矢板市文化会館 大ホール
● 3年連続3回目の拝聴。合唱部と吹奏楽部が合同で開催する。
過去2回の印象からこの演奏会の特徴を一言でいえば,“手作り感”ということになる。手間暇をかけて手作りで作り込んできた感じがする。
技術も相当な水準だけれども,技術だけをいえば,ぼくの知る範囲に限ってもここを凌ぐ高校が栃木県内にいくつかある(これは吹奏楽の話)。
が,このコンサートの風合い,肌触りは,唯一無二といっていいだろう。つまり,他にはないものだ。
● まず,第1部は合唱部。部員数は14名。うち,男声は3名。例年のごとし。しかし,少数精鋭という言葉もある。
● 「昭和のヒットソングメドレー」は流行歌(死語?)を合唱にアレンジするとこうなりますよという,ひとつの範例。編曲の腕ですな。
山口百恵「プレイバックPart2」なんか特にそうで,なるほどなぁと思って聴いた。
● 「曲の合間のMCにもご注目ください」とある。女子が男装して,男子が女装してっていうのはわりとありがち。ありがちでもこれは受ける。鉄板だね。女子の男装は様になるけれども,男子の女装はギャグにしかならないわけで,その落差がまず面白い。
今回の寸劇では,男装した女子(眼鏡をかけてた子)が支えていたかな。彼女が管弦楽でいえばチェロかコントラバスの役割を果たして,舞台を整えたという感じ。
● テルファー「MISSA BREVIS」には3月に卒業したOB・OGも参加。おぉ,ガストンがいるじゃないか。
Missa brevis は短縮版(クレド=信仰宣言,を含まない)のミサ曲という意味で,小ミサ曲と訳されるのが普通。フォーレやペンデレツキが有名かもしれない。
誰の曲でも歌詞は変わらない。定例文だ。ぼくが聴くと,曲まで同じに聞こえたりする。困ったもんだ。
神に捧げる曲なんだから,当然,ラテン語でしょう。高校生がラテン語で歌うんだからね。
● 第2部は吹奏楽。54名で活動していると部長が紹介していた(と記憶する)。
部員数が54名というのは,まぁ普通だねって感じだけれど,矢板東高校は1学年4クラスで,定員は160のはず。3学年合わせても480。とすると,吹奏楽部の部員比率はかなり高い。そんなに多いのかという印象になる。
加えて,附属中から吹奏楽をやってきている部員の比率が高いようだから,これからが楽しみだということ。
● 演奏した曲目は次のとおり。
真島俊夫編 宝島
樽屋雅徳 民衆を導く自由の女神
西山知宏 春風の通り道
アーノルド(天野正道編) 管弦楽組曲「第六の幸福をもたらす宿」より
オリジナル ドラマ「三太郎」
久石譲(真島俊夫編) ジブリ・メドレー
● 「民衆を導く自由の女神」は附属中の生徒による演奏。毎回思うことだけれども,高校生の演奏に比べても,ほぼ遜色がない。このまま直線的に伸びていけば大変な集団になる。
ところが,直線というのは自然界には存在しないもので,そこが難しいところだ。伸びなやみというのがあるに決まっている。そこで腐らないでいられるか。
ひょっとすると,才能っていうのは,その腐らないでいられる能力のことをいうのかもしれないね。
● ドラマ「三太郎」は矢東presentsというわけなのだが,客席サービスに徹したもの。いや,徹してはいないな。自分たちも楽しみたいよってのもあるもんね。よろしい,人生は楽しんだ者勝ち。
三太郎は浦島太郎,ピコ太郎,葉加瀬太郎のことだったんだけれども,誰が思いつくのかねぇ,こういうことを。と思っていたら,auのCM「三太郎」を下敷きにしたようだった。あれは,桃太郎,浦島太郎,金太郎だけれども。
● 葉加瀬太郎のときに演奏した「情熱大陸」。この演奏が今回,最も印象に残るものになった。
一部を聴かされただけでは欲求不満が残る。頭から尻尾まで全部を聴いてみたかったね。
「情熱大陸」っていい曲だもんね。何かちょこっと聴きたいとき,ぼくは「情熱大陸」かピアソラの「リベルタンゴ」を聴くことが多いんだけどね。ま,どうでもいい話なんだけどさ,これは。
● ジブリ・メドレーやディズニー・メドレーは,たいていの吹奏楽団の演奏会で登場する。お客さんも知っている曲だから楽しんでいただけるでしょ,っていう配慮もあるのだろう。
曲じたいもいいしね。ジブリにしてもディズニーにしても,駄作はほとんどないのじゃないか。
しかも。ジブリ・メドレーって,演奏する側の技術の度合いがわりとストレートに出るよね。ヘタクソにジブリを演奏されると腹が立つんだよ。ザケんなよ,ジブリってこんなもんじゃねーよ,とか思うんだよ。
● で,何が言いたいのかというと,ジブリを聴いたという満足感が残ったってことなんですけどね。いや,本当に。見事な演奏だったと思いますよ。
● 第3部はミュージカル「アラジン」。ミュージカルというには,ダンスが少ない,というかほとんどなかったじゃないか,と感じる向きもあるかもしれないけれども,それはそれ。
衣装にも工夫があって(特に,じゅうたん),この衣装も生徒たちが手作りしたんだろうか。
● 今回は,ジーニー役の男子生徒に尽きる。彼なくしてこの劇はあり得なかった。声量といい,舞台狭しと動き回る敏捷さといい,圧倒的な存在感を放っていた。
しかも,一切,手抜きがない。1秒たりとも気を抜いた瞬間がない。
手を抜くなと言葉で言うのは簡単だけれども,実際にそれを体現するのは容易じゃない。どこかで手を抜く。それが普通だ。メリハリをつけるというのは,手を抜く局面を作るというのと同義だったりもする。
彼の場合,そういうことがなくて,ずっと集中が切れなかった。自分の出番ではないときでも,舞台袖でステージに参加していたはずだ。
● “熱”を持っているんだろうね。“熱”は,東大に合格できる程度の勉強頭よりは,はるかに価値の高いものだ。これから遭遇するであろう人生の諸々の事がらに対する際に,最も使える武器を手にしているようなものだ。両親から良い資質をもらって生まれてきた。羨ましいぞ。
熱血漢だと時にウザがられることがあると思うけれども,そこは状況を見て演技をすればいいだけのことだ。
● その“熱”がステージで彼にオーラをまとわせた。そういう印象だ。
だが,それだけではない。終演後に「恋ダンス」が披露されたんだけれども,そのおまけの「恋ダンス」でも,彼に手抜きはなかった。普通でいいとは思っていないらしい。手抜きの親戚であるところのテレもない。
のみならず,動きの切れが頭抜けていた。素晴らしい。
● 先に,「技術だけをいえば,ぼくの知る範囲に限ってもここを凌ぐ高校が栃木県内にいくつかある」と言った。けれども,先を行く他校生の背中は,この高校の吹奏楽部の部員たちにも見えているはずだ。はるか先にいるのではない。
いずれは差を詰め,ついには追いつくことも充分に予感させる。ひょっとしたら,そんなに遠い将来の話ではないかもしれない。
が,そうなった暁にはこのコンサートも今のままではいないだろう。違ったものになっているはずだ。そうならざるを得ないものだ。
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