栃木県総合文化センター サブホール
● “ウィーン帰国記念”とある。高校卒業後,ウィーンの音楽大学に留学。昨年,卒業している(プログラム冊子のProfileによる)。
開演は午後7時。チケットは1,500円。当日券で入場。
● プログラムは次のとおり。
バーバー 夜想曲
ドビュッシー 月の光
ショパン 即興曲第3番 バラード第3番 舟歌
リスト 愛の夢 ため息
ドビュッシー 水の反映
ラヴェル 水の戯れ
シューベルト 即興曲
ベートーヴェン 月光ソナタ
● 仲道郁代さん的というか,曲への思いを表情に載せて弾く。あるいは,表情を作ることによって集中していくタイプ。
いい悪いの問題ではないと思うんだけど,この弾き方って有事に弱いんじゃないかな。
有事に弱い? つまり,集中モードに入るのに若干の時間を要することになるので,その間に後ろから刺されたら防ぎようがない。って,いよいよ何を言ってるんだか。
● 技術的なことはぼくにはわからない。あまりに下手ならわかるんだけれど,あるレベルを超えていると,みな同じに聞こえるわけで。彼女ほどの水準になっていれば,ぼくにはもう他のピアニストと区別はつかない。
そのうえでの発言なんですけど,どの曲も同じように聞こえてくるところがあった。表現して聴衆に差しだす,その差しだし方に,ブラッシュアップの余地があるかもしれない。
● 後半はステージにスクリーンが設置された。何事かと思ったんだけど,ドビュッシーとラヴェルの2曲について,曲が象徴する風景(印象派画家の絵画?)を映すためだったようだ。
曲を味わうためのよすがにしてくださいね,ってことだったか。問題は,こういうものは逆に味わいを限定してしまうかもしれないってこと。ここは聴衆の想像力を信頼して,具象を置くのは控えたほうがいいと,ぼく一個は思う。
● さらに言葉を加えれば,奏者が充分に美しいのだから,美しい映像は要らないんだよね。美しいものはひとつあればいいんですよ。
同じ理由で,ステージに花が置かれていたけれども,これもないほうがいいと思った。記念の演奏会だから置きたくなるのはわかるんだけど,視覚の邪魔をする。
ピアノと椅子と奏者。それ以外のものは余計だ。余計というのはなくてもいいもののことではなくて,あってはならないもののことだ。
● さらに重箱の隅をつつくようなことを申しあげるんだけど,ドレスをまとっているときにはあまり深く腰を折らないほうがいいと思う。
あのドレスをまとっている以上は貴婦人であって,貴婦人たるものはたとえ相手が聴衆であっても,深々と頭を下げてはいけない。お高くとまっていると思われるくらいでちょうどいいのではないか。
普段の彼女はたぶん,温和で誰からも好かれる人なんだろうけど,ステージ上でもそうである必要はないのじゃないか。
● シューベルトの即興曲は,彼女の留学先の先生であるカール・バルト氏が演奏した。篠崎家が自費で招待したのだろうか。
明晰な演奏だと思った。目鼻立ちがくっきりしていた。
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