2016年10月14日金曜日

2016.10.10 豊島区管弦楽団 第84回定期演奏会

板橋区立文化会館 大ホール

● 昨日は早とちりをして,錦糸町に向かうべきところを荻窪に行ってしまった。今日はそういうことのないように再度チェック。
 宿泊していたホテルから芝公園まで歩いて,都営三田線で板橋区役所前駅まで乗る。

● 会場の板橋区立文化会館に行くのは初めてだ。板橋区役所前駅から徒歩約7分とあった。が,その倍はかかったと思う。もっとかかったかもしれない。
 たぶん,遠回りをしてしまったんだと思う。途中,グリーンホールというのがあった。これも区立の施設ではないのかと思うんだけど,これはまた別のもの。
 ここから文化会館はすぐそこという距離のはず。なんだけど,ここからどちらに行けばいいのかわからなくなった。

● グリーンホールに付近の案内図があった。グリーンホールと道路を挟んだ反対側に板橋大山公園がある。それも案内図には載っている。
 したがって現在地はわかる。まぎれがない。しかし,どうもグリーンホールと大山公園の位置関係が地図とは逆のようなのだ。
 ということはつまり,どっちに行けばいいのか。右に行ったらいいのか左に行ったらいいのかがわからない。

● ま,しかし,無事に到着した。かなりの余裕をみて到着したはずなので,入場する前に遅めの昼食を摂っておこうと思っていた。んだけど。
 午後3時開演と思っていたら,2時開演だった。結果的にそれでもセーフだったんだけど,昨日に続いての勘違い。どうしちゃったのかね。

● 昼食の時間はない。当日券(800円)を買ってすぐに入場。曲目は次のとおり。
 グラズノフ 交響曲第9番 ニ短調
 ショスタコーヴィチ 交響曲第9番 変ホ長調
 ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調「新世界より」 
 「3曲の交響曲第9番を組み合わせた,珍しいプログラム」ということ。

● 指揮は和田一樹さん。その和田さんが「ハイアワサの歌」を紹介している。飢饉で妻を亡くす男の話。アメリカ先住民の話だ。
 じつは,ドヴォルザークはそれを第2楽章に取り入れているのではないかというのだ。「ハイアワサの妻のミネハハが飢餓と熱病に侵されつつもハイアワサを呼びながら息絶える様子を美しく表現している」と。
 “新解釈”といっていいのだろうか。少なくとも,ぼくは「ハイアワサの歌」をまったく知らなかったから。

● 「家路」のイメージが植え付けられているからね,これが息絶える様子を表現しているとは驚いた。そうだと思って聴けば,思えなくもない。静かで染みてくるような音楽だから。
 が,たぶん,違うと思うなぁ。飢餓と熱病と死。どう表現しても,こうはならないような気がする。死以外のものを表現していると思う。それが何なのかはわからないけれど。

● ちなみに,望郷の思いでもないと思うんですよねぇ。この時期,ドボルザークはホームシックにかかっていたとも言われるんだけれども,それをストレートに出してはいないような気がするなぁ。
 ま,このあたりの解釈というか受けとめ方は,徹頭徹尾,主観で通せるから,いかようにでもなるというところがあるんだろうけど。

● ショスタコーヴィチの9番。ショスタコーヴィチのしたたかさを感じる人が多いのじゃないかと思う。ぼくもその一人だ。
 周囲(=ソヴィエト上層部=スターリン)の期待,要望をわかっていながら,軽快でユーモラスな曲に仕上げて差しだした。もちろん,彼なりの計算があったはずだろう。このとき,ショスタコーヴィチはどういう計算をしていたのか。

● 豊島区管弦楽団,かなりの達者で構成されている。弦,木管,金管,パーカッションとも,堅固な安定感がある。
 アマチュアの市民オケって分類になるんだろうけど,ここまで巧い市民オケってそうそうない。ぼくの視聴体験ではそういう結論になる。でも,アレなのか,東京ではさほど珍しくないのだろうか。

● 帰りは,東武東上線で池袋に出た。会場から徒歩3分のところに東上線の大山駅がある。わずかな距離だ。ところが。
 会場にも案内図があった。ここまでの行路はわかるわけだから,ここから駅までどこをどう行けばいいのか,迷う余地はないはずだ。
 しかし,どっこい。逆方向に歩いていたんだなぁ。5分ほど歩いたところでおかしいと思い,文化会館に戻った。再度,地図を確認。さすがにそれでわかった。
 ぼくは地図を読めない男なのだ。地図を見るのは大好きなんだけど。

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