかわからないけれど,勢いがあった。

● 勢いがあればいいのかという人もいるかもしれない。が,勢いをつけるのがどれだけ大変なことか。
 音楽に限らない。野球やサッカーのようなチームスポーツは典型的にそうだろう。
 個人の生活もそうだ。こういうブログの文章もそうで,何が一番欲しいかといえば,勢いなんですよね。それが得られないから四苦八苦するわけでさ。

● マーラーの5番に移ると,指揮者も場に馴染んできたように見えた。これだけのお客が入っていて,しかも天下のサントリーホールとなれば,空気に飲まれないまでも,この空気に自分を馴染ませるには多少の時間を要するものでしょ。
 もっとも,これは年輩者限定かもしれない。最近の若者にはあてはまらないかも。谷口さんにしても,とっくに馴染んでいたかもしれないわけでね。

● この1年に限っても,5番は何度か聴く機会に恵まれた。第1楽章はトランペットのファンファーレで始まる。プログラム冊子の曲目解説には「不吉な」とある。そうか,このファンファーレは不吉な響きなのか。葬送行進曲の始まりを告げるファンファーレンなんだからな。
 でも,不吉と言われないと不吉に感じられないんですよね,ぼく程度の聴き手は。

● 3楽章以降は賑やかだったり華やかだったり,澄んだ美しさをたたえていたりいるから,全体を聴き終えたあとは,不吉な曲だったという印象は残らない。
 ではどういう印象かというと,悪くいえばとりとめがない。ベートーヴェンのような1本のストーリーを紡ぎだすのは難しい。そのように聴く曲ではないのだろう。

● 多様な解釈を許すというか。そりゃぁ,ベートーヴェンだって解釈の余地はあるんだろうけど,私(マーラー)の意図は意図として,それにこだわらなくてもいいですよ,的な。
 マーラーは指揮や演奏についてこと細かく指示を書きこんでいるわけだから,そうした鷹揚な構えでいたとは思いにくいんだけれども,曲自体はそういう感じ。
 というか,そうとでも受けとめておかないと,ぼくの中でまとまりがつかない。
 というようなことを考えさせてくれる演奏だった。

 チケット売上げの一部は「国境なき医師団日本支部」に寄付されるのであるけれども,それとはべつに募金も行われていた。些少ながら,募金箱に。
 主催者との一体感というか,主催者との距離が縮まったような快感(?)を味わえるんですな。

2016.02.27 リコーフィルハーモニーオーケストラ第59回演奏会

横浜みなとみらいホール 大ホール

● リコーフィルハーモニーオーケストラは「(株)リコーの文化クラブとして1986年に発足した」。ぼくが企業オケの演奏を聴くのは,JR東日本交響楽団マイクロソフト管弦楽団(今はない),日立フィルハーモニー管弦楽団に次いで4回目になる。

● 開演は午後2時。チケットは当日券だと1,500円(前売券は1,000円)。
 演奏したのはマーラーの交響曲第6番イ短調。指揮は井崎正浩さん。1987年からこのオケの常任指揮者を務めている。事実上,発足以来といっていいのだろう。

● この6番の副題は「悲劇的」。この副題はマーラーが付けたものだろうか,それとも後世の誰かが付けたものか。
 実際に聴いた印象では,「悲劇的」という印象はあまり受けなかった。ベートーヴェン以来の「暗→明」が「明→暗」に逆転され,「イ長調→イ短調」の和音移行が全曲を統一するモットーとして用いられている,というのはWikipediaからの引き写しだけれども,「明→暗」をあまり強調しないほうがいいのではないかと思った。

● 「明→暗」を曲全体に投影してしまうと,何か大事なものを取りこぼすことになりそうだ。
 ただし,マーラー(大きく拡大してヨーロッパ人)の考える悲劇と,ぼくがイメージする悲劇との間にかなりのズレがあるのかもしれない。ぼくのイメージする悲劇はやや情緒が先行するもので,ヨーロッパ人の考える悲劇は乾いたもののような気がする。
 そのズレが上のような印象を産んだのかもしれない。

● 90分に及ぶ長大な曲だけど,この曲の印象をひと言で表す言葉は「疾風怒濤」。90分を休みなく駆け抜けなければならない。奏者にとっては神経を尖らせた消耗戦が続くことになる。
 客席でその消耗戦を眺める楽しみ,サディスティックな楽しみってことになるんだろうけど,は,確実に存在するね。

● しかし,「神経を尖らせた消耗戦」は否応なく凄まじい集中を生む。曲が奏者に集中を強制する。
 その結果,ステージから発せられる音の密度が素晴らしい。ギュギュッと凝縮された重さすら感じさせるような音の連なりが,客席に襲いかかる。
 その襲われる快感。つまりそれがライヴの快感といっていいものだろう。畢竟,このために時間をかけて自分の身体を会場まで運び,お金を払って,入場するわけだよね。

● 条件を整えてやれば,CDでそれを味わうこともできなくはないんだと思うんですよ。ただ,そのためのコストがべらぼうになる。
 まず,家庭を放棄しなければならないだろう。資産のありったけをオーディオとオーディオルームに注がなければなるまい。
 つまりだね,できなくはないんだけれども,まったく現実的ではないということだね。

● 呆れたことに,この曲を演奏したあとに,アンコールがあった。マーラー「私はこの世に忘れられ」(リュッケルト歌曲集より)。

● 一応,奏者の皆さんに申しあげたい。
 企業オケなんだから,仕事もしなね。オケの練習ばっかりやってちゃダメだよ。こっちとしてはそうして欲しいんだけどさ。

2016年2月18日木曜日

2016.02.17 クラリネットと弦楽四重奏によるブラームス室内楽リサイタル-宇都宮音楽芸術財団第26回定期演奏会

栃木県総合文化センター メインホール

● 宇都宮音楽芸術財団主催の演奏会は,2013年11月の第1回目の演奏会を聴いた。「タマーシュ・ヴァルガ チェロリサイタル」。それ以来,2度目。
 開演は午後7時。この財団は会員制であって,基本的には聴衆=会員となる(のだと思われる)。が,非会員のためにも一定数の座席を用意しており,3,000円でチケットを販売している。ぼくはその当日券を買って入場した。

● メインホールの1階席のみを使用。右側4分の1が非会員用の自由席。会員は座席が指定されるらしい。
 正直,空席が目立っていた。平日の夜となると,こんなものか,宇都宮では。先週の今日もピアノの演奏会を聴いているんだけど,先週は翌日が祝日だったからね。

● 財団の財政は大丈夫なのか。実際の会員数はもっと多いんでしょうけどね。平日の夜の演奏会なんだから,来れない会員もけっこうな数いるに違いない。
 スポーツジムだって,幽霊会員の会費がないとやっていけないと言われる。会費だけ払ってくれている会員はこの財団にもいるのだろうと推測する。
 ジムと違うのは,会費だけ払ってくれる会員が一番ありがたいのではなく,聴きに来てくれる会員が最上であるというところ。

● 演目はブラームスの次の2曲。まず,「弦楽四重奏曲第3番」。
 演奏するのは次の4人。いずれも東京交響楽団のメンバー。
 1stヴァイオリンが水谷晃さん。2ndが福留史紘さん。ヴィオラが青木篤子さん。チェロが伊藤文嗣さん。東京交響楽団のコンマスであったり,各パートの首席を務める人たちだ。
 前から2列目に座った。オーケストラであれば,いくら何でもこれでは前過ぎる。もっと後列の席がいい席ってことになるだろう。
 が,弦楽四重奏であれば,できるだけ前がいい。奏者の息づかいまで伝わってくるような席がよろしいね。

● 1列目に座った人はいなかった。つまり,ぼくが一番前。
 その結果,どういうことになるかというと,あたかも自分ひとりのためにステージで4人が演奏しているかのような錯覚に簡単に陥ることができた。世界を征服した気分だね。アレクサンダー大王になったのか,オレ,ってなものだ。
 いや,贅沢感ありまくり。

● 青木さん,ウェストがめっちゃ細い。およそ贅肉はない。が,筋肉はある。“鍛えているんだろうな感”が相当ある。
 鞭のようにしなる身体なんじゃなかろうか。ゆえに,動きがしなやかだし,速さも鋭さもある。たぶん,スタミナも相当なものなのだろう。
 身体を鍛えれば演奏が上達するというほど単純なものではないんだろうけど,彼女に限らず,肉体の手入れを怠らないのは,奏者のたしなみなのかもなぁ。

● 水谷さんは基本,スマイリー。スマイリーの上に立って,表情が豊かだ。
 それって,人を引っぱっていくうえでは大事なことなのかもしれないね。

● 弦楽四重奏って,どうも聴き手を選ぶところがあるように思う。交響曲や協奏曲なら,どうにかこうにかとりつくシマがある。そこから半ば強引にでも自分なりの感想をまとめることができる気がする。
 が,弦楽四重奏の場合は,ダメなときは徹底的にダメ。追いかけようとしても距離がぜんぜん縮まらない。っていうより,追いかける術がないと思うことがある。
 ぼくはずっと苦手意識を持っている。何とかしたいと思うんだけども,弦楽四重奏曲はぼくを選んでくれない。

● 今回はどうだろうか。じつはかすかに手がかりを得られたような気分になっている。
 やはり音楽はブラームスに教えてもらうのがいい。ブラームスを名手が奏でるのを聴くのが,ブレークスルーのための最善の手段かもしれない。
 とはいえ,ほんとにかすかだ。ぐっと引き寄せられるかどうかは,今後の課題。

● この曲の聴きどころはいろいろあるのだろうけど,まずは第3楽章のヴィオラということになる。ヴィオラがここまで切なく美しく歌う曲って,初めて聴いた気がする。他にあるんだろうか。って,ぼくが知らないだけで,あるに決まっているんだけどさ。
 この程度のところから入っていって,どこまで行けるか。

● この分野でもベートーヴェンの業績が目もくらむほどに高い山脈を形成している。その山脈を至近距離から眺めざるを得なかったブラームスが残した弦楽四重奏曲は3つ。
 その3つのCDをしっかり聴きこんで,そこからベートーヴェンに遡るのが正解かなぁ。

● 休憩後は「クラリネット五重奏曲 ロ短調」。クラリネットは吉野亜希菜さん。やはり東京交響楽団の首席。
 その前に,財団の理事長の金彪さん(だと思われる)による奏者へのインタビューがあった。
 水谷さんには,オケのコンマスを務めるのとこういうカルテットの1stヴァイオリンを務めるのとでは,何が最も違うか,という質問。
 福留さんには,いろんな役割をこなさなければならない2ndヴァイオリンを演奏するうえで,最も気をつけていることは何か,という質問。
 青木さんには,ヴィオラを堪能できる曲を紹介してください,というこれは質問ではなくリクエスト。青木さんは作曲家を3人あげた。バルトーク,ヤナーチェク,マーラー。
 伊藤さんには,最も好きな弦楽四重奏曲は何ですか,という質問。
 吉野さんには,ブラームスが才能の枯渇を感じて筆を折ろうとしたあと,クラリネットの曲を書き,さらに名曲を産んでいるが,クラリネットの何がブラームスを救ったと思うか,という質問。

● 金彪さん,本業は脳外科医で獨協医科大学の主任教授を務めている。教授だけやっているわけではないだろう。そのかたわら,こういう財団を主宰する行動力,生命活力に感嘆するけれども,音楽に対する蘊蓄もさすがに大変なもののようだ。
 こういう質問をこういう感じでできるというのもすごいですよ。こういうのって,頭の中でシミュレーションはできても,実際に質問を発して,答えを受けて,そこからさらに展開させていくのは,なかなかできないことでしょ。

● 在日韓国人であり,そっち方面でもいろんな厄介事を引き受けざるを得なかったはずだ。そうした中でここまでの活動レベルを維持しているのは大変なものだ。
 自分と何が違うんだろなぁとどうしたって考えてしまうわけでね。彼の一生は,少なくともぼくの五生分ではきかないはずだからね。

● そこを分かつものは何なんだろ。DNAか,置かれた環境か,あるいはほんの些細な初期経験の違いか。
 人間の一生は複雑系の最たるものだとすると,わずかな初期値の違いが途方もない違いをもたらす。その初期値は与えられるものだろうし,そこは操作不可能な領域だ。
 となれば,どんな一生になっても仕方がないね,と達観するのが正解なのかなぁ。

● さて。ブラームスだ,クラリネット五重奏曲だ。
 吉野さんの顔がだんだんピンクを増していく。これ,すごく色っぽかったんですけど。こういうのって,あれですか,一緒に演奏している男性奏者はぜんぜん平気なものですか。
 平気なんでしょうね。そうでなければ困る。

● よく息が続くなぁと素朴に驚く。もちろん,息つぎはしてるんだけど,わずかしか吸っていないように見える。
 管楽器の奏者って肺活量がすごいんですか。って,肺活量の問題じゃないよねぇ。循環呼吸なんてのを聞くこともある。鼻から吸うのと口から吐くのを同時にやるっていう。必要に迫られればそういうこともできるようになるんですかねぇ。

● 今回は,弦楽四重奏にとりつく手がかりというかキッカケを得られたかもしれない。得られていれば,大きな収穫といえる。
 おめでとう,オレ。

2016年2月16日火曜日

2016.02.11 1st Resonanz Barock Consort

宇都宮大学 峰ヶ丘講堂

● 開演は午後4時。チケットは当日券だと2,000円(前売券は1,500円)。当日券で入場した。
 が,当日券で入場できたのは僥倖だったかもしれない。ほぼ満席の状態だった。

● Resonanz Barock Consort(レゾナンツ バロック コンソート)は「宇都宮を中心に活動する小編成オーケストラ」。
 メンバーは次の方々だ。
 大川晴加(ソプラノ)
 関根哲郎(トランペット)
 熊谷モニカ(ヴァイオリン)
 稲垣早苗(ヴァイオリン)
 二本木真宏(ヴィオラ)
 西海朱音(チェロ)
 藤井美雪(チェンバロ)

● メンバーの出身地や背景(?)はそれぞれバラバラのようだ。稲垣早苗さんと二本木真宏さんは,宇都宮大学(管弦楽団)の出身。
 その関係で,1回目の会場が宇大の峰が丘講堂になったのかもしれない。

● ともあれ,それぞれバラバラの人たちが,どういう経緯でか知り合い,ひとつのバンド(ではないけれども)を組んで活動する。音楽に限らず,何らかのパフォーマンスを続けてきた人たちの特権だな。
 それだけで,選ばれた人生なんじゃないかと思ってしまう。

● 峰ヶ丘講堂は宇大の施設の中では最も古いものですか。中に入ると風格に満ちた空間で,これは保存しなければいけないだろうと思われた。
 保存するためには修理しながら使い続けなければいけない。静態保存になってはダメだ。SLじゃないんだから。
 バロックと峰ヶ丘講堂の組合せにはまったく違和感はなかった。音響をいうのであれば,市文化会館とか県総合文化センターのほうに一日の長があるにしても,ここもそんなに悪くはないように思えた。

● 曲目は次のとおり。
 ヘンデル 輝かしきセラフィムに
 ヘンデル わが心は目を開き耳を傾ける
 テレマン 聖なる歓喜に満ち,至福なまなこ
 ヴィヴァルディ 調和の霊感第9番 ニ長調

 ヴィヴァルディ 神なる主,天の王
 パッヘルベル カノン,ジーグ
 バッハ カンタータ51番 全地よ,神にむかいて歓呼せよ

● Wikipediaはバロックについて「影響は彫刻,絵画,文学,建築,音楽などあらゆる芸術領域に及び,誇張された動き,凝った装飾の多用,強烈な光の対比のような劇的な効果,緊張,時として仰々しいまでの豊饒さや壮大さなどによって特徴づけられる」と解説しているけれども,建築や美術,音楽をバロックという概念で串刺しにすることに,あまり意味があるとも思えない。
 バロック様式の建築とバロック音楽の間に,共通項を見いだせる人はいるんだろうか。
 建築様式の変化が音楽に影響を与えたことは,以前から指摘されているとおりだと思うんだけど。

● ベートーヴェンは気楽に聴けるけれども,バロックに向かうときには背筋を伸ばして気合いをいれないといけない。そういう人が多いのか少ないのか知らないけれども,ぼく一個はそうだ。
 バロックといえばまずはバッハであって,マタイ受難曲やヨハネ受難曲がそう簡単に聴ける曲だとは思いにくい。結果,バロックを聴くことは少なくなる。

● それを強制的に自分に聴かせるには,こういう団体の演奏会に出向くのが一番いい。「こういう団体」が宇都宮にもできてくれたっていうこと。
 もちろん,マタイやヨハネのような大曲を手がけるのは難しい。比較的小さな曲を演奏していくことになる(のだろうと思う)。

● それをこちらがきちんと拾っていければ,そしてそれを続けていければ,けっこうな蓄積ができるだろう。それ以上を自分に望んではいけない気がする。
 この小さな団体の活動についていけるかどうか。まず,そこが問題だ。
 そこそこついていければ,この曲をCDで聴いてみようかってことにもなって,自ずと世界が広がっていくかもしれない。

● トランペットとチェロが印象に残った。っていうか,トランペットは唯一の管楽器で,美味しいところを全部持っていった感がある。
 キチッとした真面目な演奏だ。バロックだものな。曲が真面目を要求する。そうそう遊ばせてはくれないんだろう。
 でも,遊びはあるはずだよね。奏者がそこで遊んでいいかどうか,それはまた別の問題になるけれども。

2016年2月12日金曜日

2016.02.10 篠崎のぞみ チャリティーピアノコンサート

栃木県総合文化センター サブホール

● “ウィーン帰国記念”とある。高校卒業後,ウィーンの音楽大学に留学。昨年,卒業している(プログラム冊子のProfileによる)。
 開演は午後7時。チケットは1,500円。当日券で入場。

● プログラムは次のとおり。
 バーバー 夜想曲
 ドビュッシー 月の光
 ショパン 即興曲第3番 バラード第3番 舟歌
 リスト 愛の夢 ため息

 ドビュッシー 水の反映
 ラヴェル 水の戯れ
 シューベルト 即興曲
 ベートーヴェン 月光ソナタ

● 仲道郁代さん的というか,曲への思いを表情に載せて弾く。あるいは,表情を作ることによって集中していくタイプ。
 いい悪いの問題ではないと思うんだけど,この弾き方って有事に弱いんじゃないかな。
 有事に弱い? つまり,集中モードに入るのに若干の時間を要することになるので,その間に後ろから刺されたら防ぎようがない。って,いよいよ何を言ってるんだか。

● 技術的なことはぼくにはわからない。あまりに下手ならわかるんだけれど,あるレベルを超えていると,みな同じに聞こえるわけで。彼女ほどの水準になっていれば,ぼくにはもう他のピアニストと区別はつかない。
 そのうえでの発言なんですけど,どの曲も同じように聞こえてくるところがあった。表現して聴衆に差しだす,その差しだし方に,ブラッシュアップの余地があるかもしれない。

● 後半はステージにスクリーンが設置された。何事かと思ったんだけど,ドビュッシーとラヴェルの2曲について,曲が象徴する風景(印象派画家の絵画?)を映すためだったようだ。
 曲を味わうためのよすがにしてくださいね,ってことだったか。問題は,こういうものは逆に味わいを限定してしまうかもしれないってこと。ここは聴衆の想像力を信頼して,具象を置くのは控えたほうがいいと,ぼく一個は思う。

● さらに言葉を加えれば,奏者が充分に美しいのだから,美しい映像は要らないんだよね。美しいものはひとつあればいいんですよ。
 同じ理由で,ステージに花が置かれていたけれども,これもないほうがいいと思った。記念の演奏会だから置きたくなるのはわかるんだけど,視覚の邪魔をする。
 ピアノと椅子と奏者。それ以外のものは余計だ。余計というのはなくてもいいもののことではなくて,あってはならないもののことだ。

● さらに重箱の隅をつつくようなことを申しあげるんだけど,ドレスをまとっているときにはあまり深く腰を折らないほうがいいと思う。
 あのドレスをまとっている以上は貴婦人であって,貴婦人たるものはたとえ相手が聴衆であっても,深々と頭を下げてはいけない。お高くとまっていると思われるくらいでちょうどいいのではないか。
 普段の彼女はたぶん,温和で誰からも好かれる人なんだろうけど,ステージ上でもそうである必要はないのじゃないか。

● シューベルトの即興曲は,彼女の留学先の先生であるカール・バルト氏が演奏した。篠崎家が自費で招待したのだろうか。
 明晰な演奏だと思った。目鼻立ちがくっきりしていた。

2016年2月10日水曜日

2016.02.07 Ren&倉沢大樹 バレンタインコンサート

さくら市氏家公民館

● さくら市の主催。開演は午後2時。入場無料。Renさんのケーナ,倉沢さんのエレクトーン(とピアノ)。
 倉沢さんは宇都宮市の出身。この世界では知らない人はいないほどの存在だろう。
 Renさんは足利市の出身。5歳からピアノを始めていたんですね。大学時代にケーナに魅せられたと,配られたチラシの「プロフィール」に紹介があった。

● MCは主にRenさんが担当。彼,ケーナを吹くだけではなく,製造販売もしているらしい。鹿児島まで竹を取りに行った話もしていた。
 大きさが違ういくつものケーナがある。当然,小さいものほど高い音が出るわけだけど,こんな高音まで出るのかと驚くことが何度かあった。

● 「コンドルは飛んでいく」から始まった。ケーナ曲の定番といっていいのだろう。
 ピアソラの「リベルタンゴ」をケーナで聴けるとは思わなかった。たぶん,これが最初で最後になるのではないかと思う。ぼく的には美味しかった気分。

● 後半では,Renさんや倉沢さんのオリジナル曲も披露された。
 倉沢さん単独で演奏したのは「Sing, Sing, Sing」。元々は,トロンボーンとトランペット,サクソフォン,ドラムスで演奏される曲。何で演奏されようが,エレクトーンでできないものはないんでしょうね。
 できないものはないんだとしても,どの程度にできるかは,奏者によるのでしょう。そこは名手,倉沢さんの演奏だからね。

● ただ,スピーカーのひとつから音が出ていなかったらしい。ステージからも「業務連絡」を出していたんだけど,コントローラーの調子が悪かったんだろうか。
 ただ,ぼくなんかが聴く分には,どのスピーカーの音が出ていないんだかわからないわけですよ。ダメな聴き手ってことになりますか。

● アンコールは「浪花節だよ人生は」。客席を乗せたいってことなんでしょうね。客席サービスということ。
 そうしたサービスには気持ちよく乗ることが大事。ただし,それができる日本人はそんなに多くないかもしれない。特に男性。

2016年2月7日日曜日

2016.02.07 せきぐちゆき ミニLIVE

道の駅きつれがわ

● 1月23日に「道の駅きつれがわ」に行った。らば。2月7日が道の駅のイベントデーで,そのひとつに,「せきぐちゆき ミニLIVE」がありますよ,と。11時からですよ,と。
 たぶん,これは行けないだろうなと思ってたんですよ。なんとなれば,わが家には車が1台しかなく,それは奥さまの実効支配に属しているわけで,ぼくが勝手に運転することは難しい。
 車が使えないとなれば,喜連川に出向くのは難しい。

● ところが。いくつかの偶然が重なって,ぼくがその車を運転できることになった。で,2週間ぶりに「道の駅きつれがわ」に来ることができた。
 着いたのはちょうど11時だった。すでにLIVEは始まっていたから,1分か2分,遅れたのかも知れない。

● 駐車場がね,満杯でしたね。普段は使わない臨時駐車場的なところも解放してたんだけどね。どうにか空きを見つけることができたんだけど。

● せきぐちさん,シンガソングライターってことなんでしょうね。「きつれがわ」というタイトルの曲も作っている。依頼されての作曲だったらしい。
 喜連川を調べるほどに,喜連川の素晴らしさがわかってきましたよ,と。リップサービスとわかっていても,嬉しいよねぇ。

● 室町幕府の足利氏(の末裔)が治めたのがここ喜連川。領民にとっては,そんなことはどうでもよかったはずだと思うんだけど,今となっては,領民の子孫もそのことを誇りにしているらしい。不思議っちゃ不思議なんだけどね。
 ともあれ。喜連川には独特の風格がある。お寺が多いこと。荒川と内川が合流する地形からくる(道の駅はまさにその合流点にあるわけだけど)土地としての豊かさのようなもの。

● そんなことを踏まえて,せきぐちさんは曲を作ったようだ。もちろん,喜連川ってこんなに素晴らしいんですよってのをダイレクトに訴えたのでは曲にならない。
 “男女”を入れこまないとね。その背景としての喜連川のあれやこれを描写していく。そうじゃないと,人口に膾炙しない。
 で,「きつれがわ」はそういう曲になっている。

● 森高千里の「渡良瀬橋」を思いだすわけですよね,栃木県民としてはね。
 たぶん,森高千里はたまたま足利を訪れて,そこでインスピレーションを得て,あの歌詞を書いたんだろうけど,基本,あれは足利である必要はない。訪れたのが佐野であっても館林であっても,おそらく同じような曲ができたはずだ。
 その点,「きつれがわ」は喜連川を歌わなければならなかった。そこのところがわずかに「渡良瀬橋」とは違う。

● シンガソングライターにとって最も難しいのは,たぶん,作詞,つまり言葉の扱いだと思う。ヴォイストレーニングは怠りない。曲づくりもどうにかなる。が,詞は少しく厄介ということがあるのではないか。
 せきぐちさんは,どうなんだろうか。どうやら,好きな情景や好きな言い回しがあるようなんだな。それが吉と出るか凶と出るか,それは何ともわからない。

● ところで,宇都宮女子高でせきぐちさんと同じ部活に入っていたっていうのが,ぼくの知り合いにいるんですけどね。せきぐちさんの後輩になるんですかね。
 身体がめっちゃ柔らかかったらしいですな。知り合いはそういうことを言っておったですよ。

● 喜連川温泉のイメージキャラクターになっているのは,きつねの“コンタ君”。どうしてきつねなのか知らないけれども,そういうことになっている。
 で,会場では“コンタ鍋”が売られていた。1杯100円。各種根菜にきつねが好きな油揚げを加えて,味噌仕立てにしたもの。豚汁から豚肉を除いたようなもの。
 これが旨かったっすね。お代わりしようかと思ったんだけど,そういうことをしている人はいなかったので,1杯でやめておいたんだけどね。