栃木県総合文化センター メインホール
● 第27回,30回,32回に次いで,4回目の拝聴。開演は午後1時半。チケットは1,000円。第32回のときは800円だったから,200円の値上げ。必要なら当然のこと。
この演奏会がかなり混むことは,過去3回で学習しているから,早めに行って行列に加わった。おかげで1階左翼席に座れたんだけど,客席はギッシリビッシリの満員御礼。
● っていうか,立ち見のお客さんも出ていたようだ。それが4人や5人ではなくて,けっこうな数。
座席数を超えた数のチケットを売ってしまったってことはないだろうから,招待客の歩留まりが予想を超えたってことですかねぇ。いや,ひょっとしてホールの座席数の確認を怠ってしまったのかなぁ。
● 宇都宮高校と宇都宮女子高校の合唱と管弦楽の「合同演奏会」。ゆえに,内容は盛りだくさんになる。
「第九」は第4楽章のみだけれども,これまでの経験から判断すると,宇女高オーケストラ部の腕前はかなりのもの。「第九」の全部をやって見せろと言われれば,ヒョイヒョイとやってのけるだろう。
が,宇高・宇女高の合同演奏であることに意味があるのだろうし,となると「第九」の全部をやるってわけには行くまいな。
● つまり,この演奏会の唯一の傷は総花的でありすぎることで,だから毎年行くってことにはなりにくいのだけど。
しかし,同時にそこがこの演奏会の魅力でもあって,どうにも舵の切り方が難しい。って,ぼくは当事者ではないんだけどさ。
● 主催はOB会,OG会。学校側は表に出ない。たとえば校長挨拶のごとき,ない方がいいものはきちんとないという,整理整頓が行き届いたステージになっている。
演奏会においては,演奏するのが高校生であろうと中学生であろうと,演奏以外のものはない方がいい。演奏がすべてを語るのだから,余計な講釈は要らないのだ。余計なものがあると,聴く側も集中と緊張をそがれる。
プログラム冊子にもそのようなものは掲載されていない。OB会,OG会の代表者と両校の顧問の先生,部長の挨拶が載っているにとどまる。
● まずは,宇女高の合唱から。初めて聴いた第27回では,部員の少なさに驚いたものだった。それが嘘のように,豊富な陣容で登場。OGも加わっていたようだけれど。
こういうのって,顧問の先生が替わると勢いがつくってことなんだろうか。
● 曲目は次のとおり。
ブリテン「キャロルの祭典」より“入場”など4曲
クリスマスソング “星に願いを”“サンタが街にやってくる”など4曲
● 後者のたとえば“サンタが街にやってくる”では,歌い手の表情も大切だ。ステージでこの曲を歌うということはつまり,自らがサンタになって客席に福を届ける役を担うことでもあるからだ。
でもって,その表情を十全に作れていた子が二人いた。たった二人かと言ってはいけない。二人もいたのかと驚くべきなのだ。かなり難易度の高いことなのだから。
● 宇高合唱団はまず,現役生だけで,間宮芳生「合唱のためのコンポジション」Ⅰと千原英喜「どちりなきりしたん」Ⅳ。
「どちりなきりしたん」とは,「近世初期にイエズス会によって作成されたカトリック教会の教理本」のこと。
次にOBも加わって,次の3曲。
多田武彦 男声合唱組曲「わがふるき日のうた」より“鐘鳴りぬ”
多田武彦 男声合唱組曲「富士山」より“作品第貳拾壱”
清水 脩 最上川舟歌
● この演奏会では「秋のピエロ」や「斎太郎節」を定番としていたようなんだけど,今回は上記のようなプログラム。
これだけ多くの人数で,これだけ多彩に男声合唱を展開できる高校があることに,まずは驚かされる。たぶん,栃木県ではこの高校一校にとどまるかもしれない。
この演奏会のひとつめの山がここにあることに,異論を述べる向きはおそらくないと思う。男声合唱の醍醐味を味わいたければ,この演奏会は狙い目だ。
● 次は両校合同で次の2曲。
ミュージカル「レント」より“Seasons of Love”
ミュージカル「レ・ミゼラブル」より“Do You Hear The People Sing?”
● ここから管弦楽が登場。宇高音楽部管弦楽団と宇女高オーケストラ部の合同演奏。チャイコフスキー「くるみ割り人形」から“行進曲”“花のワルツ”など。
高校生になってから楽器を始めたという弾き手がけっこういるだろう。特に,男子校である宇高の生徒さんは,ほとんどがそうではないか。女子なら小さい頃から習い事で楽器を始めることもあるだろうけれど,男子はなかなかね。
にしては,チェロで達者に弾きこなす男子(つまり宇高生)がいたのが印象に残った。
● そうして,いよいよ「第九」に突入する。合唱と管弦楽が一堂に会する。合唱には両校の音楽選択生も加わるから,大合唱団になる。壮観と言っていいだろう。
ヘンデルの「ハレルヤ」で場内を盛りあげてから,「第九」の第4楽章に移るというのが,この演奏会の約束事になっているようだ。
● 第4楽章しか演奏しない「第九」は「第九」ではないと言う人は多いだろうし,ぼくもそう思っている。「第九」で最も重要なのは第1楽章だと考えている。「第九」はあくまで管弦楽曲だ。合唱を主役にしてはいけないものだ。
そうなのではあるけれども,この演奏会における「第九」は,合唱を聴かせるためにある。管弦楽もソリストも,そのための捨て石にすぎぬ。
● というとさすがに言い過ぎであろうけれど,合唱団の迫力は凄まじい。迫力というより破壊力と言い換えた方がいいかもしれない。
“「第九」はあくまで管弦楽曲だ”なんぞという小賢しい半可通は跡形もなく吹き飛ばしてしまう。問答無用の説得力をもって,客席を支配する。
● というわけだった。宇高・宇女高合同演奏会,ひと言でいえば素晴らしかった。高校生に素敵すぎるクリスマス・プレゼントをもらったようなもの。
過去3回もそう思ったはずなのだ。が,雑事に取り紛れて,1年後にはそのことを忘れてしまっているのだ。
● 生徒さんたちはクリスマス・イヴどころではなかったろうな。サービスする側に回ったわけだから,それはそういうことになるしかない。終演後,連れだってスタバでお茶したり,ラーメン屋でお喋りしながら麺を啜ったりはしたのかもしれないけど。
充実感とか達成感を得ているだろうから,それとバーターってことになるんだろうけどね。
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