2018年12月10日月曜日

2018.12.08 第9回音楽大学オーケストラ・フェスティバル 東京音楽大学・東邦音楽大学

東京芸術劇場 コンサートホール

● 音大フェスの4日目,つまり最終回。今回は皆勤することができた。
 どんだけ暇なんだよ,おまえは,と言われるかもな。言っちゃなんだけど,暇人は最強だからな。暇があって,そこにSome Money(大金の必要はまったくない)が加われば,ほとんど天下に敵なし。天上天下唯我独尊の世界になる。

● 東京音大はR.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。指揮は広上淳一さん。
 オルガンも加わる大編隊。大編隊を要する楽曲がしばしば取りあげられることを,この音大フェスの特色のひとつに数えていいかもしれない。
 大学によって演奏に何か特徴があるかといえば,当然ながらそんなものはない。実力は伯仲しているかもしれないが,桐朋はこう,芸大はこう,国立はこう,というようなそういう特徴はないし,あったらむしろおかしい。

● 世はあげてグローバル化の時代なのだ。いかに外に向けて自身を開くかが問われているのであって,ウチに籠もって自らの特色を模索してみても仕方がない。やってもいいが,それは停滞と呼ばれるものになる。まして世界言語の音楽なのだ。
 というわけで,東京音大のこれが特徴だというものは,ぼくには捉えることができない。しかし,これまで聴いてきた各大学と同様に,素晴らしい演奏だというのはわかる。今の彼らにしかできない演奏で,強烈な一回性,一期一会の出会いを感じる。

● 広上さんは高名な指揮者であるけれども,彼の指揮に接するのは,ぼくは今回が初めて。頑固一徹な職人という風情。空気を読むなどということは,間違ってもやらなそうな感じ。学生にとっては怖い先生なのかもしれない。
 舞台袖から指揮台まで歩いてくるその歩き姿は,とてもコミカルなんだけど。

● 東邦音大はサン=サーンスの3番。こちらも大編成。オルガンの他にピアノも加わる。指揮は大友直人さん。
 この曲で最も耳を打つのは,(普通に数えれば)第3楽章の冒頭の部分だろう。何ごとが起こったのだと思わせる。
 以下,荒唐無稽なことを言うんだけど,ぼくはここでナポレオンの登場を想起する。そこから先は進軍に次ぐ進軍。ウィーンを落とし,ベルリンを落とす。それまで歯が立たなかった宿敵プロイセンを木っ端微塵に蹴散らして,パリに凱旋する。歓喜するパリ市民に迎えられて大団円。

● 徒しごとはさておき。この曲は長らくぼくには難解だった。“フランス”を頭から追いだして聴くのがいいと思う。
 そうじゃないと脳が勝手にこの曲の中に“フランス”を見つけようとしてしまうのだ。明るさとか軽さとか気分とか自由とか非様式とか,そういうものを探そうとしてしまう。
 そういうものをフランス的なるものとするのはそもそもどうなのよ,ということもあるわけで,ぼく程度の聴き手は注意しないといけない。

● この曲の全体を何とか脳内に収めることができたかと思ったのは,今年の6月に鹿沼ジュニアフィルハーモニーオーケストラの定演でこの曲を聴いたときだ。が,そうなると今度は,その鋳型に合わせて聴こうとしてしまう。
 いったんできた鋳型は壊さなければいけない。ぼく程度の聴き手は,ここでも注意しないと。

● 指揮の大友さん。あの髪型は大切な商売道具なのだろうな。大友さんの一部になっている。髪は女の命というけれど(本当だろうか),大友さんの場合はそれ以上の存在という気がした。
 無駄な贅肉がなくダンディだ。密かにかおおっぴらにかはわからないけれども,身体を鍛えているんだろうし,食事にも気を遣っているのだろう。放っておいたんじゃ(自然にしてたんじゃ)ああはならないものね。

● 今日も客席はほぼ満席。お客さんはよくわかっている。
 素晴らしい演奏で,これさえ聴いとけば,他は聴かんでもいいのでは。今年も終わったという気分になった。

● 終演後,「音楽大学フェスティバル・オーケストラ」のチケットを購入。9大学の合同チームによる演奏会。
 来年3月の30日と31日の2回公演なのだが,31日のカルッツ川崎でのチケットを購入した。ミューザではなくカルッツ川崎。川崎の旧市街(?)にある。川崎も駅とミューザの間(数百メートル)しか知らないから,旧市街を歩く機会を得られるのはありがたい。
 指揮は小林研一郎。「ひたむきに,一心不乱に自分の生き様を音に託して精進する学生諸君との共演。心が踊っている」と語っている。リップサービスではないはずだ。

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