カルッツかわさき ホール
「川崎に用事がある=ミューザに行く」なので,駅の西側に出ることになる。再開発区域のこととて,整然としている。思っていたイメージと違うなと感じるわけなのだが,先入観を持って見てはいかんなと反省した。
● ところが,カルッツかわさきに行くには駅の東側に出ることになる。こちら側が川崎なのだった。少し歩くと「思っていたイメージ」が展開するのだった。
整然としているだけの都市なんて,何の面白味もない。都市とはスクラップ&ビルドが常態であるところであって,そもそも何百年後か何千年後かには廃墟になるはずのものだが,整然としているだけの,人工が濃すぎるところは,廃墟になるまでの期間が短くなるだろう。
● オーケストラ・ミモザの演奏を聴くのは,前回の第2回に続いて,今回が二度目。開演は午後2時。チケットは500円。事前申込みかつ連絡先を求められるのは,今どきのお約束。これ,当分,続くのかもしれないねぇ。
それをするのに最も簡便なのは “Teket” を使うことだろう。集金,連絡先の提出,入場者の確認などを主催者に代わってすべてやってくれる。主催者が一番楽をできるのは “Teket” を使うことではないか。
● 客席に座る側にとっても,“Teket” はありがたい。当日の朝まで申込みができるし,催行が中止になったときの払戻しも,こちらは何の手間もかけられることがない。
コロナが終息した後も,“Teket” を使ってもらいたい。紙のチケットを記念品として持っていたい人も多いかと思うのだが,ぼくは電子チケットでけっこうだ。メモリアルは文字どおり記憶の中にあればよい。
● 曲目は次のとおり。指揮は喜古恵理香さん。
スッペ 歌劇「軽騎兵」序曲
リスト 交響詩「レ・プレリュード」
バルトーク 管弦楽のための協奏曲
● 若い楽団だ。清新だし,妙な屈折がなく一生懸命さが真っすぐに伝わってくる。それ自体が大いなる価値であることを若い人は気づいているのかいないのか。
自分が若い頃はどうだったかといえば,たぶん,わかっていなかったと思う。というか,自分は若い頃に一生懸命だったろうか,という問題が先にあるわけだけど。
● 最近,ひとつ気になることがある。客席に中高年の男性が増えたことだ。つまり,ジジイが多くなった。彼らはたいてい1人で来ている。ま,ぼくもその中の1人なんだけどさ。
以前には見られなかった事象だ。コンサートホールであれ,美術館であれ,演劇小屋であれ,観客の多くは女性たちと相場が決まっていたのだ。男たちはいったいどこで何をしているのだろう,と思案にくれるのが常だったのだ。
爺さまがいる場合でも,たいていは彼の隣りには婆さまがいた。その頃の爺さまたちはあらかた引退して,もうホールの客席に足を運ぶことはなくなっているだろう。
● ので,その次の代の爺さまたちが今度は1人で立ち現れるようになっているのだ。なぜ急に1人爺さまが増えたのかがわからない。
わからないけれども,この傾向はそもそも望ましいものなのかということを問題にしたいわけだ。高齢の男たちがこうした催しに足を向けるようになったことは,いいことなのかどうなのか。
いいも悪いも,自分もその1人なのだから,自分をきちんと見詰めればそれなりの答えが出るはずのものだ。しかし,ここでは自分を棚にあげて語ってみる。
● おそらくだけれども,これは滅びへの道だ。なぜなら,1人爺さまが客席に満ちている光景は,それだけで人の気を滅入らせるからだ。そういうところに,人は寄りつかないものだろう。
これが女性ならば話が違う。若い女性の誘引力は大したものだが,オバサンやオバアサンであっても,人を跳ね返すことはないだろう。オバサンはオバサンを呼び,オバアサンはオバアサンを呼ぶことができるだろう。
しかし,爺さまの場合は,若い人はもちろん,爺さまたちをも遠ざけてしまう。じつにもって呪われた光景というか,おぞましい光景というか,すべてのものをはじいてやまない地獄の3丁目といった趣を持つ。
● 通常,未就学児は入場禁止にする。中には大人以上に静かに聴ける子どももいるだろうけれども,就学しているかいないかで線を引いている。妥当なところかと思う。
ならば,70歳以上の男性も入場禁止にできないか。中にはまったく害をなさない70歳(以上)もいるだろうけれども,未就学児と同様に等しなみに線を引いて,彼らを入場禁止にする。そうしないと他の人が入って来れなくなる。
そうなるとぼくがホールに足を運べるのもあと数年しかないことになるのだけれども,冗談でなく,これがシリアスな問題になるときが来るのではないかと思う。
● 男性は加齢とともに,人に嫌われがちな要素を蓄えてしまいがちだ。依怙地になる。人の話を聞かなくなる。思い込みから抜けられなくなる。唯我独尊的になる。その結果,人に迷惑をかけ,人を不快にする。
前頭葉萎縮という器質的な理由によるものらしいから,致し方がないのかもしれないのだが,それが外見にも出てしまうわけで,そうなるとひとり本人だけの問題にとどまらず,サービス業全般が何らかの対処をしないと自らの存在を危うくしかねない。
超高齢化社会の到来とともに,厄介な問題が色々と出てくるが,コンサートホールにおける1人爺さまの急増もそのひとつになるかもねぇ。
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