東京芸術劇場 コンサートホール
● 音大フェスの4回目。今年は4回とも聴くことができた。
● 東邦音楽大学管弦楽団はブラームスの4番。今年はブラームスのあたり年か。昭和音大が2番を,昨日は桐朋学園が1番を演奏している。
指揮は田中良和さん。
● 第1楽章の初っ端,香気に満ちた旋律が届いた。これで客席のリスペクトを引き寄せたに違いない。
2楽章,3楽章と進むにつれて,終わらないでくれと思った。ずっと聴いていたいよ,と。
これはなぜなのか。技術は当然として,それ以外の要因をあれこれと考えてみるんだけど(しかし,演奏の8割は技術が決めると思う),そんなの考えたってしょうがないよなぁ,いい演奏にたゆたっていられれば幸せじゃん。
● ライヴで聴くことの幸せですね。CDだと入ってくる情報が限られる。環境を整えてCDを再生すれば,CDでもライヴ並みの情報を再現することがじつはできるのかもしれない。その程度には今の録音技術は進んでいるのかもしれない。
おまえ,携帯プレーヤーで聴いてるんだろ,それじゃぜんぜんダメなんだよ,と言われますな。
● でも,CDが売れなくなっているのには理由があると思う。ネットにいくらでも音源が転がっているようになったからという以外の理由が。
ライヴに行くとなれば,前後の時間がかかる。手間もかかる。家でCDを聴いてる方がずっと楽だもん。
お金もかかる。この演奏会は750円というあり得ない料金なんだけれども,それでも外に出るとなれば,交通費もかかるし,食事だってすることになる。
● つまるところは豊かになったのだろうね。お金をかけるならライヴに,というのがかなり行き渡っていると思うんだけど,それができるようになったってことだから。
聴き手が成熟したとも言えるのかもしれない。何でも聴くという人が減って,自分はクラシックしか聴かないとか,ジャズ一辺倒とか,細分化が進んでいるのかもしれないとも思う。
● 「短いモチーフを徹底的に全曲で用いる」のがベートーヴェンの影響だとすれば,ブラームスもまたベートーヴェンの影響下にある。
が,たとえばシューベルトの「未完成」をそうと知らないで聴いたとして,これ,ベートーヴェンの作品だよと言われれば,ぼくなら信じると思う。
けれども,この曲を何も知らないで聴いて,ベートーヴェンの作品だと言われても,ん?と思うだろう。
● 東京音楽大学管弦楽団は,シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。
4管編成。ハープが2台。つまりは大編隊になる。これだけのものを自前で用意できるところが,さすがに音大。
きかん気の強そうな川瀬賢太郎さんが登場して,さっと演奏開始。まだ30歳なのに神奈川フィルの常任指揮者。将来を嘱望される若手指揮者の一人,というかその代表。
● 大編隊での演奏にも関わらず,コンマスの独奏がけっこう登場する。しかも相当な難度で。
これ,プレッシャーでしょうね。と思うんだけど,案外そうでもないのかなぁ。どうだい,俺の演奏は,って感じなんですか。易々とやってたように見えたんだけど。
● 指揮者もパフォーマーのひとり。川瀬さんの身体能力の高さが印象的だった。
70歳を過ぎた指揮者はどうやるんだろう。そこはそれ,それに応じた指揮の仕方がいくらでもあるんだろうとは思うんだけど,身体能力って相当な大事ですね,指揮者の場合。
● 大編隊の演奏こそ,生とCDとの落差が大きくなる(ように思われる)。この曲を生で聴いたのは今回が初めてだし,この先,同じ機会があるのかどうかわからない。ありがたかった。
終演後の“ブラボー”もなかなかやまず。大編隊は大編隊だというそれだけで,聴衆に訴えるものがあるんだと思うけど,もとより今回の“ブラボー”にはそれ以上の意味が込められていたはずだ。
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