東京文化会館 大ホール
● ベートーヴェンの9つの交響曲をまとめて全部演奏して聴かせましょうという,おそらく世界に類例のない企画。
今回で6年連続6回目の拝聴となる。
● 開演は午後1時。終演して会場を出たときは,2017年になっていた。
11時間に及ぶ長丁場の演奏会だけれど,実際には長めの休憩を多めに入れていくので,(観客は)さほどに疲れることもじつはないんだけどね。
● チケットはヤフオクで落とすことが多かったんだけど,今回はA席を正規に購入。15,000円。3階席の3列目。ところが,ステージは正面に見えるものの,だいぶ遠い。
去年はC席で4階右翼席の1列目だった。その4階右翼席がすぐ近くにある。C席は5,000円なんだけど,これで1万円の差があるとはねぇと,セコいことを考えてしまった。
今回のA席は限りなくB席に近いA席だったのかもしれない。ただ,ヤフオクだとC席でも倍の値段じゃないと落札できないのでね,仕方がないでしょうね。
● セコい話をさらに続けると,何年か前に東京文化会館のカウンターでC席を買ったことがあったんですよ。そのときは4階左翼席だった。ただし2列目。1列目でも2列目でも同じCなんだけど,1列目か2列目かで天地の差が生じる。
けっこう早い時期に買ったんだけどね。それでも2列目しか買えない。安い席は早々に売れていくんでしょうね。
正規料金で2列目になるよりは,倍出しても1列目がいいと思いましたね。つまり,ヤフオクで1列目のC席を狙おう,と。ところが,今年は倍額でもC席チケットを落とせなかったんでした。
● ま,ともあれ。とにかく,今年もこの演奏会を聴くことができる。自分にこの演奏会を聴く資格があるのかと思わせられる出来事が今年はあった。けれども,とにかく。この演奏会を聴くところまで漕ぎつけた。
場内ロビーは例年と同じ華やいだ雰囲気だ。これほどの華やぎのあるコンサートというのは,オペラなんかではあるのかもしれないけれども,管弦楽では他にあるのかどうか。
ちなみに,毎年,チケットは完売する。
● 指揮は今年も小林研一郎さん。管弦楽は「岩城宏之メモリアル・オーケストラ」。今日だけのオーケストラだ。主催者によると,「日本を代表するオーケストラで活躍するコンサートマスターや首席奏者クラスによる特別編成です」とのこと。
コンサートマスターは篠崎史紀(NHK交響楽団第1コンサートマスター)さん。これも例年と同じ。
● 奏者は大半が男性で女性は6人。ヴァイオリンとヴィオラが2人ずつ。あと,オーボエとフルート。
何せ長丁場になるから,女性はちょっと参加しずらいのかもしれない。
● 1番が始まってすぐに,この演奏のすごさというか,水準の高さというか,圧倒される思いがした。この演奏に対してああだこうだと言うのは,ぼくには百年早いだろう。
もしこの演奏でもダメだと言うなら,ベルリンかウィーンにでも行くしかない。といっても,ベルリンでもウィーンでも,“全交響曲連続演奏会”はやってないだろうけどね。
● 開演は終演の始まりでもある。1番が終わり,2番も終わってしまうと,あぁこれで9分の2が終わってしまったという,淋しさのようなものを感じる。
夏休みが始まったばかりなのに,あと何日とカウントダウンを始めてしまうのは愚の骨頂だ,と小学生のときに思ったけれど,同じことを大人になってからもやってきた。
老境にさしかかった今も,また同じことを。
● 4番が終わったあと,三枝茂彰さんの「お話」があった。おおよそ次のようなものだった。
1 ヨーロッパの音楽には,ソナーレ(器楽)とカンターレ(声楽)という互いに相容れない2つの流れがある。ソナーレは厳密な形式によって成立するのに対して,カンターレは言葉によって自由に感情を表現する。その両方で成功した作曲家は,モーツァルトを唯一の例外として,存在しない。
2 ベートーヴェンは交響曲を完成させた作曲家であると同時に,交響曲を終焉させた作曲家でもある。9番において合唱を持ちこんだ。これは交響曲の形式を破壊するものであり,現代音楽につながる礎石となるものだ。
3 演奏のスピードが年々速まっている。この演奏会でも昨年より数パーセント,演奏時間が短くなっている。カラヤンの頃は,第九は1時間10分程度をかけて演奏していた。ところが,最近では1時間を切る演奏のCDも出ている。
● ぼくには「3」が興味深かった。人って,あらゆるところでスピードを好む生き物なんだろうか。速いということに惹かれる。
それはなぜかというと,究極の理由は二足歩行の遅さにあるのかも。自力では速くは移動できないというところ。ライオンや虎に狙われたら,丸腰では絶対に助からない。
新幹線に慣れたら在来線には戻れない,というのとはまた別の話になるんだろうけど,いろんな局面で速さを追求することがブレイクスルーにつながる?
● 3番が最初の山であることは間違いない。次に5番,7番とあって,最後に9番という史上最高峰がやってくる。
この演奏会を聴いた方々のブログは自分も読むことにしている。たいてい,5番と7番が絶賛される。過去には神降臨と書いている人もいた。
ただ,それらは演奏というよりは曲に内在しているエネルギーが解放されたことによるものだろう。曲自体が持っている力が奏者を動かして客席を支配するのだと解しておく。
● それで行くと,今年は7番ということになるだろう。が,ここであえて8番だったと言ってみたい。8番を,7番と9番に挟まれた貴婦人と評したのは誰だったか。
が,ここで聴く8番は決して貴婦人という言葉から連想される楚々としたものではなく,うねって押し寄せては退いていく,躍動する8番だった。
● が,それも9番を除けばという話になる。合唱は例年どおり武蔵野合唱団の皆さん。9番が始まるのは23時に近い時刻だ。この時間帯に声が出るのかと心配になるんだけど,その心配は杞憂なんでした。
ソプラノは今年は市原愛さん,アルトは山下牧子さん,テノールは笛田博昭さん,バリトンは青戸知さん。バリトンを除くと,ソリストは一新された。
● 19世紀後半から20世紀前半に生きた指揮者のフェリックス・ワインガルトナーが,「第九交響曲を毎年何度もよくない演奏で聴くよりは,十年に一度よい演奏を聴いたほうが,はるかに有意義である」と言ったらしい。
ぼく一個はこの言い方には疑問を持つけれど,たとえそうだとしても,10年に一度どころか,1年に1回は「よい演奏」を聴いてきたのだな,この6年間は。
● というわけで,今回も素晴らしかった。C席なら5,000円ですむ。それでこうやって大晦日を過ごせるなら,めっぽうコストパフォーマンスのいい,充実した大晦日の過ごし方になると思う。
ディズニーランドのカウントダウンというのは,ぼくは立ち会ったことがないんだけど,あれはおそらく若い人たちに相応しい催事のように思える。30歳を過ぎているのなら,TDLより東京文化会館の方が似合うのではないか。
● 楽章間で拍手をするようなお客さんはいない。が,1曲の演奏が終わるか終わらないかのときにブラボーを叫ぶ馬鹿はいる。まだ音が残っているのに,聞きたくもない肉声を発するヤツ。
あまつさえ,前列に座っているのに立ちあがる大馬鹿もいる。当然,視界をさえぎる(まぁ,全員が立ってしまえばいいのではあるが)。その手の大馬鹿はえてしてデブであることが多い。困ったことに。
そうした行為はカタルシスをもたらすのではあろうけれど,その誘惑に抗し得ないというのは情けない聴き手である。
● 昨今,フライング拍手について何とかしようとする動きがあると聞く。が,そんなものより,フライングブラボーの方が喫緊の対策を要する問題ではないか。
“大馬鹿”については対策はない。そこまでの馬鹿は放っておく以外にない。
● スタンディングオペレーションが由緒正しい賛辞の呈し方であることは知っている。が,東京文化会館の座席は前後左右の余裕がなく,立ちあがるのは危険だ。
それ以前に,日本においてはスタンディングオペレーションが成り立つ素地がまだ未成熟のように思える。当分は未成熟のままだろう。そんなものは「のだめカンタービレ」の中にとどめておけばよい。
0 件のコメント:
コメントを投稿