● 「青春18きっぷ」が1回分残っているのだ。そろそろ使わないと,その1回分がムダになるのだ。というわけで,奥さまのお許しを得て,東京に出かけることにした。
「フロイデ」で調べたら,この日だけでも東京では多くのアマチュア・オーケストラが演奏会を開催しているのだった。
● その中からアンサンブル・ジュピターを選んだのは,特にこれという理由があってのことではない。よくいえば勘。普通にいえばあてずっぽうだ。
いや,そうじゃない。「フロイデ」に「早稲田大学フィルのOBとトレーナーを中心に,アマチュアの精鋭とプロの有志により構成されたオーケストラ」だと自らを紹介していたからだ。期待できそうじゃないか。
● 開演は午後2時。チケットは1,000円。当日券を購入。
曲目は次のとおり。指揮は安藤亮さん。
メンデルスゾーン 劇音楽「真夏の夜の夢」(抜粋)
モーツァルト 歌劇「アルバのアスカニオ」序曲
シューマン 交響曲第4番 ニ短調
● 「真夏の夜の夢」を聴けただけで,来た甲斐があったと思えた。というのも,「序曲」のあと,「スケルツォ」「妖精の行進」「舌先裂けたまだら蛇」「間奏曲」「夜想曲」「結婚行進曲」「ベルガマスク舞曲」「終曲」と,全12曲のうち主要な8曲を聴けたので。
もちろんCDで全曲聴くことはできるわけだ。けれども,CD体験と生演奏を聴く体験は,はっきり別物(どちらがいいということではない)。生でこれだけ聴ける機会はそうそうないように思う。
● しかし。シェークスピアの作品ってヨーロッパ人にとっては教養の核のような存在なんでしょうね。日本でも翻訳はいくつも出ているんだけど,読んだことがないんですよねぇ。
「ロミオとジュリエット」や「リア王」もあらすじしか知らない。「真夏の夜の夢」はあらすじすら知らない。
大学の教養課程のときに,シェークスピアを原書で読まされた。ぜんぜん読めずに嫌になってしまったという,じつに情けない経験があるんですよ。
● メンデルスゾーンが17歳で作曲した「序曲」を聴いて,世の中には途方もない天才がいるものだと打ちのめされる経験をするのもいいと思うけど,自分とメンデルスゾーンを比較するのはそもそも間違いなのだから,どことなく育ちの良さを感じさせる音楽に包まれて自分を遊ばせるのがいいですよね,やっぱり。
「舌先裂けたまだら蛇」と「終曲」には独唱と合唱が加わる。そのために,沖田文子さん(ソプラノ)と奥野恵子さん(メゾ・ソプラノ)が控えていた。沖田さんは過去にマーラーの4番をこの楽団と共演しているようだ。
● その沖田さん。理工系の大学を出て,ソニーに勤務したという経歴を持つ。
高校生のときから声楽コンクールで優勝してたりもする。一方で,頭も良くて勉強もできたのだろう。となると,将来,どっちに進むか,悩ましかったのだろうか。常人にしてみれば贅沢な悩みかもしれないけど。
で,いったんは音楽を封印して,大学に進み,ソニーに就職したものの,職場でもいろいろあって,音楽へと舵を切り直すことにした,と。勝手な想像ですが。
ソニー時代に比べれば収入は減ったに違いない。としても,今の方が充実している。そういうことだろうか。
● 「アルバのアスカニオ」はモーツァルト15歳のオペラ作品。聴けば,教えてもらわなくてもモーツァルトだとわかる。ため息しか出ないけれども,さすがにこのオペラが上演される機会はほとんどないのだろう。
序曲も生で聴くのは初めてだ。ぼくはCDも持っていない。アマゾンで手に入るんだけど,どうしようかなぁ。
● シューマンの4番。これも初めて聴く曲じゃないかと思ってたんだけど,じつは過去に2回聴いていた。忘れていた。ということは,さして印象に残らなかったってことなんだろうな。
何を聴いていたのかってことでしょうね。
● シューマンに関しては,吉田秀和さんが『世界の指揮者』(新潮文庫)の中で次のように書いている。
シューマンの指揮者は,いわば,どこかに故障があって,ほっておけばバランスが失われてしまう自転車にのって街を行くような,そういう危険をたえず意識し,コントロールしなければならない。あるいは傾斜している船を,操縦して海を渡る航海士のようなものだといってもよいかもしれない。(p32)吉田秀和さんがそう仰るのだから,そうに違いない。シューマンが精神を病んだという知識がまずあって,その知識に引きずられるような聴き方をしてしまうという初歩的なミスを,吉田さんがされるわけがない。
● ただ,今回の演奏を聴いた印象でいえば,これはこれでひとつのバランスのあり方のようにも思えた。「ほっておけばバランスが失われてしまう」といっても,そうはならないようにシューマン自身が調整している。
予定調和を外しているところはあるけれど,結局,つじつまは合わせている。
● ところで,プログラム冊子の曲目解説には次のように書かれている。
本日,私たちが演奏するのは「改訂稿」の方であるが,それを元に管弦楽法に手を入れることに注力するのではなく,シューマンが楽譜に書ききれていない,シューマンの音楽を表現するために必要な要素を一つひとつ吟味し,それを体現できるように取り組んできた。一読,そうなのか,やはりレベルの高い楽団だったのだな,と思った。でも,待てよ,よくわからないぞ。
● シューマンが楽譜に書ききれていないけれども,シューマンの音楽を表現するために必要な要素を吟味する? 書ききれなかったのか書かなかったのか。それを楽譜から推測して,これだと思ったらそれを付加する?
具体的なイメージが湧いてこない。通常いわれる解釈とは別の作業になるんだろうか。それとも,それが解釈と言われる作業の中核になるものなのだろうか。
● アンコールはなし。スッキリした終わり方で悪くないと思う。
● ぼくにとっての夏は「青春18きっぷ」が使える7月20日から9月10日までだ。
この夏最後の演奏会がこの楽団の演奏会だったのは幸いというべきか。沖田さんのソプラノを聴けたことも。
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