2017年1月17日火曜日

2017.01.09 那須野が原ハーモニーホール ニューイヤーコンサート

那須野が原ハーモニーホール 大ホール

● このコンサートに出向くのは,これが4回目になる。正直,去年のを聴いて,もうこれで打ちどめにしようと思った。
 が,なぜか前売券を買っていた。なんでだろ。なんでだろって,その理由はわかっている。第2部の「カルメン」に惹かれたわけだ。それ以外に理由はない。

● 開演は午後2時半。チケットはS席が3,000円。A席が2,000円。S席チケットを買っていた。前から3列目。
 オーケストラが乗るわけではないから,かなり前でもいいかなと思ったんだけど,少ぉし前すぎたかもしれない。

● 第1部はオルガン+α。曲目は次のとおり。
 宮城道雄 春の海
 バッハ 古き年は過ぎ去り
 デュリュフレ スケルツォ
 フランク 英雄的小品
 フォーレ 夢のあとに
 山田耕筰 この道
 バーンスタイン 「ウエストサイドストーリー」より『トゥナイト』
 プッチーニ 「トゥーランドット」より『誰も寝てはならぬ』
 J.シュトラウスⅡ 美しき青きドナウ

● 最初の4つと最後の「美しき青きドナウ」はオルガンの独奏。奏者はジャン=フィリップ・メルカールト氏。このホールのオルガニストゆえ,もう何度も聴いている印象があるんだけど,実際に数えてみるとそうでもなかったりするかも。
 フォーレ「夢のあとに」は寺田功治さんのバリトンが加わる。というか,バリトンの伴奏をオルガンがする。
 山田耕筰「この道」には大貫裕子さんのソプラノ。「トゥナイト」と「誰も寝てはならぬ」には渡邉善行さんのトロンボーン。
 オルガンは単独で主役を張るより,伴奏に回った方が,持ち味を発揮する楽器ですか。そんな気がした。

● ところで,ぼくの隣にはおば様がいらっしゃったのだけど。そのおば様,途中からお休みになられたようで。気持ち良さそうに寝息を立てて。
 っていうか,寝息じゃないわ,イビキだわ。隣の席からイビキが聞こえてくるという。さすがにこれは初めての体験。

● コンサート会場で生演奏を聴きながら寝る,というのはかなり贅沢な体験になるのじゃないかと思う。生演奏を寝るために活用するというのは,コンサートの使い方としてはありなんじゃないかと思っている。
 奏者からすれば,ちょっとちょっとってことになるのかもしれないけど,そこはお金を払ってチケットを買っているんだから,他者の迷惑にならなければ,何をしようとかまわない。

● なんだけど,イビキは他者の迷惑になるようなのでした。起こすわけにもいかないし,困ったよ。
 結局,そのおば様,第2部は聴かずに帰っていかれたようなんだけど,なんでお出でになったのですかとお訊ねしたい。
 チケットを買った人が都合で行けなくなったので,代わりにあなた行ってきてよ,ってことになったのだろうか。それともご本人が行くつもりでチケットを買ったんだろうか。

● 万が一,後者だとすると,もったいないと思うなぁ。3,000円っていうのは,チケット代としてはけっこうな額になる。プロのオーケストラでも5,000円以上の値を付けるのは,わりと勇気がいるんじゃなかろうか。
 3,000円をこういうふうに使えるのは,太っ腹だ。しかも,第2部は捨ててしまったわけだから。

● さて,その第2部。歌劇「カルメン」のハイライトをコンサート形式で,ってことなんだけど,ステージにオーケストラがいるわけではない。ピアノが2台(御邊典一,御邊大介)と太鼓(岩下美香)があるだけだ。
 実際の印象はコンサート形式のオペラというよりは,著名な場面のアリアを集めたという感じ。アリア集といった趣だった。ハイライト演奏なんだから,当然そうなるんだろうけどね。

● だからダメというのではなくて,むしろ逆だ。かなり聴きごたえのある「カルメン」になった。第一の功績は,脇を演じた人たちにある。
 フラスキータの西口彰子さん,メルセデスの郷家暁子さん,ダンカイロの荒井雄貴さん,レメンダードの升島唯博さんの4人の功績。
 特に,西口さんと郷家さんの“華”は大したもので,聴衆の視線を最も集めていただろう。

● ミカエラの大貫裕子さんもチャーミング。実力も申し分ない。第3幕で,ホセに対する切ない気持ちを独白するするところなんか説得力,無類。
 劇中のミカエラは,田舎しか知らない17歳の娘。ホセの母に養われた孤児。ホセとは兄妹のように育った間柄で,ホセ母の覚えめでたく,ホセ母はホセとミカエラが結婚してくれることを望んでいる。
 それを受けて,はるばる故郷の村から,ホセに会うためにセビリアに出てくる。当時,田舎者が都会に出るには,それだけで相当な踏ん切りを要したはずだ。都会は危険の塊だったろうから。
 一途にホセを想う気持ち。ホセを連れ帰るためなら何でも差しだすという気迫。つまり,ミカエラは可憐なだけではない。覚悟を決めている強い乙女だ(女に覚悟を決められたら,男は太刀打ちできないはずなのだが)。
 リアルの世界にミカエラのような女性がいるはずはない。男性作家の空想の産物なんだけど,それを歌と演技と佇まい(それから衣装も大事でしょ,ここは)で表現しなければならない。
 大貫さんが歌ってみせたアリアは,そのひとつの回答。

● カルメンを演じたのは鳥木弥生さん。歌とか演技とか,オペラの本体をなすところについて,ぼくが申しあげるのは僭越というものだ。っていうか,不満は何もない。
 したがって枝葉末節を突っつく話になるんだけど,鳥木さんの顔って,良家の子女という感じ。幼稚園とか小学校の先生にいそうな。
 ということはつまり,カルメンに見えない。そこを衣装や髪型や化粧でカバーすることは充分にできるんだろうけど,ステージ上の鳥木さんはお嬢さん育ちで何不自由なく暮らしてきたよっていうイメージの女性なんだよね。
 何者にも頼らず(頼れず),自分の才覚と価値観だけで生きていくしかない,半ばストリート・チルドレン(チャイルドではないわけだが)のようなカルメンの野性味,凄味といったものを,こちらとしては想像力で付加していくしかない。

● エスカミーリョは闘牛士であり,花から花へと渡っていくドンファン的なところもある役柄だ。日本人でそれを演じきれる人なんて,そうそういない。日本に闘牛士なんてプロフェッションはないんだし。
 寺田功治さんも,熱演は充分に伝わってきたんだけど,闘牛士に見えない。
 オペラの見方はそういうものじゃないんでしょ。歌で役を支えることができていれば,それ以外のことは聴衆が想像力で補ってくれよ,ってことなんでしょ。
 だから想像力を掻きたてようとするんだけれども,けっこう難しい作業なんだな,これが。小さい頃からテレビで育ってしまっているから,画は与えられるものと脳が思いこんでいるのかもしれないんだ。

● ドン・ホセの役柄は,逆に一般的というかどこにでもいそうな,ちょっと困った男だ。ミカエラがいるのに,カルメンしか見えないという。
 とっくに自分に冷めてしまっているカルメンを,そうと知りながら殺してしまう熱情は,日本の風土には馴染まないかもしれないと思っていた。
 けれど,最近もこの種の殺人事件があったなぁ。こういうのって,洋の東西や時の古今を問わないんだなぁ。
 高田正人さんは丁寧にホセの内面を表現していて,危なげがない。実力のある人なのだろうな,と。

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