● 交響楽団はやぶさとは何者か。「学生を中心にマーラー「交響曲第5番」をサントリーホールで演奏することをコンセプトとして結成されたオーケストラ」であるらしい。今日のこの演奏会がそれだ。
ということは,これがすんだら解散するのかというと,そうではないようだ。次の演奏会の日程がすでに決まっている。
● 「全国の学生が参加できるように,演奏会の前に合宿も行い,集中的に練習しつつ親睦を深め」るともある。
若い学生ならではの熱い宣言が続くのだけれども,どうも学生の多くは医学生のようだ。国家試験がすんでから,全国の医学生が集まって,1週間の合宿を組んで集中的に練習したということのようだ。
● 「特定非営利活動法人友情の架け橋」とか「国境なき医師団日本支部」の名前が登場する。でもって,チケット売上げの一部は「国境なき医師団日本支部」に寄付することにしたらしい。
とはいえ,医学生以外の学生もいるし,特に桐朋の学生がまとまった数,入っていたようだ。これだけ音大の学生がいれば,底割れを起こすことはないだろうね。
● という言い方は,主力の医学生に失礼かもしれない。いや,失礼だろう。
その所以を以下に述べる。
● 開演は午後7時。チケットは1,000円。曲目は次のとおり。
ワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
マーラー 交響曲第5番 嬰ハ短調
指揮は,谷口悠さん。慶應の経済を卒業して,2年前に社会人になった。このオケの代表者も務めている。
ちなみに,このオケのホームページからチケットを申し込んだんだけど,送付作業を担当したのも谷口さんだったようだ。送られてきた封筒に裏に彼の住所と名前が書いてあった。
● マイスタージンガー前奏曲。指揮者が固くなってるのじゃないかと思った。たとえアマチュアであっても,ステージで演奏する以上はサービス業の一面を持たざるをえない。サービス業に従事する者に第一に要請される要件は何か。
笑顔でしょうね。愛想の良さと言い換えてもいいけれども,まずは笑顔。それがない。求道者か研究者の趣だ。指揮者に限らず楽器を演奏する者は求道者でなければならないのだとしても,もう少しリラックスしてもいいのでは,と思えた。初々しいと言うのかもしれないけどね。
でも,これは彼の味なのかも。オケと仲が悪いわけではない。コミュニケーションの取り方が不器用というわけでもないようだ。そういうスタイルなのだろうな。
● さて。演奏はどうだったかといえば,サッとブラボーがかかった。お祝いブラボーではなかったと思う。
集中合宿がどれほどの効果があるのかわからないけれど,勢いがあった。
● 勢いがあればいいのかという人もいるかもしれない。が,勢いをつけるのがどれだけ大変なことか。
● 勢いがあればいいのかという人もいるかもしれない。が,勢いをつけるのがどれだけ大変なことか。
音楽に限らない。野球やサッカーのようなチームスポーツは典型的にそうだろう。
個人の生活もそうだ。こういうブログの文章もそうで,何が一番欲しいかといえば,勢いなんですよね。それが得られないから四苦八苦するわけでさ。
● マーラーの5番に移ると,指揮者も場に馴染んできたように見えた。これだけのお客が入っていて,しかも天下のサントリーホールとなれば,空気に飲まれないまでも,この空気に自分を馴染ませるには多少の時間を要するものでしょ。
もっとも,これは年輩者限定かもしれない。最近の若者にはあてはまらないかも。谷口さんにしても,とっくに馴染んでいたかもしれないわけでね。
● この1年に限っても,5番は何度か聴く機会に恵まれた。第1楽章はトランペットのファンファーレで始まる。プログラム冊子の曲目解説には「不吉な」とある。そうか,このファンファーレは不吉な響きなのか。葬送行進曲の始まりを告げるファンファーレンなんだからな。
でも,不吉と言われないと不吉に感じられないんですよね,ぼく程度の聴き手は。
● 3楽章以降は賑やかだったり華やかだったり,澄んだ美しさをたたえていたりいるから,全体を聴き終えたあとは,不吉な曲だったという印象は残らない。
ではどういう印象かというと,悪くいえばとりとめがない。ベートーヴェンのような1本のストーリーを紡ぎだすのは難しい。そのように聴く曲ではないのだろう。
● 多様な解釈を許すというか。そりゃぁ,ベートーヴェンだって解釈の余地はあるんだろうけど,私(マーラー)の意図は意図として,それにこだわらなくてもいいですよ,的な。
マーラーは指揮や演奏についてこと細かく指示を書きこんでいるわけだから,そうした鷹揚な構えでいたとは思いにくいんだけれども,曲自体はそういう感じ。
というか,そうとでも受けとめておかないと,ぼくの中でまとまりがつかない。
というようなことを考えさせてくれる演奏だった。
● チケット売上げの一部は「国境なき医師団日本支部」に寄付されるのであるけれども,それとはべつに募金も行われていた。些少ながら,募金箱に。
主催者との一体感というか,主催者との距離が縮まったような快感(?)を味わえるんですな。
個人の生活もそうだ。こういうブログの文章もそうで,何が一番欲しいかといえば,勢いなんですよね。それが得られないから四苦八苦するわけでさ。
● マーラーの5番に移ると,指揮者も場に馴染んできたように見えた。これだけのお客が入っていて,しかも天下のサントリーホールとなれば,空気に飲まれないまでも,この空気に自分を馴染ませるには多少の時間を要するものでしょ。
もっとも,これは年輩者限定かもしれない。最近の若者にはあてはまらないかも。谷口さんにしても,とっくに馴染んでいたかもしれないわけでね。
● この1年に限っても,5番は何度か聴く機会に恵まれた。第1楽章はトランペットのファンファーレで始まる。プログラム冊子の曲目解説には「不吉な」とある。そうか,このファンファーレは不吉な響きなのか。葬送行進曲の始まりを告げるファンファーレンなんだからな。
でも,不吉と言われないと不吉に感じられないんですよね,ぼく程度の聴き手は。
● 3楽章以降は賑やかだったり華やかだったり,澄んだ美しさをたたえていたりいるから,全体を聴き終えたあとは,不吉な曲だったという印象は残らない。
ではどういう印象かというと,悪くいえばとりとめがない。ベートーヴェンのような1本のストーリーを紡ぎだすのは難しい。そのように聴く曲ではないのだろう。
● 多様な解釈を許すというか。そりゃぁ,ベートーヴェンだって解釈の余地はあるんだろうけど,私(マーラー)の意図は意図として,それにこだわらなくてもいいですよ,的な。
マーラーは指揮や演奏についてこと細かく指示を書きこんでいるわけだから,そうした鷹揚な構えでいたとは思いにくいんだけれども,曲自体はそういう感じ。
というか,そうとでも受けとめておかないと,ぼくの中でまとまりがつかない。
というようなことを考えさせてくれる演奏だった。
● チケット売上げの一部は「国境なき医師団日本支部」に寄付されるのであるけれども,それとはべつに募金も行われていた。些少ながら,募金箱に。
主催者との一体感というか,主催者との距離が縮まったような快感(?)を味わえるんですな。
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