東京芸術劇場 コンサートホール
ただ,押しなべて言うと,時間持ちになるとその時間が軽くなる。フワフワとどこかに飛んでいってしまう。
読む本の冊数も,聴くCDの枚数も,見る映画の本数も,奥さんとの会話時間も,勤めていた頃とほとんど同じなのだ。勤務時間分をそこに付加できると単純に考えていたのだが,そういうふうにはなっていない。
● 家事見習いを始めてはいる。でも,料理や家事が勤務時間をそっくり充てなければならないほどのものであるはずもない。
小人が閑居すると,不善は為さないまでも,時間が軽くなってしまうようだ。つまり,ひとりぼくだけのことではないはずだと思っているのだが。
大学生のときも同じようなものだったかも。が,今はもっと時間持ちだ。大学生には講義や試験や部活などのやらなければならないことがあるが,今のぼくにはそうした義務が一切ないからだ。
● さて,同じ大学生といっても,文系のぼくは遊びたいだけ遊んでいられたが,工学部や医学部になるとそうはいかない。実験や実習がガンガンある。そのたびにレポートも書かなければならないだろう。
音大生はそれに輪をかけて忙しいのだろうな。授業の多くが実技で,マン・ツー・マンの授業もあるんだろうから,手を抜くことができない。授業中は居眠りの時間と決めこむなんてとんでもない。授業に出るだけですむはずもない。練習また練習に明け暮れているのだろう(そうでもないのか)。
● 東邦はベートーヴェンの3番。指揮は梅田俊明さん。
音大とはいえ,何でここまでできちゃうかねぇ。マーラーが指揮していた頃のウィーン・フィルより巧いのじゃないかねぇ(いや,わかりませんけどね,もちろん)。マーラーの頃にはなかった録音音源に下駄を履かせてもらえてるとしても,ここまでの演奏を学生がやるんですなぁ。
木管に気が行く。第2楽章のオーボエ,第4楽章のフルート。
● この録音音源というやつ,考えてみれば偉大な発明ですよね。電気のおかげなのだが,エジソンは偉かった。
作曲とは聴覚を視覚に変換する作業で,演奏とは視覚を聴覚に変換する作業だ。楽譜を見て,それを音に換える。その変換が正しくできているかどうかを確認しようとすれば,作曲者に聴いてもらう以外に方法がない。そんなことはなかなかできない。
逆にいえば,録音音源のない時代には,同じ楽曲が指揮者によってだいぶ違った演奏になっていたのかもしれない。
● 今は演奏じたいをいくらでも聴くことができる。視覚を聴覚に変換する作業は格段に楽になったろう。いきなり聴覚からインプットできるわけだから。
しかも,もって範とするに足る演奏を聴いてしまえるのだ。録音音源の出現によって,珍奇な演奏は影を潜めたに違いない。足切り線がかなり切り上がったはずだ。
同時に,それによって失われたものもあるはずだが,それらを数えてみるのはかなり以上に虚しい作業になる。ぼくらは録音音源のない時代には戻れないのだし,その状況には耐えられないはずだから。
● 東京音大はR.シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」。指揮は尾高忠明さん。大学生のオーケストラがこの曲を演奏してのけるのも,録音音源があればこそと考えていいだろうか。
今回の音大フェスきっての大編隊。眺めそのものが壮観。演奏はもう恐れ入りましたというしかない。勢いがある。若さゆえでしょうか。
● この曲はコンマスの出番が多いというか,ソリストも兼ねてるような感じでしょ。そのコンマスの江刺由梨さん,どこかで見たことがあるんですよね。どこだったか。
てか,栃木県出身の人ですよ。昨年の第20回大阪国際音楽コンクールの弦楽器部門 Age-U(大学生)で第1位。コンクールは数え切れないほどあるのだろうが,こうして次々に若い才能が芽生えてくる。その様もまた壮観とするに足る。
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